2011/12/10

「ターミナル・トゥワイライト」ホワイト・ウィロー

原題:Terminal Twilight(2011)

■White Willow(ホワイト・ウィロー)


 ノルウェーのバンドであるWhite Willowの活動歴は古く、メンバーも流動的でサウンドもアルバムごとに変化してきた。1st アルバムは1995年発表の「Ignis Fatuus(邦題:「鬼火」)で、それ自体が1992年から94年にかけて録音されたもので、曲ごとにメンバーや曲調が異なるものであった。

その後もボーカルを含めメンバーチェンジを繰り返しながらも、ギターのJacob Holm-Lupoを中心にフォーク・トラッド路線を基調としたシンフォニックな作品を送り出してきた。そして前作から5年のインターバルを経て発表されたのが第6作となる本作「Terminal Twilight」である。

まず前作から再びメンバーチェンジがあり、2ndで参加していた元ÄnglagårdのドラマーMattias Olssonと、2nd〜4thでリードボーカルを取っていたSylvia Erichsenが復帰した。そしてキーボードにはWobblerのメンバーとしても活躍しているLars Fredrik Frøislieが、4th以降参加していることもあり、腕達者かつ個性的なメンバーが揃っての完成度の高い作品となった。

   Sylvia Erichsen:ボーカル
   Lars Fredrik Frøislie:キーボード
   Ketil Einarsen:フルート
   Jacob Holm-Lupo:ギター
   Ellen Andrea Wang:ベース
   Mattias Olsson:ドラムス
 

まず特筆しなければならないのは、オフィシャル・ホームページでは担当が「drums and everything」と書かれているMattias Olssonのドラムスだろう。
かつてキーボードプレーヤーの難波弘之氏から

「私はいつもこの手のユーロ/シンフォニック系リズム・セクション(特にドラム)の稚拙さと、演奏の色っぽさの欠如が気に入らない。(中略)ビート感と艶は天性のもので、前者は訓練によりいくらか良くなる事もあるが、後者の欠如は自分には華がないとあきらめるしかない」
 (「Marquee」vol.047、1993年、マーキームーン社、
アングラガルド『ザ・シンフォニック組曲(Hybris)』のアルバムレビューより)

と、手厳しく批評されたMattiasのドラミングは、確かにグルーヴしないし歌わない。 Änglagårdのアルバムでもそうであるが、テクニカルでありながらいわゆるプログ・メタル系ともも異なる、張りつめたような、どこか殺気漂うようなプレイが特徴である。

しかしそれがÄnglagårdにおける強烈な個性になっていたことも確かであるし、Änglagårdの複雑で終始緊張感に満ちた楽曲には、必要不可欠なものだったとも言える。彼のドラミングなしにはÄnglagårdの傑作群は生まれなかったと言っても過言ではない。

そして彼のそうした特徴は、女性メインボーカルによるフォークタッチを持ち味とするWhite Willowの本作でも、異質な響きを放っている。そしてそれが本作を、フォーク/トラッド風な甘く柔らかな世界へ留まらせずに、硬質なシンフォニックな世界と同居させることに成功していると言えるのである。

冒頭の曲の出だしではSunday All Over The World(vo.Toyah Willcox)かと思うような雰囲気に驚かされるが、Sylvia Erichsenのボーカルは基本的にフォーク/ポップス系の、ちょっとAnnie Haslam風で、もう少しコケティッシュな感じなもの。歌モノのメロディーも良いし、ボーカルも安定していて声にも魅力がある。

だからアルバムとしてもっとフォーク/ ポップス路線に傾いてもおかしくないのだが、ドラムスがそれを拒んでいるかのように、およそ歌をサポートしているとは思えないような、金属的な固い音と、聴く者に緊張感を強いるようなプレイをしているのだ。

そのギャップと言うかミスマッチな組み合わせが、結果的に曲に深みと奥行きを出す空間を生み、ギターやヴィンテージ・キーボードやフルートが、時に雄大に時に幽玄に、シンフォニックな世界を作り出すことができているのである。

だから逆にまた歌モノのメロディーの良さやボーカルの魅力も際立つことになる。

シンフォニックとかプログレッシヴとか言うには、良質のポップスに匹敵する歌の存在感が強く(耳について離れないメロディーが多い!)、同時にまた歌モノとしては気軽に聞き流せない異質な要素が多過ぎる。それが中途半端なのではなく、自然に共存してオリジナルな魅力になっているところが、本作の凄さではないだろうか。

わたしはその音に、吹雪吹き荒れる極寒の大地に、ポツンと存在する、暖炉の火で部屋中が暖かく照らされた一軒家を想像する。やがて吹雪に埋もれてしまうかもしれない一軒家を。

中心人物のJacob Holm-Lupoは次のように語っている。

「一種のコンセプトはある。どの曲も、ある種の黙示録的なシナリオを物語っている。ちょうど黙示録の辞書みたいな感じだね。(中略)僕はドラマと闇、それに崩壊と腐敗の美しさと魅力の両方をとらえたかったんだよ。」
(「Euro-Rock Press vol.51」、マーキー・インコーポレイティド、2011、インタヴューより)

美しくも静かな悲壮感をたたえた傑作。
No-ManのTim Bowness(ボーカル)が歌う一曲も素晴らしい。

ホームページに書かれた次の文章が、彼らの音楽をうまく捉えている。

「White Willow is considered Norway's foremost exponent of art-rock - by which people tend to mean pop songs stretched to pointless lengths and crammed with weird-sounding instruments. And that happens to be pretty much what we do.
(ホワイト・ウィローはノルウェーのアートロックを代表するバンドのように思われている - つまりポップソングがその領域を際限なく広げられ、風変わりな音を出す楽器をたんまり詰め込まれたものというわけだ。それは偶然にもわれわれがやっていることそのものなんだよ。」

この表現には、Gentle Giantの1stアルバムに載せられていた“宣言”に近いものを感じる。