2012/10/02

「Progressive Rock by String Quartet with Mellotron」

邦題:弦楽四重奏とメロトロンによるプログレッシヴ・ロック、そしてボーカルは何処に

■Moment String Quartet & Rui Nagai(永井ルイ)

音楽雑誌『ストレンジ・デイズ』編集長の岩本晃市郎が主催するライヴ・イベント<空想音楽博物館>のコンセプトから生まれた、プログレッシヴ・ロックの名曲 カバー・アルバム。プログレッシヴ・ロックの中でも弦楽器を主とした楽曲を選び出し、Moment String Quartetによるストリングスと永井ルイによるメロトロンの演奏で数々の名曲を独特なアレンジで聞かせるアルバムだ。

弦楽器を主とした曲と言いながら選曲が渋く、「オブセッション」(エスペラント)、「木々は歌う」(マウロ・パガーニ)、「オーキャロライン」(マッチン グ・モール)などが含まれるところが、またプログレ・マニアック魂を刺激してくれる。さらにインプロヴィゼーションであったキング・クリムゾンの「トリ オ」までやってくれるのだ。

しかし思うに、そもそも生の弦楽四重奏とメロトロンの組み合わせというのは何を意味するのか?弦楽器とメロトロン・フルートならタイプの違う“楽器”なので 成立するであろうが、メインとなるメロトロン・ストリングスは、生楽器と組み合わせる意味はないのではないか?事実ここで取り上げられているオリジナル曲 でも、クラシカル弦楽器とメロトロン・ストリングスが登場するものはない。そもそもクラシカル弦楽器の代わりとしてメロトロンが使われていたわけなんだし。

つまりこの組み合わせはどこか“お馴染み”な感じがしていながら、今までにない“未知”な試みなのである。 

何となくこの“弦楽四重奏とメロトロン”という組み合わせにマジカルな魅力を感じながらも、実際には生楽器の前にメロトロンの魅力は半減してしまうんじゃないか、ロック・フォーマットの中でこそメロトロンの音は活きるんじゃないか、そんな予想もしていたのであった。

アレンジ的な特徴としては、Moment String Quartetは曲の骨格を担当する。オリジナルがロックな曲(「原始への回帰」「オブセッション」など)は、その管弦楽アレンジで曲を聞かせる。モン ゴーア・クァルテットの「21世紀の精神正常者たち」的である。オリジナルも弦楽器曲(「プレリュード」「木々は歌う」「悲しみのマクドナルド」など)の 場合は、ほぼそのまま再現される。

原曲が丁寧に管弦楽アレンジされて、原曲のイメージに近いかたちでメロトロンが登場するという点では新奇さや意外性はない。むしろ曲の骨格がメロトロンの音(ストリングス)に近づいている分、曲のダイナミズムやメロトロンのアンサンブル的な役割は薄らいでいるとも言える。

では弦楽四重奏とメロトロンの組み合わせは失敗であったのか?

いやいやそれが違うのである。もし弦楽四重奏だけの演奏であったなら、選曲は面白いし弦楽アレンジも本格的だが、音楽的には凡庸なライト・ミュージックになっていたかもしれない。艶やかで情感豊かなバイオリンの音。そしてクラシカルで立体的なアンサンブル。多少リズム楽器が入るがロックのようなパワフルな世界とは無縁な上品な調べ。それはオリジナルの角が丸くなったような、刺激の薄い世界であったろう。

ところがここにメロトロンが入ると様相は一変する。確かにストリングス音だと生楽器に似た音が重なることになる。しかし、だからこそメロトロンの、“圧倒的な音の壁”と“冷たさ”が際立つ。それが生ストリングスが紡ぐ情感の連なりを寸断し、曲に大きな揺らぎをもたらし、聴く者を別世界へと突き落としてくれるのだ。

クラシカルな弦楽器は音やフレーズ、そして曲の展開において、隅々にまで情感が宿る。それはもともとノイズを重要な要素として持つロック・フォーマットによ る演奏をはるかに凌ぐ。そこに情感を排除したようなメロトロンの音が登場すると、その異質性が増幅されるのだ。生楽器と似た音なのに決定的に何かが違う。 音の立ち上がりや揺らぎは、どこか非人間的な生理に基づいていいるかのようだ。そう、まるでゾンビのように。その美しさも情感が込められ表現された美しさではない。もっと別の人知を越えた何かに触れたような美しさだ。そういう音が“人間的な”生の音に暴力的に被さってくるのだ。

メロトロンの音が持つこうした特徴は、ロックフォーマットの中でも感じられていたものだった。だからこそ多くのバンドは生のストリングスやフルートとは別の ものとして、メロトロンを敢えて使ってきたのだろう。それが今回わざわざ生のストリングスにぶつけることで、メロトロンの異質性がよりいっそう浮き彫りに されたように思うのである。

メロトロンに光を当てながらも終始鳴らし続けるのではなく、“ここぞという時に登場”させるメロトロンらしい使い方もとても上手い。そういうメロトロンの使い方を心得ている感じも、結果としてこのアルバムをとても面白く聞き応えのある作品にしたように思う。

名曲カバーに拘らずに突き進んでいければ、美しい生ストリングスを配しながら呪術的な、かなり面白い音楽が作れるんじゃないだろうか、などと思ってしまいました。

「プログレッシヴ・ロック名盤選」というよりは「番外編」ということで。