2011/10/09

「ポーン・ハーツ」ヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレーター

原題:Pawn Hearts(1971)

■Van Der Graaf Generator 
   (ヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレーター)


「ポーン・ハーツ(Pawn Hearts)」は、イギリスのプログレッシヴ・ロックバンドVan Der Graaf Generatorの4thアルバム。この後バンドは一旦解散するため、バンド第一期のラストアルバムとも言える。ラストにふさわしい若々しい荒々しさに満ちたアルバム。

全3曲、LPではA面2曲、B面1曲という大作揃い。なおLP発売時、北米バージョンでは1曲目と2曲目の間に「Theme One」という曲が挿入されたいた。これはBBC Radio 1のオープニング&クロージングテーマをアレンジしたものであったが、ヨーロッパ・バージョンには採用されず、シングルとして別に発表された。その後、再発に際してはヨーロッパ・バージョンの全3曲が定着したという経緯を持つ。

    Hugh Banton:ハモンド&ファルフィッサオルガン、ピアノ、
          メロトロン、ARPシンセサイザー、ベースペダル、
          ベースギター、ボーカル
    Guy Evans:ドラムス、ティンパニー、パーカッション、ピアノ
    Peter Hammill :リードボーカル、アコースティック&
          スライドギター、エレクトリックピアノ、ピアノ
    David Jackson:アルト&テナー&ソプラノサックス、
          フルート、ボーカル
《ゲスト》
    Robert Fripp:エレクトリックギター

シンセサイザーやメロトロンなどの楽器も使われているが、実際の演奏はボーカル、サックス、オルガン、ドラムスをメインにしたシンプルなものだ。King CrimsonのRobert Frippのギターもほとんどそれと分からない程度。

しかしこの全編を通じた緊張感が尋常ではない。Peter Hammillの優しさと荒々しさを併せ持ち、表現力と情念に裏打ちされたボーカル。David Jacsonのサックスも荒々しいが、Hugh Bantonのオルガンが予想外に攻撃的である。そしてグルーヴするより突進する感じのGuy Evansのドラム。

エレキギター、ベース専任者がいないのにこの尋常でない迫力。ボーカルを含め、すべての楽器がささくれ立つような音をぶつけ合いながら、叫び声を上げているかのような、狂気すら感じさせる世界。

この殺気立った音こそが、Van Der Graaf Generatorのアルバムの中でも、本作に特に顕著であり、4作目にして頂点を極めたと言ってよい。美しく崇高な音と神経を逆撫でするような邪悪でダークな音のぶつかり合いや急激な場面転換は、極めてオリジナルなものである。

23分にも及ぶ大作「A Plague Of Lighthouse Keepers」は10パートからなる組曲だが、トータル性の高い曲というより、メドレー的な構成。その分目まぐるしく変わる曲調、挿入されるサウンドイフェクト、突然のブレイクやフェイドアウト、起伏の激しいボーカル、そして後半に訪れる不気味なメロトロンの嵐と、一瞬たりとも気が抜けない。

荒々しさや邪悪さの中に美しいメロディーやハーモニーがふっと挿入されるというのも、このバンドの魅力の一つだろう。 それに酔いしれているヒマは与えてくれないのだが。

1975年に再結成されるが、パワフルな音はそのままだが、サウンド的により整頓され、このギリギリでバランスを取っているような危うさは無くなってしまう。そういう意味では彼らの初期衝動がピークを迎え一つのカタチとなった、大傑作アルバムである。

ちなみにタイトルの「Pawn Hearts」であるが、例えば「a brave heart(勇敢な人)」「a true heart(真の勇者)」という言葉と比較するとイメージが湧くかもしれない。「pawn(チェスのポーン。将棋の歩のような一番価値の低い駒)」は、身分も地位も低いことの象徴と考えられるが、アルバムジャケットには王や有名人たちが同じように並んでいる。

結局どのような名声や地位を持っていても、人は皆pawnと同じような一つの駒に過ぎないということだろうか。つまり「すべての人々」を言い表したシニカルな、あるいは達観した表現ということかもしれない。


 

2011/07/02

「フライ・フロム・ヒア」イエス

原題:Fly From Here(2011)

■Yes(イエス)

 
イギリス最強プログレッシヴ・ロックバンドの一つYesの、10年ぶりのニューアルバムが発売された。

出入りの激しいメンバー交替を続けながらも精力的に活動を続けていたYesであるが、メンバーの年齢的にもバンドとしての創作意欲の面でも、かつての輝きはもはや取り戻せないのかという印象が少なからずあった。
 
しかし、その表看板と言えるボーカルのジョン・アンダーソンの体調不良による不参加すら乗り越えて、全曲新曲というまさに奇跡の新譜を届けてくれたのである。

 Chris Squire:ベース、ボーカル
 Steve Howe:ギター、ボーカル
 Alan White:ドラムス
 Geoff Downes:キーボード
 Benoît David:リード・ボーカル


“全曲新曲”と言っても、実はほとんど1980年発表の「ドラマ(Drama)」期に作られたものが元になっている。この時もジョン・アンダーソンがいない、いわゆるバグルズ(トレヴァー・ホーン&ジェフ・ダウンズ)合体Yes期である。

確かに曲調は「ドラマ」の曲に似ている。そういう意味ではYesのアルバムの中では、メンバー的にも「ドラマ」の続編的なサウンドと言えなくもない。

ところがそのサウンドから受ける印象は「ドラマ」のものとも違うのである。その大きな要因はやはり新加入のリード・ボーカリスト、ベノワ・デイヴィッドによるところが大きいと思うのだ。

「ドラマ」はYesの歴史の中では異色作である。唯一ボーカルがジョン・アンダーソンではない。今回の作品で全面的にプロデュースを行なったトレヴァー・ホー ンが代役を努めている。しかし私的には紛れもなくYesのアルバムであり、それも傑作アルバムである。それはトレヴァーがジョンの世界を壊さないようにし ながら、新しいポップ感覚を持ち込み、もともと持っていたロック的躍動感を取り戻すことに成功していたからだ。

その躍動感や緊張感は、プログレッシヴ・ロックへの批判や否定が強まった当時、インストゥルメンタル・パートの縮小とともにイエスの音楽がジョンのソロアルバム化していく流れを、一瞬断ち切った爽快感だったとも言える。

Yesはそもそも超個性派集団である。そのメンバーが自己主張をぶつけ合うことで、独特の複雑なのにノリの良い音世界が築かれていた。しかし時代的・年齢的な面からそのバランスが崩れ、音楽はジョンのソロアルバムにメンバーがバックバンドとして参加しているような感じになってしまっていた。ジョンのカリスマ的存在感だけは衰えを見せなかったからだ。

その結果新曲はジョン主導、旧曲は往時の勢いは失われ、どこまで近い形で再現できるかが関心の的になることとなった。メンバーを入れ替えたりオーケストラと競演したりしても、基本的にそうした“懐メロ”バンド的な印象は、わたしの中ではぬぐえなかった。

新ボーカリスト、ベノワ・デイヴィッドはジョンほどの存在感はない。声や表現力、立ち居振る舞いにしても、ジョンにはどうしても劣ると言わざるを得ない。しかしである。彼のストレートな声の若々しさや未熟さそのものが魅力的なのだ。ジョン同様にノン・ビブラートで、さらにトレヴァーのようにちょっと高音が辛そうっていう感じを微塵も見せずに、全体の支配者ではなく、一人のリードボーカリストとして非常に爽やかに力強く歌う。一生懸命に歌う。これが良いのだ。

ジョンの呪縛からの解放。これがこのアルバムのキモである。

ジョンのカリスマ性が消え、バンドメンバーの現時点での力量に合ったバランスがここで築き直されたのだ。つまり現役バンドとして再生したのである。クリス・スクワイアもリードボーカルを取る。スティーヴ・ハウも、いつものソロともバックともつかないような演奏を流麗 に聴かせてくれる。今流行のギターやキーボードの超絶ソロなどはない。むしろ全員が一丸となって、Yes的な前向きでカッコイイ音楽を、楽しみながら作り 出している感じがするのだ。

この新鮮さや躍動感は1976年の焼き直しではない、確かに今の音であると共に、 1970年代のロックが持っていた多様性を含む音でもある。あるいはプログレッシヴ・ロックというイメージの中で作られた音ではなく、プログレッシヴ・ ロック世界を広げてきたバンドによる自由な音である。

メンバーのプレイが激突する名作期のYesを期待しても、「ドラマ」の再現を期待しても、肩すかしを食うことになるだろうし、ジョンの声あってこそYesだというのであれば、評価は自ずと厳しいものになるだろう。

しかしそうした思い入れとは別に、このアルバムは現在のYesの魅力を伝えてくれているのだ。力強いメロディー、美しいハーモニー、ドラマチックな楽曲。バンドの歴史が持つ存在感と新鮮さが絶妙に共存している。傑作である。今のわたしのヘビーローテーション・アルバムだ。

ちなみに「Fly From Here」で一瞬リードボーカルを取るのは、トレヴァー・ホーンか?「ドラマ」でジョンの代役という難しい役目をこなした彼が、Yesで再び歌うなんて、なんか感無量な感じである。

追記:ボーナストラックとして入っている「Hour Of Need」(Full Length Version)は、スティーヴ・ハウのエレキギターソロが最初と最後に入り、曲の長さも倍以上の大作になっている。本編収録ヴァージョンより遥かにシンフォニックでドラマチックな曲になっている。掟破りで、わたしは本編と差し替えてこのヴァージョンを9曲目に入れて聴いている。

   

2011/05/16

「クラフト」クラフト

原題:CRAFT(1984)

■CRAFT(クラフト)

  
CRAFT」 はイギリスのプログレッシヴ・ロック・グループCRAFT(クラフト)唯一のアルバム。1970年代にThe Enid(エニド)に在籍していたキーボード奏者ウイリアム・ギルモアが中心になって、やはりThe Enidに参加していた経歴を持つベースのマーチン・ラッセルとともに結成したバンドで、内容は全曲インストゥルメンタルのシンフォニック・ロックだ。

1984年に発表されたものだが当時のプログレッシヴ・ロック・リバイバルとして出てきていたポンプロック的ジェネシス・クローンな音とも、Asiaのようなポップ化したプログレッシヴ・ロックとも異なる、70年代的雰囲気を持った音が特徴だ。

   William Gilmour:キーボード、カバーアート
   Grant Mckay Gilmour:ドラムス、パーカッション
   Martin Russell:ベース、キーボード

メンバーの担当楽器だけ見ると、EL&PやRefugeeのようなギターレスなキーボード・トリオということになるが、その音は全く異なる。まさにThe Enid直系な音である。

The Enidが1980年代に入って、ちょうど同時期に版権の関係から1970年代の初期作品の再録を行なうのだが、好き嫌いは別としてその音は、より洗練されより豪華に雄大になり、曲の尺も平均して長くなった。同時に1970年代のオリジナル・アルバムに感じられたアコースティックな感覚が持つ魅力が薄れてしまっていた。

アコースティックな感覚とは例えばアナログ・シンセの音だったり、打楽器やフルート、トランペット、オーボエといった生の楽器だったり、デジタル・プログラミングのない時代に、少ない音でいかに情感豊かな世界を描こうとしているかという努力や工夫や、思い入れの強さだったりするのだが、このCRAFTのアルバムはThe Enidの再録時の音に違和感を感じて、そうした1970年代の手作り感を取り戻そうとしているかのような音なのだ。

と言ってもThe Enidのクラシカルで複雑に入り組んだ楽曲とも違う。軽やかに、そして甘美に疾走するロック色の濃い音になっている。リズム隊が常にしっかりボトムを キープするため、The Enidの持つ異形さは薄れたが、シンフォニック・ロック的な部分がストレートに前面に出た感じであり、そういう意味ではThe Enidの音より聴き易くなったとも言える。
 
にも関わらずフュージョンやニュー・エイジ的な方向とも違う、イギリス然とした格調のようなものを保っているところが大きな魅力でもある。

各曲は決してテクニカルな演奏に傾くことなく、クラシカルに優雅に、そしてダイナミックに進んでいく。そしてここぞというところでエモーショナルなギターソロが入るのだ、ギタリストはいないのに。

アルバムのインナースリーブに書かれた説明によると、そのギターソロにあたる演奏は実はいわゆる普通の「ギター」によるものではなく、「ベースギター」の音にカスタム・ペダルによるエフェクター処理をかけることで、「ギター」の音を作り出しているとのこと。ベースで魅いたソロなのでテクニカルさとは無縁な大きく包み込むような叙情性が、曲調ととてもマッチしていて感動的ですらある。

1980年代的な軽やかさを取込みつつも、1970年代への強い思いが込められている点では、昨今のヴィンテージ楽器を多用した70年代回帰型バンドに近いとも言 える。時代の流れの中では流行とは無縁なある意味“無謀”な音楽だったろうけれど、そこがThe Enidゆずりの大きな魅力でもあるのだ。

The Enidが「Journey's End」で2010年に復活し、ウイリアム・ギルモアも音楽学校で教鞭をとりつつSecret GreenというThe Enid的なバンドを立ち上げている。ぜひ再評価したい傑作アルバムである。

なおアルバムは黄道12宮(twelve signs of Zodiac)の中の6つの星座名を曲タイトルとしている。当時は普通のLPとして売られていたが、収録時間35分弱ということもあり、今の感覚で言えばミニアルバムとなるだろうか。

残り6つの曲を含む2ndが出て初めて完結するアルバムであったのかもしれないが、残念ながらそれは果たされなかった。