2011年12月10日土曜日

「ターミナル・トゥワイライト」ホワイト・ウィロー

原題:Terminal Twilight(2011)

■White Willow(ホワイト・ウィロー)


 ノルウェーのバンドであるWhite Willowの活動歴は古く、メンバーも流動的でサウンドもアルバムごとに変化してきた。1st アルバムは1995年発表の「Ignis Fatuus(邦題:「鬼火」)で、それ自体が1992年から94年にかけて録音されたもので、曲ごとにメンバーや曲調が異なるものであった。

その後もボーカルを含めメンバーチェンジを繰り返しながらも、ギターのJacob Holm-Lupoを中心にフォーク・トラッド路線を基調としたシンフォニックな作品を送り出してきた。そして前作から5年のインターバルを経て発表されたのが第6作となる本作「Terminal Twilight」である。

まず前作から再びメンバーチェンジがあり、2ndで参加していた元ÄnglagårdのドラマーMattias Olssonと、2nd〜4thでリードボーカルを取っていたSylvia Erichsenが復帰した。そしてキーボードにはWobblerのメンバーとしても活躍しているLars Fredrik Frøislieが、4th以降参加していることもあり、腕達者かつ個性的なメンバーが揃っての完成度の高い作品となった。

   Sylvia Erichsen:ボーカル
   Lars Fredrik Frøislie:キーボード
   Ketil Einarsen:フルート
   Jacob Holm-Lupo:ギター
   Ellen Andrea Wang:ベース
   Mattias Olsson:ドラムス
 

まず特筆しなければならないのは、オフィシャル・ホームページでは担当が「drums and everything」と書かれているMattias Olssonのドラムスだろう。
かつてキーボードプレーヤーの難波弘之氏から

「私はいつもこの手のユーロ/シンフォニック系リズム・セクション(特にドラム)の稚拙さと、演奏の色っぽさの欠如が気に入らない。(中略)ビート感と艶は天性のもので、前者は訓練によりいくらか良くなる事もあるが、後者の欠如は自分には華がないとあきらめるしかない」
 (「Marquee」vol.047、1993年、マーキームーン社、
アングラガルド『ザ・シンフォニック組曲(Hybris)』のアルバムレビューより)

と、手厳しく批評されたMattiasのドラミングは、確かにグルーヴしないし歌わない。 Änglagårdのアルバムでもそうであるが、テクニカルでありながらいわゆるプログ・メタル系ともも異なる、張りつめたような、どこか殺気漂うようなプレイが特徴である。

しかしそれがÄnglagårdにおける強烈な個性になっていたことも確かであるし、Änglagårdの複雑で終始緊張感に満ちた楽曲には、必要不可欠なものだったとも言える。彼のドラミングなしにはÄnglagårdの傑作群は生まれなかったと言っても過言ではない。

そして彼のそうした特徴は、女性メインボーカルによるフォークタッチを持ち味とするWhite Willowの本作でも、異質な響きを放っている。そしてそれが本作を、フォーク/トラッド風な甘く柔らかな世界へ留まらせずに、硬質なシンフォニックな世界と同居させることに成功していると言えるのである。

冒頭の曲の出だしではSunday All Over The World(vo.Toyah Willcox)かと思うような雰囲気に驚かされるが、Sylvia Erichsenのボーカルは基本的にフォーク/ポップス系の、ちょっとAnnie Haslam風で、もう少しコケティッシュな感じなもの。歌モノのメロディーも良いし、ボーカルも安定していて声にも魅力がある。

だからアルバムとしてもっとフォーク/ ポップス路線に傾いてもおかしくないのだが、ドラムスがそれを拒んでいるかのように、およそ歌をサポートしているとは思えないような、金属的な固い音と、聴く者に緊張感を強いるようなプレイをしているのだ。

そのギャップと言うかミスマッチな組み合わせが、結果的に曲に深みと奥行きを出す空間を生み、ギターやヴィンテージ・キーボードやフルートが、時に雄大に時に幽玄に、シンフォニックな世界を作り出すことができているのである。

だから逆にまた歌モノのメロディーの良さやボーカルの魅力も際立つことになる。

シンフォニックとかプログレッシヴとか言うには、良質のポップスに匹敵する歌の存在感が強く(耳について離れないメロディーが多い!)、同時にまた歌モノとしては気軽に聞き流せない異質な要素が多過ぎる。それが中途半端なのではなく、自然に共存してオリジナルな魅力になっているところが、本作の凄さではないだろうか。

わたしはその音に、吹雪吹き荒れる極寒の大地に、ポツンと存在する、暖炉の火で部屋中が暖かく照らされた一軒家を想像する。やがて吹雪に埋もれてしまうかもしれない一軒家を。

中心人物のJacob Holm-Lupoは次のように語っている。

「一種のコンセプトはある。どの曲も、ある種の黙示録的なシナリオを物語っている。ちょうど黙示録の辞書みたいな感じだね。(中略)僕はドラマと闇、それに崩壊と腐敗の美しさと魅力の両方をとらえたかったんだよ。」
(「Euro-Rock Press vol.51」、マーキー・インコーポレイティド、2011、インタヴューより)

美しくも静かな悲壮感をたたえた傑作。
No-ManのTim Bowness(ボーカル)が歌う一曲も素晴らしい。

ホームページに書かれた次の文章が、彼らの音楽をうまく捉えている。

「White Willow is considered Norway's foremost exponent of art-rock - by which people tend to mean pop songs stretched to pointless lengths and crammed with weird-sounding instruments. And that happens to be pretty much what we do.
(ホワイト・ウィローはノルウェーのアートロックを代表するバンドのように思われている - つまりポップソングがその領域を際限なく広げられ、風変わりな音を出す楽器をたんまり詰め込まれたものというわけだ。それは偶然にもわれわれがやっていることそのものなんだよ。」

この表現には、Gentle Giantの1stアルバムに載せられていた“宣言”に近いものを感じる。

 

2011年11月21日月曜日

「祈り」赤い鳥

原題:「祈り」(1973)

■赤い鳥

1969年に結成、「竹田の子守唄」(第3回ヤマハ・ライトミュージック・コンテスト、フォーク部門1位)や「翼を下さい」(今は合唱曲としても有名)などのヒットを飛ばしたことで有名なバンドだ。

後に「紙風船」と「ハイファイセット」に分裂するほどに、メンバー 全員がボーカルを取れる力量と音楽性を持っていたが、逆に言えばフォーク指向の後藤・平山と都会的ポップス指向の山元夫妻・大川という異質な要素が、常にぶつかり合って分裂の危機にあったと言われる。

赤い鳥のサウンドは、そんな中で生まれた、フォークソングの枠に収まり切らない独特で幅の広いものだった。

そして第8作目(スタジオライヴ含む)となる本作では、前作「美しい星」からメンバーとなっていた大村憲司(ギター)、村上“ポンタ”秀一(ドラムス)が引き続き全面参加し、二人がさらにロック的要素を持ち込んだことで、シングルヒット作のフォーキーなイメージとは異なるが、赤い鳥の持つ魅力が一つの頂点に達したトータルアルバムとなった。

 後藤悦治郎(ボーカル、ギター)
 平山泰代(ボーカル、ピアノ)
 山本潤子(ボーカル、ギター)※旧姓:新居潤子
 山本俊彦(ボーカル、ギター)
 大川茂(ボーカル、ベース)
 大村憲司(リード・ギター)
 村上“ポンタ”秀一(ドラムス)

大村&村上は「美しい星」では他のメンバーと一緒にジャケットに写っていたが、このアルバムでは発売の2ヶ月前に脱退していたため、ジャケット写真には写っていない。

しかしボーカル曲の11曲中、大村が8曲を作曲するなど、アルバムへの貢献度と影響力はとても大きい。全体的にエレキギターが多用され、それが見事に赤い鳥サウンドに溶け込んでいるのも特徴だ。村上のドラムスもタイトで正確なリズムで、全体のサウンドを引き締める。  

不思議なインストゥルメンタル「無の世界〜誕生」でアルバムは幕を開け、続く「めざめ」で山本潤子がその美しいボーカルを聴かせる。まるでピンク・フロイドの「狂気」の「生命の息吹き」のようだ。

その後、曲は様々なタイプのものが続く。神秘的なもの、コミカルなもの、ハードなもの。そしてスキャット、語りなどを含みながら、どの曲も美しく力強いボーカル(後藤、平山、山元潤子)がストレートなメロディーを歌い、メンバーによる分厚いハーモニーがそこに力強さと迫力と音の複雑さを加える。

「マリブー」(歌:後藤)のロック的ダイナミズム、「虹を歌おう」(歌:山元潤子)の心にしみる伸びやかな声、「星」(歌:平山)に漂う情念、そして大村&村上二人だけによる即興的インストゥルメンタル「大地の怒り」のアナーキーさ。「石」では最初から最後までコーラスワークで歌い切る。そして最後はなんと大胆にも全員アカペラによるヘンデル作曲の「メサイア」コーラスで終る。この多彩さ、そして濃さ。

良く聴けば歌声のピッチがちょっと危ない部分などもあるが、これだけ多彩なボーカル&ハーモニーを聴かせ、ポップでありながらそれを邪魔せずにハードな世界も溶け込ませたこのアルバムは、奇跡的なバランスの上に作られた作品だと言える。赤い鳥のスゴさを実感できるアルバムだ。


女性二人の特徴も良く出ていて、声楽を学び情感を込める“努力の人”的な平山と、自然な発声が最高の癒しをもたらしてくれる“才能の人” 的な山元の違いがよくわかる。

前作「美しい星」ではメインボーカルと言ってもいいくらい山元が歌っていたが、その不世出な素晴らしい歌声を承知の上で、本アルバムの白眉は後藤の歌う「マリブー」と平山の歌う「星」であろうと思う。

大 村のギター・カッティングがロックな疾走感を生み、そこに赤い鳥コーラスが厚みを増して行く「マリブー」は前半(A面)の山場。さらに冒頭から大村のギターが歌いまくるロックバラード「星」の情念あふれる美しさ。終盤で聞かれるブルガリアンボイス風スキャットも耳に残る。アルバム全体にも言えることだが、こうした細かなバッキング・ボーカルも実に凝っているのだ。

そしてアルバム全体のメインボーカルがリーダーである後藤である(語りを含め5曲でリードボーカルを取っている)点も、本アルバムの特徴だ。「美しい星」が女性的であるとしたら、「祈り」は男性的なアルバム、あるいは全員参加・全力投入的なアルバムなのである。

二人の女性リードボーカリストを擁しながら、敢えて後藤・大村が全体をまとめたことで、非常に奥の深い作品ができあがったのだろう。現在はボックスセットでしか手に入らない(廃盤)のが実に惜しい傑作。

プログレの様式に縛られないで聴くと、そのプログレッシヴさがわかってくる作品だ。

前作「美しい星」は山上路夫・村井邦彦コンビの楽曲が中心、「祈り」は赤い鳥メンバーのオリジナル曲が中心という点でも、与えられたイメージを脱した赤い鳥らしさが開花し、技術的にもメンバー的にも最高の状態で作り上げられた作品であったと言えよう。
 
ちなみにこのアルバム、レコード会社との契約でアルバムを制作しなければならない中、リーダーの後藤がメンバーを映画館連れて行って「この映画を観た印象から、各自曲を作ること」と言い渡したことから出来上がったそうな。その映画とはモーゼ役でチャールストン・ヘストンが主演する「十戒」だったという。

 

2011年10月9日日曜日

「ポーン・ハーツ」ヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレーター

原題:Pawn Hearts(1971)

■Van Der Graaf Generator 
   (ヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレーター)


「ポーン・ハーツ(Pawn Hearts)」は、イギリスのプログレッシヴ・ロックバンドVan Der Graaf Generatorの4thアルバム。この後バンドは一旦解散するため、バンド第一期のラストアルバムとも言える。ラストにふさわしい若々しい荒々しさに満ちたアルバム。

全3曲、LPではA面2曲、B面1曲という大作揃い。なおLP発売時、北米バージョンでは1曲目と2曲目の間に「Theme One」という曲が挿入されたいた。これはBBC Radio 1のオープニング&クロージングテーマをアレンジしたものであったが、ヨーロッパ・バージョンには採用されず、シングルとして別に発表された。その後、再発に際してはヨーロッパ・バージョンの全3曲が定着したという経緯を持つ。

    Hugh Banton:ハモンド&ファルフィッサオルガン、ピアノ、
          メロトロン、ARPシンセサイザー、ベースペダル、
          ベースギター、ボーカル
    Guy Evans:ドラムス、ティンパニー、パーカッション、ピアノ
    Peter Hammill :リードボーカル、アコースティック&
          スライドギター、エレクトリックピアノ、ピアノ
    David Jackson:アルト&テナー&ソプラノサックス、
          フルート、ボーカル
《ゲスト》
    Robert Fripp:エレクトリックギター

シンセサイザーやメロトロンなどの楽器も使われているが、実際の演奏はボーカル、サックス、オルガン、ドラムスをメインにしたシンプルなものだ。King CrimsonのRobert Frippのギターもほとんどそれと分からない程度。

しかしこの全編を通じた緊張感が尋常ではない。Peter Hammillの優しさと荒々しさを併せ持ち、表現力と情念に裏打ちされたボーカル。David Jacsonのサックスも荒々しいが、Hugh Bantonのオルガンが予想外に攻撃的である。そしてグルーヴするより突進する感じのGuy Evansのドラム。

エレキギター、ベース専任者がいないのにこの尋常でない迫力。ボーカルを含め、すべての楽器がささくれ立つような音をぶつけ合いながら、叫び声を上げているかのような、狂気すら感じさせる世界。

この殺気立った音こそが、Van Der Graaf Generatorのアルバムの中でも、本作に特に顕著であり、4作目にして頂点を極めたと言ってよい。美しく崇高な音と神経を逆撫でするような邪悪でダークな音のぶつかり合いや急激な場面転換は、極めてオリジナルなものである。

23分にも及ぶ大作「A Plague Of Lighthouse Keepers」は10パートからなる組曲だが、トータル性の高い曲というより、メドレー的な構成。その分目まぐるしく変わる曲調、挿入されるサウンドイフェクト、突然のブレイクやフェイドアウト、起伏の激しいボーカル、そして後半に訪れる不気味なメロトロンの嵐と、一瞬たりとも気が抜けない。

荒々しさや邪悪さの中に美しいメロディーやハーモニーがふっと挿入されるというのも、このバンドの魅力の一つだろう。 それに酔いしれているヒマは与えてくれないのだが。

1975年に再結成されるが、パワフルな音はそのままだが、サウンド的により整頓され、このギリギリでバランスを取っているような危うさは無くなってしまう。そういう意味では彼らの初期衝動がピークを迎え一つのカタチとなった、大傑作アルバムである。

ちなみにタイトルの「Pawn Hearts」であるが、例えば「a brave heart(勇敢な人)」「a true heart(真の勇者)」という言葉と比較するとイメージが湧くかもしれない。「pawn(チェスのポーン。将棋の歩のような一番価値の低い駒)」は、身分も地位も低いことの象徴と考えられるが、アルバムジャケットには王や有名人たちが同じように並んでいる。

結局どのような名声や地位を持っていても、人は皆pawnと同じような一つの駒に過ぎないということだろうか。つまり「すべての人々」を言い表したシニカルな、あるいは達観した表現ということかもしれない。


 

2011年7月2日土曜日

「フライ・フロム・ヒア」イエス

原題:Fly From Here(2011)

■Yes(イエス)

 
イギリス最強プログレッシヴ・ロックバンドの一つYesの、10年ぶりのニューアルバムが発売された。

出入りの激しいメンバー交替を続けながらも精力的に活動を続けていたYesであるが、メンバーの年齢的にもバンドとしての創作意欲の面でも、かつての輝きはもはや取り戻せないのかという印象が少なからずあった。
 
しかし、その表看板と言えるボーカルのジョン・アンダーソンの体調不良による不参加すら乗り越えて、全曲新曲というまさに奇跡の新譜を届けてくれたのである。

 Chris Squire:ベース、ボーカル
 Steve Howe:ギター、ボーカル
 Alan White:ドラムス
 Geoff Downes:キーボード
 Benoît David:リード・ボーカル


“全曲新曲”と言っても、実はほとんど1980年発表の「ドラマ(Drama)」期に作られたものが元になっている。この時もジョン・アンダーソンがいない、いわゆるバグルズ(トレヴァー・ホーン&ジェフ・ダウンズ)合体Yes期である。

確かに曲調は「ドラマ」の曲に似ている。そういう意味ではYesのアルバムの中では、メンバー的にも「ドラマ」の続編的なサウンドと言えなくもない。

ところがそのサウンドから受ける印象は「ドラマ」のものとも違うのである。その大きな要因はやはり新加入のリード・ボーカリスト、ベノワ・デイヴィッドによるところが大きいと思うのだ。

「ドラマ」はYesの歴史の中では異色作である。唯一ボーカルがジョン・アンダーソンではない。今回の作品で全面的にプロデュースを行なったトレヴァー・ホー ンが代役を努めている。しかし私的には紛れもなくYesのアルバムであり、それも傑作アルバムである。それはトレヴァーがジョンの世界を壊さないようにし ながら、新しいポップ感覚を持ち込み、もともと持っていたロック的躍動感を取り戻すことに成功していたからだ。

その躍動感や緊張感は、プログレッシヴ・ロックへの批判や否定が強まった当時、インストゥルメンタル・パートの縮小とともにイエスの音楽がジョンのソロアルバム化していく流れを、一瞬断ち切った爽快感だったとも言える。

Yesはそもそも超個性派集団である。そのメンバーが自己主張をぶつけ合うことで、独特の複雑なのにノリの良い音世界が築かれていた。しかし時代的・年齢的な面からそのバランスが崩れ、音楽はジョンのソロアルバムにメンバーがバックバンドとして参加しているような感じになってしまっていた。ジョンのカリスマ的存在感だけは衰えを見せなかったからだ。

その結果新曲はジョン主導、旧曲は往時の勢いは失われ、どこまで近い形で再現できるかが関心の的になることとなった。メンバーを入れ替えたりオーケストラと競演したりしても、基本的にそうした“懐メロ”バンド的な印象は、わたしの中ではぬぐえなかった。

新ボーカリスト、ベノワ・デイヴィッドはジョンほどの存在感はない。声や表現力、立ち居振る舞いにしても、ジョンにはどうしても劣ると言わざるを得ない。しかしである。彼のストレートな声の若々しさや未熟さそのものが魅力的なのだ。ジョン同様にノン・ビブラートで、さらにトレヴァーのようにちょっと高音が辛そうっていう感じを微塵も見せずに、全体の支配者ではなく、一人のリードボーカリストとして非常に爽やかに力強く歌う。一生懸命に歌う。これが良いのだ。

ジョンの呪縛からの解放。これがこのアルバムのキモである。

ジョンのカリスマ性が消え、バンドメンバーの現時点での力量に合ったバランスがここで築き直されたのだ。つまり現役バンドとして再生したのである。クリス・スクワイアもリードボーカルを取る。スティーヴ・ハウも、いつものソロともバックともつかないような演奏を流麗 に聴かせてくれる。今流行のギターやキーボードの超絶ソロなどはない。むしろ全員が一丸となって、Yes的な前向きでカッコイイ音楽を、楽しみながら作り 出している感じがするのだ。

この新鮮さや躍動感は1976年の焼き直しではない、確かに今の音であると共に、 1970年代のロックが持っていた多様性を含む音でもある。あるいはプログレッシヴ・ロックというイメージの中で作られた音ではなく、プログレッシヴ・ ロック世界を広げてきたバンドによる自由な音である。

メンバーのプレイが激突する名作期のYesを期待しても、「ドラマ」の再現を期待しても、肩すかしを食うことになるだろうし、ジョンの声あってこそYesだというのであれば、評価は自ずと厳しいものになるだろう。

しかしそうした思い入れとは別に、このアルバムは現在のYesの魅力を伝えてくれているのだ。力強いメロディー、美しいハーモニー、ドラマチックな楽曲。バンドの歴史が持つ存在感と新鮮さが絶妙に共存している。傑作である。今のわたしのヘビーローテーション・アルバムだ。

ちなみに「Fly From Here」で一瞬リードボーカルを取るのは、トレヴァー・ホーンか?「ドラマ」でジョンの代役という難しい役目をこなした彼が、Yesで再び歌うなんて、なんか感無量な感じである。

追記:ボーナストラックとして入っている「Hour Of Need」(Full Length Version)は、スティーヴ・ハウのエレキギターソロが最初と最後に入り、曲の長さも倍以上の大作になっている。本編収録ヴァージョンより遥かにシンフォニックでドラマチックな曲になっている。掟破りで、わたしは本編と差し替えてこのヴァージョンを9曲目に入れて聴いている。

   

2011年5月16日月曜日

「クラフト」クラフト

原題:CRAFT(1984)

■CRAFT(クラフト)

  
CRAFT」 はイギリスのプログレッシヴ・ロック・グループCRAFT(クラフト)唯一のアルバム。1970年代にThe Enid(エニド)に在籍していたキーボード奏者ウイリアム・ギルモアが中心になって、やはりThe Enidに参加していた経歴を持つベースのマーチン・ラッセルとともに結成したバンドで、内容は全曲インストゥルメンタルのシンフォニック・ロックだ。

1984年に発表されたものだが当時のプログレッシヴ・ロック・リバイバルとして出てきていたポンプロック的ジェネシス・クローンな音とも、Asiaのようなポップ化したプログレッシヴ・ロックとも異なる、70年代的雰囲気を持った音が特徴だ。

   William Gilmour:キーボード、カバーアート
   Grant Mckay Gilmour:ドラムス、パーカッション
   Martin Russell:ベース、キーボード

メンバーの担当楽器だけ見ると、EL&PやRefugeeのようなギターレスなキーボード・トリオということになるが、その音は全く異なる。まさにThe Enid直系な音である。

The Enidが1980年代に入って、ちょうど同時期に版権の関係から1970年代の初期作品の再録を行なうのだが、好き嫌いは別としてその音は、より洗練されより豪華に雄大になり、曲の尺も平均して長くなった。同時に1970年代のオリジナル・アルバムに感じられたアコースティックな感覚が持つ魅力が薄れてしまっていた。

アコースティックな感覚とは例えばアナログ・シンセの音だったり、打楽器やフルート、トランペット、オーボエといった生の楽器だったり、デジタル・プログラミングのない時代に、少ない音でいかに情感豊かな世界を描こうとしているかという努力や工夫や、思い入れの強さだったりするのだが、このCRAFTのアルバムはThe Enidの再録時の音に違和感を感じて、そうした1970年代の手作り感を取り戻そうとしているかのような音なのだ。

と言ってもThe Enidのクラシカルで複雑に入り組んだ楽曲とも違う。軽やかに、そして甘美に疾走するロック色の濃い音になっている。リズム隊が常にしっかりボトムを キープするため、The Enidの持つ異形さは薄れたが、シンフォニック・ロック的な部分がストレートに前面に出た感じであり、そういう意味ではThe Enidの音より聴き易くなったとも言える。
 
にも関わらずフュージョンやニュー・エイジ的な方向とも違う、イギリス然とした格調のようなものを保っているところが大きな魅力でもある。

各曲は決してテクニカルな演奏に傾くことなく、クラシカルに優雅に、そしてダイナミックに進んでいく。そしてここぞというところでエモーショナルなギターソロが入るのだ、ギタリストはいないのに。

アルバムのインナースリーブに書かれた説明によると、そのギターソロにあたる演奏は実はいわゆる普通の「ギター」によるものではなく、「ベースギター」の音にカスタム・ペダルによるエフェクター処理をかけることで、「ギター」の音を作り出しているとのこと。ベースで魅いたソロなのでテクニカルさとは無縁な大きく包み込むような叙情性が、曲調ととてもマッチしていて感動的ですらある。

1980年代的な軽やかさを取込みつつも、1970年代への強い思いが込められている点では、昨今のヴィンテージ楽器を多用した70年代回帰型バンドに近いとも言 える。時代の流れの中では流行とは無縁なある意味“無謀”な音楽だったろうけれど、そこがThe Enidゆずりの大きな魅力でもあるのだ。

The Enidが「Journey's End」で2010年に復活し、ウイリアム・ギルモアも音楽学校で教鞭をとりつつSecret GreenというThe Enid的なバンドを立ち上げている。ぜひ再評価したい傑作アルバムである。

なおアルバムは黄道12宮(twelve signs of Zodiac)の中の6つの星座名を曲タイトルとしている。当時は普通のLPとして売られていたが、収録時間35分弱ということもあり、今の感覚で言えばミニアルバムとなるだろうか。

残り6つの曲を含む2ndが出て初めて完結するアルバムであったのかもしれないが、残念ながらそれは果たされなかった。

 

2011年5月2日月曜日

「イエスソングズ」イエス

原題:Yessongs(1973)

■Yes(イエス)

イギリスの孤高のバンドYesの6作目にして初のライブアルバム。1972年から1973年にかけてのツアーから、まさにバンドの絶頂期を記録した作品だ。

 ビル・ブラッフォード脱退、そしてアラン・ホワイト加入というバンド的には転機にあったに違いないのだが、そんなことは微塵も感じさせないLPではなんと3枚組という堂々たるボリューム。しかし予約段階で早々とゴールドディスク獲得。

当時の人気の凄さもさることながら、内容も素晴らしい。ライブでは再現不可能と思われていたアンサンブルを、寸分違わず、さらにパワーアップしてこなしていることに、このアルバムを聴いた誰もが驚いた。

 Jon Anderson:ボーカル
 Chris Squiere:ベース、ボーカル
 Steve Howe:ギター、ボーカル
 Rick Wakeman:キーボード
 Alan White:ドラムス
 Bill Bruford:ドラムス(2曲のみ)


ギターのスティーヴ・ハウが加入した3rdの「Yes Album(イエス・アルバム)、キーボードのリック・ウェイクマンが加入した4thの「Fragile(こわれもの)、そしてその“黄金のラインアップ”により前人未到の音世界に到達した「Close to the Edge(危機)」と、テクニック・楽曲のクオリティーとオリジナリティーが急速に登り詰めようとする時期のアルバムから、言わばベストと言って良い選曲。

加えてリック・ウェイクマンのアルバム「ヘンリー八世と六人の妻」からも選曲がされていて、良いアクセントになっている。キーボードに囲まれて銀色のマントを羽織って長髪をなびかせつつ弾く姿が目に浮かぶ。と言うか、彼やスティーブ・ハウのソロパフォーマンスは、すでにYesワールドに欠かせないものになっていたのだ。

こうしたメンバーによるソロパフォーマンス・コーナーは、PFMやKansasのライブアルバムでも聴けるけど、始めたのはYesだろう。ライブ構成上と言うより、自己主張の強さの現れじゃないかという気がするほど、それぞれ気合いの入ったケレン味たっぷりな演奏だ。

ライブアルバムとしてまず驚くべきは、なんと言ってもそのスタジオ作の再現性の高さである。複雑な楽曲を流れるように演奏していくだけではない。アルバムで聴ける繊細さが見事に残されているのだ。その上で、ライヴならではのドライブ感がや緊張感が加わっている。

その後各プレーヤーの演奏は一種のお家芸的な、お決まりなものとなっていくが、このアルバムでは確かなテクニックをギリギリまで駆使して繰り広げられる、必然性のあるプレイとして初々しくも熱いエネルギーを感じることが出来るのだ。

聴き所が多くて困ってしまうくらいだが、特に2つの点を強調したい。一つはスティーヴ・ハウのギター。クラシックやカントリーなど、様々な音楽の影響を受け、多種多様なギター類を弾きこなす一方で、かなりクセのあるギターサウンドとフレージングで、独特の存在感を持つ彼のギター。

しかしここではロックしているのだ。それも全アルバム中最高のプレーじゃないかというほど、弾き倒しているのである。それは次作「海洋地形学の物語」のバイオリン奏法を多様した印象的なプレイや、次次作「リレイヤー」での怒濤のサウンドとも違う。3rdアルバムあたりに濃厚な、Yes流ハードロックとも言うべきプレイなのだ。とにかく凄い。

もう一つこのアルバムで注目したいのが新加入直後のアラン・ホワイトである。彼もまた後のアルバムとは別人のように、“ロック”なドラミングでパワフルに曲を引っ張っているのだ。ビルと交替した後の2回のツアーを経て、ようやくバンドの曲を彼なりに叩けるようになったと言われる(「イエスストーリー 形而上学の物語」、ティム・モーズ著、シンコーミュージック、1998年)。

人気急上昇という時期に後から加入して、それまで同様なアンサンブルを短期間に作らなければ成らない立場にあった彼の、意欲や気合いや、時には焦りや気負いまでもが、エネルギッシュなドラミングとして現れているのだ。その彼の「とにかくやるしかない!」みたいな勢いが、異様な雰囲気と特別な緊張感を、このアルバムにもたらしていると言える。

もちろんロジャー・ディーンによる豪華なジャケットデザインが、Yesの視覚的世界を決定的なものにした点でも、この3枚組LPの存在は大きかった。その絵を見ながらどっぷりと浸る目と耳によるイエス・ワールドであった。
 

近年のテンポやキーを落とした「再現ライブ」とは全く異なる、奇跡のような演奏が詰まった傑作アルバム。

ちなみにLP3枚組での各盤面の収録曲は以下の通り。LP時の曲の配置に従って全体の流れを意識して聴いてみるのも、当時の制作意図や構成に思いをはせることが出来て面白いのではないだろうか。

・A面(ディスク1表)
     オープニング(ストラヴィンスキー作曲:組曲・火の鳥より)
     シベリアン・カートゥル
     燃える朝焼け
・B面(ディスク1裏)
     パーペチュアル・チェンジ
     同志
・C面(ディスク2表)
     ムード・フォー・ア・デイ
     ヘンリー8世の6人の妻より
     ラウンド・アバウト
・D面(ディスク2裏)
     オール・グッド・ピープル
     遥かなる思い出 / ザ・フィッシュ
・E面(ディスク3表)
     危機
・F面(ディスク3裏)
     ユアズ・イズ・ノー・ディスグレイス
     スターシップ・トゥルーパー

2011年4月18日月曜日

「アンダーフォール・ヤード」ビッグ・ビッグ・トレイン

原題:The Underfall Yard(2009)

■Big Big Train(ビッグ・ビッグ・トレイン)


イギリスのメロディック・プログレッシヴ・ロック・バンドBig Big Trainの第6作目。結成は1990年なのでもう20年以上活動しているベテラン・グループと言える。

本アルバムは現時点でのフルアルバムとしては最新作。第一印象は正直なところかなり地味である。いわゆるプログレッシヴ・メタルのようなテクニカルさを前面に出したものではなく、1970年代のバンドのように強烈な個性が光るわけでもない。

実はとても豊かな世界が広がっていて、聴けば聴くほどその世界にはまっていくという、奥の深さが最大の特徴である。逆に言えばそれこそが1970年代の有名バンドにはない個性だとも言える。

 David Longdon:ボーカル、フルート、マンドリン、ダルシマー、
          オルガン、プサルテリウム、グロッケンシュピール
 Andy Poole:ベース、キーボード
 Greg Spawton:ギター、キーボード、ベース
  
<ゲスト>
 Nick D'Virgilio:ドラムス、ボーカル
 Dave Gregory:ギターソロ、ギター、シタール
 Francis Dunnery:ギターソロ
 Jem Godfrey:シンセサイザーソロ

本アルバムでは基本メンバーは3人で、ゲストプレーヤーにSpock's BeardのドラムスNick D'Virgilioや元XTCのDave Gregoryが全面参加、そして元It BitesのFrancis DunneryとFrostのJem Godfreyがタイトル曲で流麗なソロを聴かせてくれる。

さらに非常に特異なのが、ブラスセクションの参加である。トロンボーン、コルネット、フレンチホルン、チューバなどによる美しいアンサンブルが随所に挿入され、独特の哀愁と英国らしい落ち着きのある世界を作り上げているのだ。

基本的に強烈な個性が前面に出るバンドではないので、まず耳につくのはGenesis風ボーカルとYes風アンサンブルという点かもしれない。特にボーカルは、声質はそれほど似ていないが、歌い方、あるいは曲のメロディーラインのせいもあるだろう、フィル・コリンズを彷彿とさせる瞬間がある。

元来わたしはKing Crimson系の音には寛容で、Genesis系の音には厳しかった。King Crimsonのヘヴィー・メタルにもプログレ・メタルにも、ジャズ・ロックにも着地しない独特の音世界は、真似しようとしてもできるものではない。

しかしGenesisの場合はボーカルスタイルもサウンドメイキングも、その気になればクローンは作り易そうに見える。実際のGenesisは、ある意味Yesにも通じる破綻しかけたアンサンブルが魅力だったりする奥の深いバンドなのだが、それ風な音は出し易く、その分安易な“物まね”感を強く感じてしまうのだ。だからGenesis風なバンドには拒否反応的なものすら持っていた。

そういう点ではこのBig Big Trainも最初ちょっと拒否反応が出かかった。しかしポイントはそこではないのだ。聴き込むうちにそれはあまりに皮相的なもの、ご愛嬌的なものでしかないことに気づいた。

この「The Underfall Yard」で聞かれるのは、実に“誠実さ”に溢れた音楽なのだ。それは奇をてらった音楽ではない。ゆっくりと地道に、そして丁寧に作り込まれた末に到達した、奥深いシンフォニック・ロックである。

まずボーカルがいい。本アルバムから参加したデイヴィッドはソロアルバムも出している実力派。実はPhill Collinsに代わってGenesisの「Calling All Stations」でボーカルを探していた際に、最後までオーディションでRay Wilsonと競っていた人物なのだ。

個性的な声質ではないがじっくりと聴かせる大人の声である。そしてボーカルハーモニーのパートが実に美しい。基本的に自ハモ(多重録音により自分の声でハモる)であるが、もう冒頭のアカペラからして圧倒的だ。

そしてそのメロディーがいい。つまり歌モノとしてきちんと魅力ある曲になっているのだ。大仰なキーボード・オーケストレーションとか中途半端なインプロヴィゼーションとかは皆無。丁寧に丁寧に、まるで職人仕事のように音を重ね、ドラマを紡いでいく。

もちろん各プレーヤーの力量は素晴らしい。まずニックのドラムスがしっかりした骨格を作っている。彼の的確で多彩なプレイが、突出せずに常に縁の下の力持ち的に全体の“誠実さ”を支えている。

そこに感情を込め過ぎないボーカル、自己主張しすぎないギターやキーボードが、静かに静かに英国の深い音世界へと聴く者を誘ってくれるのだ。なぜか歴史や伝統に育まれた様々な物語を音に感じる。もちろん歌詞も様々な物語にヒントを得て作られたものが多いのだが、何とも言えない郷愁というか、心揺さぶる感情が沸き上がってくる。

この形容しがたい深みこそが、逆に個性重視で張り合っていた1970年代には出てこなかったであろう現在の音なんじゃないかという気がする。過度に感情に直接訴えてはこない。悲しみや怒りを押しつけてはこない。手に汗握るような盛り上がりやカタルシスもない。

しかし曲は一部のスキもなく進み、美しいメロディーに、豊かなハーモニー、音楽性溢れる楽器アンサンブル、そして効果的に挿入されるメロトロンとブラスアンサンブルに聴き入っているうちに、やがて聴き手は静かな感動に満たされていく。

0年代だからこそ生まれ得た傑作である。

  

2011年3月30日水曜日

「アレアツォーネ」アレア

原題:Are(A)zione(1975)
  
■Area(アレア)

強烈なオリジナリティーと圧倒的な演奏力でイタリアが世界に誇るバンドArea(アレア)による、1975年に発表された4枚目にあたるライヴアルバムである。

タイトルの「Are(A)zione」は「Areazione(自由な討論・議論、感情の表出)」という単語であるが、中央部のAを強調することで、「Area」+「Azione(行動・活動:英語のaction)」という意味を持たせたとも言えるだろう。コミュニズムに傾倒していた当時のイタリアの若者たちの集会で、Areaは数多く演奏していたと言われる。まさにそんなAreaライヴにふさわしいタイトルである。

  Giulio Capiozzo:ドラムス、パーカッション
  Patrizio Fariselli:ピアノ、エレクトリック・ピアノ、
          バス・クラリネット、ARPシンセサイザー、パーカッション
  Demetrio Stratos:ボーカル、オルガン、スチールドラム、パーカッション
  Ares Tavolazzi:エレクトリック&アコースティックベース、
          トロンボーン、ポケット・トランペット
  Paolo Tofani:ギター、EMSシンセサイザー


曲目は1st、2nd、3rdから代表曲を1曲ずつ取り上げられ、続いてライヴ用インプロヴィゼーション「Are(A)zione」、そしてアレア版「インター」(International:万国労働者の歌であり、共産主義国家における革命歌、資本主義国家における労働組合の団結意識を高める際にも歌われた)で終わるという、ライヴらしさを取り入れた構成になっている。

ちなみにLPでは代表曲がA面、あとの2曲がB面となっていて、ベスト盤的な面とライヴならではの面が、CD以上に明確に意識できるようになっていた。

ライブ感覚を盛り上げるのはそれだけではない。「オデッサのリンゴ」では実際にリンゴを食べるパフォーマンスが入る。そのザラザラした音像が妙にライブっぽい。トータルにバランスが取られた演奏時の音像とは異なり、そこだけ生録っぽい感じなのだ。リンゴを齧る音が良い。背後でざわめく聴衆の雰囲気が良い。

もちろん演奏も素晴らしい。アルバムは1stの一曲目で聴く者の度肝を抜いたArea代表曲「7月、8月、9月(黒)」で演奏は始まる。1stアルバムとはメンバーが異なるのでサックスが入らないが、音の分厚さや勢いはアルバムを凌ぐ。

アレア独特なシンセサイザーの音色によるアラビア風メロディーが強烈だ。ネイ(nay)というアラブの葦笛の音を真似ているようだが、民族楽器的雰囲気を残しつつも、シンセサイザーの暴力性が前面に出ている点がアレアらしい。

バルカン地方の伝統的ダンスミュージック特有の複雑なリズムと強烈なスピードが、凄腕メンバーのテクニカルな演奏によってジャズロックのパワーを得る。15分に渡る熱演「Are(A)zione」など、部分的にはマハヴィシュヌ・オーケストラを思い出すほどだ。弾けるエレクトリック・ピアノ、繊細かつパワフルなドラムス、負けじと動き回り自己主張するアコースティック・ベース。

しかしデメトリオ・ストラトスのボーカル&ボイス・パフォーマンスが入ると、エスニック・ジャズロックの域を軽々と飛び越え、現代音楽、実験音楽的要素まで取り入れて、まったく新しい“アレアとしての音楽”が作り出される。アルバム以上にデメトリオの声の太さにも魅了される。

そして静動どちらのパートにおいても常に緊張感を孕み続けている。そこがまたクラシックに根ざした美しいメロディーを情感豊かに歌い上げる他の多くのイタリアのバンドとは、大きく一線を画しているところだろう。「インター」の解体具合も凄まじい。

収録曲の少なさや収録時間の短さは残念であるが、アレアのライヴバンドとしての魅力が凝縮された傑作。

ちなみにより多くのライヴ演奏を堪能したいなら、音質は劣るが「Parigi - Lisbona(パリ―リスボン)」というアーカイヴ音源がある。


2011年3月5日土曜日

「イン・ザ・ミスト・オブ・モーニング」ノルダガスト

原題:In the Mist of Morning(2010)

■Nordagust(ノルダガスト:ノルファグスト)

ノルウェーの新鋭バンドNordagustのデビューアルバムである。オリジナルは2007年にデモCDとして制作されたもので、その後契約することになったカリスマ・レーベルによってリミックスとマスタリングをし直して、2010年に正式に発表された。クオリティー的にはデモだったことが信じられないくらい、完成された音である。いかにも北欧らしさに溢れた、バンドの強烈な個性が感じられる作品なのだ。

   Daniel "Solur" Solheim:リード・ボーカル、ギター、キーボード、
        サンプリング
   Ketil Armand "Bergur" Berg:ドラムス、カンテレ
   Knud Jarle "Strandur" Strand:ベース、ビジネス
<ゲスト>
   Agnethe Kirkevaag:ボイス

バンドのサイトを見ると、さらにダルシマーやマンドリン、サローフルート(ウィローフルートとも呼ばれるスカンジナビア半島で使われる民族楽器)はては斧、ハンマー、石臼、やかん、樽なんてものまで“担当楽器”の欄に書かれている。その他水の音、風の音などの自然音も効果的に使われている。

  
そのサウンドであるが、同じ北欧のAnekdotenが“暗鬱”であるならば、このNordagustは“悲壮”、あるいは“絶望”と言えるんじゃないかと言うほどに、サウンドも歌詞も暗いのが特徴だ。もう相当暗い。落ちるところまで落ちてしまいそうに暗い。

悲壮感あふれるボーカルが曲を引っ張っているため、スウェーデンのAnekdotenやAnglagardなどと比べメロディーが明確で、「歌」として聴くことができる。しかしバックを埋め尽くすメロトロン系サウンドの悲壮さ。ある意味メロトロンオーケストラが通奏低音のように流れ続ける。Anekdotenのように、ここぞとばかりに理想的な使われ方がされるのとは違い、全編を暗く覆い尽くす。

そこにロバート・フリップが叙情的な表現で使うような、硬質ながら流れるような美しいギターが被さっていく。表面的な荒々しさやアナーキーさはないが、ちょっと胸が苦しくなるほどのドラマチックな悲壮感が、アルバムに満ちているのだ。

その暗さや悲壮さは、インナースリーヴに見られる北欧の凍てつく風景に良く似合う。雪と霧に覆われたモノクロームな大自然。その神秘性や人知を越えた存在感の強烈さ。Nordagustの音には、そうした畏怖される北欧の大自然が息づいているかのようだ。特殊な楽器や身近な道具類は、土着的フォークソングの流れを感じさせ、音楽に幅と深みを与えている。

しかしこの悲壮感はタダモノではない。ある意味強烈な個性で最前線へ躍り出た、プログレッシヴ・ロックバンドじゃないだろうか。好き嫌いは別にして。傑作である。

なお現在は女性2人を含む3人を新たに加え、6人編成で活動しているようである。新しい編成により音がどう変化していくのか、とても楽しみなバンドだ。

 

2011年2月18日金曜日

「プレイング・ザ・フール」ジェントル・ジャイアント


■Gentle Giant(ジェントル・ジャイアント)
  

英国の技巧派ロック集団Gentle Giantのオフィシャル・ライヴアルバム。LPでは2枚組として発売されたが、CDでは1枚に収まっている。1976年のヨーロッパツアーの模様を記録したものなので、アルバム的にはほとんどが1975年発表の「Free Hand」までの代表曲で占められている。

アルバムごとに少しずつロック色やファンキー色を取込んできたバンドが、まさにそれらを見事に融合させた傑作アルバム「Free Hand」を完成させて、アメリカでも人気が出てきた時期の、まさに日の出の勢いと言える最高のパフォーマンスを聴くことができる。

   Derek Shulman:ボーカル、アルト・サックス、ソプラノ・リコーダー、
          ベース、パーカッション
   Ray Shulman:ベース、ヴァイオリン、アコースティック・ギター、
          ソプラノ・リコーダー、トランペット、ボーカル、パーカッション
   Kerry Minnear:キーボード、チェロ、ビブラフォン、
          テナー・リコーダー、ボーカル、パーカッション
   Gary Green:エレクトリック&アコースティック・12弦ギター、
          アルト&ソプラノ・リコーダー、ボーカル、パーカッション
   John Weathers:ドラムス、ビブラフォン、タンブール(低音の太鼓)、
          ボーカル、パーカッション

左からDerek、Ray、John、Gary、Kerry
   
このメンバーの使用楽器を見ても、Gentle Giantの特徴である“マルチプレーヤーによるマルチプレー”がステージ上で再現されていたのか興味が湧くところだが、驚くべきはライヴ用にさらにアレンジされた楽曲が、一糸乱れぬアンサンブルで演奏されていくことであろう。

演奏の基本フォーマットはDerek:ボーカル、Ray:ベース、Kerry:キーボード、Gary:ギター、John:ドラムスというオーソドックスなものだが、これが曲によって、例えばRayがヴァイオリンやトランペットを担当すると、Derekがベースを弾く、みたいなことが極々自然に行なわれる。しかしながら「Playing the Fool(道化を演じる)」というタイトルとは裏腹に、こうした見た目の奇抜さや面白さが見えなくても、十分魅力的な音楽であることには変わりがない。

つまりこうした「メンバーが複数の楽器を持ち替えて演奏する」とか「全員がパーカッションを叩いたりリコーダーを吹いたりする」とか言った“大道芸的”、あるいは“見せ物的”な部分に話題が行きがちだけれど(それは確かに凄いことなんだけど)、それは単に「道化を演じてみせてるだけさ」とでも言っているようで、むしろ圧倒的な魅力として伝わってくるのは、そのアンサンブルの見事さである。バンドの本質はあくまでそこにあるのだ。

アンサンブルの見事さは、スタジオアルバムですでに折り紙付きである。では既発曲からなるこのライヴ・アルバムの魅力とはなんだろう?

まずそのアンサンブルの魅力が、スタジオアルバムとちょっと違うのだ。スタジオアルバムの場合は、曲やアルバム全体のサウンドをコントロールする上で、様々な楽器や音の定位をバランス良く、ある時には刺激的に配置している。だから複雑なアンサンブルと音の重なりが、聴く者を迷宮に誘い込むような魅力がある。

それに対してこのライヴでは、基本的にメンバーの立ち位置から担当楽器の音が聴こえてくるような、まさにライヴ的な定位で音を聴くことができる。その分各メンバーの役割や演奏の絡み具合がわかり易いのだ。

具体的にはおおまかに向って左からGary(ギター)、Ray(ベース)、Derek(ボーカル)、John(ドラムス)、Kerry(キーボード)という感じで音が定位されている。ベース&ボーカル&ドラムスは、ほとんど中央である。楽器の持ち替えやサウンドのバランスで当然動くんだけれども、比較的この配置が固定されている。ちょうど、驚きの映像が楽しめるDVD「Live: Giant on the Box」などに見られる配置と同じだ。

するとGary(ギター)とKerry(キーボード)のまさに一体となった体位的アンサンブルの見事さが浮き彫りになるのだ。もうその息の合い具合は、ため息が出るほど素晴らしい。特にGentle Giantの場合はソロ回し的なことはやらないので、いかに複雑なことを正確に、そして丁寧に演奏しつつ、流れるようなサウンドを構築しているかが伝わってきて、とてもスリリングなのだ。

このライヴの魅力はもちろんそれだけではない。よりロック色というかライヴ色を強めるためか、線が細く美しい声が魅力のKerryが歌っていたパートを減らし、Derekが全体のリードボーカル的役割を強く担っているのも特徴だ。ボーカルタイプとしてはKerry/Derek=聖/俗みたいな感じがあったが、よりパワフルなサウンドを目指したライヴ用アレンジだと言える。

さらに楽曲的にも「Excerpts from Octopus(アルバム「オクトパス」からの抜粋)」が、リコーダーアンサンブルを含む息をつかせぬ目まぐるしい展開で、既発曲の抜粋を越えた、15分を越える一つの大曲としての魅力をたたえているし、4声のアカペラを含む難曲「On Reflection」完全再現なども、ライヴバンドとしての実力を見せつけてくれる。

スタジオアルバム以上の躍動感で迷宮を疾走する80分。傑作。

ちなみに前述のDVD「Live: Giant on the Box」を見ると、メンバーがこれだけの難曲をとても楽しそうに演奏しているのがわかる。基本をあくまでロックなグルーヴに置いているのだ。
  
楽器の持ち替えも映像的な面白さであるが、個人的にはアクセントをずらしながらパワフルなリズムを叩くJohnの個性的なキャラクターが印象的だった。カメラ目線でひょうきんなところを見せるのも良い、それも曲を演奏しながら。ちょっとGentle Giantのキャラクターにも似てるし…。

 

2011年1月23日日曜日

「ザ・ブラッフォード・テープス」ブラッフォード

原題:The Bruford Tapes(1979)
 
■Bruford (ブラッフォード)

King Crimsonのドラマーとして1972年から活躍し、その解散後には様々なバンドに参加しながら次のステップを探っていたBill Bruford(ビル・ブラッフォード:ビル・ブルフォードがより正確。)。

1978年にUKというスーパーバンド結成に立ち会ったものの、アルバム1枚のみで分裂。UKのギタリストであったAllan Holdsworth(アラン・ホールズワース)とともに、同年1978年発表のソロ作「Feels Good To Me(フィールズ・グッド・トゥ・ミー)」 の延長線上に位置する作品を作り上げる。それが今度はソロではなく、Brufordという“バンド”として完成させた「One of a Kind(ワン・オブ・ア・カインド)」 であった。

今ではイギリスジャズロックの一つの金字塔的アルバムとして語られることの多いこのアルバムである。しかし当時は必ずしも高評価ばかりだったわけではなかったと記憶する。

例えば「Allan Holdsworthのギターが出しゃばり過ぎで、わずらわしい」とか「Bill Brufordのドラミングは省エネ風で面白みに欠ける」とかいうような評を目にしたように思うのだ。それは確かにわたしにとっても多少なりとも第一印象として感じたことである。

確かにAllan独特のフレージングの魅力は、曲の一部に切り込んでくるような場合の方が印象的だし、そういう意味ではソロ回しをするタイプのアンサンブルの方が彼のプレイは引立つのかもしれない。その点では全編ギターを任されたこのアルバムでは、彼はバンドの一員として表に裏に弾きまくるというのは、チャレンジングなことだったかもしれない。

Billにしても、Yesの時のようなジャズ・テイストが残しながら疾走感あふれるパーカッシヴなドラミングとも、King Crimsonの時のような、いつインプロヴィゼーションに突入するかわからないようなスリリングで複雑なドラミングとも違う。特徴的なスネアの音だけが単調に響くかのような、装飾音の極めて少ないドラミングである。

ところが聴き込んでいくとAllanにしてもBillにしても、楽曲の難易度を忘れてしまうくらいの、強烈なテンションの連続なのである。その凄さは、ユニゾンで弾き倒すMahavishnu Orchestra(マハヴィシュヌ・オーケストラ)などとは異質な、構築性とそこからはみ出そうとするエネルギーがうずまく唯一無二な世界なのだ。

その凄さが時に「One of a Kind」以上に味わえるのが、この「The Bruford Tapes」なのである。カナダのFM曲の公開用に録音されたものということで、そうしたアナウンスもアルバム中で聞かれ、まるでFM放送をエアチェックしたような感じのアルバムだ。

   Bill Bruford:ドラムス、パーカッション、エレクトリック・チャット
   Dave Stewart:エレクトリック・キーボード
   Jeff Berlin:エレクトリック・ベース
   the 'unknown' John Clark:エレクトリック・ギター

曲は前述の「Feels Good To Me」と「One of a Kind」から選ばれたオール・インストゥルメンタル。さらにラジオ番組らしくLP時代のA面とB面ラストにあたる2曲で、フェイドアウトしてしまうという物足りなさもあるが、ライヴの熱気やプレイの爆発力を聴くにつけ、良くぞ残してくれましたという作品だ。
 
ギターがすでにAllanから'unknown(無名の)' John Clark(ジョン・クラーク)に交替している。その音色やフレージングは驚くほどAllanに似ているが、だからと言ってAllanのイメージを意識し過ぎてこじんまりまとまっているというわけではない。若干ロック色が濃くなって、見事にこの複雑なアンサンブルに貢献しているのだ。

特にBillのドラミングは「グルーヴしない」と言われたりもするようだが、それはブラックミュージック的な意味合いにおいてであって、このライヴでのドラミングを聴くと、彼独特のグルーヴを非常に良く感じることができる。

特にハイハットを刻んでいるときの独特のタイム感。ストレートに叩いているのに強弱だけでなく音の長さが違うのだ。でもシャッフルには縁遠い、ちょっと片足を引きずるかのような感覚。Crimsonでもそうした特徴は耳にできたが、これだけ高度なアンサンブルを要求される曲に於いては、それは強烈な個性として耳に響いてくる。

もちろん同じことを繰り返さないという、彼独特のドラミングも強烈だ。普通は一定間隔で打つスネアが、彼の場合は次の瞬間にどのタイミングで入るか予測できないのだ。そしてカミソリのようなフィルイン。それでもしっかりリズムキープしているのだ。むしろグイグイと演奏を引っ張っていると言ってよい。

一聴すると独特なスネアの音だけが耳に残りがちなBrufordでの彼のドラミングは、それだけ個性的でプレイで成り立っているのである。決して「省エネ」などではない。とにかく聴いていると、自然と彼のドラミングに意識が集中してしまうのである。

もちろんDave Stewart(デイヴ・スチュアート)のテクニカルでありながら華麗なキーボードや、Jeff Berlin(ジェフ・バーリン)の、アルバムよりも突っ走る「5G」など、他のメンバーも素晴らしいプレイの連続である。

文句無しの傑作アルバム。

ちなみにこの'unknown' John ClarkはBruford解散後、イギリスの歌手Cliff Richard(クリフ・リチャード)のバックバンドに加入、1979年の「恋はこれっきり」での第一線復活後の、Cliffのライブ活動を支えている。


2011年1月5日水曜日

「ムーヴィング・ウェイヴズ」フォーカス

原題:Moving Waves(1971)

■Focus(フォーカス)


ムーヴィング・ウェイヴズ」は、オランダが文字通り世界に誇る最強のバンドFocusによって1971年に発表された、2ndアルバムにして代表作である。プログレッシヴ・ロック発祥の地イギリスのそうそうたる一流バンドに比しても、一歩も退けを取らないその音楽性の高さと強烈なオリジナリティーを存分に発揮した一作だ。

なお本アルバムは、オリジナルタイトルとは別に「Focus II」とも呼ばれているようだが、ここではオリジナルタイトルで記すことにした。

   Thijis Van Leer:オルガン、ハーモニウム、メロトロン、フルート、
          ピアノ、ボーカル
   Jan Akkerman:エレクトリック&アコースティックギター、ベース
   Cyril Havermans:ベース、ボイス
   Pierre Van Der Linden:ドラムス

バンド編成は極めてオーソドックスなもの。担当楽器も基本的なものだ。ところが飛び道具的なものを一切使っていないにもかかわらず、バンドの繰り出す音は非常に刺激的で、大きな魅力に溢れている。ある意味、メンバー自身が“飛び道具”かと思われるほど、個性的で高度なテクニックを持った希有なプレーヤーたちなのだ。特にThijis Van Leerである。

まずシングルヒットにもなった一曲目「Hocus Pocus(邦題は「悪魔の呪文:)が凄まじい。ちょっと退屈な感じすらするロックンロール・リフ。ところが突然始まるボーカルは、なんとキーボード担当のThijis Van Leer(タイス・ヴァン・レア/テイス・ファン・レール)によるヨーデル・スキャットである。曲はこのロックンロール・リフとThijisのプレイを交互に進行していくのだが、Thijisはヨーデル、オルガン、フルート、口笛、コミカルボイスと、もうやりたい放題なのだ。

この発想。そしてそのプレイのレベルの高さ。口笛一つとっても楽器並に素晴らしい。意外にも曲自体はクラシックのロンド形式を取っているので、奇をてらったと言うより、いろいろな縛りを捨てて自分の持っているものを解放した結果出てきた音楽なのだろう。

ところがThijisのテンションが上がるに連れて、ギターリフに被さるJan Akkerman(ヤン・アッカーマン/ヤン・アケルマン)のギターも凄まじい切れ味を見せ始め、ヘタをするとコミックソングかキワものになりそうなところを、グイッと今までに体験したことのない音楽世界へと連れて行かれるのである。このあたりがFocusの並外れたところだ。

2曲目は一転、Jan Akkermanのクラシカルなギター・インストルメンタル。このギターも聴き惚れるほど上手い。背後で静かに鳴っているメロトロンの使い方も秀逸だ。3曲目も穏やかでクラシカルなThijisのフルート曲。この人のフルートの音は非常に美しく、ピッチも安定しているのだが、多重録音によってさらに美しいフルート・ハーモニーが聞ける。こうしてThijisとJanの双頭バンドとしてのお披露目が、アルバム旧A面でされていくのである。

3曲目はThijisのボーカル曲。クラシックの歌曲のような静謐な印象で、歌唱も丁寧なもの。Thijisは、一方で自由奔放なプレイをしながら、他方では非常に宗教音楽的な、神聖で清らかなイメージをかもし出す曲を書く。その振り幅が凄い。

普通ならそれに振り回されてしまうところだが、Janのテクニカルながらハードロック的なギターが、うまく全体を引き締めている。特にその固く鋭い音色と、テクニカルなのにテクニック偏重にならない熱いプレイは、Thijisの奔放さに十分拮抗し、バンドとしての魅力をさらに高めていると言える。

そのJanがメインとなる「Focus II」もまた美しい曲だ。緊張感あふれるギタートーンが、メロディーの甘美さを程よくコントロールし、メロウにもなり過ぎず、BGM的軽さにも陥らず、絶品のロックギター・インストゥルメンタルに仕上げている。

こうした強い個性がぶつかり合うのが23分にも及ぶ大曲「Eruption」(イラプション:発生、爆発、噴火、勃発などの意)である。ユニゾンによるアンサンブル、叙情的なメロディー、フリーフォームなソロなどが、細かく別れたパートに散りばめられ、万華鏡のようなサウンドの中で、聖と俗の間を縦横無尽に駆け巡るような展開が凄い。

この曲は、イタリア・ルネッサンス末期からバロック初期に活躍し、初めてオペラを作曲したと言われるJacopo Peri(ヤコポ・ペーリ)のオペラ作品「Euridice(エウリディーチェ)」を下敷きにしているという(Wikipediaより)。16に分けられたパートに出てくる名前は、そこから来ているわけだ。ただしFocusは音でその世界を表現している。

そのサウンド風景の目まぐるしさや落差から、ごった煮的になりそうなのにならないのは、基本に流れているクラシカルで神聖な宗教的雰囲気と、クラシックからジャズ、ロックに精通したプレーヤーの素養、そして大胆なだけでなく非常に繊細な各人の演奏によるものであろう。

必要以上に音を重ねず、プレイそのもので聴かせる。その存在感の凄さはちょと他のバンドとは別格な感じすらある。傑作中の傑作。

ちなみに「Hocus Pocus」はナイキ(Nike)の2010年ワールドカップ・コマーシャルに採用され、再び脚光を浴びた。またFocus自体もThijis Van Leerを中心に2001年から継続的に活動を復活させていて、2011年現在のラインアップには、本アルバムでメンバーだったドラムスのPierre Van Der Lindenも復帰している。