2009/12/28

「大和 YAMATO」六三四

原題:大和 YAMATO(2000年)


六三四(MUSASEHI)


大和 YAMATO」は和楽器を取り入れた新しいサウンド作りを目指した六三四(MUSASEHI)が、2000年に発表したセカンドアルバムである。 

六三四は、元竜童組のギタリスト小針克之助がプロデューサーとして生み出した一種のプロジェクトであり、すでに各方面で活躍中だった実力派ミュージシャン達が集まり1991年に結成された7人組のバンドである。

竜童組自体が宇崎竜童を核として、ツインギター、ベース、ドラムス、キーボード、アルトサックス、テナーサックス、ハープ、和太鼓と、様々なジャンルの10人のミュージシャンからなるハイブリッドなバンドであった。

竜童組は1990年に活動を休止するが、その後を継ぐようにして六三四は結成され、和楽器中心なサウンドへとシフトすることで、独自な音楽性を押し進めていく。小針氏曰く「プログレッシヴ・ハードロック」。もちろん80年代の“プログレ・ハード”とは別モノである。なお小針氏は六三四に関してはプロデューサ&楽曲提供者として関わっており、メンバーには名を連ねてはいない。

    大塚宝:和太鼓
    吾妻宏光:津軽三味線
    佐藤康夫:尺八、横笛
    飯塚昌明:ギター
    瀧田イサム:六弦ベース
    宮内健樹:ドラムス
    高梨康治:キーボード

和楽器が入って、バンド名が「MUSASHI」で、アルバムタイトルが「大和 YAMATO」ということで、最初は“日本”を意図的に前面に出した、ちょと色物的な音なんじゃないかと勘ぐってしまったが、さにあらず。全く新しインストゥルメンタル・サウンドである。

様式美へヴィーメタルを思わせる高速ギターと、噪音(音程の不明確な音)が嵐のように吹き荒れる尺八、空間を切り裂くような横笛、流れるようなエレキギター とは異なった弾けるような超絶技巧を聞かせる三味線。そしてテクニカルなドラムスとともに轟音を響かせたり、パーカッション的な彩りを加えることで異質な リズム音を生み出す和太鼓。まさに“プログレッシヴ”なサウンドである。

フロント楽器はギターに尺八と三味線が中心である。ファーストアルバムでは歌モノも入っていたが、このセカンドでは完全なインストゥルメンタル中心となり、基本的なカラーはノリの良いパワフルなフュージョンサウンドと言える。しかしその中でへヴィーメタルから純邦楽までの領域を自由に行き来し、いわゆる耳ざわりのいい“フュージョン”の枠を軽々と逸脱していく。

それは尺八は尺八として、三味線は三味線として、生の音と楽器の特性を活かして勝負しているからだ。「洋楽のメロディーを和楽器で弾いてみました」とか「和楽器&和旋律でちょっとエキセントリックさを出してみました」的な安易な楽曲は一つもない。サウンドのバランス的にもエレキ楽器と生楽器を違和感なく融合させている点が凄い。

ギターと三味線がユニゾンでリフを刻み、キーボードと尺八の噪音が解け合う。三味線のリフの上で、尺八がメロディーを奏で、ギターがカウンターメロディーを奏でる。
洋楽の持つパワーとグルーヴは抜群の安定感を持つが、そこに和楽器が切り込むことで異種格闘技のような独特の緊張感が生まれる。変拍子もビシビシ入る。

総じて和楽器は音が鋭いから、バンドサウンドに負けること無く、むしろ圧倒的な存在感を見せつける。それでいてロック的なダイナミズムを失っていない。

最後は4つのパートからなる組曲「大和」。トータルで14分近い大曲だ。そしてこのパート1で唯一短く歌われる、民謡のような歌唱が素晴らしい。そしてアルバム全体を引き締めている。

ギター(6弦)、三味線(3弦)、ベース(4弦)から「六三四」と名付けられたというのも粋である。傑作。



2009/12/09

「太陽と戦慄」キング・クリムゾン

原題:Larks' Tongues in Aspic(1973年)

King Crimson(キング・クリムゾン)


Larks' Tongues in Aspic」(邦題は「太陽と戦慄」)はKing Crimson(キング・クリムゾン)の1973年の作品。

ギターのRobert Fripp(ロバート・フリップ)を核としながら、目まぐるしくメンバーチェンジを繰り返しながらも、1969年の鮮烈なデビューから4作目の 「Island(アイランド)」まで、作詞&照明担当として常に活動を共にしていたPeter Shinfield(ピート・シンフィールド)ともついに袂を分かち、Robert以外のメンバーを一新して再スタートを切った記念碑的作品だ。

   David Cross:ヴァイリン、ヴィオラ、メロトロン
   Robert Fripp:ギター、メロトロン
   John Wetton:ベース、ボーカル
   Bill Bruford:ドラムス
   Jamie Muir:パーカッション、もろもろ混ぜ合わせ(allsorts)

全6曲中、ボーカル曲3曲を挿む形で、アルバムの最初と最後に強烈なインストゥルメンタル・ナンバーが配置されているという構成。メンバーにヴァイオリニストとパーカッショニストが加わるという変則的な編成が、すでにインストゥルメンタル重視を物語っている。

作詞はJohn Wettonの旧友で一時期Supertrump(スーパートランプ)に籍を置いていたRichard Palmer James(リチャード・パーマー・ジェイムズ)が担当した。歌詞も含めてそれまでの詩的、幻想的な面は消え去り、よりパーカッシヴで扇情的なインストゥ ルメンタルパートと、美しく引き締まったボーカル曲による、新しい世界が築かれたのであった。


当 時人気絶頂だったYes(イエス)からやって来たBillのタイトなドラミングとJohnの力強いベースの上に、独特の緊張感をはらむRobertのギター が絡み付き、繊細なDavidのヴァイオリンが美しさを加える。そしてJamie Muirの異様なパーカッションの嵐が全体を包み込む。

その後の「Starless and Bible Black(暗黒の世界)」や「Red(レッド)」を生み出す新世界の扉を開いた作品だが、特にこのアルバムの持つ大きな特徴は2つ。

1つはDavidのヴァイオリンが、インストゥルメンタル曲でもボーカル曲でも、かなりの比重で活躍していること。彼のプレイはピッチが不安定なのだが、はかなくも美しい世界を描き出す。

もう一つはこの一作のみで脱退するJamie Muirのパーカッション。派手なプレイでもテクニカルなプレイでもない。呪術的な世界と予測不能な緊張感を曲にもたらす野性的なプレイ。その音色の多様 さと、音の強弱の振幅の広さは、元々テクニカルで攻撃的なプレイヤーでないDavidのヴァイオリンともマッチし、大胆さと繊細さを兼ね備えたアルバムを 生むことに繋がっている。

余談だけれど、Jamie Muirの多彩なパーカッションの存在が、鉄壁のリズムと荒々しいギターとは異質な、繊細で演奏も危ういDavidのヴァイオリンを上手く結びつけていた んだろうと思う。DavidはThe Mahavishunu Orchestra(マハヴィシュヌ・オーケストラ)のJerry Goodman(ジェリー・グッドマン)とは全く異なったプレーヤーなのだ。このアルバムにはそんな、静かに耳を傾けたくなる瞬間が、あちこちに散りばめ られている。

しかしJamie Muirが脱退することで、バンドは急速に自信に満ちたメタリックな音へと向っていく。Davidのヴァイオリンはその力強さに対抗することはできなかった。そしてすでに次作からヴァイオリンの出番は少なくなる。

そういう点からも、5人のメンバーが均等に力と個性をぶつけ合い、手探りで新しい音楽を作り出そうとする意気込みが結実したこのアルバムは、以降の圧倒的な パワーが炸裂するアルバムとは一線を画し、微妙な均衡を保ちながら独特な輝きを持っていると1枚と言える。もちろん傑作。