2009年12月28日月曜日

「大和 YAMATO」六三四

原題:大和 YAMATO(2000年)


六三四(MUSASEHI)


大和 YAMATO」は和楽器を取り入れた新しいサウンド作りを目指した六三四(MUSASEHI)が、2000年に発表したセカンドアルバムである。 

六三四は、元竜童組のギタリスト小針克之助がプロデューサーとして生み出した一種のプロジェクトであり、すでに各方面で活躍中だった実力派ミュージシャン達が集まり1991年に結成された7人組のバンドである。

竜童組自体が宇崎竜童を核として、ツインギター、ベース、ドラムス、キーボード、アルトサックス、テナーサックス、ハープ、和太鼓と、様々なジャンルの10人のミュージシャンからなるハイブリッドなバンドであった。

竜童組は1990年に活動を休止するが、その後を継ぐようにして六三四は結成され、和楽器中心なサウンドへとシフトすることで、独自な音楽性を押し進めていく。小針氏曰く「プログレッシヴ・ハードロック」。もちろん80年代の“プログレ・ハード”とは別モノである。なお小針氏は六三四に関してはプロデューサ&楽曲提供者として関わっており、メンバーには名を連ねてはいない。

    大塚宝:和太鼓
    吾妻宏光:津軽三味線
    佐藤康夫:尺八、横笛
    飯塚昌明:ギター
    瀧田イサム:六弦ベース
    宮内健樹:ドラムス
    高梨康治:キーボード

和楽器が入って、バンド名が「MUSASHI」で、アルバムタイトルが「大和 YAMATO」ということで、最初は“日本”を意図的に前面に出した、ちょと色物的な音なんじゃないかと勘ぐってしまったが、さにあらず。全く新しインストゥルメンタル・サウンドである。

様式美へヴィーメタルを思わせる高速ギターと、噪音(音程の不明確な音)が嵐のように吹き荒れる尺八、空間を切り裂くような横笛、流れるようなエレキギター とは異なった弾けるような超絶技巧を聞かせる三味線。そしてテクニカルなドラムスとともに轟音を響かせたり、パーカッション的な彩りを加えることで異質な リズム音を生み出す和太鼓。まさに“プログレッシヴ”なサウンドである。

フロント楽器はギターに尺八と三味線が中心である。ファーストアルバムでは歌モノも入っていたが、このセカンドでは完全なインストゥルメンタル中心となり、基本的なカラーはノリの良いパワフルなフュージョンサウンドと言える。しかしその中でへヴィーメタルから純邦楽までの領域を自由に行き来し、いわゆる耳ざわりのいい“フュージョン”の枠を軽々と逸脱していく。

それは尺八は尺八として、三味線は三味線として、生の音と楽器の特性を活かして勝負しているからだ。「洋楽のメロディーを和楽器で弾いてみました」とか「和楽器&和旋律でちょっとエキセントリックさを出してみました」的な安易な楽曲は一つもない。サウンドのバランス的にもエレキ楽器と生楽器を違和感なく融合させている点が凄い。

ギターと三味線がユニゾンでリフを刻み、キーボードと尺八の噪音が解け合う。三味線のリフの上で、尺八がメロディーを奏で、ギターがカウンターメロディーを奏でる。
洋楽の持つパワーとグルーヴは抜群の安定感を持つが、そこに和楽器が切り込むことで異種格闘技のような独特の緊張感が生まれる。変拍子もビシビシ入る。

総じて和楽器は音が鋭いから、バンドサウンドに負けること無く、むしろ圧倒的な存在感を見せつける。それでいてロック的なダイナミズムを失っていない。

最後は4つのパートからなる組曲「大和」。トータルで14分近い大曲だ。そしてこのパート1で唯一短く歌われる、民謡のような歌唱が素晴らしい。そしてアルバム全体を引き締めている。

ギター(6弦)、三味線(3弦)、ベース(4弦)から「六三四」と名付けられたというのも粋である。傑作。



2009年12月9日水曜日

「太陽と戦慄」キング・クリムゾン

原題:Larks' Tongues in Aspic(1973年)

King Crimson(キング・クリムゾン)


Larks' Tongues in Aspic」(邦題は「太陽と戦慄」)はKing Crimson(キング・クリムゾン)の1973年の作品。

ギターのRobert Fripp(ロバート・フリップ)を核としながら、目まぐるしくメンバーチェンジを繰り返しながらも、1969年の鮮烈なデビューから4作目の 「Island(アイランド)」まで、作詞&照明担当として常に活動を共にしていたPeter Shinfield(ピート・シンフィールド)ともついに袂を分かち、Robert以外のメンバーを一新して再スタートを切った記念碑的作品だ。

   David Cross:ヴァイリン、ヴィオラ、メロトロン
   Robert Fripp:ギター、メロトロン
   John Wetton:ベース、ボーカル
   Bill Bruford:ドラムス
   Jamie Muir:パーカッション、もろもろ混ぜ合わせ(allsorts)

全6曲中、ボーカル曲3曲を挿む形で、アルバムの最初と最後に強烈なインストゥルメンタル・ナンバーが配置されているという構成。メンバーにヴァイオリニストとパーカッショニストが加わるという変則的な編成が、すでにインストゥルメンタル重視を物語っている。

作詞はJohn Wettonの旧友で一時期Supertrump(スーパートランプ)に籍を置いていたRichard Palmer James(リチャード・パーマー・ジェイムズ)が担当した。歌詞も含めてそれまでの詩的、幻想的な面は消え去り、よりパーカッシヴで扇情的なインストゥ ルメンタルパートと、美しく引き締まったボーカル曲による、新しい世界が築かれたのであった。


当 時人気絶頂だったYes(イエス)からやって来たBillのタイトなドラミングとJohnの力強いベースの上に、独特の緊張感をはらむRobertのギター が絡み付き、繊細なDavidのヴァイオリンが美しさを加える。そしてJamie Muirの異様なパーカッションの嵐が全体を包み込む。

その後の「Starless and Bible Black(暗黒の世界)」や「Red(レッド)」を生み出す新世界の扉を開いた作品だが、特にこのアルバムの持つ大きな特徴は2つ。

1つはDavidのヴァイオリンが、インストゥルメンタル曲でもボーカル曲でも、かなりの比重で活躍していること。彼のプレイはピッチが不安定なのだが、はかなくも美しい世界を描き出す。

もう一つはこの一作のみで脱退するJamie Muirのパーカッション。派手なプレイでもテクニカルなプレイでもない。呪術的な世界と予測不能な緊張感を曲にもたらす野性的なプレイ。その音色の多様 さと、音の強弱の振幅の広さは、元々テクニカルで攻撃的なプレイヤーでないDavidのヴァイオリンともマッチし、大胆さと繊細さを兼ね備えたアルバムを 生むことに繋がっている。

余談だけれど、Jamie Muirの多彩なパーカッションの存在が、鉄壁のリズムと荒々しいギターとは異質な、繊細で演奏も危ういDavidのヴァイオリンを上手く結びつけていた んだろうと思う。DavidはThe Mahavishunu Orchestra(マハヴィシュヌ・オーケストラ)のJerry Goodman(ジェリー・グッドマン)とは全く異なったプレーヤーなのだ。このアルバムにはそんな、静かに耳を傾けたくなる瞬間が、あちこちに散りばめ られている。

しかしJamie Muirが脱退することで、バンドは急速に自信に満ちたメタリックな音へと向っていく。Davidのヴァイオリンはその力強さに対抗することはできなかった。そしてすでに次作からヴァイオリンの出番は少なくなる。

そういう点からも、5人のメンバーが均等に力と個性をぶつけ合い、手探りで新しい音楽を作り出そうとする意気込みが結実したこのアルバムは、以降の圧倒的な パワーが炸裂するアルバムとは一線を画し、微妙な均衡を保ちながら独特な輝きを持っていると1枚と言える。もちろん傑作。


2009年11月27日金曜日

「Day and Night」ファンタスマゴリア

Day and Night(2009年)

Fantasumagoria(ファンタスマゴリア)


Day and Night」は日本のプログレッシヴ・ロックバンド、ファンタスマゴリア(Fantasmagoria)の2009年発売のデビューアルバムである。

2004年9月に「FANTASMAGORIA live demo CD」を発表。 2005年にメキシコで行われた世界最大のプログレフェスティバル、BAJA PROG FESTIVALで聴衆を熱狂させた。 2007年にはフランスで行われたヨーロッパのプログレフェスティバルPROG SUD FESTIVAL にて演奏し、ここでも絶賛される。

そして満を持して発表されたのが、このファーストフルアルバム「Day and Night」である。

本アルバムは世界のレビュー評から高い評価をもらい、イタリアで開催される世界プログレ大賞「 Prog Awards 2009」の「Best Foreign Record(ベスト海外レコード)」部門に、日本バンドとして唯一ノミネートされたという。まさに実力で台頭してきたバンドなのだ。

   藤本 美樹:バイオリン
   尾崎 淳平:ギター
   小谷 竜一:キーボード
   北尾 直樹:ベース
   諏訪 昌孝:ドラム

まず大きな特徴として上げられるのが、女性ヴァイオリニストがフロントのバンドであるということ。これは世界的に見ても珍しいんじゃないかと思う。それも完 全 なインスト・バンドである。そしてトラッド系の音楽ではなく、王道プログレッシヴ・ロックである。それだけでも貴重な存在だし、バンドとしての見た目の華 がある。これはかなり大きいことだ。そしてもちろんそのサウンドもオリジナリティ豊かなもの。


日本でもヴァイオリンが活躍するバンドとしては、アウター・リミッツ、KBBなどが思い浮かぶが、どちらも近年素晴らしい作品を発表している。

アウター・リミッツは英語のボーカル入りのシンフォニック色の強いバンド。したがって1980年代の作品も2007年の復活作も、オーケストラで活躍する川口貴のヴァイオリンは、まさに切れ味の凄まじく音の深みも抜群のクラシック奏法だ。

KBBはギターレスなので壷井彰久のヴァイオリンが前面で活躍するが、比較的ジャズ・ロック色が濃く、キーボードとの絶妙な絡みやインタープレイなどもあって、ヴァイオリン・プレイはテクニカルで力強く、安定感がある。

ではFantasmagoriaの藤本美樹のヴァイオリンはどうか。バンド編成や目指すサウンドの違いも当然あるわけだが、ヴァイオリンとしてはクラシックを基礎として持ちながら、必要以上にクラシカルな厳格さみたいな縛りから解放されている感じがするのだ。

編成上、ギターやキーボードも活躍するし、全員テクニック的には文句なく素晴らしい。リズム隊も抜群のプレーをする。しかしどちらかと言えばヴァイオリンが常に中心に存在していて、ギターもキーボードも非常に巧みにヴァイオリンをサポートしているような印象を受ける。

では常にヴァイオリンがフロント立つことで、次第に耳障りになったり、曲が単調に聴こえ出したりしないのか。これがしないのである。

どの曲も構成がしっかりしていて、非常にドラマチックに展開していくので、思わず聴き入ってしまうのだ。これにはメンバー以外に作曲者が2名、曲作りに参加していることも大きく貢献していると思われる。

そしてなによりその中心にいるヴァイオリンに大きな魅力がある。まず音の入り方が優しい。空気を切り裂くような鋭い入り方ではない。そのため激しい曲でもヴァイオリンの音が豊かな膨らみを持つ。女性的な音と言えるのかもしれない。

正直なところテクニック的にはピッチが揺れたりして、若干不安定な面もある。しかしそれがまた味なのだ。そのヴァイオリンを聴いていると、わたしは女性のシ ンガーが歌っているような感じがしてしまうのだ。だから終始ヴァイオリンが鳴っていても、“シンガー”なんだから良いのだ、という気がしてしまう。つまり ヴァイオリンが歌っているということなんだろう、それもロックを。

そして彼女のヴァイオリンが、ヘヴィーなサウンド、スリリングなプレイの中でも、曲をぐいぐい引っ張っていく。ピッチ の揺れはクラシックではなくロック的な視点で見た時の、“ロックシンガー”としての情感の表現とすら言えるかもしれない。

日本が誇るべき、非常に完成度の高い傑作。

ちなみにFantasmagoriaは“phantasmagoria”(走馬灯、あるいは次から次へと変わってゆく走馬灯的光景、幻想)と同義。

なお、このCDは輸入版としてAmazonで手に入るが、国内版はMusic Termで取り扱っている。


2009年11月15日日曜日

「サンヒローのオリアス」ジョン・アンダーソン

原題:Olias of Sunhillow(1976年)

 Jon Anderson(ジョン・アンダーソン)


Olias of Sunhillow」(邦題は「サンヒローのオリアス」)はYes(イエス)のボーカリストJon Anderson(ジョン・アンダーソン)が1976年に作り上げたファースト・ソロアルバムである。

この時期YesはキーボードにPatrick Moraz(パトリック・モラーツ)を迎え壮絶な世界を作り上げた「Relayer」を発表し一段落、各メンバーが次々とソロ作を発表していた時期だ。

そしてまさに最後にトリを飾るように発表されたのが、このYesの顔とも言うべきJonのソロアルバムであった。アルバムはJonが作り上げたSF的な物語 に沿ったコンセプトアルバムであるが、Yesの歌詞さながらに抽象的、観念的な物語なので、逆にそこに神話的神秘さを感じさせる、壮大な音絵巻となった。

アルバムにサポートメンバーのクレジットは無く、「music written and performed by Jon Anderson」とあるだけなので、基本的には彼1人が20種類以上の楽器を使い作り上げたものだと言われる。実際音的にもバンド的な演奏というより は、彼の唯一無二な声を活かした、フォーキーなメロディーにシンフォニックな色づけをした感じで、演奏技術の高さでテンションの高い世界を作り上げていく Yesとは異なっている。

そういう点ではやはりと言うか当然と言うか、彼の声あってのYesを再確認できるとともに、彼の声だけではYesにならないという、当たり前の印象を強く持ったのを覚えている。

しかしさすがにその声は美しく、さらに複雑に組み合わさった多重録音によるハーモニーの素晴らしさはYesで「もっと彼の声を聴きたい」という思いを満たしてくれるものだった。

物語の大筋は次のようなものだ。

オリアス、ランヤート、コクヤクという3人の飛行者が「ゲダの庭」に集まる。 サンヒローという場所には4つの部族が住んでいたが、サンヒローの地が危機に瀕していたことを知り、3人は人々を救うべく集まったのだ。

ランヤートとオリアスは「ムアグレード」という船を作り上げる。4つの部族は始めはバラバラだったが、コクアクの歌によって一つのハーモニーを作ることがで きるようなり、心を一つにしてムアグレードに乗り込む。そしてムアグレードが旅立った時、凄まじい音とともにサンヒローは大爆発してしまう。

旅を続けるうちに部族の者たちが不安と恐れから「ムーン・ラ」と叫び始め、混乱が広がり始める。しかし崩壊寸前にオリアスが愛の歌を歌い始め、人々の苦痛を消し去ってしまう。

最終的に人々は一つの意志、一つの魂となり、宇宙と一つになっていく。仕事を終えた3人は山に登り、星を見ながら太陽に向って漂い始めるのであった。

わたしはどことなくイタリアのLe Orme(レ・オルメ)の「Felona e Sorona(フェローナとソローナの伝説」を思い出してしまうのだが、「Felona e Sorona」が悲劇的な最後を迎えるのとは異なり、音楽、愛によって宇宙という高次元の存在へと一体化する物語は、Yesに通じるプラス志向の物語であ り、神話的スケールを感じさせるJonワールドである。

最初聴くと意外とボーカルが普通に聴こえてしまうのだが、良く聴くと非常に多くの声を重ね、厚みのあるハーモニーが随所に出てくる。

Yes的世界を持ちつつJonのボーカルの魅力を詰め込んだ点では、その後のソロアルバムにはない特別な作品だと言える。

ちなみにLPで豪華に描かれたイラストレーションはDave Roeというアーティストによるもの。Roger Deanに似ているが、緻密な描写はぜひLPサイズで味わいたい。

2009年10月26日月曜日

「タイム・オヴ・デイ」アネクドテン

原題:A Time Of Day (2007年)

Anekdoten(アネクドテン)


A Time Of Day」(邦題は「タイム・オヴ・デ」)は、2009年にベストアルバム「チャプターズ」を発表したスウェーデンのバンドAnekdoten(アネクドテン)の2007年作。完全オリジナルとしては現在のところ最新アルバムにあたる。

1993 年のデビュー以来、King Crimsonの影響の下にありながら、メロトロンの魅力を最大限に引き出し、メロディー楽器、フロント楽器としてメロトロンを使用するという、当時とし ては画期的な手法を駆使し、激しくドラマチックな世界を作り出してきたAnekdoten。

初期には荒涼とした風景を荒々しいサウンドで表現し、次第にギターリフ中心の曲が増えヘヴィーさが増し、さらにKing Crimsonの影から抜け出すように、凶暴なインストゥルメンタル中心の曲からボーカル主体へと変貌を遂げながら、独特の叙情性を広げてきた彼らの、一 つの到達点が本作であろう。

    Peter Nordins:ドラムス、シンバル、パーカッション、ビブラフォン
    Anna Sofi Dahlberg:メロトロン、オルガン、ムーグ、ローズ、
                                       ピアノ、ヴォイス
    Nicklas Barker:ヴォイス、ギター、メロトロン、ビブラフォン
    Jan Erik Liljestrom:ヴォイス、ベース
 <ゲスト>
    Cunnar Bergstn:フルート

破壊的なバワーを持った音のぶつかり合いや、必要に繰り返される重いリフなどといった初期のAnekdotenの特徴は若干薄れ、一曲一曲がまとまりのある、ある意味聴き易い作りになっているところが特徴である。

しかし各所で使用されるメロトロンは相変わらず非常に巧みで、曲に大きな効果を与えている。すでにAnekdotenでなければ出せないメロトロン・サウンドを確立している感じだ。

特に今回は生楽器としてゲストのフルートが実に良い雰囲気を醸し出している。温かみがあり、懐かしさがあり、人間味に溢れた音だ。従来のAnekdotenがどちらかというと凍てつくサウンドだったことを考えると、見事なコラボレーションだと言える。

さらにハモンド・オルガン、ARPシンセサイザー、フェンダー・ローズ、ムーグ・シンセサイザーなどのヴィンテージ楽器が使用されていることも、サウンドに深みと広がりと味わいをもたらすことに成功している。Annaも久しぶりにチェロを披露しているし。

ということは、サウンドは変化に富み、多彩でポップになったのではないかと思われるかもしれない。いやいや、Anekdotenは前作「グラヴィティー」から、それまでの曲にあったような、ヒリヒリするような緊張感からの解放を、より洗練させた形でここに完成させたのだ。

だから従来のAnekdotenさも十分に秘めた上で、曲は自由に作られている。例えば冒頭の曲「The Great Unknown」の凶暴なリフと圧倒的なメロトロンは、インストゥルメンタル作ではないにしても、これまでのAnekdoten的な十分なパワーと魅力に溢れていることがわかるだろう。

様々な楽器を取り入れ、新しい世界を広げつつ、基本のヘヴィーさと暗鬱さは揺るぎもしない。むしろ揺るぎない自信に満ちている。そこがこのアルバムの凄いところだ。

もう一つ特筆すべきところは、その冒頭の曲から顕著なように、ドラムスとベースのリズム隊の一体感、重量感、突進力が、今までに無く凄まじいことである。

もともとドラムスのテクニックには定評があったが、個人的なテクニカルな演奏に走るというよりは、轟音ベースと共に、強烈なリズムアンサンブルを完成させたと言えるだろう。

ある意味普通の演奏である。奇をてらったり超絶ソロ回しとかではない。しかし唸ってしまう素晴らしさ。このリズム隊を聴くだけで血湧き肉踊るのだ。

曲は静かな曲、激しい曲とも、おしなべて叙情的であり暗い。暗く妖しく哀しく美しい。この暗さの深度の振幅の広さこそが、今Anekdotenしか表現できない世界なのかもしれない。

異様な緊張に満ちた過去の作品も傑作であったが、そこに安住せず、自己模倣を繰り返すことを避け、新しい音楽を作り上げた彼らの、これもまた傑作。


2009年10月18日日曜日

「アーサー王と円卓の騎士たち」リック・ウェイクマン

原題:Myths & Legends Of King Arthur & The Knights Of The Round Table (1975年)

Rick Wakeman(リック・ウェイクマン)


Myths & Legends Of King Arthur & The Knights Of The Round Table」(邦題は「アーサー王と円卓の騎士たち」)は、Yes全盛期のキーボード奏者Rick Wakeman(リック・ウェイクマン)のソロ3作目として1975年に発表されたアルバム。

ソロ1作目の「ヘンリー8世と6人の妻」は、かつてのバンド仲間であったStrawbs(ストローブス)や、当時在籍していたYesのメンバーの協力を得て、バンド形式のスリリングな内容であったが、2作目「地底探検」では一転、自身のバンドとともにオーケストラと合唱団を伴った壮大なスケールの音楽を、なんとライヴで作り上げた。

そしてこの3作目は「アーサー王」伝説をテーマに、2作目での試みをスタジオでじっくりと練り上げて完成させた、まさに渾身の1枚になった。

 <バンド>
  Ashley Hold:ボーカル
  Gary Pickford Hopkins:ボーカル
  Jeffery Crampton:リード&アコースティックギター
  Roger Newell:ベース・ギター
  Barney James:ドラムス

<競演>
  Teryy Taplin:ナレーション
  オーケストラ
  イングリッシュ・チェンバー・クワイア

当時、1作目の「ヘンリー8世」は歴史上の人物とは言え、作品の中心はその6人の妻を音楽的に表現するというものだったので、特別「ヘンリー8世」に興味を 抱いたりすることはなかった。2作目の「地底探検」は有名なSF小説としてすでに読んでいたので、あの奇想天外な物語がどんな音になるのかワクワクしたことを覚えている。

しかしこの3作目。何よりもまずわたしはこのアルバムで初めて「アーサー王」と彼に使えた精鋭の「円卓の騎士」たちの伝説というものが存在することを知ったのであった。中世初期の5世紀から6世紀頃のイギリス(当時のブリテン)の伝説的王であり英雄。そして数々のアーサー王物語。

海外の情報が少なかった当時、わたしはこのアルバムからイギリスには「アーサー王」という伝説上の英雄を持つ文化があるのだということを知った。現在の文化の違いではなく、過去に渡って違う文化と歴史を持っているということを、初めて実感したのだと思う。

そしてアルバムの音楽は、そんなわたしの興味と中世という未知なる過去のイメージを大いに刺激し膨らませてくれる、ドラマチックでロマンチックで、壮大なものだったのだ。

曲はアーサー王伝説の有名な場面を全7曲の中で表現している。「これを引き抜いたものは王となるであろう」と書かれた台座から剣を引き抜き、予言通りに王となるアーサー(「Arthur」)、彼を助ける魔法使いマーリン (「Merlin The Magician」)、アーサー王の妻ながら、円卓の騎士の1人サー・ランスロットと禁断の恋に落ちる王妃グィネヴィア(「Guinevere」)、そして誉れ高き最高の騎士であるランスロットの息子で聖杯の神秘を体験した騎士ギャラハド(「Sir Galahad」)、毒殺の汚名を着せられ命を奪われそうになったグィネヴィアを黒騎士となって救ったランスロット(「Sir Lancelot And The Black Night」)、そして最後の戦いで傷つき、台座から引き抜いた聖剣エクスカリバーを湖から現れた手に返し、アヴァロンの島へと傷を癒しに行くアーサー王(「The Last Battle」)。

音楽的にも多彩であり密度が濃い。そして重い。オーケストラと合唱団、そしてバンドの一体感も前作以上である。 間奏曲のように歌われる男性アカペラ合唱の低音部が凄い。これも当時、強烈なインパクトだった。

メロディーはクラシカルと言うよりはロマンティックな感じで、“ロックとクラシックの融合”というよりは、オーケストラと合唱団と綿密な共同作業の上に出来上がったスペクタクルなロックという感じ。

メロディーはわかりやすく、リック・ウェイクマンの弾く様々なキーボードは音楽の一部として溶け込んでいる。決して表立って弾き倒すような無茶なことや攻撃 的なプレーはしていない。あくまで優雅に華麗に、そして歌うようなアナログ・シンセサイザーがここでも聴くことができる。特に「Merlin The Magician」では珍しく、かなり低音のアナログ・シンセサイザー音を聴くことができる。

ただ、キーボードプレーヤーのソロアルバムとしては、思ったほどにキーボードがフロントで弾きまくらないので、期待するものと違う音かもしれない。しかし良 く聴くと様々な音色のキーボードが随所で活躍しており、あらためてリック・ウェイクマンという人は天才的バイ・プレーヤーだったのかという気がする。

逆にこのアルバムで聴けるこの独特で濃密な世界は、リックのロマンチシズムや音楽作りへのこだわりと、オーケストラや合唱団を見事にロックに溶け込ませたプロデューサー的才能を感じさせるものだ。

アルバム全体が醸し出す独特の世界観が見事である。これもまた傑作。


2009年10月9日金曜日

「UT」ニュー・トロルス

原題:UT(1972年)

New Trolls(ニュー・トロスル)


UT」はイタリアのバンド、New Trolls(ニュー・トロスル)が1972年に発表した作品。

New Trollsと言うとまず1971年の「Concerto Grosso Per I(コンチェルト・グロッソ)」が 思い浮かぶが、「Concerto Grosso」は基本的に映画用サウンドトラックとしてLuis Enriquesz Bacalov(ルイス・エンリケ・バカロフ)という映画音楽作家による曲をオーケストラとともに演奏した作品であるという点から見ると、バンドの作品としては異色なものだと言える。

もちろんNew Trollsならではのボーカル・ハーモニーやバンドとしての堅実なアンサンブルが活かされているし、後半に20分に及ぶインワイルドなプロヴィゼーショ ンを含んでいることを考えれば、十分にNew Trolls色が出ていると言える傑作アルバムであることに変わりはない。

しかしNew Trollsというバンド独自の魅力を最大限に表現しているアルバムはと言うと、この「UT」の方に軍配が上がると言えるだろう。本アルバムではキーボード奏者が加わって、5人編成となり、全曲オリジナル曲による多彩な音楽を展開している。

   Nico Di Palo:ギター、リード・ボーカル
   Gianni Belleno:ドラムス、ボーカル
   Frank Laugelli:ベース
   Maurizio Salvi:ピアノ、オルガン、シンセサイザー
   Vittorio De Scalzi:ギター

アルバム冒頭の「Studio」は銅鑼の音から始まるキーボード中心のインストゥルメンタル。流れるようなピアノにストリングス・シンセサイザー、さらに チャーチ・オルガンまで加わってクラシカルなアルペジオを奏でる。そこにも歌心が感じられるところがイタリアらしい。曲はそのまま短いハードインストゥル メンタルナンバー「XII Strada」へ。ここからギターが入り、ハードロック色が加わる。

3曲目「I Cavalieri Del Lago Dell'Ontario」で、New Trolls節全開。不思議な音色のキーボード、ハードロック的なギター、ポップなメロディー、ファルセットを含んだ見事なボーカルハーモニー。やはり 「Concerto Grosso Per I」でも明らかなように、NewTrollsの大きな魅力はこのボーカルとボーカルハーモニーなのだ。


その後、フォーク調の柔らかなボーカルとアコースティックギターが印象的な「Storia Di Una Foglia」、朗々たるボーカルとドラマティックなピアノに導かれ、ジャズロック風ギターソロが聴ける「Nato Adesso」、荒々しいリフから始まり、つぶやくような静かなボーカルをはさんで一気にパワフルなハードロックへと展開する「C'e' Troppa Guerra」と続く。この多彩さ、あるいはごった煮感も「UT」の大きな魅力だ。

ボーカルだけでなくギターも語り合うかのように歌う「Paolo E Francesca」、そしてLPではラストの曲であった「Chi Mi Puo’ Capire」は、まさにイタリアンロックのメロディー&ボーカルの素晴らしさを表現しきった名曲。 壮大なキーボード・オーケストレーションが曲を大いに盛り上げる。

CDでは最後に「Visioni」が収録されているものがあるが、これは1968年夏のディスク・フェスティヴァルへの参加曲(CDのライナーノートよ り)ということなので、言わばボーナストラック。したがって「UT」はLP通りに、ドラマチックなバックに響き渡る素晴らしいボーカル曲「Chi Mi Puo’ Capire」で幕を閉じる。

美しいメロディーと共に、どこか混沌としたパワーをはらんでいて、曲の組み合わせや展開が破天荒気味でも破綻すること無く、アルバム全体として絶妙なバランスでまとめら上げられた作品。

卓越した演奏テクニックとアンサンブルを持ち、ジャズロック的な懐の深さとハードロック的な荒々しさ、そしてクラシカルな流麗さが、バラバラにならずに力強いボーカルの下にまとまった傑作だ。


2009年9月30日水曜日

「偉大なる聴衆へ」カンサス

原題:Two for the Show(1978年)

Kansas(カンサス)


Two for the Show」(邦題は「偉大なる聴衆へ」)は当時アメリカン・プログレ・ハードと呼ばれたバンドKansas(カンサス)の1978年発表のライヴアルバム。1977年から1978年にかけての3つのツアーから収録されたもので、選曲的にも全盛期のアルバムから選ばれたベストな選曲と言ってよい。

当時はLP2枚組で、1990年に初CD化。この時は収録収録時間の関係か「Closet Chronicles」がカットされたCD1枚ヴァージョン。

そして2008年に30周年レガシーエディションということでCD2枚組の完全版として発売された。前CDでカットされた「Closet Chronicles」も復活、さらにボーナストラックが10曲収録という豪華さ。

このレガシーエディション、あっと言う間に店頭からなくなった。やはり名盤なのは誰もが知っているし、完全版を待ち望んでいた人も多かったと言うことだろうな。

わたしはオリジナルのLPと1990年版CDしか持っていないので、ボーナストラックについては語ることができない。しかしオリジナルLPも、そして1999年ヴァージョンも文句なしに 素晴らしい。確かLP収録曲の中では「Closet Chronicles」の時のSteve Walsh(スティーヴ・ウォルシュ)のボーカルが、ちょっとかすれ気味で苦しそうな感じだったんじゃなかったかな。そういう意味では、1990年ヴァー ジョンも厳選されたライヴと言えなくもない。

Phil Ehart:ドラムス、パーカッション
Dave Hope:ベース
Kerry Livgren:ギター、キーボード
Robbie Steinhardt:ヴァイオリン、ボーカル
Steve Walsh:キーボード、ボーカル
Rich Williams:ギター

その演奏は完璧。意外と細かくロールを入れるドラムスにツインギター、ツインキーボード、そしてヴァイオリンが絡む多彩でドラマティックな展開。それでいてハードロック的なザクザクしたリズムとシャウトするヴォーカルがロック魂を感じさせる。

まずオリジナルアルバムよりも遥かに躍動感に富んだ演奏が素晴らしい。ライヴでも美しいボーカル・ハーモニーを聴かせ、アコースティック・ギター・ソロやピアノ・ソロも盛り込んだ、Yesを彷彿とさせる見事な構成。

みな非常にテクニシャンであるだけでなく、アンサンブルになった時の鉄壁さが群を抜いている。並みいる有名プログレッシヴ・ロックバンドに退けを取らない見事な演奏力。

さらに何より強調したいのは、このライヴでバンド・アンサンブルが一体となった時に、うねるのだ。スクエアなリズムではない。まるで生き物のようにタメたり走ったりする。このうねりが、聴く者の心を揺さぶるのだ。「Lamplight Symphony」から「The Wall」へとつながるところなど、鳥肌が立つくらいである。

予断だが、このアルバムはある少年に捧げられている。1978年の8月、Kansasのコンサートを観た帰りに事故に遭い失明してしまった少年に。彼にとってKansasのライヴが最後に目にした思い出の体験になってしまったのだ。

アルバム自体とは実質関係ないそんな話を、当時反抗期だった自分が“話題作り的あざとさ”を感じずに受け入れることができたのは、やはりここに収録されて いるライヴの圧倒的な迫力と真摯な演奏ゆえだろう。不謹慎かもしれないが、こんなスゴいコンサートを最後の光景として記憶に残した少年というのが、どこと なく神秘的な感じにすら思えたものだ。

Genesis(ジェネシス)の「Seconds Out(幻惑のスーパーライヴ)」並の最高級ライヴ。熱くなれます。カンサス全アルバム中でも最高ランクの傑作。

ちなみにジャケットは、アメリカのの画家・イラストレーターであるNorman Rockwell(ノーマン・ロックウェル)の「Charwomen(ちょっと休憩)」(1946年)の“実写版”といった趣き(右下図)。charwomanとはビルなどの掃除婦のこと。

タイトル「Two for the Show」は「Two for the Tea(二人でお茶を)」を思い起こさせ、「二人でショーを」といった感じか。二人とはこの掃除婦かな。もちろん2枚組LPを指して「ショーを収めた2枚組」っていう意味もかけているダブル・ミーニングでしょうけれど。


2009年9月27日日曜日

「チェレステ」チェレステ

原題:CELESTE(1976年)

Celeste(チェレステ)

 
CELESTE」(邦題は「チェレステ」)はイタリアのバンドCeleste(チェレステ)が1976年に発表した唯一のアルバムである。イタリアのみならず1970年前後に花開いたプログレッシヴ・ロックのうねりが収束に向っていった時期に、ひっそりと一つの作品を残し、消えていったバンドである。

しかし1974年頃には映画のサウンド・トラックを手がけている(結局映画は公開されなかったとのこと)ということで、本アルバムを発表するまでの活動歴は長く、時間をかけまさに満を持して世に出したアルバムと言えるだろう。

 Giorgio Battaglia:ベース、ベース・ペダル、シロフォン、ボーカル
 Leonardo Lagorio:アコースティック&エレクトリック・ピアノ、
   フルート、アルト・サックス、メロトロン、エミネント、
   スピネッタ、アープ・オデッセイ・シンセサイザー、ボーカル
 Ciro Perrino:パーカッション、フルート、リコーダー、メロトロン、
   シロフォン、ボーカル
 Mariano Schiavolini:ギター、ヴァイオリン

メンバーの使用楽器を見ても分かる通り、このバンドにはパーカッション担当はいてもドラム担当がいない。そして豊富なアコースティック楽器が目につく。それはそのままサウンド的な特徴ともなっている。

この編成から紡ぎ出される音楽は、全7曲、トータル37分というコンパクトな作品ながら、イタリアらしい詩情とともに、他のイタリアのバンドにはない独特な世界が感じられるのだ。ドラマチックでありながら、イタリア特有の情熱的な熱さは感じられない音なのである。

サウンドの要になっているのはアコースティック・ギターの細やかなアルペジオと2人のメンバーが奏でるフルートである。これに時にはメロトロン・フルート も加わる。その繊細で静かな流れの上を、つぶやくようなボーカルが淡々と歌う。基本的には非常にフォークタッチな編成であり、楽曲なのだ。

ところが面白いのは、あくまで基本がアコースティックなサウンドであるにも関わらず、突然感情が吹き出すかのように分厚いメロトロンが鳴り響く。あるいはサックス・アンサンブルが加わってくる。シンセサイザーがアヴァンギャルド風に使われる。

こうしたサウンドを効果的に織り交ぜることにより、フォーク的なこじんまりとした音楽ではなく、多様な音が混ざり合った、予想外に大きなスケールを感じさせるアルバムになっているのだ。

そしてまた音に厚みが出てきたり、曲展開が盛り上がってきても、かたくななほどドラムスが入らない。あくまでほとんどの場合パーカッション的に使われるだけ。したがって“シンフォニック・ロック”にはならないのだ。ここが大きな個性になっている。

だから“夢見るようなサウンド” をイメージすると肩すかしを食らうことになる。アコースティック・ギターのアルペジオと歌うようなフルートがあくまで曲の中心でありながら、ヴァイオリ ン、サックス、シンセサイザー、メロトロンが、そうしたフォーキーな世界に亀裂を入れるかのように加わる。しかしギターは何事もなかったかのように再びア ルペジオを爪弾き出す。この音世界の落差が音楽の幅を広げていると言える。

内省的なイメージが強いながら、決して弱々しい音楽ではない。イタリア的な素朴さを前面に出しながら、意外と奥の深い強度のある音楽である。2曲目に King Crimsonの「The Court of the Crimson King(キング・クリムゾンの宮殿)」のサビのメロディーが、ほぼそのままメロトロンで演奏されるが、それもまた曲に上手く溶け込んでいるということで 許してしまおう。

ドラムレスに近い独特な編成による深みのある特異なサウンド。70年代イタリア最後の輝きの一つ。傑作である。

ちなみにcelesteとは英語の「celestial」にあたり、「天国のような、神々しい、すばらしい、天空の、天体の」といった意味を持つ。敢えてロックともクラシックとも距離を置いて、独自の天上の音楽を奏でようとしていたのかもしれない。

 

2009年9月22日火曜日

「海洋地形学の物語」イエス

原題:Tales From Topographic Oceans(1973年)

Yes(イエス)


Tales From Topographic Oceans」(邦題は「海洋地形学の物語」)はイギリスの大プログレッシヴ・ロックバンドYes(イエス)の6枚目のアルバムである。発表は1973年。

「Fragile(こわれもの)」(1972年)、「Close to the Edge(危機)」(1972年)と、まさに絶好調期に作られた作品。LP2枚組で、各面1曲の全4曲という超大作である。

ボーカルのJon Anderson(ジョン・アンダーソン)はKing Crimsonに在籍していたパーカッション担当のJamie Muir(ジェイミー・ミューア)から、Paramahansa Yogananda(パラマンサ・ヨガナンダ)の「Autobiography of a Yogi(あるヨギの自叙伝)」を紹介された。

Jonはツアーで東京に滞在している時に、ホテルでこの本にあった83ページにもわたるサストラ教典についての脚注に心を奪われる。サラトラ教典とは4部に構成されたヒンズー教教典であった。

彼はこの4つのパートをもとに4つの叙事詩を作り、80分完結の音楽を作り上げることに全精力をつぎ込むようになる。そして主としてギターのSteve Howe(スティーヴ・ハウ)との協力によって完成させたのがこの作品なのである。

 Jon Anderson:ボーカル
 Steve Howe:ギター、ボーカル
 Rick Wakeman:キーボード
 Chris Squire:ベース、ボーカル
 Alan White:ドラムス

しかし発表時、「Fragile」や「Close to the Edge」の、スピード感と叙情性が程よく融合した世界を期待したリスナーには賛否両論の作品となった。

確かにスリリングな演奏、持続するテンションの高さ、ロック的なダイナミズムといった点では、それまでの作品には及ばない。また曲のメロディーが次々と移り 変わっていくので、全体の構成が一聴しただけでは捉えづらいし、トータルなインパクトが弱い。それを冗長であると感じてしまうことも止むなしと思えた。

一つにはやはりジャズの雰囲気を残すキレのあるBill Bruford(ビル・ブラッフォード)から、パワフルなAlan White(アラン・ホワイト)へと、ドラマーが替わったことが大きいと誰もが思った。わたしも思った。

最初聴いた時は、盛り上がったところでタンバリンを叩くな〜って思った覚えがある。きちんとドラマーにタンバリン分のドラミングも叩かせろ〜、Billだったらタンバリンなんか入れなかったハズだ〜と。

パワフルなドラムはChris Squire(クリス・スクワイア)のベースとも音域が重なるので、それまでのYesの個性であった、ベースとドラムスが勝手に演奏しながらガッチリとリズムを組んでいるというアクロバティックな面白さが影を潜めた感じもした。

しかし、よくよく聴き込んでいくと、この音楽はドラムがBillでは作れなかったんじゃないかと思うようになった。Alanが加入したことで開けた新しい可能性だったのではないか。

前作「Close to the Edge」が「空間」を強く感じさせる作品だったのに対し、このアルバムは「時間」を感じさせるアルバムである。彼らが目指したのは、空間を飛翔するようなめくるめくハイテンションな世界ではなく、雄大で悠久な時の流れをじっくりと描くことではなかったか。

そこには言い知れぬ懐かしさを喚起するアコースティックなメロディーがある。原始的・呪術的なパーカッションやギターソロがある。深く厚みのあるメロトロンの波が打ち寄せる。ここにはそれまで以上にスケールの大きなドラマが存在しているのだ。

そしてハイテンションなバトルはないものの、各メンバーが個性を発揮して全員で楽曲を作り上げている点は、これだけJonが歌を入れているにもかかわら ず、後のJon Andersonバンド的なYesとは全く違う。まぎれもない5人のメンバーが作り上げた唯一無二のシンフォニック・ロックアルバムである。

Roger Deanによるアルバムカバーイラスト原画

大きなポイントは、構成の面でも曲調の面でも「シンフォニック」ではあるが「クラシカル」ではない点だ。緻密だが形式にとらわれず感覚的に作られた音楽で ある。だからこそ曲の構成や展開よりも、ふっと聞こえるメロディーやインストゥルメンタルパートなどが、悠久の時の流れに触れたような強い印象を残す。

そしてその部分こそが、クラシック教育を受けていたRick Wakemanの不満、そして脱退につながったのだろうと思われる。

好き嫌いは分かれる作品だと思う。しかしこれもまた当時のYesだからこそ成し得た、非常に希有な傑作アルバムであることは間違いない。

ちなみにタイトルの「topographic oceans(地理学的、地形図的海洋)」は、実際には海洋地域ではないが地形図的にかつて海洋であったと思われる場所を指しているのではないかと思う。 “今は陸となっているが、かつては海であった場所が語る物語”。内容にふさわしく、悠久なる時間の流れを感じさせるタイトルである。

 

2009年9月16日水曜日

「ウォームス・オヴ・アース」エドゥアルド・アルテミエフ

原題:Warmth Of Earth(1985年)

Eduard Artemiev(エドゥアルド・アルテミエフ)

 
Warmth Of Earth」(邦題は「ウォームス・オヴ・アース/地球のぬくもり」)は、旧ソビエト連邦屈指のロック・アーティストにして、映画音楽家でもあるEduard Artemiev(エドゥアルド・アルテミエフ)の1985年の作品。

映画音楽としてはスタニスワフ・レムの「ソラリスの陽のもとに」を映画化した「惑星ソラリス」や、アンドレイ・タルコフスキーの「ストーカー」などの作品を担当、さらに1980年のモスクワ・オリンピックのテーマ音楽を手がけるなど活動は多岐に渡る。

ソビエト文化大学教授、ソビエト電子音楽作曲家協会会長を歴任した、まさに旧ソビエトを代表する音楽家である。

本作はEduard Artemievが作曲を担当し、演奏はYu.Bagdanov(ユーリ・バグダノフ)率いるThe "Boomerang" Ensemble(ザ・ブーメラン・アンサンブル)というバンドが行い、Rozhdestvenskaya(ロジェトヴェンスカヤ)という女性が全体を通 してボーカルを取るという、作曲者と演奏者を分けたクラシック音楽的な作り方をされた作品。Eduard自身は演奏には関わっていない。

作詞はロシア極東の少数民族チュクチの代表的作家で、「クジラの消えた日」などの作品で有名なYuri Rytkheu(ユーリー・ルィトヘウ)。副題として「Vocal and Instrumental Suite to the lyrics by Yuri Rytkheu(Yuri Rytkheuの歌詞のための声楽と器楽による組曲)」とある。

当時の才能ある人たちを結集して、まさに国を代表する作曲家として欧米のプログレッシヴ・ロックに挑んだかのような、シンセサイザー・ヘヴィー・ロック組曲である。

Eduard Artemiev:作曲

Yuri Rytkheu:作詞
Jeanne Rozhdestvenskaya:ボーカル
<The "Boomerang" Ensemble>
Yu. Bogdanov:Synthy100、エレクトリック・ギター
アコースティック・ギター
A. Zakirov:ベース
S. Bogdanov:ドラムス
I. Len:キーボード
S. Saveliev:キーボード

ジャケットには「Synthy100」と記載されているが、これを「ソ連製シンセサイザー」と紹介されているCD評などがある。しかしソ連製シンセサイザーの中には見当たらない。

旧ソ連初のシンセサイザーと言われるANSシンセサイザーを用いていた時期はあるようだが、Synthy100がそうした旧ソ連製シンセサイザーに当たるかは不明だ。EMS Synthi 100と呼ばれるデジタル・シーケンサー付きの巨大なシンセサイザーの可能性もあるかと思う。実際ArtemievとBogdanovはEMS Synthi 100を使ったクラシックコンピレーションに曲を提供しているし。

このSynthi 100はElectric Music Studio社が開発し、アナログ・シンセサイザーの代表的メーカーであるムーグ(Moog)社製とは異なった音が得られると言われる。Pink Floydがアルバム「The Dark Side of the Moon(狂気)」で使用していることでも有名。

アルバムはこの爆発音のような導入部から一気にこの シンセサイザーを主体とする強烈なインストゥルメンタル・アンサンブルが炸裂する。何かに取り憑かれたかのような強烈なテンションで、ドラムが疾走し、シ ンセサイザーを中心にキーボードが動き回り、ギターが切り込んでくる。まさに度肝を抜かれる一曲だ。

演奏のThe "Boomerang" Ensembleは、個性的な演奏をするミュージシャン達というよりは、どちらかと言うと超一流のスタジオミュージシャンという感じで、各人の個性ではなく、そのアンサンブルの超絶さで曲を引っ張っていく。

そして続く曲からRozhdestvenskayaのボーカルが入る。このRozhdestvenskayaという女性が素晴らしい。とにかく歌が上手い。 そして声量、声域も十分にある。「美声女性ボーカル」というにはパワーがある。基本はクラシックなのだろうが、声楽臭さはなく、どんな歌を歌わせても聴く 者を引き込むだろう歌唱力を持っている。

2曲目「What Am I?」の可憐な歌声、「Bakkns」における迫力あるダミ声、ちょっとディスコティックな曲におけるポップスシンガー風な歌声。そのどれもが大きな包容 力に満ちている。そして時折聞こえるロシア風なメロディーの新鮮さ。もちろんロシア語のボーカルにもピッタリハマっている。

シンセサイ ザーが大活躍するスペイシーでヘヴィーな超絶インストゥルメンタルをバックに、ボーカルは一歩も引くことなく、変拍子を含む様々なタイプの曲が、ダイナ ミックに、そして繊細に雄大な世界を作り上げていく。その雄大さはどことなくブラジルのSagrado Coracao Da Terra(ザグラド・コラソン・ダ・テッラ)を思い起こさせる。ラスト曲は文字通り映画のラストシーンのように盛上がる。まさに大団円という感じだ。

ボーカルの表現力もあって、曲はどれも表情豊かで聴きやすいのも魅力。ボーカル曲とインストゥルメンタル曲との対比も見事だ。

1980年代のプログレッシヴ・ロックを代表する、旧ソ連からの衝撃の1枚。傑作。

なお、原盤LPではトラック9とトラック10は収録されておらず、1999年のMUSEA盤から追加収録された。


2009年9月12日土曜日

「子供達の国」イル・パエーゼ・デイ・バロッキ

原題:Il Paese Dei Balocchi(1972年)

Il Paese Dei Palocchi
(イル・パエーゼ・デイ・バロッキ)


Il Paese Dei Balocchi」(邦題は「子供達の国」)は、イタリアのナポリ出身のバンド、Il Paese Dei Balocchi(イル・パエーゼ・デイ・バロッキ)が1972年に発表した唯一の作品。

原題の意味は「The Country of the Toys(おもちゃの国)」。  

 Fabio Fabiani:ギター  
 Marcello Martorelli:ベース  
 Sandro Laudadio:ドラムス、ボーカル  
 Armando Paone:キーボード、ボーカル

メンバー以外に、Claudie Gizzi(クラウディ・ジッツィ)という人物のアレンジによる、美しいバロック風管弦楽が効果的に使用されている。

1曲目「夢の国へ」はキーボードとギターのユニゾンが力強いハードなロックアンサンブルで幕を開ける。しかし曲調にはクラシカルな端正さが宿っている。

そしてそのリズムを引き継いで、演奏は突如バンドから管弦楽団にバトンタッチする。この瞬間の美しさは感動的である。弦が同じリズムを刻む。そして同じメロディーを歌う。すでにクラシック音楽と化している。わずか2分半の曲。しかし強烈な印象を残す曲だ。

このアルバムはこうした短い曲が10曲並び、ロック的な荒々しさと管弦楽団によるクラシカルな美しさとが混在しつつ進んでいく。

しかしロックアンサンブルに感じられる荒々しさにもかかわらず、アルバム全体は奇妙な静けさに満ちている。音に埋め尽くされたサウンドではなく、音の隙間の多い、情感の詰まった音楽なのだ。

特にアコースティックな音が響くと、まさに夢の国を思われる穏やかで幻を見るような情景が広がる。2曲目のハードな展開に続く3曲目「希望の歌」の美しさも素晴らしい。悲しみに満ちたメロディー、静かに歌い上げるボーカル。サポートするストリングス。

そして4曲目「逃亡」。バンドの、そしてアルバムの特色が一番現れているといえるこの曲は、雄大でありながら、何とも言えないひなびた田舎道を行くような独 特な世界を描き出す。淡々としたバンドの演奏に静かな波のように被さってくるストリングス。どこか懐かしい空気を感じさせる、とても繊細な感情を捉えた曲 である。

ひなびた空気、悲しみをたたえた感情は5曲目の「子供達の国」のファゴット独奏へと引き継がれ、キーボードとフルート(ピッコ ロ)のアンサンブルが繰り返され、幻想的な世界へと引き込まれていく。6曲目「子供達との出会い」では後半、ざわめきの中からアカペラが始まる。素朴さと 美しさは7曲目の管弦楽パートへつながっていく。

こうして細かく分けられた曲が、実に良くつながり、全体として何とも言えないミステリアスさとのどかさが同居するような雰囲気を作り出す。テクニカルで熱い典型的なクラシカルロックスタイルとも、暗く荒々しい音に満ちたヘヴィロックスタイルとも異なる、唯一無二の世界だ。

一聴した印象は地味なものだと思う。しかし聴けば聴くほどその内省的な世界の深さが味わえる傑作。


2009年9月9日水曜日

「ルビコン」タンジェリン・ドリーム

原題:rubycon(1975年)

Tangerine Dream(タンジェリン・ドリーム)


rubycon」(邦題は「ルビコン」)は、ドイツのTangerine Dream(タンジェリン・ドリーム)が1975年に発表した名作。タイトルの「rubycon」は造語で、イタリア中北部を流れるルビコン川(rubicon)と宝石のルビー(ruby)を組み合わせたような美しい文字だ。

 Edgar Froese:メロトロン、ギター、シンセサイザー、ゴング
 Chris Franke:シンセサイザー、シンシA、オルガン、
     プリペアード・ピアノ、ゴング
 Peter Baumann:オルガン、シンシA、エレクトリック・ピアノ、
     プリペアード・ピアノ

「プリペアード・ピアノ」とはグランドピアノの弦に、ゴム、金属、木などを挟んだり乗せたりして音色を打楽器的な響きに変えたもの。それから「シンシA」とはアタッシュケース型のポータブルシンセサイザー。

Tangerine Dreamというとシンセ・ビートが延々と続くような印象があるが、音楽はおおまかに、様々な音がコラージュのように積み重なっては消えていく部分と、シンセサイザーがベースのビートを刻む部分とに分かれる。意外とシンセ・ビートが支配的なわけではないのだ。むしろ音響的に非常に計算された面と、感覚的に積み重ねられたようなアナログな面のバランスが絶妙なのだ。

そしてそのシンセ・ビートも、近年のノリや刺激や陶酔感につながるデジタルビートとも、ヒーリング・ミュージック的な淡々としたものとも異なる。デジタルな冷たさはなく、アナログな手触り感が残った深みのある音である。

リズムも3拍子や4拍子と一定の流れの中でリズムチェンジを行う。これがまた世界を塗り替えるような効果を生む。映画音楽であるかのような、様々な情景が浮かんでくる。

さらに意外と活躍しているのがメロトロン。この深みのある音にさらにリヴァーヴがかけられ、シンセ・リズムと違和感なく解け合う。海の底に響くようなメロトロンのメロディーが美しい。

そのメロトロンもストリングスだけでなくオーボエやフルート音、さらにコーラスも使われている。もちろんイフェクトがかけられているが、とても荘厳な響きとなってリスナーを包み込む。

こうして音を聴き込んでいくと、このアルバムは実はとても叙情的な作品であることがわかってくるのだ。もちろんチル・アウト的に聴くこともできる。しかしシンセ・リズムは時にかなり強烈に迫ってくる。一瞬のメロディーがとても美しい。一筋縄ではいかない。

それだけ様々な魅力が詰まっているのだ。そこが1970年代らしい作品だと言える。壮大で永遠なる世界に触れることのできる、アナログ・シンセ・ビートによる電子音楽系ロックの金字塔。

 

2009年9月3日木曜日

「新ノア記」アンジュ

原題:Au Dela Du Delire(1974年)

Ange(アンジュ)

Au Dela Du Delire」(邦題は「新ノア記」)は、フランスを代表するプログレッシヴ・ロックバンドAnge(アンジュ)が1974年に発表した第3作。時空を超えた農夫ゴドウィン(Godevin)の旅を描いたコンセプトアルバムである。

ちなみに「ange」とは英語の「angel(天使)」、原題の「Au Dela Du Delire」は「Beyond the Delirium(錯乱を越えて)」という意味。

Christian Decamps:ボーカル、キーボード
Francis Decamps:キーボード、ボイス
Jean-Michel Brezovar:ギター
Gerad Jelsch:ドラムス、パーカッション
Daniel Haas :ベース

フランスのプログレッシヴ・バンドは、なかなかロックのダイナミズムを前面に出すことが難しいようで、その大きな理由としてフランス語のやわらかさがあるのではないかと思う。フランスのバンドでありながら MAGMA(マグマ)がコバイア語という、ドイツ語風な、歯切れのいい架空の言語でオペラティックな歌を歌ったのも、Tai Phong(タイ・フォン)が英語で歌ったのも、どこかしらフランス語を避けていた部分があるのではないかと思うのだ。

しかしこのAnge(アンジュ)は、逆にそのやわらかなフランス語の特徴を、過度に強調しシアトリカルな味付けをすることで、独自の妖しい世界を築くことに成功した。ロックを奏でる上でマイナスだと思われていた言語的な特徴を、むしろ個性ある音作りに活かしたのだ。

それを可能にしたのはChristian Decamps(クリスチャン・デカン)のボーカルである。冒頭の裏悲しいヴァイオリンの導入部から、Christianの粘っこく表情豊かなボーカルが聴き手を捕らえる。

そして2曲目でそのボーカルの圧倒的なパワーが炸裂する。アコースティック・ギターやメロトロンが印象的な静と、ハードなギターに叫ぶかのようなボーカルの動。

その後「もし僕が救済者だったら」という言葉を繰り返す、まるで朗読劇のような曲や、フォークタッチの曲など様々な面を見せながら、ボーカルが歌と語りを行き来しながら、アルバム全体を引っ張っていく。

しかしもう一つAngeの大きな特徴はキーボードの音色である。特に、ゆったりしたビブラートと霞のかかったような音色のメロトロンが、まさにAngeならでは。全体的にキーボードはもこもこした感じの音で、ちょっとダークで神秘的な雰囲気をかもし出す。

しかしどの曲もメロディーが良い。テクニック的に複雑なことをしているわけではない。しかし音に迷いが無いというか、自分たちの音楽のオリジナリティーに自 信を持っているような、どっしりした安定感がある。自分たちは新しい音楽世界を築いているんだというような自負を感じるのだ。

もちろんハードな展開部での印象的なギターソロやトラッド風アコースティックギター、タイトなドラムス、前述のメロトロンのみならずオルガンやシンセサイザー・ソロも交えたキーボードと、各楽器の演奏もテクニック的に安定しているだけでなく、バランスがとても良い。

強烈なフランスらしさを味わえる作品であるとともに、フランスを越えて他国の名作群に引けを取らない傑作。

ちなみに、その寓話的内容や情景描写的なインストゥルメンタル・パート、独特なキーボードの音色から、わたしはなぜかこのアルバムを聴いていると、イタリア のLe Orme(レ・オルメ)の「Felona e Solona(フェローナとソローナの伝説)」を思い出してしまうのです。

2009年8月29日土曜日

「幻惑のスーパーライヴ」ジェネシス

原題:Seconds Out(1977年)

Genesis(ジェネシス)


Seconds Out」(邦題「幻惑のスーパーライヴ」)は1977年にGenesis(ジェネシス)が発表したライブアルバム。すでにリード・ボーカルであったPeter Gabriel(ピーター・ガブリエル)は脱退した1976年、1977年のパリ公演を収めたCD2枚組だ。

Peter在籍時は彼の奇抜な衣装やステージでの演技がGenesisのライヴでの大きな特徴だったが、この時期はコンピュータ制御の“ヴァリ・ライト”と呼ばれる照明システムにより、光の洪水による壮大な演出が話題を呼んでいた。

Tony Banks:エレクトリック・ピアノ、ハモンド・オルガン、
メロトロン、アープ・シンセサイザー、12弦ギター、
バッキング・ボーカル
Mike Rutherford:12弦ギター、ベース、8弦ベース、ムーグ・ベース、
バッキング・ボーカル
Steve Hackett:ギター、12弦ギター
Phil Collins:ボーカル、ドラムス
<サポート>
Chester Thompson:ドラムス
Bill Bruford:ドラムス

全12曲、Peter Gabriel期の曲がそのうち7曲を占め、名曲「サパース・レディ(Supper's Ready)も全収録。今作をもってギターのSteveが脱退し、Genesisは次第にポップ色を増して行くことを考えると、プログレッシヴ・ロック期 のGenesisの集大成とも言える。

内容的にも素晴らしいの一言。基本的にはドラムスは、元Weather Report(ウェザー・リポート)、Frank Zappa(フランク・ザッパ)バンドなどで活躍していたChester Thompsonが叩き、Phil Collins(フィル・コリンズ)はボーカルに専念。

しかし長めのインストゥルメンタル・パートになると後ろに飛んで行ってツイン・ドラムになるところも聴き所。一曲「Cinema Show(シネマ・ショー)」だけBill Brufordとのツイン・ドラムも聴ける。極上の瞬間だ。

全体的にPeterのクセのある妖し気でケレン味を含んだボーカルスタイルと、Philの甘く表情豊かなボーカルスタイルは異なる。声質や歌い方が似てい るからGenesisはPeterが脱退しても大きなイメージ的変化がなかったように思えるが、「Foxtrot(フォックストロット)」などと聴き比べ ると大きな違いがわかる。

Philの耳ざわりの良い声、そしてのちにソロデビューするほどの歌の上手さによって、Peter在籍時にあった毒気のようなものがなくなっている。その代わりボーカル曲として“聴かせる”のだ。曲全体の印象はソフトになった。

さらに「月影の騎士(Selling England by the Pound)」以来積極的にシンセサイザーを使うようになりによる厚みのあるキーボードサウンドを作り出すTony Banks、独特のノビのある魅惑的なギターワークを見せるSteve Hackett、そしてベースにギターにと大活躍するMike Rutherford(マイク・ラザフォード)という鉄壁の布陣が、雄大で心地よいインストゥルメンタル・アンサンブルを紡ぎ出す。

Phil以外の3人とも12弦ギターを弾くくらいだから、ギターのアルペジオがいたるところで聴けるのもGenesis的である。

そしてこの不思議で不気味だったGenesisから、雄大で美しいシンフォニックなサウンドに変化したGenesisを、さらに大きなグルーヴで盛り上げるのがChester Thompsonのドラミングだ。

彼のテクニカルながらタメの効いたドラミングが、曲をよりドラマティックにする。時折見せるPhilとのツイン・ドラムもスリリングだが、Philの Brand X的な攻撃的なドラミングとの違いが面白い。一曲だけ叩いているBill Brufordのドラミングが、今ひとつこの時期の雄大な曲調に溶け込んでないのと対照的だ。

しかしBillもインスト・パートに入ると同時に待ってましたとばかりにパワー全開、「Cinema Show」の7/8拍子のキーボードソロパートでは、Philとのツイン・ドラムとなり、両者テクニカルな演奏をぶつけ合うようなバトルが聴けるのも、このアルバムならでは。

全編まったくスキなし。Peter在籍時の“怪奇音楽骨董箱”的音楽からは遠ざかったが、後に多数現れる凡百の“Genesisタイプのバンド”が、どうあがいても太刀打ちできない、英国シンフォニック・ロックの頂点の一つ。大傑作。


2009年8月25日火曜日

「フォックストロット」ジェネシス

Foxtrot(1972年)

Genesis(ジェネシス)

 
Foxtrot」(邦題は「フォックストロット」)は英国の代表的プログレッシヴ・ロックバンドGenesis(ジェネシス)が1972年に発表した名作。

ジェネシスは強烈なボーカリスト、Peter Gabriel(ピーター・ガブリエル、あるいはピーター・ゲイブリエル)と、彼をサポートするバックバンドのようなかたちでスタートした。初期の頃はメンバーもそれほど楽器の演奏レベルが高くなく、ライヴではPeter以外は皆座って演奏に専念していたという。

しかし当初から強烈なオリジナリティを放っていた。マザーグース風な奇怪さと幻想性、ファンタジーとドラッグによるトリップの間を行き来するような不思議さと危うさ。そしてそこに薫るイギリスらしさ。

 Tony Banks:オルガン、メロトロン、ピアノ、12弦ギター、ボーカル
 Steve Hackett:エレキギター、12弦&6弦アコースティックギター
 Phil Collins: ドラムス、ボーカル、パーカッション
 Peter Gabriel:リードボーカル、フルート、ベースドラム、
        タンバリン、オーボエ
 Michael Rutherford: ベース、ベースペダル、12弦ギター、ボーカル、
        チェロ

アルバムはKing Crimsonから譲り受けたというメロトロンで壮大に幕を開ける。まずこの音が素晴らしい。暗く雲が立ちこめた空のような重苦しくも美しい音が、波のように折り重なって響く。

そしてシンコペーションを多用した難しいリズムで突っ走るバック。そこに登場する個性的なPeterのボーカル。「Watcher of the Skies」はこうして、壮大なシンフォニック・ロックをかたち作っていく。

Peterはライヴにおいて様々な衣装に身を包み、物語を語るなど、かなり演劇的な要素の強いパフォーマンスを行っていたが、彼のボーカルだけでも、その個性の強さ、ユニークさ、表現力の高さが伝わってくる。

そして他のメンバーが一生懸命Peterをサポートするかのように、彼の思い描く世界を音にしようとしている姿が目に浮かぶのだ。

この時期のGenesisの魅力は実はそこにあると思う。個性豊かなボーカル。しかしそれを殺さずに、生真面目に精一杯演奏しようとするメンバー達という、危うさを秘めた絶妙なバランス。

メンバーの力量はアルバムごとに上がっていき、次作「月影の騎士(Selling England by the Pound)」では、ボーカルを圧倒するほどのインストゥルメンタルパートを聴かせるレベルにまで達する。しかし、アルバムとしての完成度は高くなり、聴 きやすくもなったが、この「Foxtrot」や、一つ前のアルバム「Nursery Cryme」で描いたような独特な妖しさは薄れたと言える。

このバックの演奏のどことなく感じられる拙さ、しかし決してテクニカルなバンドではないけれど、テクニックギリギリであっても何か新しいことをやってやろうとする意気込み、細かなアンサンブルの工夫、とても真剣で端正な演奏。そんなものが実は大きな魅力となっていたのだ。

そしてそうしたものが、Genesisが持っていた妖しい世界やPeterの独特な声やシアトリカルなボーカルスタイルに、とてもマッチしていたのだと思うのだ。

2曲目の「タイム・テーブル」のバロック音楽風な静かで気品のある展開。3曲目、4曲目のシアトリカルなボーカルを守り立てるような、12弦ギターや各種キーボードなど、様々な楽器によるインストゥルメンタルパート。どの曲も曲としての完成度がとても高い。

旧LPではA面最後の曲となったのが、「Horizon's」というSteveのクラシカルなアコースティック・ギターソロ。B面の大曲に移る間奏曲のような役割を持たせた見事な構成だが、この曲がまたとても美しい。

そして23分近くに及ぶ超大作「サパース・レディ」。Peter GabrielがLSD体験中の幻覚を元に書き上げたと言われる曲だが、自ら「命をかけて歌った」と言っているように、目まぐるしく変化する曲調に合わせ てボーカルスタイルも変わっていく、予断を許さない展開。インストゥルメンタルパートも単なるバックバンドの域を超えて、Genesisサウンドを作り出 そうとするような勢いを感じる。

非常に緩急、動と静の動きの激しい曲だが、澱みなく最後まで突き進む。まさにGenesisシンフォニックロックの完成形。

「Foxtrot」は、Peterを中心に、演奏面で飛び抜けたスターはいないが、個性的な音色、フレーズ、アンサンブルと、アイデアを重ねて作り上げた独特の濃密さにあふれた作品となった。それはまさにこの時期のGenesisにしか作れなかった傑作である。

 

2009年8月20日木曜日

「醒めた炎」

原題:Out of the Mist(1977年)

Illusion(イリュージョン)


Out of the Mist」(邦題は「醒めた炎」)は、イギリスのクラシカルなフォーク・ロックバンド、Illusion(イリュージョン)が1977年に発表した1stアルバム。

Illusionは、オリジナル・ルネッサンス(Renaissance)が解散した後に、再びオリジナルのルネッサンスを復活させるべく結成されたバンド。

オリジナル・ルネッサンス再建に動いていたキース・レ ルフ(Keith Relf)が、自宅で作曲中にギターの感電で死亡するという事故がおきる。その後、兄の意志を受け継ぐべく、妹のジェーン・レルフをフロントに、オリジナ ルルネッサンスの4人が集結。そこにギターとドラムが新たに加わり、6人編成のバンドとしてルネッサンスは復活する。

しかし活動を開始するにあたって、すでにバンド名の使用権がアニー・ハズラム(Annie Haslam)を擁する別バンドに移っていたことにより、オリジナル・ルネッサンスの2ndアルバムのタイトル「Illusion(幻影)」をバンド名とする。

 John Hawken:ピアノ、ムーグ、メロトロン、オルガン
 Louis Cennamo:ベース
 Jane Relf:ボーカル
 Jim McCarty:ボーカル、アコースティック・ギター、パーカッション
 John Knightbridge:ギター
 Eddie McNeil:ドラムス、パーカッション

アルバムはJim McCarty(ジム・マッカーティー)とJane Reff(ジェーン・レフル)のデュエットによる「イザドラ(Isadora)」で始まる。無理のない美しい発声による二人のフォーキーな歌は、それだけでとても優しく聴き手を包んでくれる。

バックもロックバンド形式ではあるが、フォークギターとクラシカルなピアノをメインに、歌の美しさを最優先したアレンジだ。John Hawkenのピアノ・アルペジオが印象的。間奏に入るエレキギターソロも地味ながら感動的。終盤は静かにメロトロンフルートが鳴り響く。

2曲目「自由への道」ではJaneがメインボーカルで歌う。華やかさはないがいかにもブリティッシュな落ち着いた歌い方、そして低めの声質がとても大人の女 性を思わせる。フォークタッチな歌い方ながら、音程も安定しており高音も低音も美しい。清楚にしてどこか醒めたような彼女のボーカルは、聴けば聴くほど味 わいが増す。

本アルバムは本当に良い曲が多く、3曲目の「ビューティフル・カントリー」の、冒頭の静かなムーグの調べから引き込まれる言葉にならない美しさ、途中で聴かれるメロトロン・フルートの効果的な使い方など素晴らし過ぎる。

またオリジナル・ルネッサンス時代の曲に再録にあたる「フェイス・オヴ・イェスタデイ」も、Janeの魅力爆発な名曲。スキャット部分も思わず過去を振り 返ってしんみりしてしまう程に美しい。曲自体に大きな起伏を作るというより、ある種の感情を切り取って歌にしたような淡々としながら心に染み入る曲だ。

しかし4曲目「ソロ・フライト(Solo Fight)」などは、McCartyがボーカルを取るロック寄りの7拍子の曲だし、5曲目の「エヴリホエア・ユー・ゴー(Everywhere You Go)」はオーケストラをバックにJaneが歌うノリのよい曲だし、ラスト曲はツインボーカルにハーモニーが重なるダイナミックな曲。展開も多く、本アル バム中では一番プログレッシヴ・ロック的だ。そうした音楽的な幅の広さやそれに対応できるメンバーの実力も伴っていたと言えるし、そうして曲調が変わって もどこかしら醒めたような格調高さが不変なのもいい。

全体として、美しいメロディー、ピアノを活かしたシンプルなアレンジ、Janeのメ インボーカルに、淡く絡み付くハーモニーが特徴。その中で終始美しい調べを奏で続けるピアノが特に印象的で、音楽面でJohn Hawken(ジョン・ホウケン)の存在がとても大きいことが伺える。

プログレッシヴ・ロックに分類されることが多いが、フォーク系のブリティッシュ・ロックとしても傑作。

Janeの声、いいなぁ。うん、スゴくいい。

 

2009年8月18日火曜日

「ザ・シンフォニック組曲」

原題:Hybris(1992年)

Änglagård(アングラガルド)


Hybris」(邦題は「ザ・シンフォニック組曲」または「ヒブリス」)は、1990年代に入り、まさに彗星のごとくスウェーデンから登場した90年代屈指のシンフォニック・ロックグループÄnglagård(アングラガルド:正しい発音は“エングラゴー”)の、1992年のデビューアルバム。

2ndアルバムと、もう1枚ライヴアルバムを残して解散するが、その後現在に至る北欧プログレッシヴ・ロック、あるいは世界的な新しいタイプのプログレッシヴ・ロック興隆の狼煙を上げた作品と言ってもいいかもしれない。

Thomas Jonson:キーボード
Jonas Engdegard:エレクトリック&アコースティックギター
Tord Lindman:ボーカル、エレクトリック&アコースティックギター
Johan Hogberg:ベース、メロトロン
Anna Holmgren:フルート
Mattias Olsson:ドラムス、パーカッション

彼らが新しかったのは、1980年頃にイギリスで興ったプログレッシヴ・ロック・リヴァイヴァル・ムーヴメンにおいて、ポンプ・ロック(pomp rock:華麗なロック、仰々しいロック)と、半ば揶揄されながら、オリジナリティに欠けるジェネシスタイプのバンドを多数輩出した流れとは異なり、北欧という離れた場所から、90年代的オリジナリティーを打ち出しつつ、1970年代の息吹きを直接引き継ぎついだ音を作り出した点にある。

まず第一に、ハモンド・オルガンやソリーナ、メロトロンなど、1970年代のヴィンテージ楽器への強い思い入れと深い愛情がある。それらの楽器の持つ魅力を1990年という時代に甦らせ、現代でも十分に楽器としてのパワーを持っていることを再認識させてくれたのだ。

しかし、その曲調にはポンプ・ロックが持っていた甘ったるさ、ヌルさを微塵も感じられない。むしろリスナーを突き放すような冷徹さ。それはKENSOから ロックの熱さを抜き取ったような潔い音のぶつかり合いと、先の読めない、全体像が掴みにくい曲展開。しかしそこに宿る幽玄な叙情。そこに第二の、まさに 90年代ならではの特徴があるのだ。

ボーカルパートは少ないが、貴重な清涼剤的役割を担い、インストゥルメンタル・パートはグルーヴしない律儀でテクニカルなドラムスの上で、ギターやハモンド・オルガンが力強く歌い、メロトロンが神秘のベールをかける。

一聴すると聴く者を拒絶するかのような展開も、聴き慣れるに従ってグッとリズムやメロディーが浮き出て感じられるのが不思議だ。翌年スウェーデンからデ ビューするAnekdoten(アネクドテン)ほどギターリフを多用したラフでラウドなパワーで押していくタイプではなく、複雑に構築された曲を気合いで 演奏しているようなイメージ。

このパーカッション的でグルーヴしない、メリハリのはっきりしたドラミングには好き嫌いが分かれるかもしれないが、1970年代のドラマーの多くがジャズのプレイに影響されていたのとは異なる、90年代的な潔さを感じる。それでいてプログレ・メタル的なツーバス叩きまくりではない、表情をしっかり持ったプレイであるところに、独特な魅力があるように思う。

メンバーは皆テクニシャンである。しかし時にキング・クリムゾン的なパワーで押しまくりながら、ふっとフルートやメロ トロンなどが醸し出すフォーク・トラッド的な面も大きな魅力だ。曲展開の強引さと静と動の極端な落差は、このバンドが作り出す曲の大きな特徴である。スウェーデン語のボーカルも良い味を出している。

1970年代のプログレッシヴ・ロックの影響を受け、あふれる愛情に満ちあふれながら、情や雰囲気に流されない独自の孤高なる世界を描いた傑作。音に込められたエネルギーはロック的な熱さとも異なるオリジナルな音だ。

ちなみにオリジナルタイトルの「Hybris(“ハイブリス”と発音するようだ)」は英語の「hubris」、つまり「自信過剰、ごう慢」という意味。確かにリスナーに媚びず、メンバー同士も自信を持って個性をぶつけ合い作り上げられたであろう傑作。さらに付け加えるとÄnglagårdとはHouse of Angels(天使達の家)という意味である。