2009/08/29

「幻惑のスーパーライヴ」ジェネシス

原題:Seconds Out(1977年)

Genesis(ジェネシス)


Seconds Out」(邦題「幻惑のスーパーライヴ」)は1977年にGenesis(ジェネシス)が発表したライブアルバム。すでにリード・ボーカルであったPeter Gabriel(ピーター・ガブリエル)は脱退した1976年、1977年のパリ公演を収めたCD2枚組だ。

Peter在籍時は彼の奇抜な衣装やステージでの演技がGenesisのライヴでの大きな特徴だったが、この時期はコンピュータ制御の“ヴァリ・ライト”と呼ばれる照明システムにより、光の洪水による壮大な演出が話題を呼んでいた。

Tony Banks:エレクトリック・ピアノ、ハモンド・オルガン、
メロトロン、アープ・シンセサイザー、12弦ギター、
バッキング・ボーカル
Mike Rutherford:12弦ギター、ベース、8弦ベース、ムーグ・ベース、
バッキング・ボーカル
Steve Hackett:ギター、12弦ギター
Phil Collins:ボーカル、ドラムス
<サポート>
Chester Thompson:ドラムス
Bill Bruford:ドラムス

全12曲、Peter Gabriel期の曲がそのうち7曲を占め、名曲「サパース・レディ(Supper's Ready)も全収録。今作をもってギターのSteveが脱退し、Genesisは次第にポップ色を増して行くことを考えると、プログレッシヴ・ロック期 のGenesisの集大成とも言える。

内容的にも素晴らしいの一言。基本的にはドラムスは、元Weather Report(ウェザー・リポート)、Frank Zappa(フランク・ザッパ)バンドなどで活躍していたChester Thompsonが叩き、Phil Collins(フィル・コリンズ)はボーカルに専念。

しかし長めのインストゥルメンタル・パートになると後ろに飛んで行ってツイン・ドラムになるところも聴き所。一曲「Cinema Show(シネマ・ショー)」だけBill Brufordとのツイン・ドラムも聴ける。極上の瞬間だ。

全体的にPeterのクセのある妖し気でケレン味を含んだボーカルスタイルと、Philの甘く表情豊かなボーカルスタイルは異なる。声質や歌い方が似てい るからGenesisはPeterが脱退しても大きなイメージ的変化がなかったように思えるが、「Foxtrot(フォックストロット)」などと聴き比べ ると大きな違いがわかる。

Philの耳ざわりの良い声、そしてのちにソロデビューするほどの歌の上手さによって、Peter在籍時にあった毒気のようなものがなくなっている。その代わりボーカル曲として“聴かせる”のだ。曲全体の印象はソフトになった。

さらに「月影の騎士(Selling England by the Pound)」以来積極的にシンセサイザーを使うようになりによる厚みのあるキーボードサウンドを作り出すTony Banks、独特のノビのある魅惑的なギターワークを見せるSteve Hackett、そしてベースにギターにと大活躍するMike Rutherford(マイク・ラザフォード)という鉄壁の布陣が、雄大で心地よいインストゥルメンタル・アンサンブルを紡ぎ出す。

Phil以外の3人とも12弦ギターを弾くくらいだから、ギターのアルペジオがいたるところで聴けるのもGenesis的である。

そしてこの不思議で不気味だったGenesisから、雄大で美しいシンフォニックなサウンドに変化したGenesisを、さらに大きなグルーヴで盛り上げるのがChester Thompsonのドラミングだ。

彼のテクニカルながらタメの効いたドラミングが、曲をよりドラマティックにする。時折見せるPhilとのツイン・ドラムもスリリングだが、Philの Brand X的な攻撃的なドラミングとの違いが面白い。一曲だけ叩いているBill Brufordのドラミングが、今ひとつこの時期の雄大な曲調に溶け込んでないのと対照的だ。

しかしBillもインスト・パートに入ると同時に待ってましたとばかりにパワー全開、「Cinema Show」の7/8拍子のキーボードソロパートでは、Philとのツイン・ドラムとなり、両者テクニカルな演奏をぶつけ合うようなバトルが聴けるのも、このアルバムならでは。

全編まったくスキなし。Peter在籍時の“怪奇音楽骨董箱”的音楽からは遠ざかったが、後に多数現れる凡百の“Genesisタイプのバンド”が、どうあがいても太刀打ちできない、英国シンフォニック・ロックの頂点の一つ。大傑作。


2009/08/25

「フォックストロット」ジェネシス

Foxtrot(1972年)

Genesis(ジェネシス)

 
Foxtrot」(邦題は「フォックストロット」)は英国の代表的プログレッシヴ・ロックバンドGenesis(ジェネシス)が1972年に発表した名作。

ジェネシスは強烈なボーカリスト、Peter Gabriel(ピーター・ガブリエル、あるいはピーター・ゲイブリエル)と、彼をサポートするバックバンドのようなかたちでスタートした。初期の頃はメンバーもそれほど楽器の演奏レベルが高くなく、ライヴではPeter以外は皆座って演奏に専念していたという。

しかし当初から強烈なオリジナリティを放っていた。マザーグース風な奇怪さと幻想性、ファンタジーとドラッグによるトリップの間を行き来するような不思議さと危うさ。そしてそこに薫るイギリスらしさ。

 Tony Banks:オルガン、メロトロン、ピアノ、12弦ギター、ボーカル
 Steve Hackett:エレキギター、12弦&6弦アコースティックギター
 Phil Collins: ドラムス、ボーカル、パーカッション
 Peter Gabriel:リードボーカル、フルート、ベースドラム、
        タンバリン、オーボエ
 Michael Rutherford: ベース、ベースペダル、12弦ギター、ボーカル、
        チェロ

アルバムはKing Crimsonから譲り受けたというメロトロンで壮大に幕を開ける。まずこの音が素晴らしい。暗く雲が立ちこめた空のような重苦しくも美しい音が、波のように折り重なって響く。

そしてシンコペーションを多用した難しいリズムで突っ走るバック。そこに登場する個性的なPeterのボーカル。「Watcher of the Skies」はこうして、壮大なシンフォニック・ロックをかたち作っていく。

Peterはライヴにおいて様々な衣装に身を包み、物語を語るなど、かなり演劇的な要素の強いパフォーマンスを行っていたが、彼のボーカルだけでも、その個性の強さ、ユニークさ、表現力の高さが伝わってくる。

そして他のメンバーが一生懸命Peterをサポートするかのように、彼の思い描く世界を音にしようとしている姿が目に浮かぶのだ。

この時期のGenesisの魅力は実はそこにあると思う。個性豊かなボーカル。しかしそれを殺さずに、生真面目に精一杯演奏しようとするメンバー達という、危うさを秘めた絶妙なバランス。

メンバーの力量はアルバムごとに上がっていき、次作「月影の騎士(Selling England by the Pound)」では、ボーカルを圧倒するほどのインストゥルメンタルパートを聴かせるレベルにまで達する。しかし、アルバムとしての完成度は高くなり、聴 きやすくもなったが、この「Foxtrot」や、一つ前のアルバム「Nursery Cryme」で描いたような独特な妖しさは薄れたと言える。

このバックの演奏のどことなく感じられる拙さ、しかし決してテクニカルなバンドではないけれど、テクニックギリギリであっても何か新しいことをやってやろうとする意気込み、細かなアンサンブルの工夫、とても真剣で端正な演奏。そんなものが実は大きな魅力となっていたのだ。

そしてそうしたものが、Genesisが持っていた妖しい世界やPeterの独特な声やシアトリカルなボーカルスタイルに、とてもマッチしていたのだと思うのだ。

2曲目の「タイム・テーブル」のバロック音楽風な静かで気品のある展開。3曲目、4曲目のシアトリカルなボーカルを守り立てるような、12弦ギターや各種キーボードなど、様々な楽器によるインストゥルメンタルパート。どの曲も曲としての完成度がとても高い。

旧LPではA面最後の曲となったのが、「Horizon's」というSteveのクラシカルなアコースティック・ギターソロ。B面の大曲に移る間奏曲のような役割を持たせた見事な構成だが、この曲がまたとても美しい。

そして23分近くに及ぶ超大作「サパース・レディ」。Peter GabrielがLSD体験中の幻覚を元に書き上げたと言われる曲だが、自ら「命をかけて歌った」と言っているように、目まぐるしく変化する曲調に合わせ てボーカルスタイルも変わっていく、予断を許さない展開。インストゥルメンタルパートも単なるバックバンドの域を超えて、Genesisサウンドを作り出 そうとするような勢いを感じる。

非常に緩急、動と静の動きの激しい曲だが、澱みなく最後まで突き進む。まさにGenesisシンフォニックロックの完成形。

「Foxtrot」は、Peterを中心に、演奏面で飛び抜けたスターはいないが、個性的な音色、フレーズ、アンサンブルと、アイデアを重ねて作り上げた独特の濃密さにあふれた作品となった。それはまさにこの時期のGenesisにしか作れなかった傑作である。

 

2009/08/20

「醒めた炎」

原題:Out of the Mist(1977年)

Illusion(イリュージョン)


Out of the Mist」(邦題は「醒めた炎」)は、イギリスのクラシカルなフォーク・ロックバンド、Illusion(イリュージョン)が1977年に発表した1stアルバム。

Illusionは、オリジナル・ルネッサンス(Renaissance)が解散した後に、再びオリジナルのルネッサンスを復活させるべく結成されたバンド。

オリジナル・ルネッサンス再建に動いていたキース・レ ルフ(Keith Relf)が、自宅で作曲中にギターの感電で死亡するという事故がおきる。その後、兄の意志を受け継ぐべく、妹のジェーン・レルフをフロントに、オリジナ ルルネッサンスの4人が集結。そこにギターとドラムが新たに加わり、6人編成のバンドとしてルネッサンスは復活する。

しかし活動を開始するにあたって、すでにバンド名の使用権がアニー・ハズラム(Annie Haslam)を擁する別バンドに移っていたことにより、オリジナル・ルネッサンスの2ndアルバムのタイトル「Illusion(幻影)」をバンド名とする。

 John Hawken:ピアノ、ムーグ、メロトロン、オルガン
 Louis Cennamo:ベース
 Jane Relf:ボーカル
 Jim McCarty:ボーカル、アコースティック・ギター、パーカッション
 John Knightbridge:ギター
 Eddie McNeil:ドラムス、パーカッション

アルバムはJim McCarty(ジム・マッカーティー)とJane Reff(ジェーン・レフル)のデュエットによる「イザドラ(Isadora)」で始まる。無理のない美しい発声による二人のフォーキーな歌は、それだけでとても優しく聴き手を包んでくれる。

バックもロックバンド形式ではあるが、フォークギターとクラシカルなピアノをメインに、歌の美しさを最優先したアレンジだ。John Hawkenのピアノ・アルペジオが印象的。間奏に入るエレキギターソロも地味ながら感動的。終盤は静かにメロトロンフルートが鳴り響く。

2曲目「自由への道」ではJaneがメインボーカルで歌う。華やかさはないがいかにもブリティッシュな落ち着いた歌い方、そして低めの声質がとても大人の女 性を思わせる。フォークタッチな歌い方ながら、音程も安定しており高音も低音も美しい。清楚にしてどこか醒めたような彼女のボーカルは、聴けば聴くほど味 わいが増す。

本アルバムは本当に良い曲が多く、3曲目の「ビューティフル・カントリー」の、冒頭の静かなムーグの調べから引き込まれる言葉にならない美しさ、途中で聴かれるメロトロン・フルートの効果的な使い方など素晴らし過ぎる。

またオリジナル・ルネッサンス時代の曲に再録にあたる「フェイス・オヴ・イェスタデイ」も、Janeの魅力爆発な名曲。スキャット部分も思わず過去を振り 返ってしんみりしてしまう程に美しい。曲自体に大きな起伏を作るというより、ある種の感情を切り取って歌にしたような淡々としながら心に染み入る曲だ。

しかし4曲目「ソロ・フライト(Solo Fight)」などは、McCartyがボーカルを取るロック寄りの7拍子の曲だし、5曲目の「エヴリホエア・ユー・ゴー(Everywhere You Go)」はオーケストラをバックにJaneが歌うノリのよい曲だし、ラスト曲はツインボーカルにハーモニーが重なるダイナミックな曲。展開も多く、本アル バム中では一番プログレッシヴ・ロック的だ。そうした音楽的な幅の広さやそれに対応できるメンバーの実力も伴っていたと言えるし、そうして曲調が変わって もどこかしら醒めたような格調高さが不変なのもいい。

全体として、美しいメロディー、ピアノを活かしたシンプルなアレンジ、Janeのメ インボーカルに、淡く絡み付くハーモニーが特徴。その中で終始美しい調べを奏で続けるピアノが特に印象的で、音楽面でJohn Hawken(ジョン・ホウケン)の存在がとても大きいことが伺える。

プログレッシヴ・ロックに分類されることが多いが、フォーク系のブリティッシュ・ロックとしても傑作。

Janeの声、いいなぁ。うん、スゴくいい。

 

2009/08/18

「ザ・シンフォニック組曲」

原題:Hybris(1992年)

Änglagård(アングラガルド)


Hybris」(邦題は「ザ・シンフォニック組曲」または「ヒブリス」)は、1990年代に入り、まさに彗星のごとくスウェーデンから登場した90年代屈指のシンフォニック・ロックグループÄnglagård(アングラガルド:正しい発音は“エングラゴー”)の、1992年のデビューアルバム。

2ndアルバムと、もう1枚ライヴアルバムを残して解散するが、その後現在に至る北欧プログレッシヴ・ロック、あるいは世界的な新しいタイプのプログレッシヴ・ロック興隆の狼煙を上げた作品と言ってもいいかもしれない。

Thomas Jonson:キーボード
Jonas Engdegard:エレクトリック&アコースティックギター
Tord Lindman:ボーカル、エレクトリック&アコースティックギター
Johan Hogberg:ベース、メロトロン
Anna Holmgren:フルート
Mattias Olsson:ドラムス、パーカッション

彼らが新しかったのは、1980年頃にイギリスで興ったプログレッシヴ・ロック・リヴァイヴァル・ムーヴメンにおいて、ポンプ・ロック(pomp rock:華麗なロック、仰々しいロック)と、半ば揶揄されながら、オリジナリティに欠けるジェネシスタイプのバンドを多数輩出した流れとは異なり、北欧という離れた場所から、90年代的オリジナリティーを打ち出しつつ、1970年代の息吹きを直接引き継ぎついだ音を作り出した点にある。

まず第一に、ハモンド・オルガンやソリーナ、メロトロンなど、1970年代のヴィンテージ楽器への強い思い入れと深い愛情がある。それらの楽器の持つ魅力を1990年という時代に甦らせ、現代でも十分に楽器としてのパワーを持っていることを再認識させてくれたのだ。

しかし、その曲調にはポンプ・ロックが持っていた甘ったるさ、ヌルさを微塵も感じられない。むしろリスナーを突き放すような冷徹さ。それはKENSOから ロックの熱さを抜き取ったような潔い音のぶつかり合いと、先の読めない、全体像が掴みにくい曲展開。しかしそこに宿る幽玄な叙情。そこに第二の、まさに 90年代ならではの特徴があるのだ。

ボーカルパートは少ないが、貴重な清涼剤的役割を担い、インストゥルメンタル・パートはグルーヴしない律儀でテクニカルなドラムスの上で、ギターやハモンド・オルガンが力強く歌い、メロトロンが神秘のベールをかける。

一聴すると聴く者を拒絶するかのような展開も、聴き慣れるに従ってグッとリズムやメロディーが浮き出て感じられるのが不思議だ。翌年スウェーデンからデ ビューするAnekdoten(アネクドテン)ほどギターリフを多用したラフでラウドなパワーで押していくタイプではなく、複雑に構築された曲を気合いで 演奏しているようなイメージ。

このパーカッション的でグルーヴしない、メリハリのはっきりしたドラミングには好き嫌いが分かれるかもしれないが、1970年代のドラマーの多くがジャズのプレイに影響されていたのとは異なる、90年代的な潔さを感じる。それでいてプログレ・メタル的なツーバス叩きまくりではない、表情をしっかり持ったプレイであるところに、独特な魅力があるように思う。

メンバーは皆テクニシャンである。しかし時にキング・クリムゾン的なパワーで押しまくりながら、ふっとフルートやメロ トロンなどが醸し出すフォーク・トラッド的な面も大きな魅力だ。曲展開の強引さと静と動の極端な落差は、このバンドが作り出す曲の大きな特徴である。スウェーデン語のボーカルも良い味を出している。

1970年代のプログレッシヴ・ロックの影響を受け、あふれる愛情に満ちあふれながら、情や雰囲気に流されない独自の孤高なる世界を描いた傑作。音に込められたエネルギーはロック的な熱さとも異なるオリジナルな音だ。

ちなみにオリジナルタイトルの「Hybris(“ハイブリス”と発音するようだ)」は英語の「hubris」、つまり「自信過剰、ごう慢」という意味。確かにリスナーに媚びず、メンバー同士も自信を持って個性をぶつけ合い作り上げられたであろう傑作。さらに付け加えるとÄnglagårdとはHouse of Angels(天使達の家)という意味である。

2009/08/16

「恐怖の頭脳改革」の原題について



エマーソン,レイク&パーマーの最高作と言われる「恐怖の頭脳改革」は原題を「Brain Salad Surgery」と言う。そのまま訳する「脳みそサラダ外科治療」。

英語版Wikipediaによると、1996年のアルバム再発の際のリリースノートに、タイトルが決まるいきさつについて書かれているという。それによれば、当時のマンティコア・レーベル社長のマリオ・メディウスが、ドクター・ジョン(Dr. John)の1973年のヒット曲「Right Place Wrong Time」にある、スラングの歌詞から拝借したのだとのこと。

そしてアルバム製作中の仮タイトルは「Whip Some Skull on Ye」だったとか。そして驚いたことに英語版Wikipediaによれば、どちらも「性的なスラングでfellatio」を指すというのだ。

これには少々頭を抱えてしまった。
いや、タイトルが性的な意味を持つこと自体は別にいいのだ。


気になるのは、「Brain Salad Surgery」が、なぜそういう意味になるんだろうっていうことだった。

プログレアルバム紹介で取り上げたこともあって、実はずっと気になっていたのだ。とても有名で完成度の高いアルバムだけに、タイトルもうまく自分の中に落ちてくれないと心地悪いのだ。

例えばピンク・フロイドの「狂気」は原題が「The Dark Side of the Moon(月の裏側、月の暗い部分」であり、アルバム中に「Brain Damage」という曲も含まれていることから、「狂気」という邦題もある意味オリジナルタイトルと重なると言える。

あるいはまたイエスの「危機」も原題は「Close to the Edge(縁 の近く)」だが、「edge」は縁や輪郭の線が鋭い感じのする単語であり、安定した場所から不安定な場所へ移り変わる最後の一線のようなピリピリしたイ メージを持っている。そうした「edge」の近く、あるいは「edge」へ近づくということに対する「危機」という邦題は、まさしくピッタリくる名訳だと 思う。

こうやってストンと自分の中に落ちてくれれば良いのだ。キング・クリムゾンの「In The Wake of Poseidon」 は「ポセイドンの跡を追って」であり、「ポセイドンの目覚め」は誤訳だ。でもきっと「wake=目覚め」と思い込んでしまったんだろうということで理解が できる。セバスチャン・ハーディーの「Four Moments」を「哀愁の南十字星」とするような、イメージだけで邦題を作っちゃうっていうのも、それはそれで楽しい。

そこで「恐怖の頭脳改革」である。スラングにも何かしら、その意味するものを連想させるイメージがあるはずだ。

まず仮のタイトルである「Whip Some Skull on Ye」の方から見ると「whip(鞭打つ、かき混ぜる」、「skull(頭蓋骨=頭)」、「Ye」は「You(あなた)」だから、「あなたの上で頭をかき混ぜる」となる。命令文なら「かき混ぜろ」だな。

「some」は言葉のリズムを整える上で使われた意味のない単語かもしれないし、「get some」で「sex相手としていい子を見つける、ものにする」という意味があることから、「sexの相手」としてもいいかも。

つまり「相手の女の子の頭をお前にくっつけてかき混ぜるように(鞭打つように)動かせってことだ。これならスラングの意味も想像がつく。

さてでは「Brain Salad Surgery」はどうか。

「brain」は「脳みそ」である。「salad」は「サラダ」あるいは「混合物」という意味もある。「surgery」は「手術、外科治療」ということだが、内科的な治療ではなく、直接触って治療するという点に意味があるように思う。

つまり脳みそがグチャグチャにかき混ざるような、直接的に相手を治療する行為ということか。こう考えてみると大分スラングの意味に近づいた感じがする。「brain salad」は「whip some skull」と同じように、一心不乱に頭を動かす行為をイメージさせるわけだ。

実際、ギーガーが描くフロントカバーは、最初に描かれたものでは、下部に配置されたEL&Pのロゴから円内の女性のあご下にかけてphallusが描かれているように見えたことから、レコード会社から修正するようクレームがついたという(同Wikipediaより)。そう言われて良く見れば、“なごり”らしきモノが見えないでもない(右上ジャケット)。奇怪なジャケットではあるが、アルバムタイトルのスラング的意味合いを反映させていたと言うことか。

ということで「恐怖の頭脳改革」という邦題は、残念ながらオリジナルタイトルの意味からはほど遠いことがわかった。しかしだからと言ってオリジナルタイトル の持つスラング的意味合いを出すことは実際にはできないわけで、そうした点から言えばむしろ「brain」と「surgery」だけで見事にインパクトあ る邦題を作り上げたと言えよう。これもまた名訳である。

いやぁ、今回はちょっとHな話題を真剣に考えてしまった。
まぁよろしよろし。

  

2009/08/15

「恐怖の頭脳改革」

原題:Brain Salad Surgery(1973年)

Emerson Lake & Palmer(エマーソン、レイク&パーマー)


Brain Salad Surgery」(邦題は「恐怖の頭脳改革」)は、イギリスが誇るキーボード・トリオ、Emerson Lake & Palmer(エマーソン、レイク&パーマー)の1973年の作品。

3人のプレーヤーがそれまで築き上げてきたキーボード・ロックの手法に自信を得て、持てる力を注ぎ込んだで作り上げた、彼らの到達点だ。

 Keith Emerson:オルガン、ピアノ、ハープシコード、
        アコーディオン、ムーグシンセサイザー
 Greg Lake:ボーカル、ベース、ギター
 Carl Palmer:パーカッション、パーカッション・シンセサイザー

アルバムは荘厳な「Jerusalem(聖地エルサレム)」で幕を開ける。EL&PというとどうしてもKeith Emersonの派手なアクションと高度なキーボード・プレイに目や耳が行きがちだが、EL&Pの音楽は、この3人でなければ出来上がらなかった ものだ。

Greg Lake(グレッグ・レイク)のボーカルの美しさ。Carl Palmer(カール・パーマー)の手数が多く、変化に富んだドラミングは、ともにEL&Pには欠かせないものだ。

そもそもGregはギタリストとしても非凡な才能を持っている。「クリムゾン・キングの宮殿」(シド・スミス、ストレンジデイズ、2007年)によれば、若 きRobert Frippと同じギター教師からギターを習い、その後Gregは地元ではギタリストとして有名であったという。

ボーカル曲が充実しているとインストゥルメンタル部分が映える。2曲目の「Toccata(トッカータ)」のパーカッシヴなオルガン、激しくうなるムーグ。ゾクゾクするほど素晴らしい。

そして再び「Still...You Turn Me On(スティス…ユー・ターン・ミー・オン)」で、よりマイルドなGregの歌が響く。彼の弾く、粒立ちのはっきりした力強いアコースティック・ギターが印象的だ。

そして超大作である「悪の教典#9」。ここでも彼のエレクトリック・ギターが所々で活躍している。Gregはボーカリスト&ベーシスト&ギタリストなのだ。 それも一流の。そこが他のEL&Pフォロワーと決定的に違う。Keithのキーボード超絶技巧だけがEL&Pではないのだ。

さらにKeithのキーボードも、近年見られるプログレ・メタルなどで聴かれるような弾き倒し系超絶プレイとは異なる。彼は流麗さを避けるかのように、複雑 なメロディー、パーカッシヴなリズムの多様、ムーグやオルガンなどのより歪んだ音を選ぶ。Keithはパフォーマンスとは別の意味で格闘しているのだ。

いやそのパフォーマンス自体、最初は、音楽と、そして己の技量とギリギリのところで格闘することから自然に出てきた行為だったのかもしれない。特に「悪の教典#9 第2印象」におけるピアノ・プレイには鬼気迫るものがある。

人ができないテクニックを聴かせるというよりは、人がやらないことを己のテクニックを用いて全力で追い求めていくような迫力。

同じキーボード・トリオと言われるバンドで言うと、例えばドイツのTriumvirat(トリアンヴィラート)などは、かなりKeith的フレーズや音色を 使うが、印象的なメロディーが多い。オランダのTrace(トレース)は、クラシカルで華麗な指さばきを平然と聴かせてくれる。

しかしKeithは格闘する。心地よいメロディーや音色に落ち着こうとはしない。それはRobert Frippが、未知なる巨大なエネルギーをギターという楽器によって、暴走寸前のギリギリのところでコントロールしているような緊張感に似ている。

そしてそれに拍車をかけているのが、手数が多く、ありきたりなリズムキープで良しとしないCarlのドラミングだ。様々な表現を使うがグルーヴしない。オーケストラのパーカッショニストのようなそのプレイは、Keithとも格闘しているかのように突進していく。

まさに3者が持てる力をぶつけ合った結果生まれた傑作。
なおアルバムタイトル「Brain Salad Surgery」についての考察は次回行う予定。
 

2009/08/12

「イル・ヴォーロII」

原題:Essere O Non Essere?(1975年)

Il Volo(イル・ヴォーロ)

Il Volo(イル・ヴォーロ)はFormula 3(フォルムラ・トレ)という、これもまたイタリアンロックの傑作アルバムを残したバンドが解散し、そのギターとキーボード担当の二人が中心に、すでに確かな実績を残したメンバーを集めて結成されたイタリアのスーパーバンド。

しかし彼らはわずか2枚のアルバムを残して解散してしまった。1作目は歌もの中心でこちらも評価が高いが、この2作目にして最終作は、歌を最小限に抑え、インストゥルメンタルに力点をシフトさせて、非常に感動的な音楽を作り上げた。それがこの1975年の作品「Essere O Non Essere?」(邦題は「イル・ヴォーロII)である。

“essere”は「存在、生命」などを意味するとともに、英語のbe動詞にあ たる言葉。つまり“essere o non essere”は、“to be or not to be”、そうシェイクスピアの「ハムレット」に出てくる有名な言葉『生きるべきか、死ぬべきか』(英文学者の小田島雄志の新訳では『このままでいいのか、 いけないのか』)にあたる言葉だ。

Alberto Radius:ギター、ボーカル
Gabriele Lorenzi:キーボード
Gianni Dall'Aglio:ドラムス、パーカッション
Mario Lavezzi:ギター、マンドリン
Vince Tempera:キーボード
Roberto Callero:ベース

ツインギター&ツインキーボードということで、音が厚くなるかと思いきや、音数は抑え気味で、疾走感あふれるハイテンションな演奏とイタリアらしい詩情あふれるアコースティックパートが絶妙に配されている。

中でもバンドの特徴とも言えるのが、冒頭の曲や2曲目の最初に流れるRadiusのエレキギター。イフェクトをかけて独特の粘りのあるエロティックな音なのだ。最初聴いた時に、バイオリン?ムーグ?これ何の音だ?と不思議に思った記憶がある。

そして非常にタイトなリズム隊の上で、この個性的なギターとともに活躍するのが、エレクトリックピアノなのだ。このエレクトリックピアノがクールなイメージ を全体にもたらしている。そしてところどころに入る様々なキーボードサウンド。非常に繊細な音からうねりの強い鋭い音まで、要所要所で効果的に使われてい る。時々入るパーカッションもバンドの個性になっている。

フュージョンよりリズムがロック的だが、ジャズロックというほどテクニカルな表 現に頼る部分は少ない。シンフォニックというほど音に厚みもないし、大仰さはカケラもない。きちんと構成された曲を抜群のコンビネーションで演奏しつつ、 ところどころに胸をかきむしるような叙情的なメロディーを交えた、非常にユニークな位置に存在するサウンドだ。唯一「Essere」で聴けるボーカルもしっとりとした声でイタリア的な美しさを感じさせる。

そしてアルバム全体を通して感じられるのが、深い哀愁とともに、どこか果てしない大 空に向かって飛び上がって行くような飛翔感、開放感。イタリア的に熱くならず、でもイタリア的な美しさを残したまま、夢や希望に向けて飛び立って行くよう なイメージを残してアルバムは終わる。ちなみにバンド名「il volo」とは英語で「flight(飛行、飛翔)」という意味だ。

ジャケットの内側には「ERESSE, ERESSE, ERESSE!(生きろ、生きろ、生きろ!)」とある。希望に満ちた音楽。

イタリアが生んだ傑作の一つ。

ちなみに「il volo」とは「flight(飛行)」の意味。バンド名とアルバムイメージは見事に一致している。


2009/08/10

「S.U.S.A.R.」

S.U.S.A.R. (2004年)

Indukti(インダクティ)


S.U.S.A.R. 」はポーランドのIndukti(インダクティ)が2004年に発表したデビュー・アルバムである。

個人的なヨーロッパのバンドに対する印象として、クラシックの伝統に裏付けられたプレーの堅実さと、各楽器のバランス感覚、アンサンブルの安定感が高いと感じていた。

加えて、中でも旧東欧諸国は、1970年前後のロック・ミュージック大変革期の頃の熱を、その後のパンク、ニューウェイヴ、フュージョン、テクノなど次々と移り変わるブームに振り回されることなく持ち続けているような気がしていた。

例えばハンガリーのSolaris(ソラリス)の「Marsbeli Kronikak(火星年代記)」(1984)なども、1980年頃英国で興ったプログレッシヴ・ロック・リヴァイヴァルの流れとは異なり、80年的なキ レのある音でありながら、ムーグ・シンセサイザーを活かした
70年的なパワーを持ったバンドであった。

そして2004年に本作で登場したInduktiも、サウンド的にはプログレッシヴ・メタル風な重くテクニカルなものであるが、明らかに1970年代のKing Crimsonを意識したヘヴィなロックを奏でる。

 Ewa Jablonska:ヴァイオリン、チェロ
 Piotr Kocimski:ギター
 Maciej Jaskiewicz:ギター
 Maciek Adamczyk:ベース

 Wawrzyniec Dramowicz:ドラムス
<ゲスト>

 Mariusz Duda:ボーカル(from Riverside)
 Anna Faber:ハープ


ツインギターにヴァイオリンという特異な編成。ヴァイオリン奏者は女性でチェロも弾く。

アルバムは、ハープの音が美しくも不穏な雰囲気を生み出し、静かに始まる変拍子に乗せて
ヴァイオリンの物悲し気で神経質そうな音が被さる。ハープはこの後もと要所で効果的に使用される。

そして始まる変拍子リフの嵐。タイトでパワフルなドラムスと重低音ベースに支えられて、凶暴なツインギターとベースのユニゾン変拍子リフが重く重く襲いかか る。高音部で妖しくうごめくヴァイオリンは、まさに1970年代King CrimsonのDavid Cross(デヴィッド・クロス)を思わせる。

彼らの特徴は、とにかく全員一丸となって疾走するヘヴィな変拍子リフにある。この
執拗に繰り返えされるスピード感あふれるヘビィなリフに、次第に聴き手は高揚させられて、その心地よさに酔わされる。

ヴァイオリンもメインメロディを奏でるというよりは、リフの重さを際立たせるかのような動きをする。ヴァイオリンはアコースティック&エレクトリック両方を弾 き分けており、特に6曲目「No. 11811」では、アコースティックからエレクトリックへ変わる瞬間の衝撃が凄い。

ヴォーカルは同じポーランドのRiverside(リヴァーサイド)からゲストで参加しているが、歌詞は英語。しかしその暗く湿り気のる声は、サウンドの中にみごとに溶け込んでいる。

超絶ギターソロがあるわけではない。エキセントリックなヴァイオリンプレイがあるわけでもない。しかしスネアがスコーン、スコーンと良い音を鳴らしながら安 定した変拍子を叩き出し、ロックなギターリフの上でCrimson的なねじれたギターソロやヴァイオリンソロが飛び出す。

同じようにCrimson的なイディオムから独自の世界を作り出したスウェーデンのAnekdotenと比べると、ヘヴィなリフの部分だけ抽出し、よりメタリックにした感じか。もちろんメロトロン的叙情もない。そのかわりDavid Crossヴァイオリン的叙情がある。

リフを重視するというのは、King Crimsonの1980年以降の大きなテーマである。そういう意味では「Starless And Bible Black(暗黒の世界)」期のCrimsonが、当時のギター、ベース、ドラムス、ヴァイオリンという編成で今音を出したらこうなっていたかもしれない と思わせるようなサウンド。ヘヴィリフ主体の超絶アンサンブル。そして間違いなくロックしている音。

これは傑作。
そしてこの夏、待望の2ndアルバムが発売される。超期待です。

 

2009/08/08

「シクロス/組曲“四季”」

Ciclos(1974年)

Los Canarios(ロス・カナリオス)


Ciclos」(邦題は「シクロス」あるいは「組曲“四季”」)は、スペインのLos Canarios(ロス・カナリオス、あるいはカナリオス)が1974年に発表したLP2枚組による大作。イタリアの作曲家ヴィヴァルディ(Vivaldi)のヴァイオリン協奏曲集「四季」をロック化した作品である。

LPでは各面が「春」「夏」「秋」「冬」と原曲の流れ通りに配された、全4曲という構成。しかし最初のパートが「Geneses(起源)」、最終パートが「Apocalipsis(黙示)」に終わる流れは、四季になぞらえて人の一生を描いていると言われる(わたしの持っているCDは輸入版なのでブックレットがスペイン語なため、詳細は不明。う〜むぅ、無念)。

 Alain Richard:ドラムス、パーカッション
 Antonio Garcia De Diego:ギター、ボーカル
 Mathias Sanvellian:ピアノ、オルガン、ヴァイオリン
 Christian Mellies:ベース、テルミン
 Teddy Bautista:シンセサイザー、メロトロン、ボーカル
 Alfred Carrion:コーラスアレンジ

Los Canarios自体は1960年代から活動していたビート・ロックバンドだったらしいが、3rdアルバムである本作において、アレンジに奇才 Aflred Carrionを迎え、スペイン国立歌劇団の全編に渡る協力を得て、類い稀なる作品を産み出すことに成功した。

時は1974年。まだスペイン・プログレッシヴ・ロックの祖的な存在であるTriana(トリアナ)のファーストアルバムが出る前の年である。まさに大冒険にして大いなる偉業であったはずだ。作品にはその熱気や意気込みが溢れている。

まず原曲そのものにミステリアスな雰囲気がある「はげ山の一夜」や「展覧会の絵」などと違い、曲調がロックに馴染みにくい「四季」に挑戦しているところからして違う。それも全曲。曲調から言えば、ちょっと間違うとメロディーだけ浮いた締まりのないロックか、イージーリスニングになりかねないこの曲を、重厚で圧倒的なロック・ミュージックへと昇華させている。

さらに基本的なメロディーはキーボード、ギター、ボーカルなどに置き換えて、かなり原曲に忠実な演奏を聴かせる。つまりテクニック的にも相当凄いことをやっているのだ。有 名なフレーズだけ借りてきて、あとはバンドのフィールド内でロックするのとは訳が違う。複雑な上昇、下降のヴァイオリンフレーズをギターやキーボードが、 ソロやユニゾンで見事に弾きこなす。そしてドラムスが素晴らしいリズム感で全体を引っ張る。各種パーカッションも不思議な味わいをかもし出す。

そしてAlfred Carrion(アルフレッド・カリオン)アレンジによる混声合唱団が、全編で力強い声の威力を見せつける。ヨーロッパの伝統がかいま見える迫力だ。それに対抗しメンバーが聴かせてくれるロックなボーカルも魅力だ。特に前半で聴けるボーカルは、ファルセットに近い高音が実にパワフルで、ぐいぐいと聴く者を引き込んでいく。

また効果的に頻繁に使用されるメロトロン、音の太いアナログ・シンセサイザーが、原曲に新しい息吹きを吹き込む。加えて、赤ん坊の泣き声、せせらぎの音、鳥 の鳴き声など様々な効果音、女性のオペラ風ソロ、アコースティックギターだけを伴奏にしたフラメンコスタイルのボーカル、アメリカンポップス風ボーカル、 グレゴリアン・チャント(Enigmaより17年も前!)、さらにメロトロン・クワイア(合唱団がいるのに敢えて!)など、様々な要素がごった煮のように詰め込まれ、次に何が飛び出すかわからない。

曲調もツインキーボードとギターによるクラシカルなロックアンサンブル、かと思うと思いっきりロックンロール、時にジャズ、はてはミュージック・コンクレート、最後には大爆発まで。

この「何でもアリ」ながら、それぞれをお遊びではなく真剣にプレイしていることが、ある種原始的なパワーをこのアルバムにもたらした。それこそが本作の大きな特徴であり魅力となっているのだ。それは取りも直さず、当時の「何か新しいものを作り出そう」という意欲と熱気が、音にそしてアイデアに込められていることを物語っている。

美しくアレンジされ、緻密に構成されたシンフォニック・ロックではない。雑多で異質なものが同居し合い、それらを力ずくで一つの作品へとまとめ上げ、そこに何とも言えない生命力のようなものを封じ込めた音楽。スパニッシュ・ロック黎明期の奇跡。傑作。

なお、バンドでは各曲に独自のタイトルを冠している。

 タイトル:Ciclos(サイクル・周期、連作歌曲という意味もある)
 第一幕:Paraiso Remoto(遥かなる楽園)
 第二幕:Abysmo Proximo(次なる深淵)
 第三幕:Ciudad Futura(未来都市)
 第四幕:El Eslabon Recorbrado(再生された輪)

 

2009/08/06

「夢の丘」


夢の丘(1991年)

KENSO(ケンソー)


夢の丘」は日本が世界に誇るプログレッシヴ・ロック・バンドKENSO(ケンソー)による1991年発表の6枚目のアルバム。前作「スパルタ」制作途中からベースとドラムスのリズム陣が交代し、新たな布陣で作り上げた渾身の一作。

清水義央:ギター
小口健一:キーボード
光田健一:キーボード
三枝俊治:ベース
村石雅行:ドラムス

オールインストゥルメンタルである。しかしフュージョンのように耳にすんなりと入ってこない。ジャズロックというほどジャズの色合いは感じられない。そこには緻密に計算された変拍子と、細かなリズムチェンジがあるからだ。これにより一聴した時に曲の全体像を掴みにくい。一つの明確なメインメロディーであるとか、曲のサビの部分であるとかいった捉え方がしにくい。

ここで聴くのを止めてしまうと、KENSOは曲が複雑過ぎて良くわからないバンドということになってしまうかもしれない。

ところが聴き込んで行くと、実に良くギター、ツイン・キーボードのアンサンブルが考えられていることがわかってくる。さらにベースのうねるようなプレイ、ドラムスのテクニカルながら表情豊かなプレイも聴こえてくるようになる。

そして効果音を含めて、音色にもこだわっていることも見えてくる。二人のキーボード奏者が効果的にピアノ、シンセ、オルガンなどを弾き分け、そこにリーダー である清水のエレキギターやアコースティックギター(ブズーキ、ポルトガルギター)が切り込んでくるという、音色の絶妙なアンサンブル。

すると、せわしく細かに変化する変拍子の曲が、複雑で分かりづらい印象からじわじわと変わり出し、次第に心のひだを追って行くようにして、自分の中にしみ込んでくる音楽である事に気づいてくるのだ。

その音には、Gentle Giantのような複雑なアンサンブルの妙や、PFMのような大らかなメロディー、そして日本を感じさせるどこか懐かしい情景が潜んでいる。雄大なメロト ロンが鳴り響くわけではない。かなり複雑でテクニカルなアンサンブルに熱いロックを感じさせるギターが織りなす音楽なのに、出てきた音から大きな叙情が広がってくる。

そしてメンバー全員がまさに世界レベルの素晴らしいテクニックを持ちながら、それを自分たちが表現したい音を目指して駆使し、その結果出てきた音楽。そんな深い感動に包まれるのだ。

テクニカルな演奏&ロック魂&叙情。
安易さのかけらもない。
細部にまで丁寧に気を配った音。
しかしロックのパワーも渦巻いている音。
まさに様式的な「プログレッシヴ・ロック」の範疇を越えた、“プログレッシヴ”なロックとしか言い様のない音楽。

長めな曲になりがちな近年のプログレッシヴ・ロックバンドからは考えられない全11曲。5分前後の曲に、間奏曲のような短めな曲を挿む構成。しかし各曲の完成度の高さ、そして全体として聴いた時のアルバムのトータル性の高さも素晴らしいの一語に尽きる。ジャケットのアートワークも作品の一部として味わいたい。

すでに世界的にも高い評価を得ている日本の至宝。1991年の傑作。
もちろん傑作は本作だけではない。

ちなみにバンド名は、リーダーの清水が神奈川県立相模原高等学校に通っていた時に作ったハードロックバンド名に由来する。学校名を縮めた愛称が「県相」、そこから「喧騒」というバンド名にしたのだが、それがそのままKENSOとして残ったとのこと。

2009/08/04

「ウドゥ・ヴドゥ~未来からの鼓動」

Üdü Wüdü(1976年)

MAGMA(マグマ)


Üdü Wüdü」(邦題は「ウドゥ・ヴドゥ~未来からの鼓動」)はフランスの化け物的ロックグループMAGMA(マグマ)の1976年の作品。

MAGMAは
1975年から1976年にかけてツアーを行い、LIVE」や「Theatre du Taur - Toulouse 1975」という傑作アルバムを残している。ツアーは、直前までリーダーのChristian Vander(クリスチャン・ヴァンデ)と共にMAGMAのリズムを支えていたベーシスト、Janik Top(ヤニック・トップ)から、Bernard Paganotti(ベルナール・パガノッティ)に交替した時期のもの。

そしてそのツアーの勢いを保ちつつ再びJanik Topを迎えて、新たな方向に進み出したアルバムがこの「Üdü Wüdü」である。

 Klaus Blasquisz:ボーカル
 Stella Vander:ボーカル
 Gabriel Federow:ギター
 Tatrick Gauthier:キーボード
 Bernard Paganotti:ベース
 Janik Top:ベース
 Christian Vander:ドラムス

ベースにBernard PaganottiとJanik Topがいるが、Bernard Paganottiは2曲目「Weidorje」でプレイしているのみで、基本的にはJanik Topが復帰したと考えてよい。あるいはJanik Topの全面的な協力を得たChristianのプロジェクト的な状況だったのかもしれない。

そして専任ギタリストがいない。
ライヴで驚異的なヴァイオリンを披露していたDidier Lockwood(ディディエ・ロックウッド)もいない。
アルバムタイトル曲である1曲目「Üdü Wüdü」で、この編成の答えがわかる。何と期待を裏切るかのようにこの曲ではChristian Vanderのドラムが聴けないのだ。

代わりにピアノが中心となって奏でるアフロのリズムがミニマルに続く中、ボーカル、コーラス、そしてブラス(トランペット、サックス)、パーカッションが音を重ねていく。そう、微妙にアフロ・ファンク色が出てきたアルバムなのだ。


ところがこれが良いのだ。正直ライヴを聴くのは至高の体験ではあるが、そのための気力やエネルギーが聴き手にも要求される。しかしこの
曲「Üdü Wüdü」は、MAGMAらしさを残しつつ、聴きやすい。心地よいとさえ言える。同様に2〜4曲の小曲は、ベースとコーラスを中心とした曲が並ぶ。ドラムスも抑えたプレイに徹している。

しかし音は紛れもなくMAGMAの音なのだ。それも余裕と深みのある音。重みは保ちながら分かり易さが増した音。妖しさもしっかり残っている。
異教的不気味さも依然として漂う。そしてJanik Topのベースが次第に存在感を増していく。

そしてついに
Christian Vanderのドラムスが炸裂するのが、旧LPのA面ラストの小曲「Zombies (Ghost dance)」。暗黒重低音リズム隊始動である。

この曲をブリッジにして、1〜4曲までの静かに燃えるマグマから、ライヴを彷彿とさせる、噴出するマグマへとアルバムは転換していく。それが旧LPのB面全てを費やした18分近くに及ぶ大曲「De Futura」だ。


この「De Futura」Christian(ドラムス)、Janik(ベース、シンセサイザー等)Klaus(コーラス)の3人のみで作られている。音数もそれほど多くない。それなのにこの音の厚み、密度の濃さ。そして重たい。とにかく重い。巨大な建造物がゆっくりと動き出すような重量感と驚異。

そして緊張感は途切れることなく、次第にリズムは疾走しプレイは白熱していく。ギター、ヴァイオリンといった高音域の音を配し、重低音高速リズムによるエネルギーの固まりとなり、ライヴに匹敵する高みへと聴く者を引き上げていく。

アフロ・ファンクな新たな魅力と暗黒へヴィネスが同居するアルバム。
バンドとしては過渡期的ではあるが、紛れもない傑作。

ちなみに
「De Futura」はJanikが元々はオーケストラ用に書いた曲だそうで、1975年10月17日に一度だけ大編成で演奏されているらしい(「Marquee 048」(マーキームーン社、1993年)より)。指揮はもちろんJanik Top。しかしアルバム化はされていない…。

 

2009/08/02

「地底探検」

Journey to The Centre Of The Earth(1974年)

Rick Wakeman(リック・ウェイクマン)


Journey to The Centre Of The Earth」(邦題は「地底探検」)は、Yes のメンバーとして「Fragile(こわれもの)」と「Close to the Edge(危機)」という傑作を立て続けに出し、「Tales From Topographic Oceans(海洋地形学の物語」への不満からYes脱退に至る1974年発表のソロ第2作目。

1st ソロアルバムの「The Six Wives of Henry VIII(ヘンリー8世と6人の妻)」(1973年)が、バンド形式のコンパクトな編成で、Rick Wakeman(リック・ウェイクマン)の多彩なキーボードプレイを堪能できたのとは、全く違ったコンセプトで作られた大作。

ジュールベルヌのSF小説「地底探検」を元に、ストーリーに沿って音楽化したもの。ロック色の強い交響的物語だ。

Rickのキーボードは魅力的なソロを取るが、朗々と歌うメイン歌手のようで、役割としては全体の一部をなすに過ぎない。それでもRick Wakemanの作品と思えるほどに全体のRick色は強い。まさにカリスマ的な勢いを感じさせる作品。

 Rick Wakman:キーボード、作詞、作曲
<バックバンド>
 Mike Egan:ギター
 Ashley Holt:ボーカル
 Garry Hopkins:ボーカル
 Roger Newell:ベース
 Barney James:ドラムス

 David Hemmings:ナレーション
 ロンドン・シンフォニー・オーケストラ
 イングリッシュ・チェンバー・クワイアー(室内合唱団)

これだけの大所帯でのドラマティックなサウンドを、なんとロイヤル・フェスティバル・ホールでのライヴ録音というかたちで完成させたのだ。

プログレッシヴ・ロックの大仰さや冗長さが批判されることがある。ある意味、そういったターゲットになりやすい作品とも言える。なぜこんな豪華な顔ぶれを集める必要があったのか。あるいはなぜオリジナルストーリーではなく「地底探検」というSFを使う必要があったのか。

しかし音を聴けばそうした表面的な批判や疑問は吹っ飛んでしまうだろう。わたしはまずRick Wakemanのムーグの音にやられた。深く太く、他を圧倒する音で、甘美なメロディーを奏でたときのスゴさ。それはテクニックとかを通り越したキーボー ド体験、というかシンセサイザー体験であった。わたしは思った。「全てはこの雄大で神秘的な音を出すためだったんだ、きっと…。」

Rick のキーボードを主役にしながら、フロントに立つのはフルオーケストラだったり、合唱団だったり、そしてRickのサポートバンドであったりと、展開も目まぐるしく、それでもとても自然に各パートがつながっていく。もちろん所々に挿入されるナレーションも良い味を出しているし、物語の進行にも大きく役立って いる。

バンドメンバーもタイトな演奏を聴かせ、中でもツインボーカルがそれぞれ甘い声と固めの声という特徴を活かして、曲の緩急を上手く歌い分けて表現している。このボーカルも作品への貢献度が高い。

恐らくライブ録音ということもあり、かなりの緊張と意気込みを持って作品は作られたであろう。そのために多くの時間と労力が費やされたはずだ。このアルバムには表面的な華麗さ、豪華さの陰に、そうした本来異質な集団が一つのものを作り上げようとする情熱を感じる。

そのせいか、同じようにオーケストラや合唱団を使ったロックとクラシックの融合的作品の中では、異質さがそのままぶつかっているような、ザラついた感じが残っている。そこがいいのだ。

オーケストラを前にキーボードの要塞の中で長髪に銀色のマントを身にまとい、支配者のように全体を仕切りながら次々とメロディーを紡ぎ出す姿。それが決してコミカルでも時代錯誤でもなく、神秘さとして感じられるだけの存在感を、当時の彼は持っていた。この時期のRickだからこそ作れた希有な作品。「Battle」でのキーボードソロなんかもうたまりません。傑作。

当時ラジオを聴いていたら、日本の有名なキーボード奏者がこの作品への感想を聞かれて「できることなら1度で良いからやってみたいですよね」というような発言をしていたのを思い出す。キーボード奏者的な視点からみたら、演奏するのは気持ち良さそうだけれども作品としてはどうなのっていう感じだったのだろう。

このアルバムは確かにRick Wakemanのソロアルバムではあるけれど、キーボードプレイだけ聴いていたのではダメなのだ。全体のアンサンブルとして聴かないと面白みは伝わらない。その中で彼の音に酔う。絶妙な音色に酔う。これが聴き方だ。

おまけは、当時持っていた「地底旅行」(創元推理文庫)です。この作品を聴くといつも思い出してしまう表紙(右図)。これまたインパクト強し。

 

2009/08/01

「鳥人王国」

Birds(1975年)

Trace(トレース)


Birds」(邦題は「鳥人王国」)は、オランダのキーボード・トリオ、Trace(トレース)が1975年に発表した2ndアルバムである。

キーボードをメインとしたトリオと言えばEL&P(エマーソン、レイク&パーマー)、あるいはYesの「Relayer」にのみ参加したPatric Moraz(パトリック・モラーツ)を擁するRefugee(レフュジー)などが思い浮かぶ。

しかしそのクラシカルな曲調と、それを支える高度なプレイは“武闘派”EL&Pとも、ボーカルも重要な役割を果たし、全体としてロック色の強い Refugeeとも異なる。Focus(フォーカス)を生み出した国オランダである。非常にクラシカルな香り漂うキーボード・ロックが堪能できる。

 Rick Van Der Linden:キーボード
 Jaap Van Eik:ベース、ギター、ボーカル
 Ian Mosley:ドラムス、ティンパニー、ゴング、タンバリン
<ゲスト>
 Darry Way:アコースティック&エレクトリック・ヴァイオリン

Darry Way(ダリル・ウェイ)はWolf(ウルフ)やCurved Air(カーヴド・エア)などで活躍していたロック・ヴァイオリニストの第一人者。1曲のみでの参加で、残りは全てトリオによる演奏。旧LPのA面を占める小曲群は全てインストゥルメンタルだ。

何と言ってもRick Van Der Linden(リック・ヴァン・ダー・リンデン)のプレイが素晴らしい。ピアノ、ハープシコード、クラヴィネット、ハモンド・オルガン、チャーチ・オルガ ン、A.R.P.シンセサイザー、ソリーナ、メロトロンと、実に多彩なキーボードをセンスよく織り交ぜて、分厚い音の嵐というよりは、バロック的室内音楽 のような、スリリングな中にも端正な落ち着きのある世界を作り出す。

最初の曲はバッハの「イギリス組曲:第2番イ短調」の一部を採用した「Bourrée」。曲の始まりとともに走り出すオルガンとハープシコードの正確で余裕さえ感じられる高速ユニゾンに、Rickの力量の高さがうかがわれる。

Rick のプレイはクラシカルなテクニックを基礎にしてはいるが、テクニック優先で弾き倒すというより、とてもバランスよく様々な楽器を使い分け、クラシックのみならずジャズ的なプレイも混ぜながら、多彩で意外な曲展開を作っていくことが特徴。全体的にはクラシカルな印象が強いが、「Janny」は ジャズピアノ・ソロだし、「Penny」なんてメランコリックなフレーズが印象的なジャズ・ピアノトリオだ。懐の深さがわかる。

「Opus 1065」では、静かに鳴り響くメロトロンをバック夢見るような奏でられるピアノ、そして不思議なメロディーのシンセサイザーと、次々と多様な音色が登場 する。Darry Wayがプレイに参加すると、突然ピアノとバイオリンによるクラシックになったりと、次の展開が予測できない。

Rick の多彩な演奏を支えているのは、ロックにもジャズにも、そしてクラシックにも対応するベースとドラムス。特にロック的な部分を担うのはIan Mosley(イアン・モズレー)の、ロールを多様しながらの力強く表情豊かなドラミングだ。

しかしIanのドラミングは音色的には低音部が薄いこともあり、ベースのJaap Van Eik(ヤープ・ヴァン・エイク)の動きが尋常ではない。低音部でリズムを支えるだけでなく、クラシカルな場面では 低音部のカウンターメロディーを高速で奏でることもしばしば。彼のプレイが曲に厚みと奥行きを与えていると言えるだろう。

そして3者の個性が最大限に発揮されるのが、旧LPB面を占める22分に渡る組曲「King-bird(組曲:鳥人王国)」だ。いくつものパートに分かれ、次々とリズムチェンジ を繰り返しながら、ロック、ジャズ、クラシックのそれぞれの要素が現れては消えていく。しかし全体は実にスムーズに流れ、Jaapが担当する最初と最後の ギター、中間部のボーカルがよいアクセントとなっている。

Rick Wakemanのようなケレン味たっぷりなソロはないし、Keith Emersonのような攻撃的な音も複雑な変拍子もない。華麗なパート、スリリングなパートも含めて、多様な要素を織り込み個性的に構成された曲が、とてもコントロールされたプレイで丹念に演奏されていく感じ。

しかしそこに見られる余裕のような部分に、音楽的な豊かさを感じるのだ。そして3人の醸し出す静かな緊張感と、時折聴かれるハッとするような美しいフレーズ。

タイプは異なるが、やはりオランダのFocusに通じるRickの音楽的素養の深さを感じる。しかしRickの独り舞台ではなく、3人のメンバーが揃ったからこそ作り上げることができたと言えるキーボード・ロックの傑作。

“シンフォニック”ではなく“クラシカル”な点がポイントです。