2010/10/16

「ニヒル」ニュークリアス・トーン

原題:Nihil(2006年)
  
ニュークリアス・トーン(Nucleus Torn)


ニュークリアス・トーンはスイスの7人編成のバンドである。その音楽性からプログレッシヴ・ロック、あるいはメタル両分野で取り上げられることがあるが、どちらにしても一筋縄ではいかない音楽的な個性を有している。

フォーク・メタルとかゴシック・フォークとかゴシック・シンフォニックなどと呼ばれたりもして、ある意味あらゆるジャンルに於いて辺境にあるサウンド。だからこそ“プログレッシヴ”だと言える1枚だ。アバンギャルド(前衛)・ロックと呼ばれたりもするが、決して難解な音楽ではない。

   Maria D'Alessandro:ボーカル
   Patrick Schaad:ボーカル
   Christoph Steiner:ドラムス、パーカッション
   Rebecca Hagmann:チェロ
   Christine Schüpbach-Käser:バイオリン
   Anouk Hiedl:フルート
   Fredy Schnyder:その他すべて
   (エレクトリック、アコースティック、クラシック・ギター、ピアノ、
   チャーチ・オルガン、ベース、リコーダー、 ダルシマー、
   アイリッシュ・ブズーキ、マンドリン、ウード、バグパイプ、
   パーカッション)

まず目を引くのがFredyの担当する楽器の多さであろう。特にアコースティック楽器の多さに驚く。ダルシマーはアメリカのアパラチア地方の民族楽器、ブズーキは元々はギリシャで生まれたマンドリンに似た楽器、ウードは西南アジア・北アフリカで用いられ るマンドリンに似た楽器、saz baglamaはトルコの民族楽器である。実に多彩で広範な楽器に精通し、音楽に取り入れていることがわかる。

ニュークリアス・トーンはこのFredyというマルチ・インストゥルメンタリストを中心としたバンドなのだ。実際に彼は楽器だけでなく、作詞作曲のみならず、レコーディングからジャケットデザインまでこなしているのである。

そしてもう一つ非常に特徴的なのが、バンド内にバイオリン、チェロ、フルート奏者がいるといる点であろう。しかし男女ツインボーカルであり、ドラムス担当もいる。いったいどんな音楽がそこから生まれるのか、バンド編成だけ見ても興味をそそられる。


「Nihil」はそんな彼らのファースト・フルアルバムである。彼らのサイトを見ると、このアルバムには次のようなコメントがされている。

「Exploring the boundaries of rock music - from silence to raging fury. (ロック・ミュージックの境界の探求 - 静寂から荒れ狂う激情に至るまで)」

とある。彼らのサウンドを一言で見事に現していると言える。

最初の流れてくる曲は、ほとんど良質なケルト・ミュージックである。女性ボーカルが淡々と歌い上げる幻想的で物静かな歌だ。爪弾かれる弦の音が美しい。そこにバイオリン、チェロが重なってくる。そしてバグパイプが歌う。この曲はこうしたフォークタッチのまま静かに終わる。それ自体で完成された一曲。リコーダーの素朴で透き通るような音が染みる。

ところが2曲目はミステリアスな導入部に引き続き、いきなりドラムス、ベースが入ったロックのリズムで劇的に幕を開ける。それはまるでアネクドテン(Anekdoten)のようである。しかしそこで鳴り響くのはメロトロンではなく生の弦楽器である。この暗さ、神秘さはしかし1曲目のケルティックな世界と見事につながっている。奇をてらったわけでもなく、実に自然に激情を抑えたようなメロディーが男性ボーカルによって歌われる。そして一転、荒々しいギターリフが切り込み、激情は解き放たれる。曲は再び静寂へと戻る。このゾクゾクするような絶妙な展開。

そして3曲目はピアノソロで静寂に戻るかと思うと、続く4曲目はノイジーなギターの背後で弦楽器が分厚く鳴り響くという重苦しい迫力に満ちたロック。しかし間奏部はギターとチェロ、そしてフルートによる妖しくも静かな世界。

こうしてケルティックな神秘と静寂の森から、Anekdoten、さらにはKing Crimsonにつながるような暗黒の激情にまで行き来する、実に特異な音楽。

プログレッシヴ・ロックという様式の中にケルティックな民族音楽を散りばめてみましたというものではない。メタリックな要素もケルティックな要素も、それ自体でしっかりと完成されたものを、見事なセンスで一つの音世界にまとめ上げた、今までにないプログレッシヴ・ロックである。

シンフォニックではない。どちらかというと室内楽、そしてアコースティックな民族音楽と、ヘヴィーでダークなロックが融合された世界。そこが同じようにケルティックな要素を持つアイオナ(Iona)などの、キーボードが活躍するシンフォニックな音とは決定的に異なる。

いわゆる昨今の、1970年代プログレッシヴ・ロック・ミュージックを一種のフォーマットとして意識したような作品とは異なる、ハマると抜け出せない深みを持つ、個性が光る1枚。ラストの曲で突き抜ける。傑作。