2011/04/18

「アンダーフォール・ヤード」ビッグ・ビッグ・トレイン

原題:The Underfall Yard(2009)

■Big Big Train(ビッグ・ビッグ・トレイン)


イギリスのメロディック・プログレッシヴ・ロック・バンドBig Big Trainの第6作目。結成は1990年なのでもう20年以上活動しているベテラン・グループと言える。

本アルバムは現時点でのフルアルバムとしては最新作。第一印象は正直なところかなり地味である。いわゆるプログレッシヴ・メタルのようなテクニカルさを前面に出したものではなく、1970年代のバンドのように強烈な個性が光るわけでもない。

実はとても豊かな世界が広がっていて、聴けば聴くほどその世界にはまっていくという、奥の深さが最大の特徴である。逆に言えばそれこそが1970年代の有名バンドにはない個性だとも言える。

 David Longdon:ボーカル、フルート、マンドリン、ダルシマー、
          オルガン、プサルテリウム、グロッケンシュピール
 Andy Poole:ベース、キーボード
 Greg Spawton:ギター、キーボード、ベース
  
<ゲスト>
 Nick D'Virgilio:ドラムス、ボーカル
 Dave Gregory:ギターソロ、ギター、シタール
 Francis Dunnery:ギターソロ
 Jem Godfrey:シンセサイザーソロ

本アルバムでは基本メンバーは3人で、ゲストプレーヤーにSpock's BeardのドラムスNick D'Virgilioや元XTCのDave Gregoryが全面参加、そして元It BitesのFrancis DunneryとFrostのJem Godfreyがタイトル曲で流麗なソロを聴かせてくれる。

さらに非常に特異なのが、ブラスセクションの参加である。トロンボーン、コルネット、フレンチホルン、チューバなどによる美しいアンサンブルが随所に挿入され、独特の哀愁と英国らしい落ち着きのある世界を作り上げているのだ。

基本的に強烈な個性が前面に出るバンドではないので、まず耳につくのはGenesis風ボーカルとYes風アンサンブルという点かもしれない。特にボーカルは、声質はそれほど似ていないが、歌い方、あるいは曲のメロディーラインのせいもあるだろう、フィル・コリンズを彷彿とさせる瞬間がある。

元来わたしはKing Crimson系の音には寛容で、Genesis系の音には厳しかった。King Crimsonのヘヴィー・メタルにもプログレ・メタルにも、ジャズ・ロックにも着地しない独特の音世界は、真似しようとしてもできるものではない。

しかしGenesisの場合はボーカルスタイルもサウンドメイキングも、その気になればクローンは作り易そうに見える。実際のGenesisは、ある意味Yesにも通じる破綻しかけたアンサンブルが魅力だったりする奥の深いバンドなのだが、それ風な音は出し易く、その分安易な“物まね”感を強く感じてしまうのだ。だからGenesis風なバンドには拒否反応的なものすら持っていた。

そういう点ではこのBig Big Trainも最初ちょっと拒否反応が出かかった。しかしポイントはそこではないのだ。聴き込むうちにそれはあまりに皮相的なもの、ご愛嬌的なものでしかないことに気づいた。

この「The Underfall Yard」で聞かれるのは、実に“誠実さ”に溢れた音楽なのだ。それは奇をてらった音楽ではない。ゆっくりと地道に、そして丁寧に作り込まれた末に到達した、奥深いシンフォニック・ロックである。

まずボーカルがいい。本アルバムから参加したデイヴィッドはソロアルバムも出している実力派。実はPhill Collinsに代わってGenesisの「Calling All Stations」でボーカルを探していた際に、最後までオーディションでRay Wilsonと競っていた人物なのだ。

個性的な声質ではないがじっくりと聴かせる大人の声である。そしてボーカルハーモニーのパートが実に美しい。基本的に自ハモ(多重録音により自分の声でハモる)であるが、もう冒頭のアカペラからして圧倒的だ。

そしてそのメロディーがいい。つまり歌モノとしてきちんと魅力ある曲になっているのだ。大仰なキーボード・オーケストレーションとか中途半端なインプロヴィゼーションとかは皆無。丁寧に丁寧に、まるで職人仕事のように音を重ね、ドラマを紡いでいく。

もちろん各プレーヤーの力量は素晴らしい。まずニックのドラムスがしっかりした骨格を作っている。彼の的確で多彩なプレイが、突出せずに常に縁の下の力持ち的に全体の“誠実さ”を支えている。

そこに感情を込め過ぎないボーカル、自己主張しすぎないギターやキーボードが、静かに静かに英国の深い音世界へと聴く者を誘ってくれるのだ。なぜか歴史や伝統に育まれた様々な物語を音に感じる。もちろん歌詞も様々な物語にヒントを得て作られたものが多いのだが、何とも言えない郷愁というか、心揺さぶる感情が沸き上がってくる。

この形容しがたい深みこそが、逆に個性重視で張り合っていた1970年代には出てこなかったであろう現在の音なんじゃないかという気がする。過度に感情に直接訴えてはこない。悲しみや怒りを押しつけてはこない。手に汗握るような盛り上がりやカタルシスもない。

しかし曲は一部のスキもなく進み、美しいメロディーに、豊かなハーモニー、音楽性溢れる楽器アンサンブル、そして効果的に挿入されるメロトロンとブラスアンサンブルに聴き入っているうちに、やがて聴き手は静かな感動に満たされていく。

0年代だからこそ生まれ得た傑作である。

  

2011/03/30

「アレアツォーネ」アレア

原題:Are(A)zione(1975)
  
■Area(アレア)

強烈なオリジナリティーと圧倒的な演奏力でイタリアが世界に誇るバンドArea(アレア)による、1975年に発表された4枚目にあたるライヴアルバムである。

タイトルの「Are(A)zione」は「Areazione(自由な討論・議論、感情の表出)」という単語であるが、中央部のAを強調することで、「Area」+「Azione(行動・活動:英語のaction)」という意味を持たせたとも言えるだろう。コミュニズムに傾倒していた当時のイタリアの若者たちの集会で、Areaは数多く演奏していたと言われる。まさにそんなAreaライヴにふさわしいタイトルである。

  Giulio Capiozzo:ドラムス、パーカッション
  Patrizio Fariselli:ピアノ、エレクトリック・ピアノ、
          バス・クラリネット、ARPシンセサイザー、パーカッション
  Demetrio Stratos:ボーカル、オルガン、スチールドラム、パーカッション
  Ares Tavolazzi:エレクトリック&アコースティックベース、
          トロンボーン、ポケット・トランペット
  Paolo Tofani:ギター、EMSシンセサイザー


曲目は1st、2nd、3rdから代表曲を1曲ずつ取り上げられ、続いてライヴ用インプロヴィゼーション「Are(A)zione」、そしてアレア版「インター」(International:万国労働者の歌であり、共産主義国家における革命歌、資本主義国家における労働組合の団結意識を高める際にも歌われた)で終わるという、ライヴらしさを取り入れた構成になっている。

ちなみにLPでは代表曲がA面、あとの2曲がB面となっていて、ベスト盤的な面とライヴならではの面が、CD以上に明確に意識できるようになっていた。

ライブ感覚を盛り上げるのはそれだけではない。「オデッサのリンゴ」では実際にリンゴを食べるパフォーマンスが入る。そのザラザラした音像が妙にライブっぽい。トータルにバランスが取られた演奏時の音像とは異なり、そこだけ生録っぽい感じなのだ。リンゴを齧る音が良い。背後でざわめく聴衆の雰囲気が良い。

もちろん演奏も素晴らしい。アルバムは1stの一曲目で聴く者の度肝を抜いたArea代表曲「7月、8月、9月(黒)」で演奏は始まる。1stアルバムとはメンバーが異なるのでサックスが入らないが、音の分厚さや勢いはアルバムを凌ぐ。

アレア独特なシンセサイザーの音色によるアラビア風メロディーが強烈だ。ネイ(nay)というアラブの葦笛の音を真似ているようだが、民族楽器的雰囲気を残しつつも、シンセサイザーの暴力性が前面に出ている点がアレアらしい。

バルカン地方の伝統的ダンスミュージック特有の複雑なリズムと強烈なスピードが、凄腕メンバーのテクニカルな演奏によってジャズロックのパワーを得る。15分に渡る熱演「Are(A)zione」など、部分的にはマハヴィシュヌ・オーケストラを思い出すほどだ。弾けるエレクトリック・ピアノ、繊細かつパワフルなドラムス、負けじと動き回り自己主張するアコースティック・ベース。

しかしデメトリオ・ストラトスのボーカル&ボイス・パフォーマンスが入ると、エスニック・ジャズロックの域を軽々と飛び越え、現代音楽、実験音楽的要素まで取り入れて、まったく新しい“アレアとしての音楽”が作り出される。アルバム以上にデメトリオの声の太さにも魅了される。

そして静動どちらのパートにおいても常に緊張感を孕み続けている。そこがまたクラシックに根ざした美しいメロディーを情感豊かに歌い上げる他の多くのイタリアのバンドとは、大きく一線を画しているところだろう。「インター」の解体具合も凄まじい。

収録曲の少なさや収録時間の短さは残念であるが、アレアのライヴバンドとしての魅力が凝縮された傑作。

ちなみにより多くのライヴ演奏を堪能したいなら、音質は劣るが「Parigi - Lisbona(パリ―リスボン)」というアーカイヴ音源がある。


2011/03/05

「イン・ザ・ミスト・オブ・モーニング」ノルダガスト

原題:In the Mist of Morning(2010)

■Nordagust(ノルダガスト:ノルファグスト)

ノルウェーの新鋭バンドNordagustのデビューアルバムである。オリジナルは2007年にデモCDとして制作されたもので、その後契約することになったカリスマ・レーベルによってリミックスとマスタリングをし直して、2010年に正式に発表された。クオリティー的にはデモだったことが信じられないくらい、完成された音である。いかにも北欧らしさに溢れた、バンドの強烈な個性が感じられる作品なのだ。

   Daniel "Solur" Solheim:リード・ボーカル、ギター、キーボード、
        サンプリング
   Ketil Armand "Bergur" Berg:ドラムス、カンテレ
   Knud Jarle "Strandur" Strand:ベース、ビジネス
<ゲスト>
   Agnethe Kirkevaag:ボイス

バンドのサイトを見ると、さらにダルシマーやマンドリン、サローフルート(ウィローフルートとも呼ばれるスカンジナビア半島で使われる民族楽器)はては斧、ハンマー、石臼、やかん、樽なんてものまで“担当楽器”の欄に書かれている。その他水の音、風の音などの自然音も効果的に使われている。

  
そのサウンドであるが、同じ北欧のAnekdotenが“暗鬱”であるならば、このNordagustは“悲壮”、あるいは“絶望”と言えるんじゃないかと言うほどに、サウンドも歌詞も暗いのが特徴だ。もう相当暗い。落ちるところまで落ちてしまいそうに暗い。

悲壮感あふれるボーカルが曲を引っ張っているため、スウェーデンのAnekdotenやAnglagardなどと比べメロディーが明確で、「歌」として聴くことができる。しかしバックを埋め尽くすメロトロン系サウンドの悲壮さ。ある意味メロトロンオーケストラが通奏低音のように流れ続ける。Anekdotenのように、ここぞとばかりに理想的な使われ方がされるのとは違い、全編を暗く覆い尽くす。

そこにロバート・フリップが叙情的な表現で使うような、硬質ながら流れるような美しいギターが被さっていく。表面的な荒々しさやアナーキーさはないが、ちょっと胸が苦しくなるほどのドラマチックな悲壮感が、アルバムに満ちているのだ。

その暗さや悲壮さは、インナースリーヴに見られる北欧の凍てつく風景に良く似合う。雪と霧に覆われたモノクロームな大自然。その神秘性や人知を越えた存在感の強烈さ。Nordagustの音には、そうした畏怖される北欧の大自然が息づいているかのようだ。特殊な楽器や身近な道具類は、土着的フォークソングの流れを感じさせ、音楽に幅と深みを与えている。

しかしこの悲壮感はタダモノではない。ある意味強烈な個性で最前線へ躍り出た、プログレッシヴ・ロックバンドじゃないだろうか。好き嫌いは別にして。傑作である。

なお現在は女性2人を含む3人を新たに加え、6人編成で活動しているようである。新しい編成により音がどう変化していくのか、とても楽しみなバンドだ。