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2009/08/16

「恐怖の頭脳改革」の原題について



エマーソン,レイク&パーマーの最高作と言われる「恐怖の頭脳改革」は原題を「Brain Salad Surgery」と言う。そのまま訳する「脳みそサラダ外科治療」。

英語版Wikipediaによると、1996年のアルバム再発の際のリリースノートに、タイトルが決まるいきさつについて書かれているという。それによれば、当時のマンティコア・レーベル社長のマリオ・メディウスが、ドクター・ジョン(Dr. John)の1973年のヒット曲「Right Place Wrong Time」にある、スラングの歌詞から拝借したのだとのこと。

そしてアルバム製作中の仮タイトルは「Whip Some Skull on Ye」だったとか。そして驚いたことに英語版Wikipediaによれば、どちらも「性的なスラングでfellatio」を指すというのだ。

これには少々頭を抱えてしまった。
いや、タイトルが性的な意味を持つこと自体は別にいいのだ。


気になるのは、「Brain Salad Surgery」が、なぜそういう意味になるんだろうっていうことだった。

プログレアルバム紹介で取り上げたこともあって、実はずっと気になっていたのだ。とても有名で完成度の高いアルバムだけに、タイトルもうまく自分の中に落ちてくれないと心地悪いのだ。

例えばピンク・フロイドの「狂気」は原題が「The Dark Side of the Moon(月の裏側、月の暗い部分」であり、アルバム中に「Brain Damage」という曲も含まれていることから、「狂気」という邦題もある意味オリジナルタイトルと重なると言える。

あるいはまたイエスの「危機」も原題は「Close to the Edge(縁 の近く)」だが、「edge」は縁や輪郭の線が鋭い感じのする単語であり、安定した場所から不安定な場所へ移り変わる最後の一線のようなピリピリしたイ メージを持っている。そうした「edge」の近く、あるいは「edge」へ近づくということに対する「危機」という邦題は、まさしくピッタリくる名訳だと 思う。

こうやってストンと自分の中に落ちてくれれば良いのだ。キング・クリムゾンの「In The Wake of Poseidon」 は「ポセイドンの跡を追って」であり、「ポセイドンの目覚め」は誤訳だ。でもきっと「wake=目覚め」と思い込んでしまったんだろうということで理解が できる。セバスチャン・ハーディーの「Four Moments」を「哀愁の南十字星」とするような、イメージだけで邦題を作っちゃうっていうのも、それはそれで楽しい。

そこで「恐怖の頭脳改革」である。スラングにも何かしら、その意味するものを連想させるイメージがあるはずだ。

まず仮のタイトルである「Whip Some Skull on Ye」の方から見ると「whip(鞭打つ、かき混ぜる」、「skull(頭蓋骨=頭)」、「Ye」は「You(あなた)」だから、「あなたの上で頭をかき混ぜる」となる。命令文なら「かき混ぜろ」だな。

「some」は言葉のリズムを整える上で使われた意味のない単語かもしれないし、「get some」で「sex相手としていい子を見つける、ものにする」という意味があることから、「sexの相手」としてもいいかも。

つまり「相手の女の子の頭をお前にくっつけてかき混ぜるように(鞭打つように)動かせってことだ。これならスラングの意味も想像がつく。

さてでは「Brain Salad Surgery」はどうか。

「brain」は「脳みそ」である。「salad」は「サラダ」あるいは「混合物」という意味もある。「surgery」は「手術、外科治療」ということだが、内科的な治療ではなく、直接触って治療するという点に意味があるように思う。

つまり脳みそがグチャグチャにかき混ざるような、直接的に相手を治療する行為ということか。こう考えてみると大分スラングの意味に近づいた感じがする。「brain salad」は「whip some skull」と同じように、一心不乱に頭を動かす行為をイメージさせるわけだ。

実際、ギーガーが描くフロントカバーは、最初に描かれたものでは、下部に配置されたEL&Pのロゴから円内の女性のあご下にかけてphallusが描かれているように見えたことから、レコード会社から修正するようクレームがついたという(同Wikipediaより)。そう言われて良く見れば、“なごり”らしきモノが見えないでもない(右上ジャケット)。奇怪なジャケットではあるが、アルバムタイトルのスラング的意味合いを反映させていたと言うことか。

ということで「恐怖の頭脳改革」という邦題は、残念ながらオリジナルタイトルの意味からはほど遠いことがわかった。しかしだからと言ってオリジナルタイトル の持つスラング的意味合いを出すことは実際にはできないわけで、そうした点から言えばむしろ「brain」と「surgery」だけで見事にインパクトあ る邦題を作り上げたと言えよう。これもまた名訳である。

いやぁ、今回はちょっとHな話題を真剣に考えてしまった。
まぁよろしよろし。

  

2009/06/21

「ドラマ」with アラン・ホワイト考

Drama(1978年)

Yes(イエス)


Drama」(邦題は「ドラマ」)は1978年に「Tormato(トーマト)」を発表した後、紆余曲折を経て、ボーカルのJon Anderson(ジョン・アンダーソン)のいないYesによって作られた唯一のアルバムである。

メンバー交代や同一メンバーの出入りの激しいYesであるが、Yes名義のアルバムであの個性的なJonがクレジットされなかったのは、後にも先にもこのアルバムのみである。

当時隆盛を極めていたパンク・ロックに対する、バンドの核であるJonとChris Squere(クリス・スクワイア)との意見の衝突から、Jonとともに曲作りをしていたRick Wakeman(リック・ウェイクマン)は、正式に脱退を表明することなくYesを追われることとなる。

そして1979年にテクノ・ポッ プ「ラジオスターの悲劇」でイギリスヒットチャートの1位を獲得していたユニット、The Buggles(バグルス)の2人がゲストのかたちでレコーディングに参加することになる。The Bugglesのメンバーだった2人が声をかけてくれたChrisの待つスタジオに行くと、JonとRickはすでにおらず、二人は正式メンバーとして迎 えられたという。

Geoff Downes:キーボード、ヴォコーダー
Trevor Horn:ボーカル、ベース(5曲目のみ)
Steve Howe :ギター、ボーカル
Chris Squire:ベース、ボーカル、ピアノ(5曲目のみ)
Alan White:パーカッション、ボーカル

私見だが、超個性的でテクニシャンであった前任者Bill Bruford(ビル・ブラッフォード)に後に加入したAlan White(アラン・ホワイト)は、強烈な個性を持ち合わせていたかったために、どうしてもリズム隊の印象が弱まり、「Fragile(こわれもの)」、 「Close To The Edge(危機)」の頃の、メンバー全員が作り出す緊張感が得られないという印象があった。

そのAllan WhiteがBillとは違った迫力あるドラミングを聴かせてくれたのは3つのアルバムに於いてだと思っている。

1 つ目は「Yessongs(イエスソングズ)」。これは「Close To The Edge」の発表後のツアーから作られたLP3枚組のライブアルバムだ。Allanは全米公演直前に加入している。

「実はレパートリーをわずか三日間で覚えなくてはいけなかったんだ。バンドと練習できたのも一回だけだしね。その3日後には、もうステージに立っていたというわけ。(中略)今から考えても、なぜあんたことができたのか自分でもわからないな(笑)。でもやってみたらできてしまったんだよね。」
(「ストレンジ・デイズ No.71」ストレンジ・デイズ、2005年、Allan Whiteインタビューより)

その緊張感を持って臨んだツアーのせいか、非常にパワフルで自由奔放なドラミングが聴ける。

2つ目は、曲自体がパワフルなリズムを求めていた「Relayer(リレイヤー)」。ここでの彼のプレイの爆発ぶりは、Billにはできなかったロック的なエネルギーに満ちている。Chrisの ベースとの抜群のコンビネーションで、SteveのギターとPatrick Moraz(パトリック・モラーツ)のキーボードによる、リード楽器バトルと互角に渡り合っている。

そして最後の3つ目が本作「Drama」でのドラミングである。ここでの彼のプレイは力強くはつらつとしている。全曲ヘヴィで存在感のあるドラミングなのだ。

理由は恐らく、曲自体がシンフォニック路線からハードプログレッシヴ路線へ近づいたことで、ロック的なノリやダイナミズムが求められ、Allanが元々 持っていたパワフルな面を出しやすくなったこと、最盛期のエンジニアであるエディー・オフォードがリズムトラックを録音したことで、Yes初期のドラムス の音が復活したことなどがあるのだろう。音が生々しく、リズム隊が全面に出ている。

さらに、全体的にGeoff Downesが安定した演奏で縁の下の力持ち的な役割に徹しているため、ギター、ベース、ドラムスによるギターバンドのように、皆が活き活きと自由に弾き まくっていることもあるだろう。しかしGeoffはさりげなくモダンな音を持ち込んでおり、それがこのアルバムを、かつての疾走感あるYesを思い出させ ながらも、 懐古趣味的な音にしていない要因だと思う。巧い。

Jon顔負けのハイトーンボーカルで歌にハーモニーに活躍する Trevor(トレヴァー)、気合いの入ったギターを弾きまくるSteve、曲に見事に溶け込んだキーボードサウンドを披露するGeoff Downes(ジェフ・ダウンズ)。古典的クラシカルな世界から外へ出られないRick Wakemanには、「Relayer」同様、本作もプレイする余地はなかったかもしれない。

全体的に叙情性や神秘性が後退し、3rd アルバムのうような構築性がありながらロック的なダイナミズムにあふれる曲が多く、そこにTrevorのを核としたボーカル&ハーモニーが被さる。まさにYesの魅力。いや、Jonでは作れなかったろう。Trevorのボーカルだから成し得た、Yesのパワフルなロックサイドを取り出したようなアルバ ム。

それでもYes色が濃厚なのは、かなりTrevorがJonを意識したボーカルスタイルで歌っているからだろう。高音を活かした、ノ ン・ビブラート唱法。これが意外とSteve、Chrisとのハーモニーの点でもいい味を出しているのだ。Jonの持っている神懸かり的な魅力は当然ないのだけれど、曲を引っ張っていく力に遜色はない。「Run Through The Light」のTrevorのファルセットを加えた巧みなボーカルなど見事である。

Trevorがコンサート会場で観客から受け入れられ なかったと言われるが、それはJonの独特の神秘性を感じさせる存在感や風貌に似つかない、Trevorの持つThe Buggles譲りのコミカルな風貌が反感を買ったんだろうと思う。なんか見るからに普通の人っぽいし。こんなにパワフルでスリリングな音なのに、正当な 評価が受けられないのは残念で仕方ない。

“もう一つのYes”が作った傑作アルバムである。私的には「Going For The One(究極)」を越えている一枚。

「『ドラマ』はイエスの作品の中でも過小評価されているんじゃないかな。しかしファンの中でも特にイエス通と言える人は、この作品が大好きだと言うね。」
(「ストレンジ・デイズ No.71」ストレンジ・デイズ、2005年、
Allan Whiteインタビューより)


2009/06/08

「The Enid」考

Enid(エニド、正確にはイーニッドに近い)というのは、イギリスのプログレッシブ・ロックバンドである。特にその初期において、作り出す音楽はロックフォーマットに寄るクラシック音楽と言えるほど、文字通りクラシカルであった。

初期のThe Enidは、全編オールインストゥルメンタル。甘いピアノ独奏曲が含まれていたりもする。ドラムスも、ロック的なパワフルでストレートなリズムでも、ジャ ズ的な繊細なスイングするリズムでもなく、オーケストラのパーカッション的な役割。つまりリズムキープではなく装飾的役割なのだ。

このEnid、ある意味プログレッシヴ・ロックにおける「踏み絵」みたいなところがある。つまりEnidをどう評価するかが、プログレッシヴ・ロックをどう捉えているかを物語ってしまうみたいな。

例えば「エニドなんちゅうゴミ・バンドのクラシックのなりそこないみたいなレコード」、「志しの高い低いの前に、行為自体が実験的でも革新的でもない、ただ の自己耽溺のイージー・リスニング」 (「プログレのパースペクティヴ」松山晋也、ミュージック・マガジン、2000年) というような評価が出てきたりする。

ロックが持っていた、歴史あるクラシック音楽に対するコンプレックスの現れみたいな言われ方をする場合もある。


ではわたしはEnidをどう聴くか。

まず純粋に美しいと思う。もちろんロックをはみ出しそうなほどにクラシカルである。しかしそれをクラシックのまがい物的なものとしては考えない。
リー ダーでキーボード担当のRobert John Godfreyにすれば、ロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージック出身で、Berkley James Harvestの専属オーケストラのコンダクター及びオーケストラ・アレンジを行ったりしているくらいだから、いわゆる純粋なクラシック作品を作ることはできるはずなのだ。

しかし自身のソロアルバム「Fall Of Hyperion」では、極めてクラシック歌曲風な楽曲に、ロック的なダイナミズムを組み合わせようとしている。The Enidはそれをさらに押し進めるための実験の場であったのだと思う。

クラシック音楽自体がすでに文字通りの「古典的」音楽として存在しているという現状から、その先へ進もうとしたのがThe Enidだったのではないか。ロックフォーマットによるクラシック音楽的世界の構築。あるいはクラシック音楽という音楽形態の現代的なあり方の追求。


クラシカルではあるが、クラシック音楽としては活かせないエモーショナルなエレキギターがThe Enidの大きな魅力でもあることは大きい。ここでもやはりキーボード主体の管弦楽シミュレーション的な部分と、エレキギターのロック的な魅力が渾然一体となっている。

さらに驚くべきは、1970年代半ばという時代にこれだけクラシカルな構成の音楽を作り上げたということ。コンピュータプログラミングも、デジタル機器の共通規格MIDIさえもまだ登場しておらず、ストリングスやブラスを担当するキーボードは手弾きでの演奏だ。

しかし音の強弱、テンポの緩急をみごとにコントロールしたプレイが素晴らしい。
特に現在流通されている初期の2作品「In The Region Of The Summer Stars」、「Aerie Faerie Nonsense」(右ジャケット図)、1980年代の再録音源で、デジタル機材の進歩などから音も分厚く、アレンジも派手目になっているが、最初の 1970年代のオリジナル作品には、無理を承知で、今思えば貧弱な機材を使って、新しいクラシック音楽、あるいは新しいロックを作ろうという緊張感と気概 を感じ取ることが出来る。

未CD化が残念でならない。再録されていない3枚目の「Touch Me」にその雰囲気が聴き取れるかと思う。


つまり革新性や実験性をどこに見るか。何をもって革新的であり実験的であると言うのか。その革新性や実験性をどこまで音楽全体の魅力の中での重要視するか。


そこで革新性や実験性、結果としてのジャンル横断性、脱ジャンル性を突き詰めていくと、いわゆる今「プログレッシ ヴ・ロック」と呼ばれているものとズレてくる。

そのズレを革新性・実験性中心に追いかけていくと、かつての「Fool's Mate(フールズ・メイト)」や「Marqee(マーキー)」のように、当初プログレッシヴ・ロックを専門に扱っていた雑誌が別雑誌になってしまうとい うことが起こる。


わたしは「プログレッシヴ・ロック」は一つのジャンルだと思っている。それは「Euro-Rock Magiazine」(マーキー・インコーポレイテッド)のように、これまでの「プログレッシヴ・ロック」の世界を基本としながら、革新性や実験性を評価 していこうという雑誌の姿勢に近い。

もちろん、The Enidの音楽は非常に美しい。非常にクラシカルでありながらオーケストラでは代替出来ない美しさを秘めている。 すでにそれは一つの革新性の現れである。とともに、The Enidの聴き方も多分にオタク的な要素が入っている。

「わずか6人のメンバーで、例え批判的にでも『これではクラシックじゃないか』と言わせるほど練り上げた音楽を作り上げたのか〜」とか、本来ならば生ストリン グスでもおかしくないところを、手弾きのストリングスシンセをここまでコントロールして、人を感動させることが出来るのか〜」とか。


革新性・実験性にも、その志しにも、様々な視点があるし、様々な楽しみ方がある。誤解を起こし易い「プログレッシヴ・ロック」という名前を冠した音楽だとい うことを差し引いても、「革新性、実験性がない」(プログレッシヴではない)と断定し、安易に「ゴミ」とか言えるはずがないとわたしは思う。


実際The Enidが「自己耽溺」なだけであったら、1970年代後半にニューウェイヴの嵐の中、他のプログレッシヴ・ロックバンドの撤退、方向転換を尻目に、孤高の存在として観客を動員し続けることなんてできなかったはずだし。

そこには「エニド以外はパンクしか聴かない連中も多く含まれていた」(「Touch Me」日本版CD2006年版ライナーノートより)という魅力にこそ、「プログレッシヴ」なのではないか。


何より英「Melody Maker」誌に「GenesisやJethro Tullがアメリカに行ってしまっても、イギリスにはまだEnidがいるじゃないか」(「Euro-Rock Press vol.32」より)と言わしめた事実が、他のバンドにはないThe Enidの存在の大きさを物語っているのではないだろうか。