2009年9月30日水曜日

「偉大なる聴衆へ」カンサス

原題:Two for the Show(1978年)

Kansas(カンサス)


Two for the Show」(邦題は「偉大なる聴衆へ」)は当時アメリカン・プログレ・ハードと呼ばれたバンドKansas(カンサス)の1978年発表のライヴアルバム。1977年から1978年にかけての3つのツアーから収録されたもので、選曲的にも全盛期のアルバムから選ばれたベストな選曲と言ってよい。

当時はLP2枚組で、1990年に初CD化。この時は収録収録時間の関係か「Closet Chronicles」がカットされたCD1枚ヴァージョン。

そして2008年に30周年レガシーエディションということでCD2枚組の完全版として発売された。前CDでカットされた「Closet Chronicles」も復活、さらにボーナストラックが10曲収録という豪華さ。

このレガシーエディション、あっと言う間に店頭からなくなった。やはり名盤なのは誰もが知っているし、完全版を待ち望んでいた人も多かったと言うことだろうな。

わたしはオリジナルのLPと1990年版CDしか持っていないので、ボーナストラックについては語ることができない。しかしオリジナルLPも、そして1999年ヴァージョンも文句なしに 素晴らしい。確かLP収録曲の中では「Closet Chronicles」の時のSteve Walsh(スティーヴ・ウォルシュ)のボーカルが、ちょっとかすれ気味で苦しそうな感じだったんじゃなかったかな。そういう意味では、1990年ヴァー ジョンも厳選されたライヴと言えなくもない。

Phil Ehart:ドラムス、パーカッション
Dave Hope:ベース
Kerry Livgren:ギター、キーボード
Robbie Steinhardt:ヴァイオリン、ボーカル
Steve Walsh:キーボード、ボーカル
Rich Williams:ギター

その演奏は完璧。意外と細かくロールを入れるドラムスにツインギター、ツインキーボード、そしてヴァイオリンが絡む多彩でドラマティックな展開。それでいてハードロック的なザクザクしたリズムとシャウトするヴォーカルがロック魂を感じさせる。

まずオリジナルアルバムよりも遥かに躍動感に富んだ演奏が素晴らしい。ライヴでも美しいボーカル・ハーモニーを聴かせ、アコースティック・ギター・ソロやピアノ・ソロも盛り込んだ、Yesを彷彿とさせる見事な構成。

みな非常にテクニシャンであるだけでなく、アンサンブルになった時の鉄壁さが群を抜いている。並みいる有名プログレッシヴ・ロックバンドに退けを取らない見事な演奏力。

さらに何より強調したいのは、このライヴでバンド・アンサンブルが一体となった時に、うねるのだ。スクエアなリズムではない。まるで生き物のようにタメたり走ったりする。このうねりが、聴く者の心を揺さぶるのだ。「Lamplight Symphony」から「The Wall」へとつながるところなど、鳥肌が立つくらいである。

予断だが、このアルバムはある少年に捧げられている。1978年の8月、Kansasのコンサートを観た帰りに事故に遭い失明してしまった少年に。彼にとってKansasのライヴが最後に目にした思い出の体験になってしまったのだ。

アルバム自体とは実質関係ないそんな話を、当時反抗期だった自分が“話題作り的あざとさ”を感じずに受け入れることができたのは、やはりここに収録されて いるライヴの圧倒的な迫力と真摯な演奏ゆえだろう。不謹慎かもしれないが、こんなスゴいコンサートを最後の光景として記憶に残した少年というのが、どこと なく神秘的な感じにすら思えたものだ。

Genesis(ジェネシス)の「Seconds Out(幻惑のスーパーライヴ)」並の最高級ライヴ。熱くなれます。カンサス全アルバム中でも最高ランクの傑作。

ちなみにジャケットは、アメリカのの画家・イラストレーターであるNorman Rockwell(ノーマン・ロックウェル)の「Charwomen(ちょっと休憩)」(1946年)の“実写版”といった趣き(右下図)。charwomanとはビルなどの掃除婦のこと。

タイトル「Two for the Show」は「Two for the Tea(二人でお茶を)」を思い起こさせ、「二人でショーを」といった感じか。二人とはこの掃除婦かな。もちろん2枚組LPを指して「ショーを収めた2枚組」っていう意味もかけているダブル・ミーニングでしょうけれど。


2009年9月27日日曜日

「チェレステ」チェレステ

原題:CELESTE(1976年)

Celeste(チェレステ)

 
CELESTE」(邦題は「チェレステ」)はイタリアのバンドCeleste(チェレステ)が1976年に発表した唯一のアルバムである。イタリアのみならず1970年前後に花開いたプログレッシヴ・ロックのうねりが収束に向っていった時期に、ひっそりと一つの作品を残し、消えていったバンドである。

しかし1974年頃には映画のサウンド・トラックを手がけている(結局映画は公開されなかったとのこと)ということで、本アルバムを発表するまでの活動歴は長く、時間をかけまさに満を持して世に出したアルバムと言えるだろう。

 Giorgio Battaglia:ベース、ベース・ペダル、シロフォン、ボーカル
 Leonardo Lagorio:アコースティック&エレクトリック・ピアノ、
   フルート、アルト・サックス、メロトロン、エミネント、
   スピネッタ、アープ・オデッセイ・シンセサイザー、ボーカル
 Ciro Perrino:パーカッション、フルート、リコーダー、メロトロン、
   シロフォン、ボーカル
 Mariano Schiavolini:ギター、ヴァイオリン

メンバーの使用楽器を見ても分かる通り、このバンドにはパーカッション担当はいてもドラム担当がいない。そして豊富なアコースティック楽器が目につく。それはそのままサウンド的な特徴ともなっている。

この編成から紡ぎ出される音楽は、全7曲、トータル37分というコンパクトな作品ながら、イタリアらしい詩情とともに、他のイタリアのバンドにはない独特な世界が感じられるのだ。ドラマチックでありながら、イタリア特有の情熱的な熱さは感じられない音なのである。

サウンドの要になっているのはアコースティック・ギターの細やかなアルペジオと2人のメンバーが奏でるフルートである。これに時にはメロトロン・フルート も加わる。その繊細で静かな流れの上を、つぶやくようなボーカルが淡々と歌う。基本的には非常にフォークタッチな編成であり、楽曲なのだ。

ところが面白いのは、あくまで基本がアコースティックなサウンドであるにも関わらず、突然感情が吹き出すかのように分厚いメロトロンが鳴り響く。あるいはサックス・アンサンブルが加わってくる。シンセサイザーがアヴァンギャルド風に使われる。

こうしたサウンドを効果的に織り交ぜることにより、フォーク的なこじんまりとした音楽ではなく、多様な音が混ざり合った、予想外に大きなスケールを感じさせるアルバムになっているのだ。

そしてまた音に厚みが出てきたり、曲展開が盛り上がってきても、かたくななほどドラムスが入らない。あくまでほとんどの場合パーカッション的に使われるだけ。したがって“シンフォニック・ロック”にはならないのだ。ここが大きな個性になっている。

だから“夢見るようなサウンド” をイメージすると肩すかしを食らうことになる。アコースティック・ギターのアルペジオと歌うようなフルートがあくまで曲の中心でありながら、ヴァイオリ ン、サックス、シンセサイザー、メロトロンが、そうしたフォーキーな世界に亀裂を入れるかのように加わる。しかしギターは何事もなかったかのように再びア ルペジオを爪弾き出す。この音世界の落差が音楽の幅を広げていると言える。

内省的なイメージが強いながら、決して弱々しい音楽ではない。イタリア的な素朴さを前面に出しながら、意外と奥の深い強度のある音楽である。2曲目に King Crimsonの「The Court of the Crimson King(キング・クリムゾンの宮殿)」のサビのメロディーが、ほぼそのままメロトロンで演奏されるが、それもまた曲に上手く溶け込んでいるということで 許してしまおう。

ドラムレスに近い独特な編成による深みのある特異なサウンド。70年代イタリア最後の輝きの一つ。傑作である。

ちなみにcelesteとは英語の「celestial」にあたり、「天国のような、神々しい、すばらしい、天空の、天体の」といった意味を持つ。敢えてロックともクラシックとも距離を置いて、独自の天上の音楽を奏でようとしていたのかもしれない。

 

2009年9月22日火曜日

「海洋地形学の物語」イエス

原題:Tales From Topographic Oceans(1973年)

Yes(イエス)


Tales From Topographic Oceans」(邦題は「海洋地形学の物語」)はイギリスの大プログレッシヴ・ロックバンドYes(イエス)の6枚目のアルバムである。発表は1973年。

「Fragile(こわれもの)」(1972年)、「Close to the Edge(危機)」(1972年)と、まさに絶好調期に作られた作品。LP2枚組で、各面1曲の全4曲という超大作である。

ボーカルのJon Anderson(ジョン・アンダーソン)はKing Crimsonに在籍していたパーカッション担当のJamie Muir(ジェイミー・ミューア)から、Paramahansa Yogananda(パラマンサ・ヨガナンダ)の「Autobiography of a Yogi(あるヨギの自叙伝)」を紹介された。

Jonはツアーで東京に滞在している時に、ホテルでこの本にあった83ページにもわたるサストラ教典についての脚注に心を奪われる。サラトラ教典とは4部に構成されたヒンズー教教典であった。

彼はこの4つのパートをもとに4つの叙事詩を作り、80分完結の音楽を作り上げることに全精力をつぎ込むようになる。そして主としてギターのSteve Howe(スティーヴ・ハウ)との協力によって完成させたのがこの作品なのである。

 Jon Anderson:ボーカル
 Steve Howe:ギター、ボーカル
 Rick Wakeman:キーボード
 Chris Squire:ベース、ボーカル
 Alan White:ドラムス

しかし発表時、「Fragile」や「Close to the Edge」の、スピード感と叙情性が程よく融合した世界を期待したリスナーには賛否両論の作品となった。

確かにスリリングな演奏、持続するテンションの高さ、ロック的なダイナミズムといった点では、それまでの作品には及ばない。また曲のメロディーが次々と移り 変わっていくので、全体の構成が一聴しただけでは捉えづらいし、トータルなインパクトが弱い。それを冗長であると感じてしまうことも止むなしと思えた。

一つにはやはりジャズの雰囲気を残すキレのあるBill Bruford(ビル・ブラッフォード)から、パワフルなAlan White(アラン・ホワイト)へと、ドラマーが替わったことが大きいと誰もが思った。わたしも思った。

最初聴いた時は、盛り上がったところでタンバリンを叩くな〜って思った覚えがある。きちんとドラマーにタンバリン分のドラミングも叩かせろ〜、Billだったらタンバリンなんか入れなかったハズだ〜と。

パワフルなドラムはChris Squire(クリス・スクワイア)のベースとも音域が重なるので、それまでのYesの個性であった、ベースとドラムスが勝手に演奏しながらガッチリとリズムを組んでいるというアクロバティックな面白さが影を潜めた感じもした。

しかし、よくよく聴き込んでいくと、この音楽はドラムがBillでは作れなかったんじゃないかと思うようになった。Alanが加入したことで開けた新しい可能性だったのではないか。

前作「Close to the Edge」が「空間」を強く感じさせる作品だったのに対し、このアルバムは「時間」を感じさせるアルバムである。彼らが目指したのは、空間を飛翔するようなめくるめくハイテンションな世界ではなく、雄大で悠久な時の流れをじっくりと描くことではなかったか。

そこには言い知れぬ懐かしさを喚起するアコースティックなメロディーがある。原始的・呪術的なパーカッションやギターソロがある。深く厚みのあるメロトロンの波が打ち寄せる。ここにはそれまで以上にスケールの大きなドラマが存在しているのだ。

そしてハイテンションなバトルはないものの、各メンバーが個性を発揮して全員で楽曲を作り上げている点は、これだけJonが歌を入れているにもかかわら ず、後のJon Andersonバンド的なYesとは全く違う。まぎれもない5人のメンバーが作り上げた唯一無二のシンフォニック・ロックアルバムである。

Roger Deanによるアルバムカバーイラスト原画

大きなポイントは、構成の面でも曲調の面でも「シンフォニック」ではあるが「クラシカル」ではない点だ。緻密だが形式にとらわれず感覚的に作られた音楽で ある。だからこそ曲の構成や展開よりも、ふっと聞こえるメロディーやインストゥルメンタルパートなどが、悠久の時の流れに触れたような強い印象を残す。

そしてその部分こそが、クラシック教育を受けていたRick Wakemanの不満、そして脱退につながったのだろうと思われる。

好き嫌いは分かれる作品だと思う。しかしこれもまた当時のYesだからこそ成し得た、非常に希有な傑作アルバムであることは間違いない。

ちなみにタイトルの「topographic oceans(地理学的、地形図的海洋)」は、実際には海洋地域ではないが地形図的にかつて海洋であったと思われる場所を指しているのではないかと思う。 “今は陸となっているが、かつては海であった場所が語る物語”。内容にふさわしく、悠久なる時間の流れを感じさせるタイトルである。

 

2009年9月16日水曜日

「ウォームス・オヴ・アース」エドゥアルド・アルテミエフ

原題:Warmth Of Earth(1985年)

Eduard Artemiev(エドゥアルド・アルテミエフ)

 
Warmth Of Earth」(邦題は「ウォームス・オヴ・アース/地球のぬくもり」)は、旧ソビエト連邦屈指のロック・アーティストにして、映画音楽家でもあるEduard Artemiev(エドゥアルド・アルテミエフ)の1985年の作品。

映画音楽としてはスタニスワフ・レムの「ソラリスの陽のもとに」を映画化した「惑星ソラリス」や、アンドレイ・タルコフスキーの「ストーカー」などの作品を担当、さらに1980年のモスクワ・オリンピックのテーマ音楽を手がけるなど活動は多岐に渡る。

ソビエト文化大学教授、ソビエト電子音楽作曲家協会会長を歴任した、まさに旧ソビエトを代表する音楽家である。

本作はEduard Artemievが作曲を担当し、演奏はYu.Bagdanov(ユーリ・バグダノフ)率いるThe "Boomerang" Ensemble(ザ・ブーメラン・アンサンブル)というバンドが行い、Rozhdestvenskaya(ロジェトヴェンスカヤ)という女性が全体を通 してボーカルを取るという、作曲者と演奏者を分けたクラシック音楽的な作り方をされた作品。Eduard自身は演奏には関わっていない。

作詞はロシア極東の少数民族チュクチの代表的作家で、「クジラの消えた日」などの作品で有名なYuri Rytkheu(ユーリー・ルィトヘウ)。副題として「Vocal and Instrumental Suite to the lyrics by Yuri Rytkheu(Yuri Rytkheuの歌詞のための声楽と器楽による組曲)」とある。

当時の才能ある人たちを結集して、まさに国を代表する作曲家として欧米のプログレッシヴ・ロックに挑んだかのような、シンセサイザー・ヘヴィー・ロック組曲である。

Eduard Artemiev:作曲

Yuri Rytkheu:作詞
Jeanne Rozhdestvenskaya:ボーカル
<The "Boomerang" Ensemble>
Yu. Bogdanov:Synthy100、エレクトリック・ギター
アコースティック・ギター
A. Zakirov:ベース
S. Bogdanov:ドラムス
I. Len:キーボード
S. Saveliev:キーボード

ジャケットには「Synthy100」と記載されているが、これを「ソ連製シンセサイザー」と紹介されているCD評などがある。しかしソ連製シンセサイザーの中には見当たらない。

旧ソ連初のシンセサイザーと言われるANSシンセサイザーを用いていた時期はあるようだが、Synthy100がそうした旧ソ連製シンセサイザーに当たるかは不明だ。EMS Synthi 100と呼ばれるデジタル・シーケンサー付きの巨大なシンセサイザーの可能性もあるかと思う。実際ArtemievとBogdanovはEMS Synthi 100を使ったクラシックコンピレーションに曲を提供しているし。

このSynthi 100はElectric Music Studio社が開発し、アナログ・シンセサイザーの代表的メーカーであるムーグ(Moog)社製とは異なった音が得られると言われる。Pink Floydがアルバム「The Dark Side of the Moon(狂気)」で使用していることでも有名。

アルバムはこの爆発音のような導入部から一気にこの シンセサイザーを主体とする強烈なインストゥルメンタル・アンサンブルが炸裂する。何かに取り憑かれたかのような強烈なテンションで、ドラムが疾走し、シ ンセサイザーを中心にキーボードが動き回り、ギターが切り込んでくる。まさに度肝を抜かれる一曲だ。

演奏のThe "Boomerang" Ensembleは、個性的な演奏をするミュージシャン達というよりは、どちらかと言うと超一流のスタジオミュージシャンという感じで、各人の個性ではなく、そのアンサンブルの超絶さで曲を引っ張っていく。

そして続く曲からRozhdestvenskayaのボーカルが入る。このRozhdestvenskayaという女性が素晴らしい。とにかく歌が上手い。 そして声量、声域も十分にある。「美声女性ボーカル」というにはパワーがある。基本はクラシックなのだろうが、声楽臭さはなく、どんな歌を歌わせても聴く 者を引き込むだろう歌唱力を持っている。

2曲目「What Am I?」の可憐な歌声、「Bakkns」における迫力あるダミ声、ちょっとディスコティックな曲におけるポップスシンガー風な歌声。そのどれもが大きな包容 力に満ちている。そして時折聞こえるロシア風なメロディーの新鮮さ。もちろんロシア語のボーカルにもピッタリハマっている。

シンセサイ ザーが大活躍するスペイシーでヘヴィーな超絶インストゥルメンタルをバックに、ボーカルは一歩も引くことなく、変拍子を含む様々なタイプの曲が、ダイナ ミックに、そして繊細に雄大な世界を作り上げていく。その雄大さはどことなくブラジルのSagrado Coracao Da Terra(ザグラド・コラソン・ダ・テッラ)を思い起こさせる。ラスト曲は文字通り映画のラストシーンのように盛上がる。まさに大団円という感じだ。

ボーカルの表現力もあって、曲はどれも表情豊かで聴きやすいのも魅力。ボーカル曲とインストゥルメンタル曲との対比も見事だ。

1980年代のプログレッシヴ・ロックを代表する、旧ソ連からの衝撃の1枚。傑作。

なお、原盤LPではトラック9とトラック10は収録されておらず、1999年のMUSEA盤から追加収録された。


2009年9月12日土曜日

「子供達の国」イル・パエーゼ・デイ・バロッキ

原題:Il Paese Dei Balocchi(1972年)

Il Paese Dei Palocchi
(イル・パエーゼ・デイ・バロッキ)


Il Paese Dei Balocchi」(邦題は「子供達の国」)は、イタリアのナポリ出身のバンド、Il Paese Dei Balocchi(イル・パエーゼ・デイ・バロッキ)が1972年に発表した唯一の作品。

原題の意味は「The Country of the Toys(おもちゃの国)」。  

 Fabio Fabiani:ギター  
 Marcello Martorelli:ベース  
 Sandro Laudadio:ドラムス、ボーカル  
 Armando Paone:キーボード、ボーカル

メンバー以外に、Claudie Gizzi(クラウディ・ジッツィ)という人物のアレンジによる、美しいバロック風管弦楽が効果的に使用されている。

1曲目「夢の国へ」はキーボードとギターのユニゾンが力強いハードなロックアンサンブルで幕を開ける。しかし曲調にはクラシカルな端正さが宿っている。

そしてそのリズムを引き継いで、演奏は突如バンドから管弦楽団にバトンタッチする。この瞬間の美しさは感動的である。弦が同じリズムを刻む。そして同じメロディーを歌う。すでにクラシック音楽と化している。わずか2分半の曲。しかし強烈な印象を残す曲だ。

このアルバムはこうした短い曲が10曲並び、ロック的な荒々しさと管弦楽団によるクラシカルな美しさとが混在しつつ進んでいく。

しかしロックアンサンブルに感じられる荒々しさにもかかわらず、アルバム全体は奇妙な静けさに満ちている。音に埋め尽くされたサウンドではなく、音の隙間の多い、情感の詰まった音楽なのだ。

特にアコースティックな音が響くと、まさに夢の国を思われる穏やかで幻を見るような情景が広がる。2曲目のハードな展開に続く3曲目「希望の歌」の美しさも素晴らしい。悲しみに満ちたメロディー、静かに歌い上げるボーカル。サポートするストリングス。

そして4曲目「逃亡」。バンドの、そしてアルバムの特色が一番現れているといえるこの曲は、雄大でありながら、何とも言えないひなびた田舎道を行くような独 特な世界を描き出す。淡々としたバンドの演奏に静かな波のように被さってくるストリングス。どこか懐かしい空気を感じさせる、とても繊細な感情を捉えた曲 である。

ひなびた空気、悲しみをたたえた感情は5曲目の「子供達の国」のファゴット独奏へと引き継がれ、キーボードとフルート(ピッコ ロ)のアンサンブルが繰り返され、幻想的な世界へと引き込まれていく。6曲目「子供達との出会い」では後半、ざわめきの中からアカペラが始まる。素朴さと 美しさは7曲目の管弦楽パートへつながっていく。

こうして細かく分けられた曲が、実に良くつながり、全体として何とも言えないミステリアスさとのどかさが同居するような雰囲気を作り出す。テクニカルで熱い典型的なクラシカルロックスタイルとも、暗く荒々しい音に満ちたヘヴィロックスタイルとも異なる、唯一無二の世界だ。

一聴した印象は地味なものだと思う。しかし聴けば聴くほどその内省的な世界の深さが味わえる傑作。


2009年9月9日水曜日

「ルビコン」タンジェリン・ドリーム

原題:rubycon(1975年)

Tangerine Dream(タンジェリン・ドリーム)


rubycon」(邦題は「ルビコン」)は、ドイツのTangerine Dream(タンジェリン・ドリーム)が1975年に発表した名作。タイトルの「rubycon」は造語で、イタリア中北部を流れるルビコン川(rubicon)と宝石のルビー(ruby)を組み合わせたような美しい文字だ。

 Edgar Froese:メロトロン、ギター、シンセサイザー、ゴング
 Chris Franke:シンセサイザー、シンシA、オルガン、
     プリペアード・ピアノ、ゴング
 Peter Baumann:オルガン、シンシA、エレクトリック・ピアノ、
     プリペアード・ピアノ

「プリペアード・ピアノ」とはグランドピアノの弦に、ゴム、金属、木などを挟んだり乗せたりして音色を打楽器的な響きに変えたもの。それから「シンシA」とはアタッシュケース型のポータブルシンセサイザー。

Tangerine Dreamというとシンセ・ビートが延々と続くような印象があるが、音楽はおおまかに、様々な音がコラージュのように積み重なっては消えていく部分と、シンセサイザーがベースのビートを刻む部分とに分かれる。意外とシンセ・ビートが支配的なわけではないのだ。むしろ音響的に非常に計算された面と、感覚的に積み重ねられたようなアナログな面のバランスが絶妙なのだ。

そしてそのシンセ・ビートも、近年のノリや刺激や陶酔感につながるデジタルビートとも、ヒーリング・ミュージック的な淡々としたものとも異なる。デジタルな冷たさはなく、アナログな手触り感が残った深みのある音である。

リズムも3拍子や4拍子と一定の流れの中でリズムチェンジを行う。これがまた世界を塗り替えるような効果を生む。映画音楽であるかのような、様々な情景が浮かんでくる。

さらに意外と活躍しているのがメロトロン。この深みのある音にさらにリヴァーヴがかけられ、シンセ・リズムと違和感なく解け合う。海の底に響くようなメロトロンのメロディーが美しい。

そのメロトロンもストリングスだけでなくオーボエやフルート音、さらにコーラスも使われている。もちろんイフェクトがかけられているが、とても荘厳な響きとなってリスナーを包み込む。

こうして音を聴き込んでいくと、このアルバムは実はとても叙情的な作品であることがわかってくるのだ。もちろんチル・アウト的に聴くこともできる。しかしシンセ・リズムは時にかなり強烈に迫ってくる。一瞬のメロディーがとても美しい。一筋縄ではいかない。

それだけ様々な魅力が詰まっているのだ。そこが1970年代らしい作品だと言える。壮大で永遠なる世界に触れることのできる、アナログ・シンセ・ビートによる電子音楽系ロックの金字塔。

 

2009年9月3日木曜日

「新ノア記」アンジュ

原題:Au Dela Du Delire(1974年)

Ange(アンジュ)

Au Dela Du Delire」(邦題は「新ノア記」)は、フランスを代表するプログレッシヴ・ロックバンドAnge(アンジュ)が1974年に発表した第3作。時空を超えた農夫ゴドウィン(Godevin)の旅を描いたコンセプトアルバムである。

ちなみに「ange」とは英語の「angel(天使)」、原題の「Au Dela Du Delire」は「Beyond the Delirium(錯乱を越えて)」という意味。

Christian Decamps:ボーカル、キーボード
Francis Decamps:キーボード、ボイス
Jean-Michel Brezovar:ギター
Gerad Jelsch:ドラムス、パーカッション
Daniel Haas :ベース

フランスのプログレッシヴ・バンドは、なかなかロックのダイナミズムを前面に出すことが難しいようで、その大きな理由としてフランス語のやわらかさがあるのではないかと思う。フランスのバンドでありながら MAGMA(マグマ)がコバイア語という、ドイツ語風な、歯切れのいい架空の言語でオペラティックな歌を歌ったのも、Tai Phong(タイ・フォン)が英語で歌ったのも、どこかしらフランス語を避けていた部分があるのではないかと思うのだ。

しかしこのAnge(アンジュ)は、逆にそのやわらかなフランス語の特徴を、過度に強調しシアトリカルな味付けをすることで、独自の妖しい世界を築くことに成功した。ロックを奏でる上でマイナスだと思われていた言語的な特徴を、むしろ個性ある音作りに活かしたのだ。

それを可能にしたのはChristian Decamps(クリスチャン・デカン)のボーカルである。冒頭の裏悲しいヴァイオリンの導入部から、Christianの粘っこく表情豊かなボーカルが聴き手を捕らえる。

そして2曲目でそのボーカルの圧倒的なパワーが炸裂する。アコースティック・ギターやメロトロンが印象的な静と、ハードなギターに叫ぶかのようなボーカルの動。

その後「もし僕が救済者だったら」という言葉を繰り返す、まるで朗読劇のような曲や、フォークタッチの曲など様々な面を見せながら、ボーカルが歌と語りを行き来しながら、アルバム全体を引っ張っていく。

しかしもう一つAngeの大きな特徴はキーボードの音色である。特に、ゆったりしたビブラートと霞のかかったような音色のメロトロンが、まさにAngeならでは。全体的にキーボードはもこもこした感じの音で、ちょっとダークで神秘的な雰囲気をかもし出す。

しかしどの曲もメロディーが良い。テクニック的に複雑なことをしているわけではない。しかし音に迷いが無いというか、自分たちの音楽のオリジナリティーに自 信を持っているような、どっしりした安定感がある。自分たちは新しい音楽世界を築いているんだというような自負を感じるのだ。

もちろんハードな展開部での印象的なギターソロやトラッド風アコースティックギター、タイトなドラムス、前述のメロトロンのみならずオルガンやシンセサイザー・ソロも交えたキーボードと、各楽器の演奏もテクニック的に安定しているだけでなく、バランスがとても良い。

強烈なフランスらしさを味わえる作品であるとともに、フランスを越えて他国の名作群に引けを取らない傑作。

ちなみに、その寓話的内容や情景描写的なインストゥルメンタル・パート、独特なキーボードの音色から、わたしはなぜかこのアルバムを聴いていると、イタリア のLe Orme(レ・オルメ)の「Felona e Solona(フェローナとソローナの伝説)」を思い出してしまうのです。