2010年12月15日水曜日

「過ぎ去りし夏の幻影」ノヴァリス

原題:Sommerabend(1976年)
 
■Novalis(ノヴァリス)
 
 
Sommerabend(邦題は『過ぎ去りし夏の幻影』」は、ドイツのバンドNovalis(ノヴァリス)が1976年に発表した3rdアルバム。タイトルの「Sommerabend」は英語にすると「Summer Evening」、つまり「夏の夕暮れ」。

ドイツのプログレッシヴ・ロックというとTangerine Dream(タンジェリン・ドリーム)やKraftwerk(クラフトワーク)などのシンセサイザー系なイメージが強かった当時、その詩情豊かな音楽性に 圧倒された覚えがある、まさにドイツ・シンフォニックロックの名作。

バンド名の「Novalis」は、18世紀〜 19世紀にかけて活動したドイツ・ロマン主義の詩人・小説家であるNovalis(本名フリードリヒ・フォン・ハルデンベルク Friedrich von Hardenbergのペンネーム)から取ったとされる。“Novalis” という言葉はラテン語で“新開墾地”を意味するという。

   Detlef Job:ギター、ボーカル
   Lutz Rahn:キーボード
   Heino Schünzel:ベース、ボーカル
   Hartwig Biereichel:ドラムス

アルバムは全3曲という大作で占められる。しかし仰々しさやテクニカルな派手さはなく、むしろ堅実な演奏と魅力的なメロディー、そして自然な曲展開で、聴く者をまさに“夏の日の夕暮れ時”へと誘ってくれる。

何と言っても曲が良い。そして楽器のバランスがいいのだ。キーボードも派手なオーケストレーションはしないし、ギターも弾き倒すわけでもない。アンディー・ ラティマーとピーター・バーデンスがいた頃のCamel(キャメル)のように、サウンドの絶妙なバランスの上に情感豊かな世界が広がっていく。

しかし例えばCamelが名作「Snow Goose(スノーグース)」で表現した、物語に沿った人物やその心情の見事な描写とは異なり、このアルバムでは、夏の夕暮れという自然の時間と空間から 生まれる切ない心情が表現されているのだ。それは昼間の暑苦しい太陽が沈んで、祭の後のようなちょっとした寂しさと、けだるいく物憂い夜の始まり。様々な記憶が浮かんでは消えていくような時間だ。

さらにこのアルバムでノヴァリスは、避暑地で静かに日が暮れ行くのを 見つめているような、情景を演出している。ボートをこぐオールが軋むような音、カエルの鳴き声、波が打ち寄せる水音。それらとバンドの、決して音数は多くな い演奏が見事に解け合い、遠い記憶を呼び覚まされるかのようだ。

とは言ってもいわゆる環境音楽とかヒーリング・ ミュージック的なものではなく、しっかりと“ロック”しているところがまた魅力である。美しいメロディー、ドイツ語による実直なボーカル、タイトなリズ ム、そして時にハードロック的に疾走する展開。つまり、“間”の取り方や音のバランス感覚が優れているんだろうと思うのだ。ここには、詰め込み過ぎないこ とで生まれる、聴き手の感情を引き出す力がある。

元来プログレッシヴ・ロックというのは、こうしたある種の“非日常 的”な世界を見せてくれる音楽であった。超絶テクニカルプレイだとか、壮大なオーケストレーションだとか、泣きのギターだとかは、そのための手段に過ぎな かったはずなのだ。それが今やヘタをするそれ自体が目的になったかのような音楽が“プログレッシヴ・ロック”になってしまった。

メ ンバー全員が超絶テクニシャンであるとか、シンフォニックであるとか、クラシックとの融合であるとか、「ハケット風ギター」であるとかいう前に、そこに別 の世界を垣間見せてくれる音楽的魅力があるかどうか。一聴すると特別革新的なことも目新しいこともないように思われるこのこのアルバムには、そんなことま で考えさせられる強い“音楽の力”を持っている。

感情を抑え気味に歌うギター、 静かに爪弾かれるアコースティックギター、メロトロンよりもストリングス・アンサンブル主体にオルガン、シンセサイザー、エレクトリックピアノなど多彩ながら的確に使い分けられるキーボード。そしてドラムの締まった音がまた良いのだ。

ある種のあか抜けなさというか生真面目さが、熟達し洗練することで逆に失ってしまう大事なものを残してくれている感じ。そういった点では、タイプはまったく違うけれどイタリアの「Le Orme(レ・オルメ)」の魅力に通じるものがある。

これだけの映像喚起力のある作品はちょっと他にはないんじゃないだろうか。聴くほどに世界が開けていく、ジャーマン・プログレッシヴ・ロックの名作中の名作。

ちなみに日本でも日が沈む「黄昏時(たそがれどき)」は別名「逢魔が時(おうまがどき)」と呼ばれて、魔物に出会う一種不思議な時間帯とされていた。夕暮れ(abend)はようの東西を問わず、何か不思議で特別な時間帯なのかもしれない。その美しくも神秘的な雰囲気が、このアルバムにもある。

なおサウンドに見事にマッチしたジャケットの絵は、アルバムにはLord's Gallery, Londonとしか書かれていないが、アメリカの画家・イラストレーターであるMaxfield Parrish(マックスフィールド・パリッシュ:1870-1966)の作品。「Scribner's」というイラスト雑誌の表紙に使われた「森の少女」(1900)。



2010年11月30日火曜日

「ポセイドンのめざめ」キング・クリムゾン


キング・クリムゾン(King Crimson)


プログレッシヴ・ロックを代表するイギリスのバンドで、キング・クリムゾン(King Crimson)が、衝撃的なデビュー作にして永遠の名作「In the Court of Crimson King(クリムゾン・キングの宮殿)」に続いて、1970年に発表した2ndアルバム。

   Robert Fripp:ギター、メロトロン、デバイス     
   Greg Lake:ボーカル     
   Michael Giles:ドラムス     
   Peter Giles:ベース     
   Keith Tippett:ピアノ
   Mel Collins:サックス&フルート
   Gorden Haskell:ボーカル
   Peter Sinfield:作詞

メンバーは上記の通り大所帯だが、これはパーマネントなものではなく、むしろフリップ(Fripp)とシンフィールド(Sinfield)を核にしたプロジェクト的な状況だった。1stアルバムの中心人物であったイアン・マクドナルド(Ian McDonald:フルート、サックス、クラリネット、キーボード、メロトロン、ボーカル)はマイケル・ジャイルズ(Michael Gile)とともに脱退し、McDonald&Giles(マクドナルド&ジャイルズ)を結成、アルバム制作を行なおうとしていたし、グレッグ・レイク(Greg Lake)も脱退しEL&P(エマーソン、レイク&パーマー)結成に向けて動いていた。

つまりここでのメンバーは、フリップがまさにこのアルバムのためにだけ再び集めた、元メンバーの集合体だったのである。
 

しかしだからと言ってこのアルバムが中途半端なものであるとか、プレイに精彩を欠くいうことでは全くない。むしろフリップがその強靭な統制力で、イアン・マクドナルド抜きで1stに匹敵するような、重厚でさらにフリーフォームな広がりを持った作品を作り上げたと言える。

LPではA面にあたる最初の3曲は、まさに1stを意図的になぞるかのような曲が並ぶ。ギターとサックスが荒々しいヘヴィーな1曲目。途中でリズムチェンジするところまで似ている。フルートが美しいフォーキーな2曲目。ゴードン・ハスケル(Gordon Haskell)のつぶやくようなボーカルとメル・コリンズ(Mel Collins)のフルートが印象的だ。そしてメロトロンが唸りグレッグの渾身の絶唱が光るシンフォニックな3曲目。

それはまるでフリップが、イアンの力に負いながら奇跡のように「出来てしまった」アルバムである1stを、今度は自分の力で「意識的に作る」作業を試みたかのようである。それはちょうど「不思議の国のアリス」と「鏡の国のアリス」の関係のように。

2ndでは「Peace」という曲をアルバムの最初(ボーカル)、中間部(アコースティックギターのみ)、最後(ボーカル)に持ってきて、全体のトータル性を高めている。またタイトルの海神Poseidon(ポセイドン)に合わせて、アルバムジャケットのインナーデザインは水面のようなブルーを基調としたものになっているし、タイトル曲「ポセイドンのめざめ」でのメロトロンの響きは、深い海の神秘的な姿を思い起こさずにはいられない。

さらに新たにジャズピアニストであったキース・ティペット(Keith Tippett)の奔放なピアノが、演奏全体にフリーフォームな雰囲気を与えているのも大きな特徴だ。「ポセイドンのめざめ」で、メロトロンが鳴り響きグレッグが歌う中、フリップがコード弾きでもソロ弾きでもなく、思うがままにアコースティックギターを爪弾くような部分にも、それは聴いて取ることができるだろう。

さらにインストゥルメンタル大作「デヴィルズ・トライアングル」では、ホルストの「惑星」の中の「火星」からのメインメロディーから始まって、やがて各プレーヤーバラバラの演奏に、コラージュ風に様々な音が重ねられるという、コスモス(cosmos)からケイオス(chaos)へ至るような展開を見せる。そこで鳴り響くメロトロンも、ストリングスだけでなくブラスやフルートまで使われ、1stに比べ非常に荒々しく暴力的である。そして一瞬1stの「クリムゾン・キングの宮殿」の印象的なメロディーが響く。それはまるでリプライズのようだ。

そうなのだ。この2ndアルバムは1stを敢えて踏襲し、乗り越えようとした作品なのではないかと思う。そして意図的に前半の構成を似せたのは、1stと2ndで一つの作品としようという意図があったのではないか。2ndの前半は言わば1stの変奏曲である。そして全体のラストを飾るのが、壮大で実験的な大作「デヴィルズ・トライアングル」であり、「クリムゾン・キングの宮殿」のメロディーは、1stから繋がるトータルな流れの中でのリプライズなのではないだろうか。

残念ながらアルバム単体で見た時には、2ndは1stを越えることは出来なかったと言えるかもしれない。個人的には「21st Century Schizoid Man」の、ねじれるようなギターソロや、「Epitaph」で聴けるGreg Lakeのアコースティック・ギターなど、記憶に残るソロプレイに欠ける点が惜しい。

しかし各メンバーはまさにプロジェクト状態とは思えないほどに、全力を叩き付けるようなプレイを聴かせてくれるし、これ以上ないほどの美しいメロトロン(「ポセイドンのめざめ」の間奏部)と凶暴で圧倒的なメロトロン(「デヴィルズ・トライアングル」)の両方を聴くことができる希有な作品。

1stと比較され、その影に隠れがちであるけれど、紛れもなくKing Crimsonにしか作り得なかった傑作。

ちなみに邦題の「ポセイドンのめざめ」は「wake(目覚める)」から勘違いしたと思われる誤訳。「in the wake of ...」で「...の跡を追って」という慣用句なので、タイトルは「海神ポセイドンの跡を追いて」というような意味。あるいは「海神ポセイドン出現の後に」 とも取れるかもしれない。

 

2010年11月6日土曜日

「おせっかい」ピンク・フロイド

原題:Meddle(1971年)

ピンク・フロイド(Pink Floyd)


1971年秋、前作「Atom Heart Mother(原子心母)」から約1年後に発表された作品であり、怪物アルバムとなった次作「The Dark Side of the Moon(狂気)」へと向うメンバーの当時の充実度が現れたアルバムだ。

構成は「Atom Heart Mother」に似て、当時のLP片面に小曲を配し、もう片面を大作1曲で占めるというものだが、本作ではまずA面に小曲が並び、ラストを大曲が飾る流れとなっている。それもあってか、最初に「One of These Days(吹けよ風、呼べよ嵐)」というインパクトの強い曲が置かれている。つまり「ハードな世界」→「アコースティックな世界」→「幻想的な世界」という絶妙な流れができあがっているのだ。
 
ちなみにインストゥルメンタル曲「One of These Days」の中で、イコライズられた声で何やらうめくように叫ばれているのは次のような言葉だ。

   One of these days, I'm going to cut you into little pieces!
   いつの日か、俺はお前を粉々に切り刻んでやるぜ!

「吹けよ風、呼べよ嵐」という勇ましい邦題とはちょっと違った、心の奥底に秘めた憎しみを吐露したようなものである。だからサウンドだけでなく、曲全体としても“ハード”なのだ。


   Roger Waters:ベース、ボーカル
   Nick Mason:パーカッション
   Dave Gilmour:ギター、ボーカル
   Rick Wright:キーボード、ボーカル


このアルバムで特徴的なのは、メンバー全員が迷いも不安も苦悩もなく、自由に自己表現しようとする姿勢に満ちていることである。それは時代への意識や個々人の感情や思想などの比重が次第に大きくなっていくその後の作品にはない、ある意味余裕と軽やかさを併せ持った姿である。

特にNick Masonの多彩とは言いがたいけれど、的確で味のあるドラミングや、Rick Wrightのリズミカルで即興的なオルガンの響きは、このバンドが決してDave Gilmourのギターだけに頼っていたわけではないことを示している。

さらに言えばGilmourのギターも、その後の作品ほど前面で鳴っているわけでもないし、ブルース色が強い情感豊かなギターという際立った特徴にも至っていないのだ。もちろん幾重にも重ねられたギターサウンドや、時折見せるタメの聴いたソロは十分魅力的ではあるけれども。

こうして前作とは一転して4人のメンバーだけで作り上げることで、そうしたメンバーの活き活きとしたプレイは強調され、それはPink Floydの作品群の中でも比類無き幻想性と深みを持った「Echoes(エコーズ)」を生むこととなる。

「Echoes(エコーズ)」がその後の大曲と大きく違っているのは、それがまだ今まで達し得なかった音楽世界をつかみ取ろうとした曲であるという点ではないかと思う。そこには個人的思想や感情の吐露はなく、ただ大きな時間と空間の流れの中で、聴く人それぞれに永遠に身を委ねていたくなるような、どこか既視感のある世界を喚起するような力が存在するのだ。

通常はハモンド・オルガンにつなぐレスリー・スピーカーを使った、ソナーのような極めて印象的なピアノの響き。鳥の泣き声のようなギター。物悲しくも美しいボーカルハーモニー。永遠に続くかのような中間部のジャズーなリズムとエコーの効いたギターソロ。そこでは4人の演奏とサウンドアイデアが見事に解け合っている。

もちろんサウンド操作、サウンド・イフェクトに対するこだわりは相変わらずで、「One of These Days」のベースの重ね具合、シンバルの逆再生音の挿入、ステレオの左右へ効果的で意表をつくように行なわれるパン(音の振り分けや移動)。テクニックで聴かせるバンドではないが、心地よさと直接感覚にくる刺激に満ちたサウンドである。Pink Floydの作品群の中でも非常に特異な傑作大曲である。

さらに特筆すべきは、「Echoes」のボーカルメロディーもそうであるが、小曲で聴かれるアコースティックなサウンドにおけるメロディーの良さ。こうしたメロディー勝負の小曲だけでも、秀でたアルバムが作れたんじゃないかと思えるほどだ。

「The Dark Side of the Moon」的な一部のスキもないかのような緻密な構成という“制約”もなく、メンバー全員が自分の音、自分のプレイ、自分たちの作り出すサウンドに、大きな自信を持ち、大いなる可能性を信じて作り上げた傑作。

さらにこの「Echoes」をメインにした秀逸な音楽映像「Live at Pompeii」も必見である。メンバーへのインタビューなどを含めたディレクターズカット版と、オリジナル版が含まれているが、演奏のみに集中したオリジナル版が圧倒的に良い。

ポンペイの円形劇場における、観客のいない野外ライヴ映像である。メンバーが媒介となって開かれる神秘的で時空を超えたような音宇宙に打ちのめされる。特にDave Gilmourのギターは、アルバムを軽く凌いでいると言える。

なお「Echoes」については、「ピンク・フロイド 幻燈の中の迷宮」(今井壮之助/高橋伸一著、八幡書店、1997年)で、非常に詳細な分析がなされている。「Echoes」の魅力を探るには必携な一冊である。

 

2010年10月16日土曜日

「ニヒル」ニュークリアス・トーン

原題:Nihil(2006年)
  
ニュークリアス・トーン(Nucleus Torn)


ニュークリアス・トーンはスイスの7人編成のバンドである。その音楽性からプログレッシヴ・ロック、あるいはメタル両分野で取り上げられることがあるが、どちらにしても一筋縄ではいかない音楽的な個性を有している。

フォーク・メタルとかゴシック・フォークとかゴシック・シンフォニックなどと呼ばれたりもして、ある意味あらゆるジャンルに於いて辺境にあるサウンド。だからこそ“プログレッシヴ”だと言える1枚だ。アバンギャルド(前衛)・ロックと呼ばれたりもするが、決して難解な音楽ではない。

   Maria D'Alessandro:ボーカル
   Patrick Schaad:ボーカル
   Christoph Steiner:ドラムス、パーカッション
   Rebecca Hagmann:チェロ
   Christine Schüpbach-Käser:バイオリン
   Anouk Hiedl:フルート
   Fredy Schnyder:その他すべて
   (エレクトリック、アコースティック、クラシック・ギター、ピアノ、
   チャーチ・オルガン、ベース、リコーダー、 ダルシマー、
   アイリッシュ・ブズーキ、マンドリン、ウード、バグパイプ、
   パーカッション)

まず目を引くのがFredyの担当する楽器の多さであろう。特にアコースティック楽器の多さに驚く。ダルシマーはアメリカのアパラチア地方の民族楽器、ブズーキは元々はギリシャで生まれたマンドリンに似た楽器、ウードは西南アジア・北アフリカで用いられ るマンドリンに似た楽器、saz baglamaはトルコの民族楽器である。実に多彩で広範な楽器に精通し、音楽に取り入れていることがわかる。

ニュークリアス・トーンはこのFredyというマルチ・インストゥルメンタリストを中心としたバンドなのだ。実際に彼は楽器だけでなく、作詞作曲のみならず、レコーディングからジャケットデザインまでこなしているのである。

そしてもう一つ非常に特徴的なのが、バンド内にバイオリン、チェロ、フルート奏者がいるといる点であろう。しかし男女ツインボーカルであり、ドラムス担当もいる。いったいどんな音楽がそこから生まれるのか、バンド編成だけ見ても興味をそそられる。


「Nihil」はそんな彼らのファースト・フルアルバムである。彼らのサイトを見ると、このアルバムには次のようなコメントがされている。

「Exploring the boundaries of rock music - from silence to raging fury. (ロック・ミュージックの境界の探求 - 静寂から荒れ狂う激情に至るまで)」

とある。彼らのサウンドを一言で見事に現していると言える。

最初の流れてくる曲は、ほとんど良質なケルト・ミュージックである。女性ボーカルが淡々と歌い上げる幻想的で物静かな歌だ。爪弾かれる弦の音が美しい。そこにバイオリン、チェロが重なってくる。そしてバグパイプが歌う。この曲はこうしたフォークタッチのまま静かに終わる。それ自体で完成された一曲。リコーダーの素朴で透き通るような音が染みる。

ところが2曲目はミステリアスな導入部に引き続き、いきなりドラムス、ベースが入ったロックのリズムで劇的に幕を開ける。それはまるでアネクドテン(Anekdoten)のようである。しかしそこで鳴り響くのはメロトロンではなく生の弦楽器である。この暗さ、神秘さはしかし1曲目のケルティックな世界と見事につながっている。奇をてらったわけでもなく、実に自然に激情を抑えたようなメロディーが男性ボーカルによって歌われる。そして一転、荒々しいギターリフが切り込み、激情は解き放たれる。曲は再び静寂へと戻る。このゾクゾクするような絶妙な展開。

そして3曲目はピアノソロで静寂に戻るかと思うと、続く4曲目はノイジーなギターの背後で弦楽器が分厚く鳴り響くという重苦しい迫力に満ちたロック。しかし間奏部はギターとチェロ、そしてフルートによる妖しくも静かな世界。

こうしてケルティックな神秘と静寂の森から、Anekdoten、さらにはKing Crimsonにつながるような暗黒の激情にまで行き来する、実に特異な音楽。

プログレッシヴ・ロックという様式の中にケルティックな民族音楽を散りばめてみましたというものではない。メタリックな要素もケルティックな要素も、それ自体でしっかりと完成されたものを、見事なセンスで一つの音世界にまとめ上げた、今までにないプログレッシヴ・ロックである。

シンフォニックではない。どちらかというと室内楽、そしてアコースティックな民族音楽と、ヘヴィーでダークなロックが融合された世界。そこが同じようにケルティックな要素を持つアイオナ(Iona)などの、キーボードが活躍するシンフォニックな音とは決定的に異なる。

いわゆる昨今の、1970年代プログレッシヴ・ロック・ミュージックを一種のフォーマットとして意識したような作品とは異なる、ハマると抜け出せない深みを持つ、個性が光る1枚。ラストの曲で突き抜ける。傑作。

 

2010年9月25日土曜日

「エアリー・フェアリー・ナンセンス」エニド

原題:Aerie Faerie Nonsense(1977年)

エニド(The Enid)


エアリー・フェアリー・ナンセンス(Aerie Faerie Nonsense)」はイギリスのバンドエニド(The Enid:正確には“ズィ・イーニッド”)が1977年に発表したセカンドアルバムである。全曲インストゥルメンタルで全5曲、その内LPでB面にあたるラスト曲が17分を越える大作という構成である。

輸入盤LPとして手に入れた頃のことを思い出す。LPは針がビニルの円盤の溝を直接トレースするから、聴けば聴く程物理的に劣化するというイメージが湧きやすかった。だから1回1回大切に聴いたものだった。

そんなLPレコードの中でも、特にこの“聴くことが盤の命を縮めている”という切ない気持ちで真剣になって聴いていたのが、このアルバムである。それは輸入盤で しか手に入らなかったという当時の理由に加え、非常に小さな音から大いに盛り上がる部分まで、音のレンジがとても広かったこともある。

特に大作「Fand」の2nd movementは、1st movementが終わり一旦無音になった後、情感豊かなシンセサイザーのストリングス音がとても静かに、ゆっくりとメロディーを奏で始める。しかしそして丁寧に丁寧に クライマックスへと盛り上がっていくのだ。これは音の質を落としたくない音楽だと思った。

当時の第一印象はパーカッションが強化された、バンド形式によるクラシック音楽というものだった。しかし聴き込むうちに、確かにクラシック的な音の重ね方や曲の作り方をしているが、これはクラシックではないという思いが強くなった。

どうしても当時からクラシックの物まねであるとかクラシック・コンプレックス的作品であるというような、否定的な見方が一部にはあった。しかし違う。クラシックで曲を書こうと思えばリーダーのRobert John Godfreyならできたはずだ。Berkley James Harvestのオーケストラ指揮者を務めた人物である。

だからこの音楽は彼のソロアルバム「フォール・オブ・ハイペリオン」同様に、クラシックとかロックとかいったジャンルを越えたところで、彼がこういう形でしか表現できないと思った、オリジナルな音楽、オリジナルなジャンルなのである。

   Robert John Godfrey:キーボード
   Francis Lickerish:ギター、ベース、リュート
   Stephen Stewart:ギター、パーカッション
   Charley Elston:キーボード
   David Storey:ドラムス、パーカッション
   Terry "Thunderbags" Pack:ベース


そしてこの2ndアルバムと1stアルバムは、数奇な運命を辿る。エニド側と当時の発売元だったEMIレコードとの間がこじれたためとかマスターテープが無くなってしまったためなどと噂され、結局その後のCD化の波の中でもCDにならなかった。そしてエニドはインディペンデントの道を進む中で、1stと 2ndを1980年代半ばになって新たに録音し直すこととなる。

再録とは言え、数年の年月を経たためメンバーも使用機材も時代とともに変わっており、さらに曲自体にも手が加えられ、「Fand」に至っては倍近い30分弱の作品へと生まれ変わっている。併せて曲名や曲順なども手が加えられ、もはやオリジナルの再現というよりは別アレンジの新盤、あるいは別バージョンといったものとなっていた。
 
曲展開はより複雑に、音はより分厚く派手になった。それはそれでやはり他のバンドの追随を許さない孤高のサウンドであったが、デジタル化される前のキーボードを使い、音色や音量をリアルタイムでコントロールしながら“楽器”として表現の幅を広げようと奮闘していた独特な緊張感と叙情性、所々でアコースティック楽器を活かした1970年代的な手作り感、そういったものによってオリジナルの音に込められていた煌めきは失われたように思う。

その後も再発される度に、今度こそオリジナル盤のCD化かと思いながら裏切られ続けた33年間であった。その間、他のアルバムに1979年のライヴ音源がボーナストラックで加えられたり、バンドサイトで申し込めばオリジナルに近いヴァージョンが手に入るなどということがありながら、それが逆にオリジナルヴァージョンは最早CD化は不可能ということを物語っているようにも思えたものだ。


それが、経緯は不明だがオリジナルEMI音源のリミックス盤として登場したのが本作である。リミックスの結果、若干ドラムス&パーカッション類の音圧が増し、よりロック的な音像になったように思う。しかしそれはむしろ全体と して安定感と、エニドの作り出すオリジナルな音楽という存在感を高める結果になった。クラシカルな繊細さとロックなダイナミズムの間のレンジがさらに広がった感じなのだ。

ある意味異形な音楽である。既存のクラシック音楽をロックにアレンジするということはかなり行なわれていたし、バンドの曲にオーケストラを導入することも特別なことではなかった。しかし彼らは違っていた。彼らが選んだのは、オーケストラ編成の金管・木管・弦などのパートをロックバンド編成でシミュレートし、クラシック的に複雑に構築された音楽を奏でるというものだった。

そして一歩間違えばクラシックもどきか安っぽいムード音楽になりかねないところを、突き詰めて突き詰めて、クラシックでもロックでもない音楽へと突き抜けてしまったのだ。そうしたら逆にオーケストラでは実現できない、こんなに豊かな音楽の世界に到達してしまった。

エニドの作品群の中でも、曲の良さ、演奏の良さで最高作と言える。順序は逆だが1985年の新録バージョンの贅肉を削ぎ落としたようなストイックさとストレートさも魅力だ。1stや3rdにあるピアノをメインにした小曲がない点だけがちょっとだけ残念。しかし魂のこもったキーボードや、甘く絡みつく妖艶なギター、ドラム以外にも随所で活躍する打楽器などが溶け合う、美しく緻密なアンサンブルに酔いしれたい。傑作中の傑作。

ちなみに「Fand」とはアイルランド神話(ケルト神話)における海の神の名前。後に妖精たちの女王と記述されるようになり、女神の中で最も美しいとされる(Wikipediaより)。

オリジナル盤のCD化としては先にInner Sanctumからされ発売されている。Inner Sanctumは現在エニドと版権をめぐり訴訟中なようだが、そういった諸事情はさておき、Inner Sanctum盤は明らかにレコードからのコピー、いわゆる“盤落とし”であり、音質的にも悪い粗悪品である。特に「Fand」の2nd movementの魅力が台無しになっている。ぜひご注意されたい。

あぁやっとここで紹介でいた。うれしい。

 

2010年9月16日木曜日

「サック・オン・ディス」プライマス

原題: Suck on This(1990年)

プライマス(Primus)

 
「サック・オン・ディス(Suck on This)」はアメリカのバンドPrimus(プライマス)の1990年発売の1stアルバムだ。しかしデビューアルバムにしてライヴ。それもすでに演奏面でも個性の点でもすでに完成されているという素晴らしい作品。
  
ギター、ベース、ドラムスのスリーピースバンドでありながら、演奏は時としてクリムゾン級のアンサンブルと集中力を見せる。しかしながら恐らくプログレッシヴ・ロックとして位置づけられることは、ほとんどないと思われる。

それは、いわゆるプログレッシヴ・ロックの“様式”的側面をはからずも浮き彫りにさせてしまうことになるのだが、彼らの音楽のサウンド面には“ファンキー”さが含まれているのだ。そしてスラップ(チョッパー)・ベースを操るレス・クレイプールのノリノリのリズムと、ひょうひょうとしたボーカル、単調なメロディーと予測できないねじれた曲展開。深遠なような下品なような、不思議でユーモラスで、饒舌なわりに良くわからない歌詞。

そう、いわゆる“プログレッシヴ・ロック”が持つ生真面目さと重厚さに欠けるのである。そのあたりはフランク・ザッパの置かれている立場に近いかもしれない。クラシカルさもない、シンセサイザーやメロトロンも登場しない。

しかし“ファンク”さもどこか奇妙な味わいがあり、いわゆるファンク・バンドとも異なる。ミクスチャーと言えばミクスチャーなのだが、“ノリ”だけで突っ走るわけではなく、むしろ“ノリ”をも対象化して、複雑なスラップ・ベースの反復リズムの世界にはまり込んでいくような、実は一筋縄ではいかない迷宮的魅力があるのだ。

   Tim Alexander:ドラムス
   Larry Llonde:ギター
   Les Claypool:ベース、ボーカル

1曲目冒頭から変拍子である。途中からリズムチェンジする。驚くほどキレの良い演奏と一糸乱れぬアンサンブルに度肝を抜かれる。ドラムスがまた良い。以降のスタジオ盤にはない勢いと、スネアのピッチの高い「カーン」という感じの音が心地よいのだ。手数足数も多く、リズム隊の2人による演奏は音の薄さを微塵も感じさせない。

しかし低音から中音域までカバーし動き回るベースと、ピッチを高めにしたパーカッション的ドラムスのコンビは、メタリックな音圧は作り出さない。ビンビン、パタパタ、タカタカとノリノリに放たれるその宙に浮いたようなサウンドがまた異様な世界を作り出す。

そしてその上にメロディーともノイズともつかないようなギターが乗る。1stアルバムだけに、まだメタル的なソロや早弾きも時折見せるが、すでにかなり不可思議な音を連発している。

この3者が暴れ出すと、凄まじいパワーを発揮するのだ。ある意味全員がリード楽器。そして複雑なのにグルーヴ感のあるリズムがクセになる。鼻にかかった脱力系のボーカルもクセになる。異様な音色で切り込んでくるギターもクセになる。それはどこか狂気じみた世界なのだ。

曲はどれも短めで使われているコードも少ない。そういう点ではパンクっぽさもある。しかしパンクはプログレッシヴ・ロックの重厚長大さやテクニック至上主義を批判したが、彼らの音楽は非常に高度なテクニックとオリジナリティあふれる音楽性に支えられている。

そういう意味ではプログレッシヴ×パンクとも呼べそうだし、ファンク・メタルと呼ばれることもあるようだ。彼ら自身は自分たちのサウンドを“サイケデリック・ポルカ”と呼んでいたそうな。

要するに既成の枠にはめることのできない音楽。つまり本来の意味で“プログレッシヴ”なのである。アメリカからしか出て来れないであろう傑作だ。

ちなみに「suck」とは「吸う」という意味で、タイトルは「こいつを吸いな」って感じ。それで哺乳瓶が描かれているわけだが、「オレたちの音楽を味わってみな」というメーッセージとも取れる。

また「suck」には「最低である、最悪である」という意味もあり、彼らは自分たちのことを「Primus Sucks!(プライマスは最低!)」と言っていた。アルバム中のMCでも「We promise we suck!(もちろんオレたちは最低さ!)」とか、聴衆にたいして「You are bastards. (お前らも最低!)」などと言っている。まぁ「bastard」は親しみを込めた表現だけど。さらに「suck」にはセクシャルな意味もある。
 
タイトルの「suck」にはそういった言葉の様々なイメージが込められているのだ。
 

2010年8月24日火曜日

「アクワイアリング・ザ・テイスト」ジェントル・ジャイアント

原題:Acquiring the Taste(1971年)

ジェントル・ジャイアント(Gentle Giant)

「アクワイアリング・ザ・テイスト(Acquiring the Taste)」はイギリスのロックバンドの中でも異彩を放ち続けクオリティーの高い作品を出し続けた希有なバンドGentle Giant(ジェントル・ジャイアント)の2ndアルバムである。

まさにその後の方向性を決定づける記念碑的なアルバムであるし、有名な

「It is our goal to expand the frontiers of contemporary popular music at the risk of being unpopular.(現代のポピュラーミュージックの境界を、ポピュラーミュージックとは呼べなくなる危険を冒しつつ押し広げることが、われわれの目指すところなのだ。)」

という文言がジャケットに記されている。

   Gary Green:6弦&12弦ギター、12弦ワウワウギター、
          ロバのあごの骨(キハーダquijadaという打楽器のことか)、
          ネコの鳴き声(をまねたヤジ)、声
   Kerry Minnear:エレクトリック・ピアノ、オルガン、
          メロトロン、ヴィブラフォン、ムーグ、ピアノ、チェレスタ、
          クラヴィコード、ハープシコード、ティンパニ、
          シロフォン(木琴)、マラカス、リードボーカル
   Derek Shulman:アルトサックス、クラヴィコード、カウベル、
          リードボーカル
   Phil Shulman:アルト&テナーサックス、クラリネット、トランペット、
          ピアノ、クラヴェス、マラカス、リードボーカル
   Ray Shulman:ベース、ヴァイオリン、ヴィオラ、
          エレクトリック・ヴァイオリン、スパニッシュ・ギター、
          タンバリン、12元ギター、オルガン・ベース・ペダル、
          頭蓋骨、ボーカル
   Martin Smith:ドラムス、タンバリン、ゴング、サイド・ドラム
 
<ゲスト>
   Paul Cosh:トランペット、オルガン
   Tony Visconti:リコーダー、バス・ドラム、トライアングル
   Chris Thomas:ムーグ・プログラミング
 
(ジャケットにクレジットがなかったので
メンバー及び担当楽器はWikipediaによる)

いつもながらに担当楽器の多彩さに圧倒されるが、ティンパニーやリコーダーなどのロック的ではない楽器が、同じ曲の中でロック的な楽器と違和感なく同居しているのがGentle Giantらしい。

4作目の「Octopus(オクトパス)」でドラムスがJohn Weathersに替わってから、リズムにパワフルなグルーヴが加わり、より洗練された緻密さと大胆さを兼ね備えたサウンドになっていくのだが、このアル バムではむしろ洗練される前の混沌とした薄暗さが大きな魅力となっている。
 
初めて導入されたというシンセサイザーの響きもウネウネと妖しい。全体的にミディアム/スローテンポな曲が多いこともあって、音とコーラスの迷宮に引きずり 込まれていくような独特の魔力を持つ。アレンジ面でもエコーが比較的強調されていることも、幻想性・幻惑性を高めている要因と言える。
 
多彩な楽器の使用法、曲展開、リズムチェンジ、コーラス・ワーク、全てが予想を裏切りつつ曲は進んでいくのに、聴いていると不自然さや無理矢理さがなく、むしろ音やハーモニーの美しさに耳を奪われる。

しかしそこに込められた音楽性の多彩さは、聴き込むほどに深みを増してくる。プログレッシヴ・ロックである以前に、ロックという音楽があらゆるジャンルを取り入れることが可能なミクスチャー・ミュージックとして存在していたことを思い知らされる感じだ。

まさにバンドが宣言するポピュラリティーと実験精神のせめぎ合いが、絶妙なバランスで1枚のアルバムとして結実している。「ポピュラーでない音楽になる危険 を冒してでも…」という意気込みが、Gentle Giantの作品群の中でも特異なミステリアスな雰囲気をこの作品にもたらしたのではないだろうか。

突出した個性的なプレーヤーや強烈な印象を残すソロプレイなどはない。だからこそ、そのサウンド・アンサンブルの暗闇へと知らず知らずに落ちていくのである。こんな強烈な音楽を演奏しながらスタープレーヤーがいないというところがGentle Giantの個性であり、他のバンドとは根本的に音の作り方やバンドの在り方が違っているように思うのだ。あらためて非常に不思議な、まさにプログレッシ ヴなバンドであることを感じさせられる1枚。

後期のロック色が増し、整然と複雑なことをやってのけるGentle Giantとも、楽器を取り替えながら観ているものを唖然とさせながら楽しそうに演奏するアクロバティックなGentle Giantとも違った魅力がここにはある。1971年の作品とは思えない、まったく古さを感じさせない初期の大傑作。
  
ちなみに「aquire the taste」は、「美味しさを堪能する」、あるいは「鑑賞力・審美眼を獲得する」というような意味かな。つまり「オレたちの音楽の奥深さが君たちにわかるかい?」っていう挑戦的・挑発的な含みのあるタイトルなのかもしれない。やっぱり自信と意気込みが違う。
 
 

2010年8月8日日曜日

「ウインドウズ」タイ・フォン

原題:Windows

タイ・フォン(Thai Phong)
 
ウィンドウズ(Windows)」はフランスのタイ・フォン(Tai Phong)が1976年に発表した2ndアルバム。約3週間で作り上げたと言われる傑作1stアルバム「恐るべき静寂(TAI PHONG)」の成功、特に「Sister Jane」のシングルヒットを受け、時間をかけて丁寧に作り込んだ見事な作品である。

   KHANH:ボーカル、ギター
   TAI:ボーカル、ベース、アコースティック・ギター、ムーグ
   J.J.GOLDMAN:ボーカル、ギター
   Jean-Alain GARDET:キーボード
   Stephan CAUSSARIEU:ドラムス、パーカッション

まず気づかされるのがタイトになったリズム。特にドラムスが全体に引き締まった演奏を聴かせる。そして重ねられた音が厚くなったこと。このあたりは1stに比べ、じっくり腰を据えてアルバム制作に取り組んだ成果ではないかと思う。

しかし本質的な魅力は微塵も変わらない。エレクトリック楽器とアコースティック楽器のバランスの良さ、甘く切ないメロディー、ハイトーンなボーカルを軸にした美しいハーモニー、泣きまくるギター。それらが一体となって夢見るような世界を描き出す。


メロディーが魅力的なのだが、安易にシングルヒットを狙ったような軽い曲は一曲も無い。切々と歌うボーカル、ドラマティックに胸に迫る音の波、そしてまたインス トゥルメンタル・パートの表現力の高さと、ボーカルとシームレスに繋がる曲の展開の妙。

ちょっと聴くと素朴な印象すら受けるけれど、聴き込むほどに見事にバラン スが取れた各楽器のコンビネーション。それも無理なく自然な流れ。

リズムがタイトになっても、音の厚みが増しても、決してテクニックに走ることもなく、「Sister Jane」のシングル・ヒットを受けても、決してポップスに日和ることも無い。そこにこのバンドの実力を見る思いがする。世界観とそこに向う思いが強固なのだ。

ドリーミーだがひ弱な音ではない。スタープレーヤーがいるタイプのバンドではない。華麗なソロで聴く者を圧倒させようという作風でもない。丁寧に丁寧に必要な音を重ねて、メンバー全員が作り上げた珠玉の作品。

CamelやPink FloydやGenesisなどが引き合いに出されやすいかもしれないけれど、実はそのどのバンドとも印象は異なる。それはメランコリック度が格段に高いことによるからと言えるかもしれない。

最終曲ではアルペジオをバックにアコースティック・ギターやドラムスがフリーフォームな演奏を繰り広げる。曲が終わると鳥の泣き声が響き渡る。おそらくメン バーが鳥の声を奏でる笛を全員で吹いているのだろう。一人が咳き込んで笑い声が響く。温かく幸せに満ちた雰囲気。まさに桃源郷に達した瞬間である。

1993年のCD付属のライナーノートによれば、Khanhは「Rock & Folk」誌のインタビューで次のように答えたという。

「我々はフランス人のグループではない。フランス出身のグループであり、イギリスのYes、イタリアのP.F.M.、ギリシャにおけるAphrodite's Child等と同じジャンルの音楽を演奏している。」

英語で歌いフランス的サウンドにこだわること無く、インターナショナルでプログレッシヴな音楽を求めていたことがわかるコメントだ。

そして出来上がったのは、一聴してのシンプルな印象とは異なり、他のどのバンドも到達できなかった緻密で甘美な究極の音。1stに劣らぬ傑作である。

タイ・フォンはその後3rdアルバムを出して解散。しかし2000年に突如アルバム「Sun」を発表。そして2010年現在も、ギター&ボーカルのKhanh Maiを中心に活動を行なっている模様である。

 

2010年7月17日土曜日

「ゴールデン・ピクニックス」四人囃子

原題:ゴールデン・ピクニックス
 
四人囃子(よにんばやし)

ゴールデン・ピクニックス」は四人囃子のセカンドアルバム。発表は1976年、デビュー作にして歴史的名作「一 触即発」から2年後のことだ。

当時のLPの帯のアオリが 「2年間の沈黙を破り、ついに完成された四人囃子の新たなる世界。次々に万華鏡のように繰り広げられる位相の違った世界への47分間のピクニック!」 というもの。これがまさに内容をズバリ言い表している。

   森園勝敏:ギター、リード・ヴォーカル、パーカッション、
          シンセサイザー、バックボーカル
   岡井大二:ドラム、パーカッション、シンセサイザー、バックボーカル
   坂下秀実:キーボード、パーカッション、シンセサイザー、
          バックボーカル
   佐久間正英:ベース、リコーダー、シンセサイザー、パーカッション、
          バックボーカル
<ゲスト>
   ジョン山崎:アコースティック・ピアノ、ハモンド・オルガン
   中村哲:ソプラノ&テナー&アルト・サックス
   浜口茂外也:フルート、パーカッション
   トシ:パーカッション

メンバーはベースが1stの中村真一から佐久間正英に交替している。

当時、あの四人囃子のセカンドだ〜と期待 に胸膨らませてレコードに針を落とした時の落胆が、今となっては懐かしい。それくらい1stでイメージしていた世界とは違っていたのだ。もともと四人囃子はいわゆるプログレッシヴ・ロック的様式の世界には収まり切らないバンドなのだ。それを見事に期待を裏切ることで証明してくれた。

そしてこの2ndアルバムは、時を経るごとに自分の中でも社会的にも評価が高まっていったように思う。まず音の作り込みが尋常ではない。300時間を越えるレコーディングを経て作り上げた、日本の1976年の作品とは到底思えない完成度の高さ。80年代インディーズプログレバンドにはない、自信とテクニックに裏付けされた存在感のある音、そしてプレイ。隅々まで行き届いたアイデア、エコーが印象的な緻密なサウンド処理。


そして今にして思うのが、これは「一触即発」と対になっているアルバムなのだなぁということ。

どちらも基本的な各プレーは変わらない。表現力豊かなギター、アイデア豊かな色彩感覚あふれるキーボード、ジャズテイストをほのかに感じさせるタイトながら叩き過ぎないドラムス。
 
しかし1stは内に向って沈み込んでいくような幻想性と狂気、2ndは外に向って発散・爆発していくような高揚感と錯乱が潜んでいる。言わば抑うつ状態から躁転したかのような違いか。300時間かけてレコーディングしているというところも、ある意味躁状態っぽいと言えるかもしれない。

それは関係者自ら手がけたLP付属のライナーノートからもうかがえる。生年月日や星座まで書き込んだ関係者名簿。おふざけ写真入りの曲解説。詳細な使用機材一覧。そしてこれでもかっていう感じのレコーディング履歴一覧。やたらハイで、どこかタガが外れた感じ。

この情報量は国内バンドのライナーノートとしては
異例中の異例じゃないだろうか

17分近い大曲「泳ぐなネッシー」も、ゆったりとした雄大なイントロから「一触即発」的世界を期待すると肩すかしを食らう。むしろ千変万化する妄想的イメージが重なり合う不思議世界。しかしアルバム全体としては、様々な音楽的要素を盛り込んだごった煮的内容ながら、各曲の完成度は非常に高く、一聴する限り決して難解ではない。むしろポップですらある。 そしてそれらを違和感無く1枚にすっきりとまとめたところがまた凄い。

ギター&ボーカルで中心的存在であり多くの楽曲を手がけていた森園勝敏と、独特な世界を作り出していた作詞の末松康夫が、このアルバム制作後バンドから離れてしまう点でも、初期の2枚は特別な存在である。

間違いなく日本のプログレッシヴ・ロック、さらには日本のロック全体を代表する傑作。

 

2010年7月4日日曜日

「ウインドチェイス(風の唄)」セバスチャン・ハーディー

原題:Windchase

Sebastian Hardie(セバスチャン・ハーディー)

Windchase(ウインドチェイス/風の唄)」は、オーストラリアのバンド、Sebastian Hardie(セバスチャン・ハーディ)の1976年発表の2ndアルバム。

衝撃の第一作の後ながら、力むことも難解になることもなく、むしろより自然な美しさに満ちた、素晴らしい作品となった。相当なプレッシャーの中で作られたであろうことを考えると、それだけでも彼らの実力が計り知れないことがわかる。

   Mario Millo :ギター、ボーカル
   Peter Plavsic:ベース
   Alex Plavsic:ドラムス、パーカッション
   Toivo Pilt:ムーグ、ピアノ、メロトロン、ソリーナ、オルガン

メンバーは1stと変わらない不動の四人。そしてLPで A面に20分を超える大曲1曲、B面に小曲を配する作りも同じだ。では1stの二番煎じなのか。いやいやそれが違うのである。彼らはここのもう一つの傑作を作り上げてしまったのだ。

大きな流れとしてはSebastian Hardie自らが切り開いた、美しくドラマティックなシンフォニックロックである。そういう意味では1stの延長上にある作品である。テクニックには頼らず、アンサンブルもテクニカルなキメを主体としたジャズ的なものとは異なる、まさにシンフォニック。クラシカルではなくシンフォニック。
 
雄大で甘美で、 時間が流れていくことを忘れてしまう音楽。しかしニューエイジやフュージョンに行かず、あくまでロックしているところがまた素晴らしい。

もちろん音楽の軸となっているのは、Mario Milloの甘く美しく表情豊かなギターである。そして1st以上にバックに回って、全体の雄大なスケールを作り上げるToivo Piltoのキーボード群。今回は大作「Windchase」で、メロトロン・コーラスを取り入れて、Marioのギターソロの舞台を整える。アコース ティック・ギターからエレキ・ギターソロへと盛り上がるこの部分は、この曲の一つの大きな山場である。

さらにベース とドラムスのPlavsic兄弟の、技術的な向上がちょっとスゴいのだ。ベースは歌い、ちょっと単調な感じがしていたドラムスは、様々な表情を叩き出す。 Toivo Piltoのキーボードがちょっと控えめになっても、全体としての音楽の豊かさや厚みが保たれているのは、このベースとドラムスの貢献度がアップしたから に他ならない。全体のアンサンブルが格段に良くなっているのだ。


そして、そうした個人個人の技術力や表現力以上に力説したいのが、曲構成・曲展開の素晴らしさである。複雑になりすぎずテクニカルになりすぎず、たゆたうように心地よいリズムの上で各楽器 がメロディーを重ねていき、一つの大曲になっていく。本当にあっと言う間に過ぎる20分なのだ。

同じテーマやそのバリエーションを用いながら、一瞬たりとも飽きさせない見事な流れ。特に冒頭は4拍子で力強く始まるこの曲が、同じテーマをリフレインするラストになると、 なんと3拍子になっているのだ。見事としか言い様がない。

メロトロンのドラマチックな使い方、振り絞るような泣きの ギターなど、瑞々しさや衝撃度では1stはまさに名作であったが、全体のバランスや楽曲の美しさ、心地よさでは「Windchase」の方が上回っているとすら言えるかもしれない。

小曲もメンバーの力量やアンサンブルの充実さがわかる佳曲ばかり。シングルヒットのため の曲も含まれているが、全体に少ない音で、表情豊かな世界を描き出すことにかけては一流であることを証明してみせてくれる。「At the End」のキーボード・ソロ、そして特にラストの「Peaceful」のギターは美の極致である。

1stの 「Four Moments(哀愁の南十字星)」ばかりが注目されがちがだ、シンプルな美しさに満ちた、1stと並び称されるべき傑作。

ちなみにバンド名の“Sebastian Hardie”とは、R&Bを中心に演奏していた前身バンド“Sebastian Hardie Blues Band”から来ており、音楽性がよりポップな方向になった際に“Blues Band”が取れたのだとか。そしてその“Sebastian Hardie”とはリーダーのMario Millo曰く

「fictitious name just thought up by the original guitarist (Graham Ford) back in around 1967. (単に1967年頃のオリジナルギタリスト(グラハム・フォード)が思いついた架空の名前)」
(「Interviews of Prog」より)

ということらしい。名前に謎は隠されてはいなかったのだった。

 

2010年6月24日木曜日

「地中海の伝説」マウロ・パガーニ

原題:Mauro Pagani

Mauro Pagani(マウロ・パガーニ)


地中海の伝説」(原題は「Mauro Pagani」)は、イタリア最高のバンドの一つPFM(Premiata Forneria Marconi)のオリジナル・メンバーであったマウロ・パガーニの1stソロアルバムである。

フルートとヴァイオリンを 担当し、PFMが繊細さと大胆さを併せ持っていた初期の頃には、クラシカルで牧歌的なサウンド作りに大きく貢献。「Cook」や「Chocolate Kings」では、よりジャズロック的なテクニカルなプレイを披露し、常にPFMのイタリアらしさを担い続けていた存在であった。
 
特にライヴアルバム「Cook」におけるPFM屈指の名演「Alta Loma Five Till Nine」での、叙情さを残した鬼気迫るヴァイオリン・インプロヴィゼーションは凄まじいの一言。

その彼が1975 年の「Chocolate Kings」発表後に脱退、2年の期間をおいて1978年に発表したのが本アルバムである。

   Mauro Pagani:ヴァイオリン、ヴィオラ、ブズーキ、マンドリン、
                    リード・フルート(葦笛)

<参加ミュージシャン>
   Mario Arcari:オーボエ
   Walter Calloni:パーカッション
   Giulo Capiozzo:ドラムス
   Patrizio Fariselli:ピアノ
   Pasquale Minieri:パーカッション
   Ares Tavolazzi:エレクトリック・ベース
   Giorgio Vivaldi:パーカッション、トーキング・ドラム
   Teresa de Sio:ヴォイス
   Roberto Colombo:ポリムーグ
   Franz Di Cioccio:ドラムス
   Patrick Djivas:エレクトリック・ベース
   Franco Mussida:ギター
   Demetrio Stratos:ヴォイス
   Luca Balbo: ギター

最初に聴いた時は、とにかくアコースティックで民族音楽的な要素の大きさにびっくりした記憶がある。PFMが持っていたクラシカル・ロック、あるいはジャ ズ・ロック的な音とは目指しているものが決定的に違う。それはある意味、ポピュラリティーを得ることとは正反対な、音楽的な深みに向って進んでいるような、極めて真摯な音だった。

そしてこのアルバムが凄いところは、実は地中海周辺の民族音楽のアコースティックな魅力を大きく取込みながらも、それをロックと見事に融合させているところである。参加ミュージシャンもそうそうたる顔ぶれで、 キーボードのPremoliを除くPFMのメンバー全員、そしてAreaの全メンバー。Demetrio Stratosの超個性的なヴォイスも聴ける。

こうしたメンバーの参加を得て作られた音は、 Teresaという女性歌手(後にポップス歌手として成功、逆にマウロ・パガーニがアルバムでサポートすることもあった)の地声を活かした歌唱法や、過剰に音処理されたヴァイオリン・ソロ、Area風変拍子ナンバーなど、雑多な要素を含みながら、極めて静謐な空間を作り上げている。アコースティック色が強いにも拘らず、民族音楽的緩やかさに加え、どの曲にも音そのものにこだわった高いテンションが宿っている。

マウロ・ パガーニは各曲でヴァイオリン、フルート、ブズーキなどをプレイするが、前面に出るわけではなく、あくまで 他の楽器、他のメンバーと一緒に、この世界を作り上げている。しかしどの楽器のプレイも非常に高度で魅力的だ。結果的に見事に全体をトータルなマウロ・パ ガーニ色に染めている。

わたしが何より魅入られてしまったのは、彼のアコー スティック・ヴァイオリンのプレイである。恐ろしく切れのあるプレイ。テクニカルに弾きまくるでもなく、雄大な調べを奏でるでもない。しかし込められた集中力が並でない。PFM時代のインプロヴィゼーショ ンとは違った意味で、鬼気迫るプレイなのだ。

PFMのメンバー とAreaのメンバーが参加していると聞くと、叙情とテン ションと実験性に溢れたドラマチックな音楽を連想するかもしれない。しかしそれはある意味裏切られる。その代わり、その両バンドとも違った、さらにはイタリア的な甘美なメロディー、クラシカルな楽曲、情熱的なボーカルなどの特徴とも一線を画した、非常に豊穣な音楽に触れることができる。

「ミュージシャンでありつづけるということは、ある意味でたくさんの生き方があるが、私にとってPFM時代は、恐らく100%の可能性のうち、たった1% しか発揮出来なかったように思う。そのため、本来の自分を取り戻すのに2年という歳月が必要だった…。」
(1979年発売の邦盤LPのライナーノートより)

その言葉通りに見事に新しい世界を切り開き、PFM時代には発揮し切れなかったマウロ・パガーニの魅力を縦横に詰め込んだ、イタリアン・ロックにおける唯一無二な傑作中の傑作。


2010年6月15日火曜日

「トライヴ・オヴ・フォース」ヴァン・カント

原題:Tribe of Force

Van Canto(ヴァン・カント)


Tribe of Force(トライヴ・オヴ・フォース)」は、ドイツのメロディック・メタル・バンドVan Canto(ヴァン・カント)の2010年の3rdアルバムである。

ところがメタル・バンドと言いながら、演奏される楽器はドラムスのみ。あとは全てアカペラ・ヴォイスによる、“アカペラ・メタル”バンドなのだ。ドラムスが入っているということでは、純粋にアカペラではないけれども。

ツーバス叩きまくりのメタルなドラムスに、メロディック・メタルな男性リード・ボーカルと、ちょっとトラッド風な女性ボーカルがメロディーを歌い上げる。曲調も迫力満点にして展開もドラマチック。

そして何よりの特徴として、メタルのキモとなるヘヴィーなリフも、肉声によるベースとギター・パートが担当してしまうことだ。

   INGA:リード・ボーカル
   SLY:リード・ボーカル
   STEFF:リード&低音ラカタカ・ギター
   ROSS:高音ラカタカ・ギター
   IKE:ドゥーム・ベース
   BASTIAN:ドラムス&パーカッション

“ラカタカ”とか“ドゥーム”とかいうのはリズム・ギターやベースの音マネ・スキャットなわけだが、これが面白い。楽器になり切って音を出しているわけでもなく、かと言ってボーカル・ハーモニーに徹しているわけでもない。リズムをスキャットしているかと思うと、突然リード・ボーカルにハモって歌詞を歌ったりする。変幻自在である。

“ラカタカ/ラカタカ/ドゥームドゥーム♪”とか歌っているので、最初はそこに耳を奪われて面白半分に聴いてしまいがちだが、次第にこの超オリジナルな世界に引込まれてしまう。

“ラカタカ”なリズムギターやベースのパートに耳が慣れてくると、これがハイトーンなリード・ボーカルとともに、非常に練られたハーモニーを作り、メロディック・メタル特有の圧力のある低音と疾走感、そして爽快感を生み出していることがわかるのだ。

もちろんハーモニーもリズムもテクニックは完璧。曲の途中でリズム・チェンジするところなど、ゾクゾクするほどカッコ良い。オペラ風ではなくトラッド風なINGAのボーカルも良いアクセントになっているし、イフェクターを駆使した音マネ・リードギターの完成度も高い。一曲のみゲストでレイジ(Rage)のギタリストによるリアル・ギターが入っているが、ギターバトルまでやっていて、どちらが本物か聴き間違えそうになってしまうほどだ。

そして一曲オーケストラの入った曲があり、これが非常にドラマチック。かなりシンフォニック。そしてドラムレスなしっとりとした曲では、じっくりと力強いハーモニーを聴かせる。

しかし聴きやすいメロディー、伸びのあるリード・ボーカルに反して、実はドラムス以外の全てがボイスで作られたこの音世界は、メタルに収まり切らない、ちょっとプリミティヴな異様な迫力を持っている。それは従来のメタルともアカペラ・コーラスとも違う場所に聴く者を誘う。肉声がリズムを刻むという点で、奥深いところでケチャなどの世界にどこかで繋がっている気がしてしまうのだ。

一曲一曲が短めなのがプログレッシヴ・ロック好きとしては残念だが、現実問題としてベースやリズムギターのパートをやっていたら、一曲3分ぐらいが限界なのだろうと思う。それでもメタリカ(Metallica)のカバーは8分以上に渡り歌い続けているのだから、そのパワーには圧倒される。

5人のボーカリストと1人のドラマーによるメタル・バンド。いったいどこからこういう発想が生まれるんだろう。恐るべしドイツ。ヴォーカルにこだわるロックという点ではイタリアあたりから出てきそうな感じだが、そこは“ジャーマン・メタル”と呼ばれたメタルの歴史の長いドイツだからこそ可能になったバンドなのだと思う。

歌詞は全曲英語で、メタリカやレイジ(Rage)といった大物メタルバンドのカバーもやっているが、ほとんどはオリジナル曲で勝負しているところも納得の完成度。癖になる面白さであり、インストゥルメンタル・パートはないにもかかわらず、そこにはプログレッシヴと呼んで良いほどの斬新さが宿っている。敢えてここに載せたい傑作。


2010年6月5日土曜日

「シンフォニック・ピクチャーズ(銀河交響曲)」SFF

原題:Symphonic Pictures(1976年)
  
Schicke, Führs & Fröhling(SFF)


Symphonic Pictures」(邦題「銀河交響曲」)はドイツのバンド、Schicke, Führs & Fröhling(シッケ、フェアーズ&フローリッヒ)、通称SFFによる1976年のデビューアルバムである。スイスのドイツ語圏出身のバンドと言われたりすることもあるが詳細は不明。活動拠点はドイツの置いており、ドイツのBrainレーベルからアルバムを出している。

曲は全てテクニカルなインストゥルメンタルだが、展開の妙と情感豊かな演奏で聴く者を魅了する。タイトな変拍子と大胆なメロトロンの使用も特徴だ。

SFF としては3枚のアルバムを発表しており特にこの1stと2ndの完成度が高いが、両者には若干の違いがある。1977年の2nd「Sunburst(太陽幻想曲)」はMahavishunu Orchestraからの影響の下、当時台頭してきたクロスオーバー/フュージョン的な要素も強まり、テクニカル度が増し内容も多彩になる代わりに、1stの持っていた独特の音空間が減退した。そういう意味では本作が一番SFFの個性が発揮されたアルバムと言えるだろう。

   Eduard Schicke:ドラムス、パーカッション、ムーグ、
                   メタロフォン、シロフォン
   Gerd Führs:グランド・ピアノ、エレクトリック・ピアノ、
                   ムー グ、クラヴィネット、メロトロン、
                   ストリングアンサンブル、ベーセット
   Heinz Fröhling:ベース、アコースティック&エレクトリックギター、
                   メロトロン、クラヴィネット、ストリングアンサンブル

まず編成が変わっている。専任のベース奏者がいない。そのベースパートをギタリストFröhlingがベースを弾いたり、キーボー ドのFührsがベーセット(楽器会社であるHohner製のキーボード・ベース)を用いたりして補っている。

またそのギタリストFröhlingがキーボードも兼任しているので、キーボードによる厚みのある表現が可能になっている。ピアノも実に良く活かされているが、そこに絶妙にストリングアンサンブルやメロトロンが絡み付く。

特にメトロトンは、今でこそサンプリング音源として自由に鳴らすことが可能となったが、楽器の特性として音の立ち上がりが遅いので早いメロディーを弾くのには適していない。ところがこのアルバムではかなりメロディーを奏でさせているのだ。当時このメロトロンの使い方を耳にして、その斬新な使い方に興奮した記憶がある。

さらにドラマーのSchickeもギタリストのFröhlingも、テクニックは一流な上に、ツボを押さえたプレイが素晴らしく、その後に生まれるプログレ・メタル的な弾き倒し系ではない、味のあるテクニカル・アンサンブルを聴かせてくれる。 スムーズな変拍子にあふれた楽曲の完成度も高い。特に旧LPのB面全てを使った16分以上の大作が聞き物だ。

そして本アルバムの最大の特徴と思われるのは、実は専任者不在のベースパートにあると思うのだ。空間を広げる各種キーボード、硬質な音で緊張感をもたらすギター、そしてタイトに引き締まったドラムス。そこにシンセのような厚みと揺れのあるベース音が、ある時はベースの代わりとして、またある時はオーケストレーションのベースパートとして加わる時、独特な電子音楽的空間が立ち上がってくるのである。それが宇宙的なイメージをもかもし出し、「銀河交響曲」なる邦題にもつながったのだろう。

あるミュージシャンが言っていた。テクニックは人を“感心”させるが“感動”させるとは限らないと。テクニカルでマルチなミュージシャンによるトリオながら、テクニックに溺れることなく、この不思議な音響空間を作り上げたことによって、このアルバムは独特の個性を持った作品に仕上がったと言える。

ほぼワン・テイクで録音され、わずか一週間の作業で完成されたというのも信じがたい、非常に高い完成度を誇る。 かのフランク・ザッパが彼らの音に非常に興味を示し、スケジュールの関係でプロディースを断念したという逸話が残っているのもうなずける傑作。

ちなみにFröhlingの、レスポールとリッケン バッカーを組み合わせた、自作のダブルネック ギター&ベースがカッコイイ。これはバンドが畜舎を改造してリハーサルを積んでいた村の職人によって作られたものだとか。ロバート・フリップとクリス・スクワイアが合体したようだ…。ちょっと変な例えかな。

 

2010年5月19日水曜日

「反射率0.39」ヴァンゲリス

原題:Albedo 0.39(1976年)

Vangelis(ヴァンゲリス)

 
Albedo 0.39」(邦題は「反射率0.39」)はギリシャのキーボード・シンセサイザー奏者、電子音楽家、作曲家、映画音楽家な ど、多彩な呼ばれ方をされるヴァンゲリス、あるいはヴァンゲリス・パパサナシュー(Vangelis:Ευάγγελος Οδυσσέας Παπαθανασίου)の、1976年発表のソロ第3弾である。

タイトルの反射率0.39とは、地球が太陽光を反射する割合のこと。余談だが、地球の反射率 (albedo:アルベド)は、現在は0.31に訂正されているという。

音楽は雄大な広がりを見せるシンセサイザーを中心とした音楽なのだが、一般的なイメージである“シンセ サイザー・ミュージック”とは異なるところがヴァンゲリスの特徴だ。

   ヴァンゲリス:キーボード、各種シンセサイザー、ドラムス、ベース
          その他全てのサウンド
 
まず彼は譜面の読み書きができないと言われる。その代わりキーボードのみならず、ギターやドラムスもプレイする。つまりマルチ・プレーヤーなのである。 したがって作曲はキーボードを中心に実際に音を出しながら行い、そこに自ら弾くベースやドラムス、パーカッションなどを重ねて、一人多重録音形式で曲を完成させていくという。

担当楽器を見てもわかるように、トーキング・クロックとNASAの協力によるアポロの月着陸時の交信が効果音として使われているのと、「Albedo 0.39」における語り(リハーサル時のミキサーの声と言われる)を除くと、演奏はすべて彼自身の手によるものである。

こうして作られた曲は、シンセサイザーをメインにしているとは言っても、抽象的なサウンドともプログラミングされたようなサウンドとも異なり、手弾きのメロディーによる、極めてアナログな感触の強い曲なのだ。それが雄大な曲想にロック的なダイナミズムを与えている。

1980年代に入って映画「炎のランナー」や「ブレード・ランナー」などの映画音楽で知名度を上げ活 動も多彩になっていき、メロディーやアレンジも親しみやすいものへ変わっていく。しかしこの「反射率0.39」の頃は、まだ“一人多重録音によるロックバン ド”的な雰囲気が強いの大きな特徴であり魅力なのだ。
 
すでに確立されていた美しいメロディーによる 「Pulstar」や「Alpha」といったシンフォニックな代表曲も含まれているし、シンセサイザーの反復の上に即興的な演奏が被さる、ジャズ・テイス トの感じられる曲なども聞くことができる。また効果音を使った実験的な曲も、アルバムのトータル性に貢献している。多彩だ。

そして表情豊かなブラス系のメロディー音と、バンド形式のバック、そしてメロトロンではなくシンセサ イザーによるオーケストレーションは、時として英国のエニド(The Enid)の音にもかなり接近する瞬間があるのだ。 ドラムスがオーケストラのパーカッションとロックのドラムスの中間のような位置で、曲ごとの役割を的確に果たしているという感じである。

リック・ウェイクマンの脱退によりイエスから声がかけられたことでも有名だが、この完成された世界はイエスには合わないだろう。彼はプレーヤーでありつつオーガナイザーであり、超絶ソロプレイを求められるイエスのキーボード・プレーヤーとは、全く違う次元のミュー ジシャンなのだ。
 
決してテクニカルではなく、無茶なこともしていない。全てのサウンドが緻密に重ねられて作られるドラマチックで、深遠な音世界である。傑作。