2010年6月24日木曜日

「地中海の伝説」マウロ・パガーニ

原題:Mauro Pagani

Mauro Pagani(マウロ・パガーニ)


地中海の伝説」(原題は「Mauro Pagani」)は、イタリア最高のバンドの一つPFM(Premiata Forneria Marconi)のオリジナル・メンバーであったマウロ・パガーニの1stソロアルバムである。

フルートとヴァイオリンを 担当し、PFMが繊細さと大胆さを併せ持っていた初期の頃には、クラシカルで牧歌的なサウンド作りに大きく貢献。「Cook」や「Chocolate Kings」では、よりジャズロック的なテクニカルなプレイを披露し、常にPFMのイタリアらしさを担い続けていた存在であった。
 
特にライヴアルバム「Cook」におけるPFM屈指の名演「Alta Loma Five Till Nine」での、叙情さを残した鬼気迫るヴァイオリン・インプロヴィゼーションは凄まじいの一言。

その彼が1975 年の「Chocolate Kings」発表後に脱退、2年の期間をおいて1978年に発表したのが本アルバムである。

   Mauro Pagani:ヴァイオリン、ヴィオラ、ブズーキ、マンドリン、
                    リード・フルート(葦笛)

<参加ミュージシャン>
   Mario Arcari:オーボエ
   Walter Calloni:パーカッション
   Giulo Capiozzo:ドラムス
   Patrizio Fariselli:ピアノ
   Pasquale Minieri:パーカッション
   Ares Tavolazzi:エレクトリック・ベース
   Giorgio Vivaldi:パーカッション、トーキング・ドラム
   Teresa de Sio:ヴォイス
   Roberto Colombo:ポリムーグ
   Franz Di Cioccio:ドラムス
   Patrick Djivas:エレクトリック・ベース
   Franco Mussida:ギター
   Demetrio Stratos:ヴォイス
   Luca Balbo: ギター

最初に聴いた時は、とにかくアコースティックで民族音楽的な要素の大きさにびっくりした記憶がある。PFMが持っていたクラシカル・ロック、あるいはジャ ズ・ロック的な音とは目指しているものが決定的に違う。それはある意味、ポピュラリティーを得ることとは正反対な、音楽的な深みに向って進んでいるような、極めて真摯な音だった。

そしてこのアルバムが凄いところは、実は地中海周辺の民族音楽のアコースティックな魅力を大きく取込みながらも、それをロックと見事に融合させているところである。参加ミュージシャンもそうそうたる顔ぶれで、 キーボードのPremoliを除くPFMのメンバー全員、そしてAreaの全メンバー。Demetrio Stratosの超個性的なヴォイスも聴ける。

こうしたメンバーの参加を得て作られた音は、 Teresaという女性歌手(後にポップス歌手として成功、逆にマウロ・パガーニがアルバムでサポートすることもあった)の地声を活かした歌唱法や、過剰に音処理されたヴァイオリン・ソロ、Area風変拍子ナンバーなど、雑多な要素を含みながら、極めて静謐な空間を作り上げている。アコースティック色が強いにも拘らず、民族音楽的緩やかさに加え、どの曲にも音そのものにこだわった高いテンションが宿っている。

マウロ・ パガーニは各曲でヴァイオリン、フルート、ブズーキなどをプレイするが、前面に出るわけではなく、あくまで 他の楽器、他のメンバーと一緒に、この世界を作り上げている。しかしどの楽器のプレイも非常に高度で魅力的だ。結果的に見事に全体をトータルなマウロ・パ ガーニ色に染めている。

わたしが何より魅入られてしまったのは、彼のアコー スティック・ヴァイオリンのプレイである。恐ろしく切れのあるプレイ。テクニカルに弾きまくるでもなく、雄大な調べを奏でるでもない。しかし込められた集中力が並でない。PFM時代のインプロヴィゼーショ ンとは違った意味で、鬼気迫るプレイなのだ。

PFMのメンバー とAreaのメンバーが参加していると聞くと、叙情とテン ションと実験性に溢れたドラマチックな音楽を連想するかもしれない。しかしそれはある意味裏切られる。その代わり、その両バンドとも違った、さらにはイタリア的な甘美なメロディー、クラシカルな楽曲、情熱的なボーカルなどの特徴とも一線を画した、非常に豊穣な音楽に触れることができる。

「ミュージシャンでありつづけるということは、ある意味でたくさんの生き方があるが、私にとってPFM時代は、恐らく100%の可能性のうち、たった1% しか発揮出来なかったように思う。そのため、本来の自分を取り戻すのに2年という歳月が必要だった…。」
(1979年発売の邦盤LPのライナーノートより)

その言葉通りに見事に新しい世界を切り開き、PFM時代には発揮し切れなかったマウロ・パガーニの魅力を縦横に詰め込んだ、イタリアン・ロックにおける唯一無二な傑作中の傑作。


2010年6月15日火曜日

「トライヴ・オヴ・フォース」ヴァン・カント

原題:Tribe of Force

Van Canto(ヴァン・カント)


Tribe of Force(トライヴ・オヴ・フォース)」は、ドイツのメロディック・メタル・バンドVan Canto(ヴァン・カント)の2010年の3rdアルバムである。

ところがメタル・バンドと言いながら、演奏される楽器はドラムスのみ。あとは全てアカペラ・ヴォイスによる、“アカペラ・メタル”バンドなのだ。ドラムスが入っているということでは、純粋にアカペラではないけれども。

ツーバス叩きまくりのメタルなドラムスに、メロディック・メタルな男性リード・ボーカルと、ちょっとトラッド風な女性ボーカルがメロディーを歌い上げる。曲調も迫力満点にして展開もドラマチック。

そして何よりの特徴として、メタルのキモとなるヘヴィーなリフも、肉声によるベースとギター・パートが担当してしまうことだ。

   INGA:リード・ボーカル
   SLY:リード・ボーカル
   STEFF:リード&低音ラカタカ・ギター
   ROSS:高音ラカタカ・ギター
   IKE:ドゥーム・ベース
   BASTIAN:ドラムス&パーカッション

“ラカタカ”とか“ドゥーム”とかいうのはリズム・ギターやベースの音マネ・スキャットなわけだが、これが面白い。楽器になり切って音を出しているわけでもなく、かと言ってボーカル・ハーモニーに徹しているわけでもない。リズムをスキャットしているかと思うと、突然リード・ボーカルにハモって歌詞を歌ったりする。変幻自在である。

“ラカタカ/ラカタカ/ドゥームドゥーム♪”とか歌っているので、最初はそこに耳を奪われて面白半分に聴いてしまいがちだが、次第にこの超オリジナルな世界に引込まれてしまう。

“ラカタカ”なリズムギターやベースのパートに耳が慣れてくると、これがハイトーンなリード・ボーカルとともに、非常に練られたハーモニーを作り、メロディック・メタル特有の圧力のある低音と疾走感、そして爽快感を生み出していることがわかるのだ。

もちろんハーモニーもリズムもテクニックは完璧。曲の途中でリズム・チェンジするところなど、ゾクゾクするほどカッコ良い。オペラ風ではなくトラッド風なINGAのボーカルも良いアクセントになっているし、イフェクターを駆使した音マネ・リードギターの完成度も高い。一曲のみゲストでレイジ(Rage)のギタリストによるリアル・ギターが入っているが、ギターバトルまでやっていて、どちらが本物か聴き間違えそうになってしまうほどだ。

そして一曲オーケストラの入った曲があり、これが非常にドラマチック。かなりシンフォニック。そしてドラムレスなしっとりとした曲では、じっくりと力強いハーモニーを聴かせる。

しかし聴きやすいメロディー、伸びのあるリード・ボーカルに反して、実はドラムス以外の全てがボイスで作られたこの音世界は、メタルに収まり切らない、ちょっとプリミティヴな異様な迫力を持っている。それは従来のメタルともアカペラ・コーラスとも違う場所に聴く者を誘う。肉声がリズムを刻むという点で、奥深いところでケチャなどの世界にどこかで繋がっている気がしてしまうのだ。

一曲一曲が短めなのがプログレッシヴ・ロック好きとしては残念だが、現実問題としてベースやリズムギターのパートをやっていたら、一曲3分ぐらいが限界なのだろうと思う。それでもメタリカ(Metallica)のカバーは8分以上に渡り歌い続けているのだから、そのパワーには圧倒される。

5人のボーカリストと1人のドラマーによるメタル・バンド。いったいどこからこういう発想が生まれるんだろう。恐るべしドイツ。ヴォーカルにこだわるロックという点ではイタリアあたりから出てきそうな感じだが、そこは“ジャーマン・メタル”と呼ばれたメタルの歴史の長いドイツだからこそ可能になったバンドなのだと思う。

歌詞は全曲英語で、メタリカやレイジ(Rage)といった大物メタルバンドのカバーもやっているが、ほとんどはオリジナル曲で勝負しているところも納得の完成度。癖になる面白さであり、インストゥルメンタル・パートはないにもかかわらず、そこにはプログレッシヴと呼んで良いほどの斬新さが宿っている。敢えてここに載せたい傑作。


2010年6月5日土曜日

「シンフォニック・ピクチャーズ(銀河交響曲)」SFF

原題:Symphonic Pictures(1976年)
  
Schicke, Führs & Fröhling(SFF)


Symphonic Pictures」(邦題「銀河交響曲」)はドイツのバンド、Schicke, Führs & Fröhling(シッケ、フェアーズ&フローリッヒ)、通称SFFによる1976年のデビューアルバムである。スイスのドイツ語圏出身のバンドと言われたりすることもあるが詳細は不明。活動拠点はドイツの置いており、ドイツのBrainレーベルからアルバムを出している。

曲は全てテクニカルなインストゥルメンタルだが、展開の妙と情感豊かな演奏で聴く者を魅了する。タイトな変拍子と大胆なメロトロンの使用も特徴だ。

SFF としては3枚のアルバムを発表しており特にこの1stと2ndの完成度が高いが、両者には若干の違いがある。1977年の2nd「Sunburst(太陽幻想曲)」はMahavishunu Orchestraからの影響の下、当時台頭してきたクロスオーバー/フュージョン的な要素も強まり、テクニカル度が増し内容も多彩になる代わりに、1stの持っていた独特の音空間が減退した。そういう意味では本作が一番SFFの個性が発揮されたアルバムと言えるだろう。

   Eduard Schicke:ドラムス、パーカッション、ムーグ、
                   メタロフォン、シロフォン
   Gerd Führs:グランド・ピアノ、エレクトリック・ピアノ、
                   ムー グ、クラヴィネット、メロトロン、
                   ストリングアンサンブル、ベーセット
   Heinz Fröhling:ベース、アコースティック&エレクトリックギター、
                   メロトロン、クラヴィネット、ストリングアンサンブル

まず編成が変わっている。専任のベース奏者がいない。そのベースパートをギタリストFröhlingがベースを弾いたり、キーボー ドのFührsがベーセット(楽器会社であるHohner製のキーボード・ベース)を用いたりして補っている。

またそのギタリストFröhlingがキーボードも兼任しているので、キーボードによる厚みのある表現が可能になっている。ピアノも実に良く活かされているが、そこに絶妙にストリングアンサンブルやメロトロンが絡み付く。

特にメトロトンは、今でこそサンプリング音源として自由に鳴らすことが可能となったが、楽器の特性として音の立ち上がりが遅いので早いメロディーを弾くのには適していない。ところがこのアルバムではかなりメロディーを奏でさせているのだ。当時このメロトロンの使い方を耳にして、その斬新な使い方に興奮した記憶がある。

さらにドラマーのSchickeもギタリストのFröhlingも、テクニックは一流な上に、ツボを押さえたプレイが素晴らしく、その後に生まれるプログレ・メタル的な弾き倒し系ではない、味のあるテクニカル・アンサンブルを聴かせてくれる。 スムーズな変拍子にあふれた楽曲の完成度も高い。特に旧LPのB面全てを使った16分以上の大作が聞き物だ。

そして本アルバムの最大の特徴と思われるのは、実は専任者不在のベースパートにあると思うのだ。空間を広げる各種キーボード、硬質な音で緊張感をもたらすギター、そしてタイトに引き締まったドラムス。そこにシンセのような厚みと揺れのあるベース音が、ある時はベースの代わりとして、またある時はオーケストレーションのベースパートとして加わる時、独特な電子音楽的空間が立ち上がってくるのである。それが宇宙的なイメージをもかもし出し、「銀河交響曲」なる邦題にもつながったのだろう。

あるミュージシャンが言っていた。テクニックは人を“感心”させるが“感動”させるとは限らないと。テクニカルでマルチなミュージシャンによるトリオながら、テクニックに溺れることなく、この不思議な音響空間を作り上げたことによって、このアルバムは独特の個性を持った作品に仕上がったと言える。

ほぼワン・テイクで録音され、わずか一週間の作業で完成されたというのも信じがたい、非常に高い完成度を誇る。 かのフランク・ザッパが彼らの音に非常に興味を示し、スケジュールの関係でプロディースを断念したという逸話が残っているのもうなずける傑作。

ちなみにFröhlingの、レスポールとリッケン バッカーを組み合わせた、自作のダブルネック ギター&ベースがカッコイイ。これはバンドが畜舎を改造してリハーサルを積んでいた村の職人によって作られたものだとか。ロバート・フリップとクリス・スクワイアが合体したようだ…。ちょっと変な例えかな。