「Windchase(ウインドチェイス/風の唄)」は、オーストラリアのバンド、Sebastian Hardie(セバスチャン・ハーディ)の1976年発表の2ndアルバム。
衝撃の第一作の後ながら、力むことも難解になることもなく、むしろより自然な美しさに満ちた、素晴らしい作品となった。相当なプレッシャーの中で作られたであろうことを考えると、それだけでも彼らの実力が計り知れないことがわかる。
Mario Millo :ギター、ボーカル
Peter Plavsic:ベース
Alex Plavsic:ドラムス、パーカッション
Toivo Pilt:ムーグ、ピアノ、メロトロン、ソリーナ、オルガン
メンバーは1stと変わらない不動の四人。そしてLPで A面に20分を超える大曲1曲、B面に小曲を配する作りも同じだ。では1stの二番煎じなのか。いやいやそれが違うのである。彼らはここのもう一つの傑作を作り上げてしまったのだ。
大きな流れとしてはSebastian Hardie自らが切り開いた、美しくドラマティックなシンフォニックロックである。そういう意味では1stの延長上にある作品である。テクニックには頼らず、アンサンブルもテクニカルなキメを主体としたジャズ的なものとは異なる、まさにシンフォニック。クラシカルではなくシンフォニック。
雄大で甘美で、 時間が流れていくことを忘れてしまう音楽。しかしニューエイジやフュージョンに行かず、あくまでロックしているところがまた素晴らしい。
もちろん音楽の軸となっているのは、Mario Milloの甘く美しく表情豊かなギターである。そして1st以上にバックに回って、全体の雄大なスケールを作り上げるToivo Piltoのキーボード群。今回は大作「Windchase」で、メロトロン・コーラスを取り入れて、Marioのギターソロの舞台を整える。アコース ティック・ギターからエレキ・ギターソロへと盛り上がるこの部分は、この曲の一つの大きな山場である。
さらにベース とドラムスのPlavsic兄弟の、技術的な向上がちょっとスゴいのだ。ベースは歌い、ちょっと単調な感じがしていたドラムスは、様々な表情を叩き出す。 Toivo Piltoのキーボードがちょっと控えめになっても、全体としての音楽の豊かさや厚みが保たれているのは、このベースとドラムスの貢献度がアップしたから に他ならない。全体のアンサンブルが格段に良くなっているのだ。
そして、そうした個人個人の技術力や表現力以上に力説したいのが、曲構成・曲展開の素晴らしさである。複雑になりすぎずテクニカルになりすぎず、たゆたうように心地よいリズムの上で各楽器 がメロディーを重ねていき、一つの大曲になっていく。本当にあっと言う間に過ぎる20分なのだ。
同じテーマやそのバリエーションを用いながら、一瞬たりとも飽きさせない見事な流れ。特に冒頭は4拍子で力強く始まるこの曲が、同じテーマをリフレインするラストになると、 なんと3拍子になっているのだ。見事としか言い様がない。
メロトロンのドラマチックな使い方、振り絞るような泣きの ギターなど、瑞々しさや衝撃度では1stはまさに名作であったが、全体のバランスや楽曲の美しさ、心地よさでは「Windchase」の方が上回っているとすら言えるかもしれない。
小曲もメンバーの力量やアンサンブルの充実さがわかる佳曲ばかり。シングルヒットのため の曲も含まれているが、全体に少ない音で、表情豊かな世界を描き出すことにかけては一流であることを証明してみせてくれる。「At the End」のキーボード・ソロ、そして特にラストの「Peaceful」のギターは美の極致である。
1stの 「Four Moments(哀愁の南十字星)」ばかりが注目されがちがだ、シンプルな美しさに満ちた、1stと並び称されるべき傑作。
ちなみにバンド名の“Sebastian Hardie”とは、R&Bを中心に演奏していた前身バンド“Sebastian Hardie Blues Band”から来ており、音楽性がよりポップな方向になった際に“Blues Band”が取れたのだとか。そしてその“Sebastian Hardie”とはリーダーのMario Millo曰く
「fictitious name just thought up by the original guitarist (Graham Ford) back in around 1967. (単に1967年頃のオリジナルギタリスト(グラハム・フォード)が思いついた架空の名前)」
ということらしい。名前に謎は隠されてはいなかったのだった。
衝撃の第一作の後ながら、力むことも難解になることもなく、むしろより自然な美しさに満ちた、素晴らしい作品となった。相当なプレッシャーの中で作られたであろうことを考えると、それだけでも彼らの実力が計り知れないことがわかる。
Mario Millo :ギター、ボーカル
Peter Plavsic:ベース
Alex Plavsic:ドラムス、パーカッション
Toivo Pilt:ムーグ、ピアノ、メロトロン、ソリーナ、オルガン
メンバーは1stと変わらない不動の四人。そしてLPで A面に20分を超える大曲1曲、B面に小曲を配する作りも同じだ。では1stの二番煎じなのか。いやいやそれが違うのである。彼らはここのもう一つの傑作を作り上げてしまったのだ。
大きな流れとしてはSebastian Hardie自らが切り開いた、美しくドラマティックなシンフォニックロックである。そういう意味では1stの延長上にある作品である。テクニックには頼らず、アンサンブルもテクニカルなキメを主体としたジャズ的なものとは異なる、まさにシンフォニック。クラシカルではなくシンフォニック。
雄大で甘美で、 時間が流れていくことを忘れてしまう音楽。しかしニューエイジやフュージョンに行かず、あくまでロックしているところがまた素晴らしい。
もちろん音楽の軸となっているのは、Mario Milloの甘く美しく表情豊かなギターである。そして1st以上にバックに回って、全体の雄大なスケールを作り上げるToivo Piltoのキーボード群。今回は大作「Windchase」で、メロトロン・コーラスを取り入れて、Marioのギターソロの舞台を整える。アコース ティック・ギターからエレキ・ギターソロへと盛り上がるこの部分は、この曲の一つの大きな山場である。
さらにベース とドラムスのPlavsic兄弟の、技術的な向上がちょっとスゴいのだ。ベースは歌い、ちょっと単調な感じがしていたドラムスは、様々な表情を叩き出す。 Toivo Piltoのキーボードがちょっと控えめになっても、全体としての音楽の豊かさや厚みが保たれているのは、このベースとドラムスの貢献度がアップしたから に他ならない。全体のアンサンブルが格段に良くなっているのだ。
そして、そうした個人個人の技術力や表現力以上に力説したいのが、曲構成・曲展開の素晴らしさである。複雑になりすぎずテクニカルになりすぎず、たゆたうように心地よいリズムの上で各楽器 がメロディーを重ねていき、一つの大曲になっていく。本当にあっと言う間に過ぎる20分なのだ。
同じテーマやそのバリエーションを用いながら、一瞬たりとも飽きさせない見事な流れ。特に冒頭は4拍子で力強く始まるこの曲が、同じテーマをリフレインするラストになると、 なんと3拍子になっているのだ。見事としか言い様がない。
メロトロンのドラマチックな使い方、振り絞るような泣きの ギターなど、瑞々しさや衝撃度では1stはまさに名作であったが、全体のバランスや楽曲の美しさ、心地よさでは「Windchase」の方が上回っているとすら言えるかもしれない。
小曲もメンバーの力量やアンサンブルの充実さがわかる佳曲ばかり。シングルヒットのため の曲も含まれているが、全体に少ない音で、表情豊かな世界を描き出すことにかけては一流であることを証明してみせてくれる。「At the End」のキーボード・ソロ、そして特にラストの「Peaceful」のギターは美の極致である。
1stの 「Four Moments(哀愁の南十字星)」ばかりが注目されがちがだ、シンプルな美しさに満ちた、1stと並び称されるべき傑作。
ちなみにバンド名の“Sebastian Hardie”とは、R&Bを中心に演奏していた前身バンド“Sebastian Hardie Blues Band”から来ており、音楽性がよりポップな方向になった際に“Blues Band”が取れたのだとか。そしてその“Sebastian Hardie”とはリーダーのMario Millo曰く
「fictitious name just thought up by the original guitarist (Graham Ford) back in around 1967. (単に1967年頃のオリジナルギタリスト(グラハム・フォード)が思いついた架空の名前)」
ということらしい。名前に謎は隠されてはいなかったのだった。