2009/07/29

「コンチェルト・グロッソ」

Concert Grosso Per I(1971年)

New Trolls
(ニュー・トロルス)


コンチェルト・グロッソ」はイタリアのNew Trolls(ニュー・トロルス)が1971年に発表したイタリアン・ロックの名作と言われる3rdアルバム。

旧 LPA面に並べられた4曲からなるアルバムタイトル曲は、基本的に「La Vittima Dementi」という映画のサウンドトラックとして作られており、作曲とオーケストラアレンジは映画音楽作家Luis Enriquesz Bacalov(ルイス・エンリケ・バカロフ)によるもの。

オーケストラとロックの融合を目指すという、当時の流行であった試みに挑戦したものであるとともに、コンセプト及び作曲をメンバー以外の者が行なった曲とメンバーの曲が一枚のアルバムに“融合”されている点でも特異な作品と言える。

 Nico Di Palo:ギター、リードボーカル
 Gianni Belleno:ドラムス、ボーカル
 Giorgio D'Adamo:ベース
 Vittorio De Scalzi:ギター

オーケストラ(15本あまりのバイオリンと2本のチェロ)による端正なバロック的な音楽に、ワイルドなロックアンサンブルが絡んでいくという、ある意味王道な 作りであり、両者が複雑かつ緻密に絡み合うという構成ではないため、今となってはそれ自体に大きな新鮮さはないと言える。

ところが、では古くささや陳腐な印象を受けるかというと、これが全くそんなことがないのだ。むしろ一つの奇跡のような究極の美しさに満ちている。特に最初の3曲の美しさは比類無きもの。この叙情美は、数あるイタリアンロックの中でも最高ランクだろう。

まずメロディーとアレンジがいい。難しいことは特にしていない。1曲目の「Allegro」。導入部のコンダクターの開始の合図がいい味を出している。そして始まる躍動感あふれるヴァイオリンに導かれた弦楽器とバンドのロックアンサンブルのよどみ無い流れ。ロック的なフルートもうまく溶け込んでいる。

2曲目「Adagio (Shadows)」では、チェンバロが鳴り、ソロヴァイオリンのメロディーをエレキギターが追いかける。そして弦楽オーケストラがドラマティックに鳴り響く中、エレキギターのソロが入る。これが違和感なくごく自然に行われる。

そしてNew Trollsのボーカルがまたいいのだ。美しいメロディーを甘い声と厚みのあるハーモニーで歌い上げる。オーケストラをバックに歌うボーカルも良いが、特にオーケストラが入らない4曲目のボーカルハーモニーが素晴らしい。

そしてオーケストラのレベルが高い。特に印象的な3曲目「Cadenza(カデンツァ)」の前半部分で演奏されるヴァイオリン・ソロの素晴らしさ。ロックサイドの重いリズムや濃いエレキギターに拮抗するような力強さと安定感、そして溢れ出る叙情。

もちろんこの前半3曲だけでもこのアルバムは歴史に残る名盤足り得たと思う。しかしオーケストラを配した4曲目をブリッジにして、旧LPB面すべてを使った 「Nella Sala Vuota(空間の中から)」という、New Trollsというバンドのみによる20分に渡る荒々しいインプロヴィゼーションが、アルバム全体の幅を広げ、作品としての深みを増すことに成功していると言える。ボーカルの素晴らしさが全体を一つにまとめ上げている。

こうして今このアルバムを聴き返して見ると、サカキマンゴー氏が「親指ピアノ道場!」で述べていた「オーケストレーション重視の澄み切った音に対する反抗」としての「サワリ音」豊かなロックサウンドが、再びオーケストラの澄み切ったサウンドを迎え、それぞれの魅力を持ち寄ることで、さらに音楽の幅を広げようとする試みだったのかという気がする。

しかし試みとして当時新鮮だったことからくる緊張感、互いの自己主張の強さが、今でも大きな魅力としてこのアルバムの価値を失わせていない。

まさに傑作中の傑作。

ちなみに「New Trolls」とは「新しいトロルたち」という意味。「troll(トロル)」とは北欧伝説に出てくる、洞穴や地下に住む巨人、あるいはいたずら好きな小人を指す。アニメや原作童話が有名なムーミンは正式にはMoomintroll(ムーミントロール)と言う。北欧はフィンランドの作品に出てくるムーミンもtrollなのだ。一般的なtrollのイメージとは違うけれど。


2009/07/28

「夕霧楼の幻想」

「夕霧楼の幻想」(1985年)

孔雀音(くじゃくおん)


「夕霧楼の幻想」は日本のバンド孔雀音(くじゃくおん)が1985年に発表した唯一の作品である。本作はオーディション用デモテープとして、ミックスダウンも含めて12時間程度という超短時間で作られたという。ほとんど一発取りでの録音だと思われる。

結局デモテープはレコード会社では採用されず、自主制作カセットレーベルから発売され、バンドは解散する。このカセットは1990年にCD化された。

 石川 真澄:キーボード
 松本 元昭:ギター
 武士 守広:ベース
 加藤 史朗:ドラムス
 小塚  靖:ヴァイオリン
 延上真麻音:作曲

孔雀音の第1の特徴は、ヴァ イオリン主導型のジャズロックバンドであること。当時日本ではやはりヴァイオリンを大胆に取り入れたアウターリミッツが存在したが、アウターリミッツが ボーカルを入れたシンフォニックな作風であったのに対し、孔雀音は完全なインストゥルメンタルのジャズロックバンドであった。

第2の特徴は、演奏メンバーではない延上真麻音という作曲家が全曲作曲しており、それを演奏するために集められたスタジオミュージシャン集団であるという点。延上はマハヴィシュヌ・オーケストラなどの影響を受けていたといわれるが、そういう点ではアドリブ、インタープレイで押すバンドではなく、構築型のジャズロックである。

第3の特徴は、日本的な情緒を感じさせる作風であること。メンバーはスタジオミュージシャンだけあって、演奏技術は素晴らしい。一曲目「エリクシール」でいきなり始まる緊張感溢れるユニゾン、そのまま曲へ流れ込み、ドラムスとベースのスピーディーで的確なリズムの上で繰り出される伸びのあるヴァイオリンの音のカッコ良さ。

し かし、そうしたテクニカルな魅力もあるが、曲によっては幻想的な雰囲気を漂わせたり、少しコミカルなアレンジがあったり、雅楽的な音が使われたりすること ころに個性が見られる。むしろテンションの高い曲よりも、表現力豊かな繊細な部分が活きる楽曲と演奏の方が本領なのかと思われる。

特にうねるベース、そして歌うヴァイオリンが、何とも言えない色っぽさを醸し出しているのだ。作曲の時点で日本的な旋律が意識されていたと思うが、そこにこの色っぽさ、艶っぽさが加わることで、まさにタイトルの「夕霧楼」的な妖しい世界が顔を見せる。ほとんど裏方としてサポート役に徹しているキーボードやギターも、ここぞという場面ではジャズ指向の強いアドリブを繰り出し、細やかで堅実なプレイを見せる。

ちなみに「夕霧楼」とは水上勉の作品『五番町夕霧楼』に出てくる京都の遊郭の名前。「新月」は日本的な闇の世界を作り出したが、それとも違う日本的世界が見え隠れする。

曲によってはアレンジの詰めが甘いかとか、音のレンジが狭いといった音質的な問題とかを差し引いても、素晴らしい作品だと言える。音がむやみに厚くなっていない分、個々のプレイの面白さが聴き取れるのもよい。

ぜひきちんとしたプロデュースと十分な時間をかけて、正式なアルバムを残して欲しかった、日本的情緒を表現できる希有なバンドの、貴重な作品である。アルバム入手が困難なことが最大の難点だが、敢えて紹介するのは、このまま忘れ去られるには実に惜しい音だからだ。
ぜひ再発を望みたい。

 

2009/07/27

「トランシルバニアの古城」

トランシルバニアの古城(1973年)

Cosmos Factory
(コスモス・ファクトリー)


Cosmos Factory(コスモス・ファクトリー)は四人囃子とともに、日本のプログレッシヴ・ロック最初期の代表的バンド。これは1973年のファースト・ア ルバム。当時の最新機材だったメロトロン、シンセサイザーを多用しながら、バンドとしての勢い、テクニックともに非常に高い。特にボーカルが“聴かせる”歌を歌 う。四人囃子もそうだったけど、ボーカルが魅力的だと、バンドとしてとても引き締まる好例だ。

 泉つとむ:キーボード、リードボーカル
 滝としかずー:ベース、ボーカル
 水谷ひさし:ギター、ボーカル
 岡本和夫:ドラムス

最初の曲「サウンドトラック 1984」はインストゥルメンタル。ベースの一定のリズムの上を、メロトロンをバックにムーグシンセサイザー全開。古いスパイ映画のようなメロディーにギターが絡んできて怪しい雰囲気。

2曲目「神話」でボーカルの魅力が発揮される。最初のコーラス、そしてGSか歌謡曲風な、じっくり聞かせる歌。後ろで流れるメロトロン。切れのあるギターソロ。どうしてこういう歌心のあるプログレってなかなかないのだろう。

3曲目「めざめ」はピアノと琴だけをバックにしっとりと歌われるシンプルな美しい曲。歌がいいなぁ。いい声だなぁ。4曲目「追憶のファンタジー」は一転してハードロック調ではるが、ボーカルが個性を発揮し、結果的にハードロック演歌風。これがまた日本風でいい。

5曲目、LP時代A面ラストはインストゥルメンタル。ヴァイオリンの入った曲だが途中オルガンソロなども入り曲に変化をつけている。

6曲目、LP時代にB面すべてを使った18分を越える大作「トランスヴァニアの古城」。本アルバムのハイライト。ピアノの、鍵盤をたたき付けるようなイントロか ら緊張感がみなぎる。ドラムとベースがリズムを刻みだすとオルガンが全体を包み込み、ギターがうねる。オルガンの響きが初期のピンクフロイドっぽい感じか。

曲は4部に分かれていて、パート2よりボーカルが入る。スローなテンポで雰囲気が暗く進むのは、ドラマチックなGSか和製ピンク・フロイドという曲調。でも実はそれほど真似た感じはない。テクニックに頼らず音の作り出す世界を大事にするバンドということだろう。

常にギターがよく歌っている。そのままパート3へ進み雰囲気はやや明るめに変わる。しかしやっぱりボーカルが曲を引っ張る。インストパートも雰囲気を大切にしていて個人が表に出過ぎない。クリアーで鋭い感じのギター、くぐもったハモンドオルガンの対比も魅力的だ。最後は嵐のSEで暗いまま曲は幕を閉じる。ひた すら暗いまま、あっという間に過ぎる18分だ。

コスモス・ファクトリーはその後3枚のアルバムを出す。1976年の3rdアルバム「ブ ラック・ホール」では、本作のピンク・フロイド調からキング・クリムゾン的なハードな面が強くなる。しかし共通しているのはボーカルの個性的魅力と、全体 を支配する“昭和の日本”的暗さだ。実はライブを一度見たことがある。「ブラック・ホール」の頃だと思う。非常に引き締まった音で圧倒された。

このアルバムにはそうしたプレーヤーのテクニック的な凄さやバンドアンサンブルの一体感はまだ感じられないが、それが逆に暗く沈んだ曲にマッチし、ボーカルの個性を活かした、極めて日本的な独特の世界を作ることに成功している。

GS時代に培われたドラマチックな世界を残しながら、音を詰め込みすぎない潔さと、それをものともしないボーカルの力を感じさせる傑作。


2009/07/26

「妖精の森」

A Story Of Mysterious Forest(1980年)

Ain Soph(アイン・ソフ

 
「妖精の森(A Story Of Mysterious Forest)」は日本が生み出したプログレッシヴ・ロック作品の中でもトップクラスに入る名盤。バンド名はアイン・ソフ。1980年発表のファーストアルバムだ。

内容的には曲によってジャズ・ロックとシンフォニック・ロックを行き来する感じ。すべてインストゥルメンタルだが、どの曲もとても表情豊かな印象を残す。

バンド本来の音は実はCaravan、Camel、Soft Machine、Hatfield and the Northなどの英国バンド、取り分けカンタベリーミュージックとしてくくられるジャズ・ロックを目指していたようだ。しかしこのアルバム制作時にキー ボード奏者が替わり、結果的にそうしたジャンルに単純に分類できない、非常にオリジナルなアルバムができあがった。

 山本要三:ギター
 服部眞誠:キーボード
 鳥垣正裕:ベース
 名取 寛:ドラムス

収録曲は全5曲。1〜4曲はジャズ・ロック指向の強い作品で、5曲目が18分の大作「組曲:妖精の森」というシンフォニック色の濃い曲だ。

最初の曲「クロスファイア」から演奏の集中力が凄い。7拍子で突っ走るリズム隊の上でギターとキーボードが恐ろしく密度の高いソロを展開する。もちろん速弾きなら他にもたくさんギタリストはいるだろう。しかし思わず魅き込まれるスキのないギターだ。そしてそれに臆することなく対抗するキーボード。3分にも満 たない曲だが圧倒される。

2曲目のアコースティック・ギターによる間奏曲をはさんで、3曲目、4曲目。スピード感、緊張感の中にも、ア コースティック&エレクトリックピアノが美しく、ギターも速弾きだけでない味のあるソロを聴かせてくれる。何と言ってもバンド全体のアンサンブルがカチッとまとまっている。ギターもキーボードも攻撃的で野性的な演奏をするわけではない。スムーズでテクニカルなインタープレイが聴きどころだ。

そして「組曲:妖精の森」。1〜4曲を聴いたところからも分かるのだが、こうしたシンフォニックな曲はこのバンドの本来の姿とは少し違う。しかしだからこそジャズ・ロック的な疾走感があったり、クラシカルなメロディーが顔を出したりと、変化に富んだ曲作りがなされている。

そのため、曲の1/3あたりから始まる、Pink Floyd的なメロディアスでメランコリックなギターソロが活きてくる。メロトロンソロも登場する叙情的なパートであるが、必要以上に音を厚くしないことで、思った以上にクールに進行し、組曲の他のパートと違和感なくつながっていく。こうして、ジャズ・ロック的なバンドによるシンフォニック組曲という、不思議な魅力に満ちた音楽となった。録音時、メンバー間では一触即発状態が続いていたというが、だからこそ作れた音だと言える。

本アルバムのキーボード奏者は、アルバム発表後脱退する。したがってこのメンバーでの演奏が聴けるのは、このアルバムだけだ。カンタベリーミュージック系ジャズ・ロックだけでも日本のバンドとしては珍しいのに加えて、クラシカルなキーボード奏者が加入していた本作は、さらにヒネリがあって独特なサウンドが 出来上がった。

演奏力、楽曲の魅力ともに世界レベルの傑作。
なおアイン・ソフは今でもバリバリの現役バンドであります。


2009/07/25

「人間失格」

人間失格(1990年)

人間椅子(にんげんいす)


「人間椅子」と言えば江戸川乱歩の不気味でエロティックな小説であるけれど、その小説のタイトルをバンド名にしたのが、日本の誇る比類なきハードロックバンド「人間椅子」である。「人間失格」は、彼らの1990年のデビューアルバムだ。

「三宅裕司のいかすバンド天国」(1989〜1990年)、通称「イカ天」という、メジャーデビューを目指したアマチュアバンド勝ち抜き合戦番組において、審査員達から大好評を博し実際のメジャー・デビューにつながったという経緯を持つ。

当初はベーシストが白塗りのネズミ男(「ゲゲゲの鬼太郎」に登場するキャラクター)の格好をするなど、ビジュアル的な印象が先行しがちだったが、実は、日本語を無理無く載せた独特の和風ハードロックという非常に難しいことをやってのけたバンドである。

さらに青森出身ということで、津軽弁や津軽三味線的な要素を巧みにハードロックに溶け込ませるなど、そのアイデアやこだわり、演奏力、そしてロックへの独自の日本的アプローチは、非常に斬新であり、飛び抜けて特異なバンドであった。

わたしは、ロックというとどうしても1970年代のディープ・パープルやレッド・ツェッペリン的なイメージに縛られ、ハイトーン&シャウトががボーカルには 必須みたいな固定観念が性に合わず、演奏はハードでもピンク・フロイドのようにボーカルは淡々と歌ったっていいじゃんとか思っていたものだった。

だから四人囃子の「一触即発」やコスモス・ファクトリーの「コスモス・ファクトリー」の後を継ぐようなバンドって出てこないものかと思っていたのだ。むしろメインボーカルは「演歌歌手」で、バックがハードロック/ヘヴィー・メタルな演奏とかだったら、イタリアのアレア(area)みたいで、強烈に面白いだろう、とか一人夢想していた。そこに出て来たのがこの「人間椅子」であり「筋肉少女帯」であった。

その人間椅子のアルバムの中でも、個性の一番強いのがこの「人間失格」であろう。

 和嶋慎治:ギター、ボーカル
 鈴木研一:ベース、ボーカル
 上館徳芳:ドラムス

輪島のボーカルは雅楽での唱名を思わせ、鈴木のボーカルはちょっと訛りの残る念仏風な歌い方が特徴だ。そして歌詞。アルバムを重ねるごとにその世界は江戸川乱歩やクトゥルー神話など多岐に渡っていくが、このアルバムでは横溝正史的な暗さで描く地獄図といった雰囲気。

「忘れ去られた土蔵の奥深く
 眠る太鼓の繰り出すおどろ唄」(「あやかしの太鼓」より)

など、待ってましたのおどろおどろしき和製ロックの誕生であった。この音の重さ、ボーカルの自然体の魅力、日本語にこだわった歌詞の暗い世界、そしてハードロックからプログレッシヴ・ロックまでカバーするようなドラマティックな曲の展開や世界観。

特に初期3枚はどれも傑作で、中でも完成度の高さでは3枚目の「黄金の夜明け」が楽曲の充実度から最高作だと思っている。しかしおどろおどろしき世界の衝撃度では本作が一番である。

ちなみに初期3作をもってドラムスの上館徳芳が脱退する。しかし個人的にはここで人間椅子の魅力が半減してしまうような気がしている。残りの二人の個性が強いため、目立たない存在だったが、貴重な存在でもあったのだ。

和嶋慎治はとてもテクニックのあるギタリストであるが、テクニカルな面を強調しない巧みな表現をする。鈴木研一のベースはチューニングを一音半下げるなど、やはりテクニカルな部分より音色、音の重みを重視したプレイを優先する。

そして上館徳芳のドラムも決してテクニカルに叩くタイプではなく、ピンク・フロイドのニック・メイスンのように、的確に全体のムードをサポートすることのできたドラム・プレーヤーであった。

彼以後のドラマーは、音がシャープだったり、テクニカルに走り過ぎたりと、全体のムードをガッチリ押さえる役割からズレて、自己主張が強いことで、逆に輪島、鈴木両氏の作り出す世界が不完全なものになってしまうように思える。

そういう意味でも一番個性の飛び抜けたアルバムである。

わたしは電車の中で初めて本アルバムを聴いていて「こんな音楽を聴き続けていていいんだろうか」と本気で不安になったほどのショックを受けた。傑作である。


2009/07/24

「一触即発」

一触即発 (1974年)

四人囃子(よにんばやし)


一触即発」(いっしょくそくはつ) は、日本が誇るロックバンド四人囃子(よにんばやし)が1974年に発表したファースト・アルバムである。情報も格段に少なかった当時、イギリスの Pink FloydやYesを聴いて「外国のグループは違うなぁ」と、ある種妄想に近い憧れと、日本の音楽との圧倒的なレベルの違いを感じていた頃のことだ。やっていることの次元がもう違う、そんな感じだった。

だから音楽雑誌にデカデカと怠け者がぶら下がっているジャケット写真が載り、確か「これが欧米音楽への日本からの回答だ!」みたいなアオリコピーがついていたのを見た時も、関心はあったが期待はそれほどしていなかった。

いや、1973年くらいまでにイギリスの大物プログレッシヴ・ロックグループは、その代表的な作品を出しているから、もしかするとそれらに刺激された何か新しいプログレッシヴな音楽が日本からも出たらいいなぁ、くらいは思っていたかもしれない。かなり寛容に、敷居を低くしてでも、日本のバンドの頑張りを期待していたところはあったかもしれない。

ところが聴いてみてショックを受けた。まず音がいい。音響的なこだわりが凄い。音を詰め込みすぎずに、逆にピンク・フロイド並みに、そえぞれの音に存在感がある。そして自信に満ちた演奏力。安定している上に細かなところでテクニックを感じさせるところがニクい。

 森園勝敏:ギター、ボーカル
 岡井大二:ドラムス
 坂下秀美:キーボード
 中村真一:ベース
 
さらに作詞家の末松康生の日本語のよる歌詞。英語を全く使わないで作り上げた日本的な世界観。その懐かしいような不気味な世界は、あきらかにGSの延長からは出てこない詞であった。

Pink Floydの「Echoes」風な大作「一触即発」で歌われる「あ〜ぁぁ、空がやぶける あ〜ぁぁ、音も立てずに」なんてもう想像の枠を越えてしまっている。考えられない言葉。目眩がする。

(ただし同曲の「金ぴかの時計が〜」というドラッギーな部分は、森園が勝手に入れたとのこと。)

それを歌う森園の存在感のある力強い声。決して上手いタイプではないが説得力のある声。GSともフォークとも違う、ロックな骨太な声の魅力。演奏力の高さや幻想性で語られることが多いが、この声も四人囃子の大きな魅力だ。

確かにピンク・フロイドを中心に海外のグループの影響は受けている。あえてジャンル分けすれば、プログレッシヴ・ロックだろう。しかし意図的にそこを目指したわけでもない。何か新しい音楽をやろうというエネルギーが作り出したアルバム。日本のロックがいきなり最高レベルで出現したような衝撃。

そしてその音や声の生々しさ、演奏の巧みさ、歌詞の独特さ、構成の新鮮さ、そして耳の残るメロディーという意外なキャッチーさにおいて、未だ日本で、このアルバムを越える作品は出ていないと言える。

非の打ち所のない傑作である。


「ライヴストック」

Livestock(1977年)

Brand X(ブランド・エックス)


Livestock」(邦題は「ライヴストック」)はイギリスのジャズ・ロックバンドBrand X(ブランド・エックス)の1977年発表の第3作。驚異のライブアルバムである。

1stアルバムから1曲、2ndアルバムから1曲、そして新曲3曲という構成は、既出アルバム時代の総括としてのライブというよりは、新作的な位置づけ。

Phil Collins:ドラムス
John Goodsall:ギター
Percy Jones:ベース
Robin Lumley:キーボード
Morris Pert:パーカッション
Kenwood Dennard:ドラムス

ドラムスが2人いるが、これは3カ所のライブ演奏から作られたアルバムであり、演奏場所によってKenwood Dennard(ケンウッド・デナード)が叩いている。具体的には5曲中1曲目と4曲目がKenwoodのプレイだ。

Brand XはPhil Collins(フィル・コリンズ)がGenesis(ジェネシス)と平行して活動していた別プロジェクトであったが、この時期GenesisはボーカルのPeter Gabriel(ピーター・ガブリエル)の脱退を受けて、Phil Collinsがボーカルとドラムスを兼任することになったこともあり、次第に多忙を極め本作で脱退する。

しかし後任のKenwoodも含めて、全員が超絶技巧プレーヤー。全曲インストゥルメンタルなジャズロックだが、キメの嵐とか超絶ソロ回しとか、早弾き大会とかにならないのが現在のテ クニカルバンドと違うところ。「この複雑な高速フレーズをユニゾンで弾いてるんだぁ!」って感じじゃなくて、「あれ、ここキーボードソロだと思ってたとこ ろ、ギターがユニゾンで被さってるじゃん!」みたいな。

そしてなにより暗い。音楽が暗いところでうごめいている。そこがまたプログレッシヴ・ロック心をくすぐるところでもある。そして音数が少ない。華麗さとは無縁。ところが音の隙間にもの凄い緊張感が宿る。

テクニック的にも一流であるが、それにも増して超個性的なクセのあるプレイも大きな特徴だ。特にフレットレス・ベースを操るPercy Jones(パーシー・ジョーンズ)のやわらかめなウネウネした音が妖しい。リズムをキープするというよりはリズムに絡み付くような感じ。もちろん高度なリズム感があればこそ可能なプレイだ。

そのウネウネ感にも通じるのが、ピッチベンドを屈指したムーグや軽やかなエレピで曲を引っ張る Robin Lumley(ロビン・ラムリー)のキーボード。乱暴に括ると、この二人が「硬軟」の「軟」だとすれば、強烈に弾きまくるギターのJohn Goodsall(ジョン・グッドソール)と、ロールを多用し音数が多くタイトでスリリングなプレイのPhil Collinsのドラミング、そしてよりストレートなKenwood Dennardのドラミングが「硬」と言えようか。

静かにフェイ ド・インしてくる最初の曲からして、すでに妖しい緊張感たっぷり。何だこれはと思えるほどに奇妙なフレージンクを聴かせてくれるベース。Morris Pert(モーリス・パート)のパーカッションが、グルーヴを作り出すというよりKing CrimsonのJamie Muir(ジェイミー・ミューア)っぽくノリと妖しさを増幅する。

2曲目が1stアルバム、5曲目が2ndアルバムからの曲だが、どちらもスタジオアルバムを越 える迫力。2曲目「-ish」のPhil Collinsのドラミングはいいなぁ。そして最後の「Malage Virgin」Kenwood Dennard」の全員一丸となったプレイも凄い。

形式的にジャズロックに入るであろうけれど、どこか別の世界に連れて行かれるような感覚は極めてプログレッシヴ・ロック的である。カンタベリー系の、どこか田園風景を思い起こさせるような音とも違う。独特な暗さと妖しさをはらんだノリの上を、超絶技巧プレイが疾走していく。

これもまたイギリスならではの音が詰まった名盤。傑作である。

ちなみにバンド名は、アルバム発売前のリハーサルでまだバンド名が決まっておらず、スタジオの記録簿にbrand x(某社の製品)と書いたことに由来するという。ちなみにbrand xには俗語としてマリファナという意味もある。

またアルバムタイトル「livestock」であるが、もともとはlive(生きている)+stock(在庫)から「家畜」を意味する。これに対して「deadstock」がdead(生きていない)+stock(在庫)で「農具」を示す。

ただ「deadstock」が「活かされていない在庫」という感じで「売れ残り・不良在庫」の意味も持つことから、そこからの発想で「優良な在庫」、つまり「貴重な/活き活きとした手持ちの品」、そして文字通り「ライヴの記録」という意味を持たせたものと考えられる。


2009/07/23

「火星年代記」

Marsbeli Kronikak(1984年)
Solaris(ソラリス)
Marsbeli Kronikak」(邦題は「火星年代記」)ハンガリー出身の5人組の1984年のデビュー盤。英語タイトルとしては「 The Martian Chronicles」。グループ名はStanisław Lem(スタニスワフ・レム)の小説「Solaris(ソラリスの陽のもとに)」から、そしてアルバムタイトルはRaymond Douglas Bradbury(レイ・ブラッドベリ)の小説「The Martian Chronicles(火星年代記)」から取っていると思われる。

どちらもSFの代表的な小説なので、SF的な作品をイメージさせられるが、オールインストゥルメンタルであるため、歌詞による物語的なトータル性はない。

しかしアルバム収録曲46分のうち、半分の23分がアルバムタイトル曲「Marsbéli Krónikák」のパートI〜VIという大曲となっており、残りの曲のタイトルも含めると、音楽的なトータル性は高いアルバムになっている。

 Istvan Czigman:ギター、シンセサイザー、キーボードイフェクト、
     パーカッション
 Robert Erdesz:ピアノ、オルガン、シンセサイザー、
     キーボードイフェクト
 Laszlo Gomor:ドラムス、パーカッション、シンセサイザー
 Attila Kollar:フルート、リコーダー、シンセサイザー、
     キーボードイフェクト、パーカッション、ボーカル
 Tamas Pocs:ベース
《ゲスト》
 Casaba Bogdan:ギター
 Gabor Kisszabo:ベース
 Ferenc Raus:ドラムス、パーカッション
 Vilmos Toth:パーカッション
まず基本的には、ギター、ベース、ドラムス、キーボード、フルートの5人がメンバーであるが、キーボード奏者以外の3人がシンセサイザーを兼任している。そしてこのシンセサイザーが大きな特徴となっているのだ。

1983年と言えば時代的にはプログレッシヴ・ロックはすでに音楽のメインストリームから離れて苦しい立場に置かれていた。さらに東欧ハンガリーとなれば、自由化前の社会主義体制下。

しかしこのバンドは強烈な個性とテクニックで、アルバムの最初から最後まで、途切れることのない緊張感を持続させながら疾走する。イギリスのポンプ・ロックのラインではない。1970年代の勢いをそのまま1980年代に持ち込んだようなサウンドだ。

特徴となっているシンセサイザーであるが、80年代的に、ポリフォニックなキーボードとして使うというようりは、70年代のモノフォニック的な太い音と極端なビブラートなどを全面に出して、当時心躍った“新しい電子楽器シンセサイザー”の魅力を再現しているところが素晴らしい。

冒頭の曲は、プログラムされたシーケンスをこの力強いシンセサイザーが鳴り響く不気味な曲。ドラマチックでクラシカルなメロディーの繰り返しに、宇宙人のような声がSEとして重なり、何ともいい味を出している。

フロントを担うのは基本的にはこの特徴あるシンセサイザー、そしてハードロック的なギター、さらにカミソリのようなフルート。メロトロンやオルガンなどは聴 こえてこない。しかし混成合唱なども入り、曲はどれも雄大で音の薄さなど微塵もない。むしろ単音シンセの旋律を重ねる(和音ではない)ことで、曲の厚みと ダイナミズムを作り出している。

さらにフルートの鋭さ。トーキング・フルート的な部分は皆無。ひたすら繊細にそして強靭に、美しく力強い音で抜群の存在感を示す。ギターやキーボードをバックにメロディーを歌い上げる。静かでクラシカルなパートだけでなく、ハードな曲でも他のリード楽器に退けを取らない。

そしてキレのあるドラムと細かく動くベースが、疾走感と緊張感を高める。シンセ主体の曲でもフュージョン的にならないのは、このリズム隊の突進力、そして東欧的な暗く叙情的なメロディーによるためだろう。

オール・インストゥルメンタルながら、その後のプログレメタル的なテクニカル至上主義な部分はなく、色彩豊かな世界を描く、まさに1980年代だから生まれたプログレッシヴ・ロックミュージックの傑作。このシンセサイザーとフルートは必聴。。

尚、アルバム最初の曲で聴かれる宇宙人(火星人)のような声は、ハンガリー語で次のように言っている(
Wikipediaの英文より。translated by TAKAMO)。
 割れた鏡
 すすで汚れた鉄の壁
 死んだように動かない大量のゴミ
 そして汚染された湖
 君は、かつて人類がこの地に住んでいたと言うのかい?
 
 
Megrepedt tükrök (Cracked mirrors)
 Kormos acélfalak (Sooty steel walls)
 Halott szeméthegyek (Dead piles of garbage)
 És szennyes tavak (And polluted lakes)
 Azt mondod, itt élt valaha az ember?
(You say mankind used to live here?)

バンドは1999年、なんと15年ぶりに「Nostradamus」という作品を出している。こちらも混声合唱をメインとした20分を越える大作「Book Of Prophecies」を中心とした傑作である。


「秘なる海」

Enigmatic Ocean(1977年)

Jean-Luc Ponty(ジャン・リュック・ポンティ)


Enigmatic Ocean」(邦題は「秘なる海」)はフランス人のヴァイオリニストJean-Luc Ponty(ジャン・リュック・ポンティ)による1977年の作品である。

Jeanはクラシックの素養を持ちながらジャズ・ヴァイオリスととしてデビューし、1960年代はジャズ・ヴァイオリニストとして活躍。

1970年代、Frank Zappa(フランク・ザッパ)のバンドやJohn McLaughlin(ジョン・マクラフリン)のマハビシュヌ・オーケストラへの参加を経てソロ活動を開始し、エレクトリック・ヴァイオリンをメインに置いた独自のジャズ、ジャズロック、フュージョン関連のアルバムを出していく。その中でも充実した共演者もあって、最高のジャズ・ロックアルバムとなったのが本作。

 Jean-Luc Ponty:エレクトリック・ヴァイオリン、ヴァイオリン
         ヴィオレクトラ、ベル、ピアノ
<参加ミュージシャン>
 Allan Holdsworth:リード・エレクトリック・ギター  
 Daryl Stuermer:リード&リズム・エレクトリック・ギター  
 Ralphe Armstron:エレクトリック・ベース  
 Allan Zavod:オルガン、シンセサイザー、エレクトリック・ピアノ、
       グランド・ピアノ、クラヴィネット
 Steve Smith:ドラムス、パーカッション


ヴァイオリンはエレクトリック主体で、いわゆる生ヴァイオリンのキュッキュッというようなアコースティックさはない。むしろ逆に一聴するとキーボードに似ている音色。ただやはりヴァイリン的な柔らかさは残っており、ソロでの艶やかさもさることながら、硬派のDariyl Stuemer(ダリル・ステューマー)のテクニカルなギターや、Allan Holdsworth(アラン・ホールズワース)のタメの効いた独特なギターと対等に張り合うテクニカルなプレイは圧巻。

構築された曲と して、決められた基本メロディーとリズムの上で、ソロ回しをしたり、その延長でインタープレイがあったりという構成なので、曲としても分かり易く取っ付き易い。その分、インタープレイでの壮絶なテクニカル合戦が実にスリリング。リズム隊もタイトなが重く、ロック色が濃い。

組曲は2つあり旧LP時代A面最後の「Enigmatic Ocean」、そしてB面最後の「The Struggle Of The Turtle To The Sea」。それぞれ10分を越える曲だ。まず「Enigmatic Ocean」は、PART I の雄大なイントロに導かれてスタート、PART IIは非常にスピーディーな曲。リズム隊の安定した気持ちいいノリの上をヴァイオリン、ギター、キーボードが次々とソロを展開する。そしてここでAllan Holdsworthの粘っこいギターが初登場し、強烈な個性を披露する。

PART IIIはテンポを抑えて、各プレーヤーのソロプレイをじっくり聴かせる。まずAllanが弾きまくる。そしてJanのヴァイオリンが後を受け伸びやかなソロを展開。PART IVで曲は再びPART IIをリプライズ。

「Nostalgic Lady」はJanのメロディックなプレイを堪能できるゆっくりめの曲。ここでもAllanのスローなテンポに乗せた、滑らかな早弾きソロが聴ける。

1977年という、時期的にはプログレッシヴ・ロックは曲がり角に来ていて、パンク・ロック、ニューウェーヴへとロック界の興味が移り変わるところ。本作はそのプログレッシ ヴ・ロックの流れから出てきたものではなく、ジャズが70年代に入ってエレクトリック・ジャズへと広がりを見せ、やがてフュージョンへと変化していく過程で生み出されたものと言える。

したがって組曲形式などをとっていても、基本的に難解なところはなく、美しいメロディー、タイトなリズム、 テクニカルなソロ回しが基本である。アルバム最後の組曲「The Struggle Of The Turtle To The Sea」でも、わかりやすいメインテーマを軸に、Zavodのシンセソロ、Janのテクニカルなヴァイオリンソロ、Ralpheのファズの掛かったベースソロ、Darylのロック的なギターソロ、そしてAllanの硬質でなめらかなギターソロが次々と展開していく。ところどころで聴かれるユニゾンも光る。

全員十分なテクニックと歌心を持っているから、曲の出来のよさと相まってとても魅力的な内容になった。リードを取れるメンバーが多いが、バランス良くプレーヤーの良さが引き出されている。ただフロントでソロが始まると、他のメンバーはバックにまわってしまうので、複雑なインタープレイやヒネリやクセのある楽曲ではないところはプログレッシヴ・ロック的に見ると少し物足りないか。

でもやはりJanの正確で卓越したプレイと、Allanの独特なギターが持ち込んだ緊張感が、アルバム全体を引き締めている。ジャズロックの傑作。


2009/07/22

「美狂乱」

美狂乱(1982年)

美狂乱(びきょうらん)


King Crimsonの1970年代前半のパワーと革新性は飛び抜けていたし、ライブでの迫力とインプロヴィゼーションの創造性も圧倒的だった。特に Robert Frippのギターは、何か強大な闇の力と格闘し、ギリギリのところでコントロールしながら音にしているような凄さがあった。

同じように闇の力と格闘しながら、音楽を作り出すグループが日本にもある。“日本のCrimson”と呼ばれることもあったバンド、美狂乱(びきょうらん)である。アルバム「美狂乱」は1982年のデビュー作だ。

 須磨邦雄:ギター、ボイス
 白鳥正英:ベース
 長沢正昭:ドラムス
[ゲスト]
 中西俊博:ヴァイオリン
 中島優貴:キーボード
 小出道也:リコーダー

1曲目の「二重人格」は、まさにKing Crimsonの「Lark's Tongues in Aspic part 1」を思わせるギターとパーカッションによるイントロから始まる。そしてギター、ベース、ドラムスという最小ユニットによる白熱の演奏が繰り広げられる。 ドラムの緊張感あるプレイとベースの一定のリズムを中心に、ギターが荒々しい世界を作り出し、じわじわと彼らの世界が姿を現す。

音程が少々不安定ながら、高音でよく通るボーカルも 存在感があって魅力。しかしやはりFripp的なギターの音がサウンドの核となる。ヴァイオリンの美しい調べに続く、つややかなギターソロはまさに Fripp。しかしそこには美狂乱ならではの日本的な美しさが漂っている。そして縦横無尽なギターソロへ突入。安定したリズム隊に支えられて、ギターが闇の力を導き出す。

キーボードとアコースティックギター、ヴァイオリン、そして多重録音されたリコーダーによるクラシカルで穏やかなインストゥルメンタル曲や、わずか2分に満たないにもかかわらずギターがもの凄い集中力で速いパッセージを弾く密度の濃い曲など、どれも曲の完成度が非常に高い。

「ひとりごと」ではラフでダルな感じのギターリフとつぶやくようなボーカルがまた、ちょっと退廃的な雰囲気を持ち込んでいて、独特な妖しさを醸し出している。

そして最終曲「警告」は14分の大作。美しいヴァイオリンに導かれて始まるこの曲は、前半をボーカルが占める。荒いハーモニーがいい感じだ。合間に入るギター ソロも官能的。曲は一転、ギタートリオによるスリリングなアンサンブルへ。パーカッションのみの幽玄な中間部をはさんで、ギターがテンションの高いソロを 繰り出すクライマックスへ突入。リズム隊の集中力もすばらしい。

美狂乱の音は、 King Crimsonに確かに似ている部分はある。しかしKing Crimsonが壮大な世界を強力なプレイで作り上げていくのとは異なり、美狂乱には、閉ざされた空間の中で強烈なエネルギーの放射を受けるような、別の魅力がある。

ライブのすばらしさで有名なバンドであるが、このアルバムでは、静かなテンションを持続するリズム隊に切り込む熱いギターや、丁寧に構成された他の楽器とのコラボレーションが魅力だ。もちろん傑作。

より白熱した演奏やインプロヴィゼーションを求めるなら「風魔 Live vol. 2」「"乱" Live Vol. 3」。音質に難はあるが、どちらも超強力版。Crimson色を残しながら、他の追随を許さない高レベルな実験的組曲を作り上げたセカンド 「Parallax(パララックス)」も傑作。



「螺鈿幻想」

螺鈿幻想(1986年)

Pageant(ページェント)


螺鈿幻想」(らでんげんそう)は、日本のバンドPageant(ページェント)が1986年に発表したファースト・アルバムである。80年代の日本のプログ レッシヴ・ロックを牽引したバンドの一つであり、その強烈な個性を持った音楽は、他に類を見ないオリジナリティー豊かなもの。すべて日本語の歌詞により、怪奇幻想世界を描く。

 中嶋一晃:ギター、ボーカル
 永井博子:ボーカル、キーボード
 宮武“シリウス”和広:フルート、アコースティックギター
 長嶋伸行:ベース
 引頭英明:ドラムス

まずお断りしておくと、わたしはこのアルバムをLPで聴いている。だからCDで新たに4曲目に入っている「人形地獄」は、わたしにとっては「螺鈿幻想」の曲ではない。気持ち的にはボーナストラックなのだ。だから今「螺鈿幻想」を聴くときも「人形地獄」をカットしてiPodに入れている。

わたしにとってはオリ ジナルの6曲が、その順番で聴けないと「螺鈿幻想」にならないのだ。「人形地獄」の曲の善し悪しとは全く無関係だ。申し訳ない。

アルバムはオルゴールの可愛らしいメロディーで始まる「螺鈿幻想」で幕を開ける。一転してシンフォニックでハードな演奏で曲が始まり、ガラスの割れる音でブ レイクが入ると、緊張感を保ったままアコースティックギターの妖し気なアルペジオがボーカルを待つ。すでに緩急の激しい劇的な展開に引き込まれる。そして 永井博子の歌唱力豊かなボーカルが歌い出す。歌が抜群に上手い。最近女性の美声ボーカルをフロントに立てるバンドが多いが、彼女の声は芯の太い力強く美しい声だ。そして妖しい。

「ヴェクサシオン」はジェネシス的なアルペジオに乗って淡々と重い世界が歌われる。フルートが美しい。シンコペー ションを活かしたドラマティックなリズムで始まる「木霊」は、シャウトするボーカルが聴ける激しい曲。永井博子の魅力炸裂だ。迷宮にはまり込んだような詩も面白い。そしてLP時代A面は狂ったような笑い声で終わる。

「夜笑う」はPageant風怪奇幻想バラードか。歌だけでなくピアノ、フルートが活かされていて、バンドのセンスの良さがわかる。泣きのギターも曲を盛り上げる。「セルロイドの空」は唯一中嶋一晃が歌う曲。歌は上手いとは言えないが、ストレートでノスタルジックな世界が広がる印象的な曲。中間部のコロコロと動くキーボードと、たおやかなフルートから続くクライマックスはちょっ と涙もの。

そしてラスト「エピローグ」は大大大好きな不気味な曲。イントロのフルートがまたいい味を出している。ミディアムテンポのメランコリックなメロディーながら、永井博子の美しい声がやがて力強いシャウトに変わっていくところが凄い。ギターソロも弾きまくっている感じ。「バラの香り、血の匂い、連れて行って、あなたのところへ」って詩も、いいでしょ〜?この非常にドラマチックな曲でアルバムは終わる。

昔は最後の曲が終わっても、よくそのまま暗い部屋で余韻に浸っていたものだ。うぅ暗い。でも幸せなひと時。

プログレッシヴ・ロックに限定することなく、日本の音楽全体を広く見回しても、日本的な怪奇幻想世界をみごとに表現できた希有な作品。ボーカルの非凡さは言うに及ばず、非常にメロディーと楽器のバランスを大切にしたバンドである。もちろん傑作。

ちなみにLPには手作り風ブックレットがついていた。こうしたお遊び感覚、何でもあり感覚もPageantの魅力の一つ。笑いと恐怖は紙一重であるとも言うし。


2009/07/21

「ファースト」

EL Patio(1975年)

Triana(トリアーナ)


Triana(トリアーナ)はスペインのバンドで、この「EL Patio」(邦題は「ファースト」)は、邦題が示す通り、彼らの1975年のデビューアルバムである。スペインで音楽というと単純に思い浮かぶのはフラメンコ。フラメンコでプログレッシヴ・ロックというと思い出すのが、以前ここでも紹介したCarmen(カルメン)。

Carmenは実はアメリカのバンドだったこともあり、フラメンコを意図的に強調しつつ、曲自体はボーカルを主体としたブリティッシュロックであった。そこがまた魅力的なバランスの良さでもあったのだけど。

しかし本家スペイン出身のTrianaは、自然体でフラメンコの香り満載である。ロックにフラメンコの要素を取り入れたのは、このTrianaが最初であり、“アンダルシア・ロック”などとも呼ばれたらしい。アンダルシア(Andalusia)はスペイン南部にある、フラメンコ音楽発祥の地と言われる場所だ。

 Juan Jose Palacios:ドラムス、パーカッション
 Jesus De La Rosa:キーボード、ボーカル
 Eduardo Rodriguez:フラメンコ・ギター
《ゲスト》
 Manolo Rosa:ベース
 Antonio Perez:エレクトリック・ギター

このファース・トアルバムで聴けるのは、熱く激しいフラメンコと言うよりは、熱き思いを内に秘めた哀愁のフラメンコであり、主役はフラメンコ・ギターとボーカルである。

メンバー構成を見てもわかるように、Trianaは基本的にフラメンコ・ギタートリオであり、フラメンコ・ギターは当然アコースティックなままプレイされる。従ってその音をかき消す程にハードな部分は少ない。しかし盛り上がった時との振幅の大きさも、バンドの魅力だ。

アルバム冒頭「Abre La Puerta(扉を開ける)」から、かき鳴らされるフラメンコ・ギター、ゆったりとメロディーを紡ぐピアノ、後ろで鳴っているメロトロンコーラス。そして哀愁のギターソロ。すでに本家の底力を見る思いだ。

ボー カルが入ってくると、哀愁に熱さが加わる。声質や歌い方がフラメンコ歌手風だが、そこをうまくロック方向に引っ張って来ているところが絶妙なバランス。 シンセサイザーのソロが入ったりもするが、ほぼ全編でフラメンコ・ギターがかき鳴らされている。最後はエレクトリック・ギターソロも入って堂 々と終わる。Trianaを音楽を象徴する一曲。

2曲目「Se De Un Lugar(村にて)」も雄大なシンフォニックなロックなのだが、アコースティック感が残っているところがTrianaらしい。3曲目「Luminosa Manana(輝ける朝)」は、ほぼフラメンコ・ギターとボーカルのみに、鳥の鳴き声などのSEが効果的に使われた、静かな曲。

その後 も、曲調が似てしまう部分も見られるが、Jesus De La Rosa(ヘスス・デ・ラ・ロサ)の歌(カンテ)とEduardo Rodriguez(エデュアルド・ロドリゲス)のフラメンコ・ギターの力が、リスナーをTrianaの世界にぐいぐい引っ張っていく。インストゥルメン タルパートの比重はそれほど高くないし、そこで超絶プレイを披露するわけでもない。しかし静かに血湧き肉踊る曲が目白押し。

様式的なプログレッシヴ・ロックのイメージよりは地味である。このフラメンコ的要素を大胆にロックフィールドに取り込んで、新しい音楽を作り出したという点で実際に“プログレッシヴ”であったし、プログレッシヴ・ロックどうこうよりも、音楽の懐の深さみたいなものを感じてしまう。

ジプシー・ キングス(Gipsy Kings)大好きなわたしであるが、ジプシー・キングスほど洗練されていないところが逆にスペインらしさを醸し出し、また違った哀愁と情熱を伝えてくれ る。2nd、3rdもそれぞれ魅力があるが、次第に洗練されていったのと引き換えに、このアルバムでの土臭さみたいな部分は薄れていく。

Jesus De La Rosaのボーカルが入ると曲調が変わってもやっぱりTrianaっていうところは強力なので甲乙付けがたいけれど、わたしはやっぱりこの1stが一番好きだ。燃える。傑作。

なおCD化の時期により曲順が変わっている。手元には変わった方があるが、わたしはオリジナルの曲順に戻して聴いている。ここで触れた曲順もオリジナルに沿ったものだ。


「永遠の序曲」

Leftoverfure(1976年)

Kansas(カンサス、正式な発音は“カンザス”)



Leftoverfure」」(邦題は「永遠の序曲」)は、アメリカのプログレッシヴ・ロックバンドKansasの1976年の作品。

アメリカらしい明るくキャッチーなメロディーを歌い上げるボーカルと、ハードロック的なノリのよい演奏、それでいてイギリスのプログレッシヴ・ロックを意識したテクニカルなインストゥルメンタルが、絶妙にブレンドされた代表作。

メンバーの担当楽器からもわかるように、音楽的な大きな特徴はヴァイオリン奏者がいること。しかしバイオリンというのは奏者によってとても音色の変わる楽器 で、Kansasの場合、イギリスのトラッドさやイタリアのクラシックさとも違った、クラシカルな中に時折どことなくカントリーっぽい音が感じられる。い かにもアメリカらしいと言えるか。

 Phil Ehar:ドラムス、パーカッション
 Dave Hope:ベース
 Kerry Livgren:ギター、キーボード
 Robbie Steinhardt:ヴァイオリン、ボーカル
 Steve Walsh:キーボード、ボーカル
 RIch Williams:ギター

さらにリード・ボーカルがキーボードも弾くので、ヴァイオリン、ツインキーボード&ツインギターによる多彩で複雑な演奏を可能とし、そこにSteve Walsh(スティーヴ・ウォルシュ)の力強く歌い上げるボーカルと、さわやかなボーカルハーモニーが加わるという、ハードロックとしてもプログレッシ ヴ・ロックとしても魅力ある作品である。

1977年というと、年代的にイギリスのプログレッシヴ・ロックバンドらが解散やポップ化により模索期に入った時期だが、Kansasはそうした流れとは無関係に人気を拡大していく。その猛攻はこのアルバムから始まると言ってよい。

そしてそのサウンドは、Asiaのような確信犯的プログレッシブ・ポップではなく、歌を大切にしたアメリカンな明快なハードロックに、イギリスのYesや Genesisiなどのバンドの複雑なインストゥルメンタル要素を積極的に取り込んだ、オリジナルなアメリカ型プログレッシヴ・ロックだ。どことなく泥臭 い感じが残っているのも、このバンドの個性だろう。

アルバムはKansasの代表曲としてシングルカットもされた名曲「Carry On My Wayward Son(伝承)」で幕を開ける。人生の中で苦しみに負けそうになるとどこからともなく聞こえてくる力強い励ましの言葉(歌詞に関してはProglyrics「伝承」ご参照のこと)を歌った曲。冒頭の力強いアカペラコーラスからなだれ込むハードなギター&キーボードサウンドが素晴らしい。一転してピアノをバックに歌うパートの繊細さ。動と静の対比の上手さ。

伸びのある声で力一杯歌うボーカルスタイルも、インストゥルメンタル部分のノリのよさもイギリスのバンドにはなかったものだ。そこに2曲目の「The Wall(壁)」のような、ハープシコードやバイオリンの入るクラシカルな曲の緻密な構成、そしてドラマチックな展開が加わるのだから、プログレッシヴ・ ロックだからと身構える必要なく、Kansasの世界に自然に魅き込まれてしまう。

「Miracles Out Of Nowhere(奇跡)」ではヴァイオリンのRobbie Steinhardt(ロビー・スタインハート)がメインボーカルを取る。Steveほど熱くなく淡々とした歌い方も味があってよい感じだし、曲調のバリエーションにもつながっている。また7曲目の「Cheyenne Anthem(黙示録)」のようなアコースティックでクラシカルなパートに始まり、スピーディーなインスト・アンサンブルを自然につなげていく曲も Kansasの魅力の一つだ。

Kansasには「Two For The Show(偉大なる聴衆へ/カンサス・ライヴ)というライブアルバムがあるが、そこではYesのステージを意識したような、アコースティック・ギターソロ&キーボードソロのコーナーが用意されている。

そこからもうかがえるように、ボーカルの印象が強いバンドであるが、実は個々のプレーヤーのテクニックも、アンサンブルの一体感も非常に高度なバンドである。

特に8分を越える最終曲「Magnum Opus(超大作)」のインストゥルメンタルプレイの炸裂にその実力が顕著に現れている。この曲は他の曲のようなキャッチーさは抑えられ、目まぐるしく移り変わるアンサンブルの緊張感が大きな魅力だ。非常によく各楽器のバランスが考えられていて、単なるソロ回しではない楽曲の良さ。最初と最後に出てくるメインテーマの重々しさ。

今のプログレ・メタルバンドの、非常にテクニカルで複雑で長大な楽曲と比べると、音の厚みや複雑さに物足りなさを感じるかもしれないが、逆にこのシンプルさの中に潜むそれぞれのプレーの的確さや、巧みな楽器の組み合わせを活かした曲の展開の妙、そして熱いボーカルと ボーカルハーモニーにこそ、このバンドの魅力と真の実力が見て取れるだろう。

イギリスからもヨーロッパからも決して出てこなかった類いのプログレッシヴ・ロックである。カンサスの、そしてアメリカンプログレの中でも飛び抜けた傑作。

ちなみにタイトルの“leftoverture”という単語はない。アルバム最後の曲「超大作」(原題:Magnum Opus)は当初、アルバムタイトルの“Leftoverture”というタイトルが付けられており、それは他の曲の「使い残り」を編集して作られたもの だったところから来ているという。だから“Leftoverture”とは“leftover(使い残りの)”と“overture(序曲)”を組み合わせた造語、ちょとしたお遊びというところか。


2009/07/20

「自由への叫び」

Arbeit Macht Frei(1973年)

Area(アレア)


Arbeit Macht Frei」(邦題は「自由への叫び」)は、イタリアの強烈な個性とテクニックを持ったグループArea(アレア)の1973年の衝撃的デビューアルバムだ。ジャケットも何やらインパクトが強いが、中味も負けじと濃い。

ジャケットには小さな文字で「international POPular group」(世界的なポップグループ)と書かれている。彼らは世界進出を目指していたのか。世界的にヒットを飛ばすグループにはならなかったが、世界に通用する、というより世界を圧倒するグループであったことは確かである。

 Giulio Capiozzo:ドラムス、パーカッション
 Parrizio Fariselli:ピアノ、エレクトリックピアノ
 Parick Djivas:ベース、コントラバス
 Paolo Tofani:ギター、シンセサイザー、フルート
 Edouard Busnello:管楽器
 Demetrio Stratos:ボーカル、オルガン、パーカッション

編成だけ見ると比較的地味である。専任のキーボード奏者がいない。その代わり専任の管楽器(主にサックス)奏者がいる。そのため硬派ジャズロック的なのだが、そうした分類を飛び越える音楽がそこにある。それは一曲目から炸裂する。

冒頭、エジプト人女性による、恋人と世界に愛を語りかけるアラビア語の美しい詩が朗読される。「ハビービ、ビッセレーム…」あぁ、もう意味はわからなくても、ここでアルバムの凄さを思い出してしまう。詩の朗読が静かに終わると、力強い男性ボーカルが歌い出す。ミュンヘン・オリンピックのテロについて歌っ て、イタリア学生運動のテーマ曲となったと言われる最初の曲「Luglio, agosto, settembre (nero)」(7月、8月、9月(黒))。

当初から政治色の強いバンドであったが、訳詞を見る限りでは、この曲では、直接的な政治的メッセージではなく、邦題「自由への叫び」に見られる、自由と解放への強い希求が見て取れる内容になっている。

しかし乱暴に言ってしまえば、そんなことはある意味どうでもいいことだ。ボーカルの異様なテンション、イタリア的な迫力あるボーカルだがカンツォーネ風とは 全く違う。もっと暴力的。そして始まる強烈な変拍子。アラブ、バルカンミュージックのリズムを取り入れた、15/8(4+4+4+3)+14 /8(4+4+4+2)拍子を、メンバー一丸となって疾走する。ボーカルパートになる時だけ7/8拍子となる。

アレアのこの複雑なリズム と強力な一体感、そして疾走感は、明らかに欧米のリズムとはことなった、民族音楽的、特に変拍子でノリノリになるバルカン音楽的要素の強いロックなのだ。それはボーカルにして Areaの核そのものであるDemetrio Stratos(デメトリオ・ストラトス)が、エジプト生まれのギリシャ人であるということと大きく関係している。バルカン地方はブルガリアン・ヴォイス に見られるような独特な地声の唱法や、7拍子、11拍子などの変拍子を持つ、独自の音楽世界を有している。

この疾走する変拍子、目まぐる しく変化するテンポ、ホーミーを含めた様々なボーカライゼーションに精通しているというDemetrioの迫力と異様な表現力。「Luglio, agosto, settembre (nero)」は、西洋的リズムや歌唱法に慣れた聴き手を、奈落に突き落とし、それでも這い上がってくるかが試されるような、Areaを象徴する曲だ。慣れると超カッコイイし気持ちいいんです、これが。

もちろん各プレーヤーの力量も素晴らしい。しかしテクニックを越えたエネルギーの固まりのようなものを発散しているため、超絶技巧大会には決してならない。 残りの曲もDemetrioの圧倒的なボーカルを中心に、ジャズロック的だが、どれも一筋縄では行かない展開。それでいてノリがある。

なお、2曲目のアルバムタイトル曲「Arbeit macht frei」(働けば自由になる)は第二次世界大戦中に、アウシュビッツを始めとする、ユダヤ人強制収容所でスローガンとして掲げられていた言葉。彼らの自由への強固な意志と主張が込められたタイトルだ。

イタリアを含め、他の追随や後継を許さない唯一無二のバンド。傑作中の傑作。日本での発売は1979年。「こんなロックがあるのか〜」とわたし、一度奈落に突き落とされました。


2009/07/19

「スタンド・バイ」

STAND BY(1978年)

HELDON(エルドン)


STAND BY(スタンド・バイ)」 はフランスのバンドHELDON(エルドン)が1978年に発表した最終作である。

当時わたしは、エレクトロニクス的な要素の強いのサウンドはドイツのバ ンドというイメージを持っていた。だからこのフランスのバンドであるHELDONが、エレクトロニクス指向の強い音楽をやっているということを耳にした時点でもう興味津々。

さらに、HELDONはエレクトロビートに加え、テクニカルなドラムとKing Crimson的なヘヴィーなギターが入ると言うのである。期待は膨らむばかりであった。そして期待は裏切られなかった。


 Richard Pinhas:ムーグ、ボコーダー、ギター、シーケンサー
 Francois Auger:ドラムス、パーカッション
 Didier Batard:ベース
 Patrick Gauthier:リードムーグ、ピアノ、キーボード
 Klaus Blasquiz:ボイス

オリジナルLPでの曲順は、A面が「BOLERO」という22分近くの組曲、B面が4分の「UNE DROLE DE JOURNEE」と14分の「STAND BY」という流れであった。CD化の際にAB面の曲順が逆になっているようだが、個人的には当時と同じオリジナルの曲順で聴いている。スキャットは入るが 基本的に全曲インストゥルメンタルだ。

その一曲目の大作「BOLERO」。不気味なシンセサイザー音が飛び交う中、まるで巨大な機械がゆっくり動き始めるかのようにシンセビートが動き出す。スネアドラムの規則正しいボレロのリズムが始まり、パーカッションがクサビを打ち込むようにリズムにアクセントを入れる。ドキドキさせる導入部。そしてなだれ込むようにシンセビートが疾走を始め、Francois Auger(フランシス・オージェ)の正確なドラムがリズムを刻む。機械と人間がせめぎ合っているようなサイバーな緊張感。

曲はシンセビートのテンポを落とし、ドラムとパーカッションがリズムを刻む中、Richard Pinhas(リチャード・ピナス)のRobert Fripp風のギターソロが強烈なエネルギーを注ぎ込む。シンセビートの無機質な感じと、情念の固まりのようなギターの対比が刺激的だ。ソロは Patrick Gauthier(パトリック・ゴーティエ)のムーグに引き継がれ、やがてキーボードの織りなす静かな空間が広がり「BOLERO」終わる。永遠に続く音世界の一部を切り取ったような曲だ。

「UNE DROLE DE JOURNEE」はKlaus Blasquiz(クラウス・ブラスキス)のスキャットを入れた速いビートの曲。ここでもシンセシーケンスに同期しているキレのいいドラミングが素晴らしい。

そして最終曲「STAND BY」。シンセビートはイントロで突然途切れ、ギター、ベース、ドラムスの完全なベヴィー・インストゥルメンタルが始まる。リズムが重い。ギターは Robert Fripp的な音を使いながら、意外とハードロック的なフレーズも聴ける。そして途中からそのままスピードアップして、シンセビートが鳴っているかのような緊張感あるれるプレイをはさんで、本物のシンセビートが鳴り出す。この生のプレイとシンセビートとを組み合わせるセンスが絶妙!

クライマックスはシンセ、ベース、ギターのユニゾンによる下降旋律の反復がエネルギーの高まりを見せ、その後、冒頭と同じギター、ベース、ドラムスによる重いリズムが、高まったエネルギーを発散させていく。引きずるようなベースが印象的で、次第に過熱した機械が停止するかのように曲は終わりを告げる。息もつかせぬ14分だ。

デジタルビートをふんだんに使いながら、そこに通常のロックフォーマット楽器が血肉を注ぎ込むことで作り上げた、サイバー感覚と原始的なパワーが融合した独自の世界。傑作。


「スター・キャッスル」

STARCASTLE(1976年)

Starcastle(スター・キャッスル)


STARCASTLE」はアメリカのバンドStarcastle(スター・キャッスル)のバンド名を冠したデビューアルバムである。発表は1976年。イギリスのプログレッシヴ・ロックバンドが大作を出し、ロックの可能性を広げる大きな役割を果たし終え、次の展開を模索し始めた時期にあたる。

同時にアメリカに限らず、イギリスの大物バンドの影響を大なり小なり受けたバンドが、ヨーロッパなどから出現した。アメリカではKansasが「永遠の序曲(Leftoverture)」を発表した年である。

そしてこのStarcastleも、Yesの影響が非情に顕著に見受けられる。時に“イエス・クローン”とまで言われたりして、そのサウンドに“物まね”的 な冷たい評価がされることがある。確かに、唸るベース、バランス良く入ってくるギターやキーボード、そして何よりYesのJon Andersonを彷彿とさせる高音のボーカルとボーカルハーモニー。似ている。

しかし、その“似ている”からダメというのは間違いだ。似せようとか真似しようとかいうズルい作風ではない。好きだから似てしまう部分が出てしまった、そんな感じなのだ。第一、Yesほど強烈な個性とテクニックのあるバンドを真似ることなどできるはずがない。

Starcastleのこのアルバムは、美しい高音でのハーモニーとハードで複雑な曲構成をうまくミックスした点で、Yesを手本にしているとは言えるかもしれない。しかしこのアルバムならではの個性や魅力がしっかりと詰まっているのだ。

 Terry Luttrell:リード・ボーカル
 Gary Strater:ベースギター、ベースペダル、ボーカル
 Stephen Tassler:ドラムス、パーカッション、ボーカル
 Herb Schildt:オルガン、シンセサイザー、ピアノ
 Matthew Stewart:ギター、ボーカル
 Stephen Hagler:ギター、ボーカル

アルバムはスペーシーなギターとキーボードのイントロから始まる。すでにベースがYesのChris Squireしているが、リズムをしっかりキープしながら実に良く動く。そしてボーカルハーモニー。Yesのボーカルハーモニーって実は結構個性的なハー モニーだ。声質が違う3人がハモるとすぐわかる。Starcastleの場合は、もっと柔らかく甘い、きちんとブレンドされた感じのハーモニーだ。

ギターも比較的クリーンな音色を使っていて、サウンドを重くしない。しかしテクニカルで魅力的なソロを所々にさりげなく入れてくる。表立って弾きまくりはしないけれど、このバンドの魅力の一つである。

キー ボードはどちらかというとサポートに徹している。ソロを取ることもあるが無難な感じ。むしろ曲全体の浮遊感や、宇宙的な広がりのイメージ作りに使われてい ると言ったところか。ツインギターなので、キーボードが鳴らなくてもリズムギターが後ろで厚みを作っており、それだけで十分な安定感がある。

もちろんテクニック的には標準以上。しかしテクニックで聴かせるというよりは、やはりアンサンブルで聴かせるバンドだ。良く聴くと、曲の展開、楽器の組み合わせ、ボーカルの活かし方など、非情に細かな工夫を盛り込んだサウンド作りがされている。そして全体のイメージがアルバムジャケットのように明るく、どこか爽やかな感じが特徴なのだ。

そしてそのアンサンブルのカギを握っているのがドラムである。2ndアルバムではロック的になって魅力を失ってしまったが、このファーストではジャズ的な細かなロールを入れながら、タイトで魅力的なドラミングを聴かせる。このドラムが全体を引き締め、サウンドが甘すぎないように常に良い意味での緊張感を与えてい る。

Yesは誰もが強烈なフロントマンになれる集団だったが、Starcastleは逆に強烈なフロントマンが不在のバンドだった。そこがKansasのようなビッグヒットにつながらなかった理由かもしれない。

しかし、アメリカ的な曲調の明るさ、軽快さ、ノリの良さ、美しいハーモニー、そしてイギリスのバンドに学んだような多彩なリズムチェンジ、複雑で展開の多い曲構成、そしてハードロックの要素。単なる“Yesフォロワー”で終わらせるにはとてももったいない、聴きどころの詰まった作品である。傑作と言っておこう。


2009/07/18

「クロウル」

Crawl(1991年)

The Beyond


Crawl」 は1991年に発表されたイギリス出身のバンドThe Beyond(ザ・ビヨンド)のデビューアルバム。プログレッシヴ・ロックには通常含まれない。メタルではなく、1970年代につながるような暗さを持つヘビィ・ロック。その実、非常にプログレっぽいサウンドである。


 Neil Cooper:ドラムス
 Andy Gatford:ギター
 Jim Kersey:ベース
 John Whitby:ボーカル

80年代から台頭しはじめたポンプ・ロックにかつてのプログレッシヴ・ロックの魅力は感じられなかったし、Dream Theaterが「Images and Words」を発表するのは1992年、King Crimsonの「Thrak」までは1995年まで待たなければならないという、海外プログレ不毛時代にプログレ然とした音が刺激的だった。

本人達はプログレを意識していなかったと思う。大曲はなく長くて5分、全13曲の歌ものである。ボーカルはシャウト型ではなくストレートなロックっぽい歌い 方で、少しくぐもった声質が魅力。彼の表情豊かな歌のバックで、ベース、ドラムス、ギターが凄まじいテンションで走る。

速い曲ばかりというわけではないのだが、サウンド的に最大の特徴であるドラムの極端な手数の多さと、スカーンスカーンというスネアの高い音が、追い詰められたような緊張感と疾走感を生み出す。非常に固い音。このバンドの強烈な個性だ。

ギターの音もメタル系の低音を強調したものではなく、中音域でザクザクとリフを刻む。そしてリズムと一体となって独特のちょっとねじれたソロを披露する。

つまり極端に言えば、中高音域をギターとドラムが、中音域をボーカルが、低音域をベースが担当しているという、不思議なバランスの個性的なサウンドなのだ。The Mars Voltaに似た部分もあるが、基本的にもっとシンプルでストレート。

キーボードもいない。ギターオーケストレーションもない。華やかなハーモニーもない。ドラマチックな曲展開もない。しかしギターとドラムのスリリングで焦燥感を煽るようなプレイは、ヘヴィーなプログレ的インストゥルメンタルに通じる。

そして Dream Theaterのようにテクニカル・インストゥルメンタルを強く意識していないことが、逆にこのバンドの一つの型にはまりきらないミクスチャー的魅力を高めていると言える。


とにかく、このハイスピードドラミングの切れと音のインパクトを味わってもらいたい90年代の傑作。


「新月」

新月(1979年)

新月


新月」は日本が誇るプログレッシヴバンド新月(しんげつ)の唯一のスタジオアルバム(boxセットは除く)である。このアルバムが出たのが1979年。

70年代後半と言うと、日本のプログレッシヴ・ロックシーンではコスモス・ファクトリーや四人囃子の再初期の盛り上がりが一旦収束に向かい、イギリスのプログ レッシヴ・ロックグループが、その方向性を模索し始めた頃。音楽的にはパンクやフュージョンなどが登場し新たな音楽が展開を見せ始めた時期だ。

つまりプログレッシヴ・ロックを聴いてきたわたしのような者にとっては、突然遅れてやって来たバンドなのだった。“ポンプロック”と呼ばれるようになる、イギリスでのプログレッシヴ・ロック・リバイバルの象徴Marillionの登場は1983年。日本国内では美狂乱のデビューアルバムが1982年、まさに プログレッシヴ・ロックの波のはざまに出て来たのがこの新月だった。その分、この不思議なジャケットを見つめながら、いったいどんなバンドなんだろうという興味がふつふつと湧いたのを憶えている。

 北山真:ボーカル
 津田治彦:ギター
 花本彰:キーボード
 鈴木清生:ベース
 高橋直哉:ドラムス

非情に端的に言えば、プログレッシヴ・ロック的手法を取り入れてドラマチックに作り上げた、ちょっと不思議なフォークソング、みたいな感じが第一印象だった。それは今思っても当たらずとも遠からずで、非情にアコースティックな音を大切にしている点、そして線の細いボーカルがあまり感情を込めずに歌って いる点などが、他のプログレッシヴ・ロックバンドとはっきり違っていたからだと思うのだ。

四人囃子やコスモス・ファクトリーが、イギリスのニュー・ロックの波を受け、「新しい音楽」を作ろうとして結果的にプログレッシヴ・ロック的な音楽になったのに対し、新月は「日本人だから作れるロック」という、自分たちのアイデンティティー意識を強く持ったバンドだったのではないかと思う。


アルバムは、やはり一曲目の「鬼」のインパクトが大きい。この日本的旋律、ほとんどギターアルペジオだけのバックにボーカルがのる繊細さと静けさ。そしてタイトな演奏になっても必要以上に音を厚くせず、個々の音やメロディーを大切にする曲作り。ギターとメロトロンフルートのみの中間部。この基本に流れる静けさ、無音を大切にする姿勢が、終盤の感動を生む。

メロトロンをバックに独特な音色のギターソロ。細やかに動き回るキーボード。そして土着的で不気味な歌詞。まさに日本からしか生まれ得ない音楽であった。ボーカルはやや不安定なところがあるが、声質は静の部分を大切にしているバンドカラーに 合っており、新月の魅力となっている。

どの曲も各楽器のバランスを重視し、必要以上に大仰に音を重ねないのがいい。各プレーヤーの技術とセンスがとても高いことがわかる。特に後ろで跳ねるように細かく動くキーボードが曲に繊細さをもたらし、粘りと情感が凝縮したようなエレキギターが曲のポイントを引き締める。そして全編で重要な働きをするアコースティックギターのつまびき、アルペジオ。

押し引き、動と静のバランスが際立って巧み。そして全体が「静」寄りに作られているので、大きな世界を見せられるというより、自分の心の中の日本的な部分を見せられる感覚。これは日本のバンドでも新月ならではの強烈な個性だ。

例えば「白唇」に見られる静の演出の素晴らしさ。心のひだをたどるような、記憶の奥深くに分け入るような音。サビのボーカルハーモニーが美しい。ここでも全 体ではそれほど音を厚くしていない。基本はアコースティックギターとボーカルなのだ。したがってリズム隊もタイトで的確だが重くない。それでもここまでの世界を描けるという凄さ。

最後の「せめて今宵は」は前半部のピアノアルペジオを中心としたアンサンブル・センスの素晴らしさが光る。エレキギターソロで一旦盛り上がったあと、再びアコースティックギターで静かな世界へ引き戻される。「鬼」「白唇」とともに名曲。

ここまで静の部分を意識的に大切にして、一つ一つの音、メロディーを丁寧に重ねていったアルバムは、日本語の歌詞にこだわることで、日本的叙情、そして日本的な闇までも浮き彫りにさせた。作曲、アレンジのセンスに加え、各メンバーのテクニカルな裏付けがあればこそ可能となった傑作である。


2009/07/17

「哀愁の南十字星」

FOUR MOMENTS(1976年)

Sebastian Hardie(セバスチャン・ハーディー)


FOUR MOMENTS」(邦題は「哀愁の南十字星」又は「フォー・モーメンツ」)はオーストラリア出身のSebastian Hardie(セバスチャン・ハーディー)が1975年に出したデビューアルバムである。

当時ラジオでCamelの「Moonmadness」(邦題は「ムーンマッドネス『月夜の幻想曲』」)から名曲「Air Born」とともにオンエアされた記憶がある。Sebastian Hardieからは2曲目の「Dawn of Our Sun」が流された。聴いていてびっくりした。Camelはすでに知っていた。「Air Born」もすばらしく幻想的で魅力的な曲だ。しかし、この初めて耳にするSebastian Hardieの「Dawn of Our Sun」は、それを超える程、美しいじゃないか。

アルバム「FOUR MOMENTS」は収録曲としては6曲が記載されているが、前半4曲はつながっており、テーマ旋律の展開や繰り返しなどの構成を考えても、実質「FOUR MOMENTS」という大作の4つのパートと考えられる。トータル20分に渡る組曲なのである。

Mario Millo:ギター、マンドリン、ボーカル
Peter Plavsic:ベース
Alex Plavsic:ドラムス、パーカッション
Tolvo Pilt:ムーグ、メロトロン、ピアノ、オルガン

曲はメロトロンが奏でる雄大な旋律で始まる。ギターとメロトロンがユニゾンでメロディーを奏でている。メロディそのものが美しい。キーボードが軽やかに雄大 な風景を描いていく。リズム隊が入りロック的なアンサンブルが同じメロディーを繰り返す。バックのギターのカッティングが気持ちいい。しだいに音に厚みが 加わり雄大な世界が広がっていく堂々のオープニングだ。歌が始まる。やわらかく表情のある良いボーカルだ。ダビングによるハーモニーも美しい。ボーカルは 滑らかなギターソロに引き継がれ盛り上がりを見せたところで、衝撃の2曲目へ突入。

静かなギターのアルペジオとシンバルの波に乗って、メ ロトロン・フルートがゆったりとした悲し気なメロディーを奏で始める。低音のメロトロン・フルートの深い音が胸に響く。メロトロンがメロディー楽器として 使われたのも、当時とても新鮮だった。そしてそこに漂うこのなんとも言えない透明で深みのある空気感が素晴らしい。至福の時間。居住まいを正して味わい尽くしたい音。

このメロディーをメロトロンストリングスが引き継ぎ、引き続きギターもアルペジオを続けながら、ボーカルが歌いだす。歌も上 手い。メロトロンが美しい。と思うと、ついに待ってましたのギターソロが始まる。甘美で力強い、感動的なフレージング。次第に上昇していくコード進行が曲を盛り上げていく。

そのまま曲はロック的なダイナミズムを増しながら3曲目に入る。ここではギターが粘り着くような違った魅力のソロを展開する。その後を受けてスピーディーなシンセソロが縦横無尽に動き回る。テクニカルではあるが雄大な曲調を乱さず、逆にギター主体の大曲において大きなア クセントになっている。曲はオープニングのリプライズに戻り、壮大な曲は雄大なメロトロンとギターのロングトーンで終わる。

残りの2曲はギターMario Milloの表現力を堪能できる、甘く美しいインストゥルメンタル曲。FocusやCamelを思わせる部分もある。ギター泣きまくりだ。

もう最初から最後まで言うことなし。テクニックに頼らず、メロディーと音と演奏のセンスの良さ、そして大胆なメロトロンの導入が可能にした、感動必至の超傑作。