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2010/11/30

「ポセイドンのめざめ」キング・クリムゾン


キング・クリムゾン(King Crimson)


プログレッシヴ・ロックを代表するイギリスのバンドで、キング・クリムゾン(King Crimson)が、衝撃的なデビュー作にして永遠の名作「In the Court of Crimson King(クリムゾン・キングの宮殿)」に続いて、1970年に発表した2ndアルバム。

   Robert Fripp:ギター、メロトロン、デバイス     
   Greg Lake:ボーカル     
   Michael Giles:ドラムス     
   Peter Giles:ベース     
   Keith Tippett:ピアノ
   Mel Collins:サックス&フルート
   Gorden Haskell:ボーカル
   Peter Sinfield:作詞

メンバーは上記の通り大所帯だが、これはパーマネントなものではなく、むしろフリップ(Fripp)とシンフィールド(Sinfield)を核にしたプロジェクト的な状況だった。1stアルバムの中心人物であったイアン・マクドナルド(Ian McDonald:フルート、サックス、クラリネット、キーボード、メロトロン、ボーカル)はマイケル・ジャイルズ(Michael Gile)とともに脱退し、McDonald&Giles(マクドナルド&ジャイルズ)を結成、アルバム制作を行なおうとしていたし、グレッグ・レイク(Greg Lake)も脱退しEL&P(エマーソン、レイク&パーマー)結成に向けて動いていた。

つまりここでのメンバーは、フリップがまさにこのアルバムのためにだけ再び集めた、元メンバーの集合体だったのである。
 

しかしだからと言ってこのアルバムが中途半端なものであるとか、プレイに精彩を欠くいうことでは全くない。むしろフリップがその強靭な統制力で、イアン・マクドナルド抜きで1stに匹敵するような、重厚でさらにフリーフォームな広がりを持った作品を作り上げたと言える。

LPではA面にあたる最初の3曲は、まさに1stを意図的になぞるかのような曲が並ぶ。ギターとサックスが荒々しいヘヴィーな1曲目。途中でリズムチェンジするところまで似ている。フルートが美しいフォーキーな2曲目。ゴードン・ハスケル(Gordon Haskell)のつぶやくようなボーカルとメル・コリンズ(Mel Collins)のフルートが印象的だ。そしてメロトロンが唸りグレッグの渾身の絶唱が光るシンフォニックな3曲目。

それはまるでフリップが、イアンの力に負いながら奇跡のように「出来てしまった」アルバムである1stを、今度は自分の力で「意識的に作る」作業を試みたかのようである。それはちょうど「不思議の国のアリス」と「鏡の国のアリス」の関係のように。

2ndでは「Peace」という曲をアルバムの最初(ボーカル)、中間部(アコースティックギターのみ)、最後(ボーカル)に持ってきて、全体のトータル性を高めている。またタイトルの海神Poseidon(ポセイドン)に合わせて、アルバムジャケットのインナーデザインは水面のようなブルーを基調としたものになっているし、タイトル曲「ポセイドンのめざめ」でのメロトロンの響きは、深い海の神秘的な姿を思い起こさずにはいられない。

さらに新たにジャズピアニストであったキース・ティペット(Keith Tippett)の奔放なピアノが、演奏全体にフリーフォームな雰囲気を与えているのも大きな特徴だ。「ポセイドンのめざめ」で、メロトロンが鳴り響きグレッグが歌う中、フリップがコード弾きでもソロ弾きでもなく、思うがままにアコースティックギターを爪弾くような部分にも、それは聴いて取ることができるだろう。

さらにインストゥルメンタル大作「デヴィルズ・トライアングル」では、ホルストの「惑星」の中の「火星」からのメインメロディーから始まって、やがて各プレーヤーバラバラの演奏に、コラージュ風に様々な音が重ねられるという、コスモス(cosmos)からケイオス(chaos)へ至るような展開を見せる。そこで鳴り響くメロトロンも、ストリングスだけでなくブラスやフルートまで使われ、1stに比べ非常に荒々しく暴力的である。そして一瞬1stの「クリムゾン・キングの宮殿」の印象的なメロディーが響く。それはまるでリプライズのようだ。

そうなのだ。この2ndアルバムは1stを敢えて踏襲し、乗り越えようとした作品なのではないかと思う。そして意図的に前半の構成を似せたのは、1stと2ndで一つの作品としようという意図があったのではないか。2ndの前半は言わば1stの変奏曲である。そして全体のラストを飾るのが、壮大で実験的な大作「デヴィルズ・トライアングル」であり、「クリムゾン・キングの宮殿」のメロディーは、1stから繋がるトータルな流れの中でのリプライズなのではないだろうか。

残念ながらアルバム単体で見た時には、2ndは1stを越えることは出来なかったと言えるかもしれない。個人的には「21st Century Schizoid Man」の、ねじれるようなギターソロや、「Epitaph」で聴けるGreg Lakeのアコースティック・ギターなど、記憶に残るソロプレイに欠ける点が惜しい。

しかし各メンバーはまさにプロジェクト状態とは思えないほどに、全力を叩き付けるようなプレイを聴かせてくれるし、これ以上ないほどの美しいメロトロン(「ポセイドンのめざめ」の間奏部)と凶暴で圧倒的なメロトロン(「デヴィルズ・トライアングル」)の両方を聴くことができる希有な作品。

1stと比較され、その影に隠れがちであるけれど、紛れもなくKing Crimsonにしか作り得なかった傑作。

ちなみに邦題の「ポセイドンのめざめ」は「wake(目覚める)」から勘違いしたと思われる誤訳。「in the wake of ...」で「...の跡を追って」という慣用句なので、タイトルは「海神ポセイドンの跡を追いて」というような意味。あるいは「海神ポセイドン出現の後に」 とも取れるかもしれない。

 

2009/12/09

「太陽と戦慄」キング・クリムゾン

原題:Larks' Tongues in Aspic(1973年)

King Crimson(キング・クリムゾン)


Larks' Tongues in Aspic」(邦題は「太陽と戦慄」)はKing Crimson(キング・クリムゾン)の1973年の作品。

ギターのRobert Fripp(ロバート・フリップ)を核としながら、目まぐるしくメンバーチェンジを繰り返しながらも、1969年の鮮烈なデビューから4作目の 「Island(アイランド)」まで、作詞&照明担当として常に活動を共にしていたPeter Shinfield(ピート・シンフィールド)ともついに袂を分かち、Robert以外のメンバーを一新して再スタートを切った記念碑的作品だ。

   David Cross:ヴァイリン、ヴィオラ、メロトロン
   Robert Fripp:ギター、メロトロン
   John Wetton:ベース、ボーカル
   Bill Bruford:ドラムス
   Jamie Muir:パーカッション、もろもろ混ぜ合わせ(allsorts)

全6曲中、ボーカル曲3曲を挿む形で、アルバムの最初と最後に強烈なインストゥルメンタル・ナンバーが配置されているという構成。メンバーにヴァイオリニストとパーカッショニストが加わるという変則的な編成が、すでにインストゥルメンタル重視を物語っている。

作詞はJohn Wettonの旧友で一時期Supertrump(スーパートランプ)に籍を置いていたRichard Palmer James(リチャード・パーマー・ジェイムズ)が担当した。歌詞も含めてそれまでの詩的、幻想的な面は消え去り、よりパーカッシヴで扇情的なインストゥ ルメンタルパートと、美しく引き締まったボーカル曲による、新しい世界が築かれたのであった。


当 時人気絶頂だったYes(イエス)からやって来たBillのタイトなドラミングとJohnの力強いベースの上に、独特の緊張感をはらむRobertのギター が絡み付き、繊細なDavidのヴァイオリンが美しさを加える。そしてJamie Muirの異様なパーカッションの嵐が全体を包み込む。

その後の「Starless and Bible Black(暗黒の世界)」や「Red(レッド)」を生み出す新世界の扉を開いた作品だが、特にこのアルバムの持つ大きな特徴は2つ。

1つはDavidのヴァイオリンが、インストゥルメンタル曲でもボーカル曲でも、かなりの比重で活躍していること。彼のプレイはピッチが不安定なのだが、はかなくも美しい世界を描き出す。

もう一つはこの一作のみで脱退するJamie Muirのパーカッション。派手なプレイでもテクニカルなプレイでもない。呪術的な世界と予測不能な緊張感を曲にもたらす野性的なプレイ。その音色の多様 さと、音の強弱の振幅の広さは、元々テクニカルで攻撃的なプレイヤーでないDavidのヴァイオリンともマッチし、大胆さと繊細さを兼ね備えたアルバムを 生むことに繋がっている。

余談だけれど、Jamie Muirの多彩なパーカッションの存在が、鉄壁のリズムと荒々しいギターとは異質な、繊細で演奏も危ういDavidのヴァイオリンを上手く結びつけていた んだろうと思う。DavidはThe Mahavishunu Orchestra(マハヴィシュヌ・オーケストラ)のJerry Goodman(ジェリー・グッドマン)とは全く異なったプレーヤーなのだ。このアルバムにはそんな、静かに耳を傾けたくなる瞬間が、あちこちに散りばめ られている。

しかしJamie Muirが脱退することで、バンドは急速に自信に満ちたメタリックな音へと向っていく。Davidのヴァイオリンはその力強さに対抗することはできなかった。そしてすでに次作からヴァイオリンの出番は少なくなる。

そういう点からも、5人のメンバーが均等に力と個性をぶつけ合い、手探りで新しい音楽を作り出そうとする意気込みが結実したこのアルバムは、以降の圧倒的な パワーが炸裂するアルバムとは一線を画し、微妙な均衡を保ちながら独特な輝きを持っていると1枚と言える。もちろん傑作。


2009/06/15

「レッド」

Red (1974年)

King Crimson
(キング・クリムゾン)


RED」(邦題は「レッド」)は、1970年代King Crimson(キング・クリムゾン)のラストアルバムである。現在の“メタル・クリムゾン”への布石ともなる、いわゆるヘヴィーメタルとは異なった意味での“へビィー”で“メタリック”な作品だ。当時のCrimsonミュージックの総決算にして、自らの最後を痛むかのような悲しみと荘厳さに彩られたアルバムでもある。

1973年の「Larks' Tongues In Aspic(太陽と戦慄)」から「Starless and Bible Black(暗黒の世界)」を経て本アルバムに至る、この時期同一方向に向かって突進し深化していった三部作の、最終章とも言える。


このアルバムにも一部のスキもなし。ボーカル曲があってもポップさなし。したがって前2作にあった余裕のような部分もなし。息が詰まるような密度。David Cross(デヴィッド・クロス)が、本アルバムレコーディン前のツアーで、「いつもわたしたちの演
奏は、恐怖とパニックから生まれたもののようになっている」(「キング・クリムゾン 至高の音宇宙を求めて」北村昌士、シンコーミュージック、1981年)と言い、精神的な消耗とバンド内での役割の低下への苛立ちから脱退している。

 Robert Fripp:ギター、メロトロン
 John Wetton:ベース、ボイス
 Bill Bruford:パーカッシヴズ
《ゲスト》

 David Cross:ヴァイオリン
 Mel Collins:ソプラノ・サックス
 Ian MacDonald:アルト・サックス
 Robin Miller:オーボエ
 Marc Charing:コルネット



最 小ユニットを核に、ゲストプレーヤーの力を借りて作り上げているが、何と言ってもまず聴くべきは、ビル・ブラッフォードとジョン・ウェットンのリズム隊の 鉄壁さだろう。フリップは「リズム・セクションはより強くなり、本質的にフロント・ラインになったのだ。ギタリストがそれに屈しないほどに張り合うのは難 しい。」(「クリムゾン・キングの宮殿」シド・スミス、ストレンジ・デイズ、2007年)と言ってるくらいだ。

逆にギターのロバート・フリップは、レコーディングの四日前にイギリスの神秘学者JGベネットの作品に出会い、その書物に感銘を受け、バンドの解散を決めていたという。「『レッド』のレコーディング・シッションは、わたしにとってとても苦痛だったんだ。」(「クリムゾン・キングの宮殿」同上)。

そ うしたことからロバートの創作意欲が不十分なまま作品が作られたため、逆にギター以外のリズム隊の凄さが引き出されるかたちとなった。オープニングのアル バムタイトル曲「Red」は、メンバー3人による強力なインストゥルメンタルナンバーだけれど、パワーの中心はギターではなくリズム隊である。

「Fallen Angel」の美しいメロディーとボーカルハーモニー、「One More Red Nightmare」のBrufordの独創的で緻密なドラミング、間奏部のサックスソロと、曲はどれも魅力に溢れ完成度も高い。ただしFrippの空間 をねじ曲げるような強力なギターは聴かれない。

最終曲「Starless」は最高に美しいイントロがメロトロンとFrippのギターで奏 でられる。70年代の黄金期Crimson最後の曲にふさわしい荘厳さと、中間部での壮絶なインストゥルメンタルパートを経て、再び最初のメロディーに戻 る時、全てに終止符を打つような感動的なラストを迎える。

“リズム・セクションが フロント・ラインになった”というFrippの言葉通り、アルバム「Red」はある意味リード楽器不在の作品である。印象的なソロやメロディすらゲストの サックスにゆだねられたりしている。しかし、だからこそ逆に初期の頃のアルバムのムードも散りばめられ、総決算的な作品に仕上がったと言えるだろう。


個人的には70年代Crimson三部作では一番感動的な作品だと思う。完成度も群を抜いている。でも、やはりこの「Red」は終わりのアルバムなのだ。「Larks' Tongues In Aspic」の溌剌としたエネルギー、「Starless and Bible Black」の一体となって突き進んで行くような迫力は、ここにはない。

単体で聴いてももちろん傑作である。しかし三部作の最終作として聴くことで、さらにCrimsonの到達した世界がどれほど凄いものかがわかるのだと思う。



2009/06/13

「暗黒の世界」キングクリムゾン

Starless and Bible Black (1974年)

King Crimson(キング・クリムゾン)

 
プログレッシヴ・ロックそのものと言えるイギリスのバンドKing Crimson(キング・クリムゾン)の音を最初に聞いたのは、確かFMラジオだった。今では「The Night Watch」(邦題は「ザ・ナイトウォッチ」)として公式に発売されている1973年のアムステルダムでのライヴだ。

1974年にBBCによってその一部が放送され、日本でもそのまま放送されたのを聴いたのだと思う。アナウンサーのような声が、曲名の紹介、メンバーの紹介を入れているのが、いかにもラジオ放送的だった。

そ の放送をエアチェック(カセットテープ録音)して、何回か聴くうちに、最初は良くわからなかったCrimsonの凄さがわかってきたのだ。Yesのように 明るくスリリングな世界もPink Floydのようにけだるい心地よさもない。なによりもその激しさ、臨界点を突破してしまうようなエネルギーにシビレタ。後日そのブート(海賊版)も例の 新宿の魔窟界隈で手に入れた。

だからCrimsonとの出会いはライブ音源なのである。そしてそのライブのうねるエネルギーとスタジオでのコントロールされた迫力が一枚に詰め込まれたのが本作「Starless and Bible Black」(邦題は「暗黒の世界」)なのである。

   Robert Fripp:ギター、メロトロン
   William Bruford:パーカッシヴズ
   John Wetton:ベース、ボイス
   David Cross:ヴァイオリン、ヴィオラ、キーボード


収録曲は8曲。このうち純粋なスタジオ録音は、最初の2曲のみ。冒頭の「Great Deciever(偉大なる詐欺師)」の爆発的な突進力には、スタジオならではの音の厚みとボーカル処理が効果を上げている。2曲目の「Lament(ラ メント)」もスタジオ録音だからこそヴァイオリンの音の良さが活かされている。そしてイントロ部分にのみライブを使っているという変則的な曲「The Night Watch(夜を支配する人々)」。でもこの組み合わせがなぜかとても美しい。現実から夢の世界へすぅっと入っていくような感じ。

残りの5曲は上記のアムステルダムライブの音源が使われている。LPでB面にあたる後半に、当時の強烈なインプロヴィゼーション「Starless and Bible Black(暗黒の世界)」と、究極のインストゥルメンタルナンバー「Fracture(突破口)」が入っている。音楽を聴いてこの領域にまで連れて行かれたのはKing CrimsonとMagmaぐらいだろうか。

今聴くとソロで弾きまくるRobert Frippの、独特な何か巨大なエネルギーを全力でコントロールしているような殺気すら感じられるギター、Billのこれでもかっていうほど個性的で自己主張の強いドラミング、David Crossのクラシカルでないところが返って魅力になっている叙情的なヴァイオリンと、各プレーヤーの個性と存在感の強さを改めて感じる。そしてあらためて John Wettonのベースがただ者ではないことに気づく。インプロヴィゼーションでもBillのドラムに対抗して曲をグイグイ引っ張っていくし。

ちなみに一般的にはこの前の作品「Lark's Tongues in Aspic」(邦題は「太陽と戦慄」)、あるいはこの後の作品「Red」(邦題は「レッド」)の方が評価が高いが、ライヴのエネルギーを取り込みながら、 様々な曲を聴かせてくれるこのアルバムこそが一番のお気に入り。いくら元ネタのライヴ「The Night Watch」が出ても、それとこのアルバムは違うのだ。

2010年に株式会社ミュージックマガジンがレコードコレクターズ増刊として出した「プログレッシヴ・ ロック」の中で、このアルバムの解説にロバート・フリップの
 
「ライヴ会場をレコーディング・スタジオ として機能させたもの」
 
という言葉が引き合いに出されていた。

しかしまた 「ビル・ブラッ フォード自叙伝」によれば
 
「僕らがセカンド・アルバム『暗黒の世界』に取り掛かろうとする頃、僕らは危機的なほどに素材不足状態だった。インプロヴィゼーションのライヴ演奏を採用せざるを得ず、できる限り歓声や関係のない聴衆のノイズを取り除き、スタジオトラックとして使った。‘ウイル・レット・ユー・ノー(隠し事)’、‘トリオ’、‘ザ・ミンサー(詭弁家)’はどれも絶望的な状態から生まれたものだ。レコード会社はライブ 音楽には低い印税額で支払いをするといううわさが流れていた - だからこれはごまかしだったのだ - しかし最低額にはならずに済んだわけだ。」
 
ということだったらしい。

恐らく複雑な状況の中でメンバーそれぞれがいろいろな考えや思いを持っていたのだろうし、制作当時の切迫した状況下での評価と、完成したものへの冷静な評価はまた違ってくるだろうから、どちらが正しいとかいうことではない。でもいろいろな意味でギリギリの状況から生まれた奇跡的作品なのだと思う。

わたしにとっては永久に不滅な傑作です。生きる力の素です。


「ザ・パワー・トゥ・ビリーヴ」

The Power To Believe(2003年)

King Crimson(キング・クリムゾン)


The Power To Believe」(邦題は「ザ・パワー・トゥ・ビリーヴ」) は、King Crimsonが2003年に発表した、現時点での最新アルバムである。1969年の「The Court Of The Crimson King(「クリムゾン・キングの宮殿」)」以来、解散(休止)と復活を繰り返し、常に時代の最先端に敏感に反応しつつも、時代におもねること無く、他の 追随を許さない独自の世界を突き進んできたバンドである。

当初の叙情性や構築され たシンフォニックさは、70年代のインプロヴィゼーション・ラインナップが打ち砕いた。Jamie Muir(ジェイミー・ミューア)の非ロック的なパーカッションの嵐が、ロマンティックな幻想性の入り込む余地を無くし、驚異的なインプロヴィゼーション や超絶インストゥルメンタルによって、
より原始的な情動の発散がもたらされた。

1980年代にアメリカ人2人を入れた英米混合バンドとして復活したとき
、タイトルからして「Discipline」(訓練、鍛錬、修行という意)というくらい、テクニカルなギターアンサンブルを表現の中心に持ってくることで、さらに 70年代的叙情性は削ぎ落とされた。70年代の強力な武器であったメロトロンも使われなくなった。

2本のギターによるポリリズムや反復フレーズのミニマル ミュージック的なサウンドは、70年代に顕著だったプレーヤーの個性を意図的に薄めつつ、70年代解散間際の強力なリズム隊からギターが主役の座を取り戻すかたちになった。

1995年の「Thrak」に至っては、タイトルからして擬音であり、そこに70年代的叙情性や物語性を徹底的に排除するかのような意気込みが感じられた。

ダブル トリオ編成により、さらにアンサンブル志向が強まり、個々のプレイは全体の一部と化し、どの音を誰が弾いているのかが分かりにくくなっている。個性が強過ぎて消し用の無いBil
l Brufordが脱退するのは必然だったかもしれない。しかしまだ「One Time」などの美しいポップスが安らぎを与えていた。

2000年発表の「The ConstruKtion Of Light」では、再び4人編成に戻るが、アンサンブル主体の音楽性は変わらない。「Thrak」にも
「Red」などの70年代Crimsonの構築型インストゥルメンタルの影が見え隠れしていたが、「The ConstruKtion Of Light」ではその構築的インストゥルメンタルを究極まで押し進めた。

フルピッキング・アルペジオの極北「Fractured」、「Larks' Tongues in Aspic, Part IV」を核に、コマーシャリズムを排したヘヴィな作風を貫いた。ただ逆に言えば70年代構築型インストゥルメンタルを80年代ギターアンサンブルで焼き直したと考えることもでき、その驚異的なテクニックに反して、そこにプレイのためのプレイという限界が見えたことも事実。


そ して登場したのが2002年の「The Power To Believe」である。

大きな特徴は、これまで同様ギターアンサンブル主体ながら、超絶アンサンブル重視から離れ、70年代的奔放さが感じられるところか。

メタリックなドラミングと時折入り込んで来るドラム・シーケンサーとの絡みも面白く、デジタルとアナログ、動と静のメリハリが明確になった。曲調とし てはやはり70年代
構築的インストゥルメンタルの延長上にあると言えるが、タイトルを“信じる力”としたように、70年代とは違ったかたちでの、現代的な力強い物語性への回帰を感じる。

アルバムのトータル性が復活し、
70年的な、“その先にある巨大な世界に触れようとするための音楽”が戻ってきた感じ。

 Adrian Belew:ギター、ボーカル
 Robert Fripp:ギター
 Trey Gunn:ウォーギター、フレットレスウォーギター
 Pat Mastelotto:打楽器、(シーケンサーなどの)操作ボタン

King Crimsonが再び、未知なる世界へ向って動き出すことを予感させる作品。傑作。



2009/06/12

「アイランズ」

Islands (1971年)

King Crimson(キング・クリムゾン)


Islands」(邦題は「アイランズ」)は、射手座三裂星雲の写真をジャケットにたKing Crimson4枚目の作品。発売は1971年。

前作「Lizard(リザード)」が、ギターのRobert Frippと作詞のPeter Sinfieldのオリジナルメンバー2人を中心としたプロジェクト的な色合いが強かったのに対し、このアルバムは、依然として多数のゲスミュージシャンの参加を得ながらも、バンドとしてのまとまりある作品となっている。

しかしながら、ジャケットが物語るかのように、1st2ndアルバムで見られたような雄大でシンフォニックな曲も、前作で見られたジャズとクラシックが混在するような大曲も含まれておらず、かと言ってその後の、インプロヴィゼーションを大胆に取込んだ音楽にも至っていない、独特なサウンドを持つアルバムである。Crimsonのアルバムの中で一番Crimson的でないようでありながら、Crimsonでなければ作り得なかったアルバムとも言える。

目につくのは、フリーミュージックからの影響から、 Robert Frippが再びギターを積極的に魅き始めたこと、そしてこれを最後にバンドを去ることになるPeter Sinfield色が詞、曲ともに濃厚であること。両者の向いている方向は相容れない。しかしその両方の魅力が奇跡的に一つにまとまったのがこのアルバムである。

 Robert Fripp:ギター、メロトロン
 Mel Collins:フルート、サックス、ボーカル
 Boz:ベース、ボーカル
 Ian Wallace:ドラムス、パーカッション、ボーカル
<ゲスト>
 Keith Tippet:ピアノ
 Robin Miller:オーボエ
 Mark Charing:コルネット
 Harry Miller:ストリング・ベース
 Paulina Lucas:ソプラノボイス

冒頭の曲「Formentera Lady」は、フルートやピアノが自由に動き回るフリーな演奏からストリングベースの刻むリズムに乗ってBoz(ボズ・バレル)の甘いボーカルが始まる。美しく物悲しいメロディーと東洋的な不思議な旋律が耳に残る。

ボー カルは1stの「I Talk To The Wind」や、2ndの「Cadence And Cascade」を彷彿とさせるが、ボーカルが止むと同時に始まる「Sailor's Tale」では、サックス、多様なパーカション、本物のストリングスとソプラノ・ボイスなどが繰り広げるフリーな演奏部分が、それらの曲と大きく異なる 「Lizard」的な世界を作り上げる。生々しく妖しい。

そして曲は切れ目なしでシンバルのリズム変化を合図に「Sailor's Tale」後半は、演奏が一転し、硬質なバンド演奏が繰り広げられる。最初は金属的なFrippのギターとMelのサックスがリードを取るが、曲の中心は ギターとメロトロンに移行し、タイトなリズムの上を叩き付けるような荒々しいギターがフリーな演奏を繰り広げる。

疾走するリズムの上で次 第に厚みをまし冷たい響きを持って迫ってくるメロトロンは、かつてのシンフォニックなものとは異なり、むしろこの後の「Larks' Tongues In Aspic(太陽と戦慄)」以後を予感させる。Frippのギターと共にさらに新しいCrimsonへの萌芽を見て取れる曲だ。

次の曲「Letters」から、Peter Sinfield色が次第に濃くなっていく。「Letters」は静かなボーカル部分とフリーキーなインストゥルメンタルパートが混在する静と動の落差極 端さが魅力的な曲。歌詞も凄い。ねじれるようなFrippのギターが聴ける。

旧LPのB面は、とにかく最後の2曲に尽きる。 「Prelude: Songs Of The Gulls」のオーボエとストリングスによるオリジナル室内楽。まさにスコア化されたクラシックのような気品ある曲。美しい調べと安らかな雰囲気はそのまま最後の曲「Islands」への序曲のようだ。

その「Island」は、Peter Sinfieldの詩的世界が究極の美的世界を作り出した名曲。ボーカルはささやくように歌い、フルート、オーボエ、コルネット、そして教会用のハーモニウムが、曲の持つ悲しさ、優しさ、美しさを表現していく。

そして歌詞。曲調と相まって、何とも言えない切なさが迫ってくる。孤独な「私」は、「愛」を信じて、流れに身を任せ運命に従うように自分を解き放とうとしながら、一方で不安や希望が入り乱れた感情も顔をのぞかせる。ある種、レクイエムのような荘厳さがある。

低音でなり続けるハーモニウム、自由に動き回るピアノ、甘いボーカル、先生なオーボエ、そして最後をフリーに彩るコルネット、そして次第に全てを包み込んでいくメロトロン。とにかく美しい。無闇に甘くなりすぎない抑制された上品な美しさが、悲しみを一層盛り上げる。

ジャ ズ・インプロヴィゼーション志向が強くなった「Lizard」から、ジャズ色を残しながら、再び叙情性を取り戻し、力強さと美しさ、フリーなアドリブと構 築的な構成の両端を絶妙なバランスでブレンドし、個人のプレーよりも楽曲の良さ、敢えて言うならPeter Sinfieldの思いにすべてを託した名曲「Islands」で全てを締めくくった傑作。

Frippのギターが再び自己主張をし始め、 Crimsonの次の展開への布石にもなった一枚。Crimsonのアルバムの中ではちょっと異色な位置にあって評価の分かれる作品なのだが、わたしに とっては愛聴盤の一つ。ある面、現在のCrimsonよりも雑多な魅力にあふれている。


2009/06/11

「リザード」

Lizard(1970年)

King Crimson(キング・クリムゾン)


Lizard」(邦題は「リザード」)は、King Crimson1970年に発表した第3作目のアルバムである。ファーストアルバムが1969年衝撃的に登場して間もなく、バンドは解散の危機に陥る。

それでも翌
1970年には英国フリー・ジャズ界のKeith Tippett(キース・ティペット)やMel Collins(メル・コリンズ)らの協力を得て「In The Wake Of Poseidon(ポセイドンのめざめ)」を発表、さらに同年、ギターのRobert Fripp(ロバート・フリップ)と作詞のPeter Sinfield(ピート・シンフィールド)以外のオリジナルメンバーが全てバンドを去るが、ジャズ界からの力をより多く得ることで作り上げた作品がこの「Lizard」だ。

 
Robert Fripp:ギター、キーボード
 
Mel Colins:フルート、サックス
 
Andy McCulloch:ドラムス
 
Gorden Haskell:ベース、ボーカル
 
Peter Sinfield:歌詞、イラスト
<ゲスト>

 
Robin Miller:オーボエ、イングリッシュホルン
 
Mark Charing:コルネット
 
Nick Evans:トロンボーン
 
Keith Tippett:ピアノ、エレクトリックピアノ
 
Jon Anderson:ボーカル

Robert Frippは構想としてKeith Tippettをメンバーに引き入れて新しいバンドによる新しいサウンドを目指そうとしていた。Keithのフリー・ジャズ、フリー・インプロヴィゼー ションの可能性に強く惹かれていたからだ。しかしセカンドアルバム「In The Wake Of Poseidon」は、内容的にファースト・アルバムを踏襲する構成であり、アルバムとしての完成度は依然高水準を維持していたものの、新しい試みを十分 に発揮できたとは言いがたかった。

しかしプレイヤーとしては、オリジナルメンバーとして一人残されたかたちとなったRobert Frippは、逆に過去のしがらみがない分、このアルバムで大 胆にフリージャズ的要素を取り込んだ新しいCrimsonミュージックを作り上げた。1曲目の「Cirkus including Entry of the Chameleons」から、激しいアコースティックギター(珍しい!)、サックスソロ、メロトロン、管楽器、そして手数の多いAndy McCullochのドラムスが、これまでと異なったジャズ的な迫力を生んでいる。


そしてなによりも旧LPのB面全てを費やした組曲「Lizard」が圧巻。いきなりYesのJon Andersonの歌から始まる。やっぱりこの人は歌が上手いなぁ。メロディーもいい。これでもうグッと魅き込まれてしまう。

そ して前半の大きな特徴はAndyの叩くボレロのリズム。ドラムスというよりクラシックオーケストラのパーカッションのように、このボレロのリズムが通奏低 音のように鳴り続ける。この緊張感を引き出すリズムの上で、コルネット、オーボエ、ピアノ、メロトロンが、ジャズかと思うとクラシック、かと思うとバック でKeith Tippettがジャズ・インプロヴィゼーション風にピアノを弾きまくっている。即興と作曲された音楽との融合、前半最後にオーボエが引き戻すクラシカル な瞬間の美しさは特筆ものだ。

Gorden Haskell静 かなボーカルをはさんで、後半はロック色が強くなる。Andyのスネアロールを多用するジャージーながら力強いドラミングに、木管、金管楽器、メロトロン が絡み、異様なインストゥルメンタル世界が展開されていく。厚いブラスのユニゾンが1、2枚目の荒々しいCrimisonを思わせる場面もある。そしてラ スト、ゆったりとしたリズムの上でFrippのギターソロが歌い、それが消えると遊園地のようなSE風サウンドで曲は終わる。

ジャ ズロックでもシンフォニックロックでもない。70年代のKing Crimsonのメタリックなロックでも破壊的なインプロヴィゼーションとも違う。1969年から1974年までのKing Crimsonの作品で、なぜか唯一中々手を出せなかったアルバムだった。一聴した印象もそれほど強くなかった。しかし聴き続けてみ次第に凄さがわかって きた。特にタイトル曲「Lizard」。こんな音楽は聴いたことがない。Crimsonの音楽の中でも異色だろうけれど、Crimsonだからこそ作り得 た音だろう。

ここにしかない音楽。傑作。



2009/06/08

「クリムゾン・キングの宮殿」

The Court Of The Crimson King(1969年)

King Crimson(キング・クリムゾン)


Yes、Pink Flyodらと並んで英国プログレッシヴ・ロックそのものと言ってよいKing Crimson。「The Court Of The Crimson King」(邦題は「クリムゾン・キングの宮殿」)は、1969年10月に発売された彼らのデビュー・アルバムである。。

アルバムは大反響を巻き起こし、最終的にチャートの5位まで到達する。ただし、巷で言われているような、The Beatles(ビートルズ)の「Abby Road」(邦題は「アビー・ロード」)を、1位の座から引きずり降ろしたわけではないというのが真相らしい。

1960年代後半のサイケデリック・ミュージックの台頭、The Beatlesが押し広げたロックンロールではないロックへの期待、音楽機材、録音機材の発達など、音楽界が大きく動こうとしていた時期である。

そんな中、ヒットするかしないかは音楽の善し悪しとはまた別の要素もあるわけだが、少なくともいきなりの新人バンドのアルバムがそれだけの反響を引き起こし たことは、アルバムを聴けば十分納得できる。「The Court Of The Crimson King」には、従来のロックを覆す強力な音が詰まっていた。

しかし個人的なKing Crimson体験は、1973年以降のインプロヴィゼーションを多く取り入れた時期が先であった。BBCのライブ音源である。その「Talking Drum」(「トーキング・ドラム」から「Larks' Tongues in Aspic II」(「太陽と戦慄 パートII」)へ、切れ目なしで流れていくインストゥルメンタル・ナンバーに圧倒されたのだ。

だから「The Court Of The Crimson King」は遅れて聴いたアルバムである。そして最初聴いた時は、自分の聴いて来たCrimsonらしくないと感じた。すんなり入ってこない。聴いていて すっきりしない。それは多様な曲が詰まっているために、全体のイメージがすぐにつかめなかったためなのだ。

 Robert Fripp:ギター
 Ian McDonald:リード、ウッドウインド、バイブ、キーボード、
        メロトロン、ボーカル
 Greg Lake:ベース、リードボーカル
 Michael Giles:ドラムス、パーカッション、ボーカル
 Peter infield:歌詞、照明

しかしさすがに冒頭の「21st Schizoid Man」(「21世紀のスキッツォイドマン」)には度肝を抜かれた。厚みのある圧倒的迫力のブラス、間をうめるように表情豊かに叩かれるドラム、そしてイコライズされたボーカル。

さらに中間部での、タイトなドラムの上で繰り広げられる勢いのあるアンサンブル、そこで聴かれるねじくれたようなギターソロ。一瞬空間がゆがんだような錯覚を起こすくらいの衝撃。次々と変わる曲調。明らかにそれまでのシングルヒット向けサウンドとは別の世界。

ところが2曲目「I Talk To The Wind」(「風に語りて」)では一転して、フルートが印象的なクラシカルで静かな曲。フルートの音も美しく本格的。1曲目とは全く正反対な、つぶやくよ うなボーカル。この落差。同じバンドとは思えない、演奏力、表現力、サウンドすべてにおけるバンドのポテンシャルの高さ。

さらに3曲目 「Epitaph」(「エピタフ」)では、また違ったボーカルスタイル。朗々とドラマチックな歌を歌いこなす。バックに流れる分厚く不思議なストリングス 風サウンド。メロトロンか。曲のスケールが大きい。アコースティックギターの響きも美しい。1曲目とも2曲目とも違う荘厳でドラマチックな世界。

ここまでですでに出し尽くしたかと思うと、さにあらず。旧B面は幻想的なボーカルに導かれてフリーミュージック。音に夜「Moon Child」(「ムーン・チャイルド」)の幻想世界の表現。

そしてラストがタイトル曲「The Court Of The Crimson King」(「キング・クリムゾンの宮殿」)で、再び荘厳な曲。神々しい天上世界の出現。メロトロンによる中間部のメロディーも未知の世界。クラシカルな 雰囲気も漂うが、ロックのダイナミズムを失わない新しい音楽。


一 聴するとバラバラの曲調の寄せ集め、アルバムのトータルイメージが定まらない、というような印象を持つかもしれない。ところが、聞き込んでいくとそれぞれ の曲の完成度の高さ、そして様々なタイプの曲の奥に見える核としてのCrimsonが感じられるようになる。つまりCrimsonという巨大な世界が、別 の側面から表現されたに過ぎないのだ。そして曲調が異なるのにアルバムの統一感が感じられてくるのだ。

改めて聴いてみると、全体の統一感 の要因の一つはMichel Giles(マイケル・ジャイルズ)のドラミングに寄るところが大きいかもしれない。強烈な印象のギターも、圧倒的なサックスも、軽やかなフルートやサッ クス、メロトロンも、実はアルバムの中で強烈に主張する場面はごくわずかだ。しかし実はいろいろなところで、隠し味的にみごとなサポートをしている。

これだけの音楽を作り出すCrimsonという大きな未知のパワーと可能性を秘めた新しい世界が、このアルバムの向こうに存在している。バンドの実体として はすぐにメンバーが変わってしまうのだが、そうした巨大な存在を感じさせるところが、このアルバムの凄さであり、この時期のバンドの凄さだったのだろうと 思うのだ。

究極の一枚。