2026/07/23

「ユニオミスティ」那由多計画

原題:「ユニオミスティ(Uniomisty)」(2026)
那由多計画(Project NAYUTA)


札幌出身の「
プロビデンス」が1990年に発表したデビュー・アルバム『伝説を語りて』」は、久保田陽子という強力なボーカルと、塚田円の分厚いキーボードとを中心とした、パワフルな演奏と複雑な楽曲と高度なアンサンブルが魅力の、恐ろしくハイレベルな作品だった。

その塚田円のバンド「那由多なゆた計画」が今年2026年にリリースした3rdアルバムが、この
CD2枚組の超大作ユニオミスティ』だ。

《メンバー》
 月本美香:ボーカル
 世良純子:ボーカル
 重本遼大郎:ドラム
 塚田円:キーボード、カスタネット
《サポート》
 栗谷秀貴:ギター
 国分巧:ベース、インスタコード

とにかくツイン・ボーカルに、言葉を失うほど圧倒される。それもそのはずで、一人は、かつてプログレッシヴ・ハードロック・バンド「マージュリッチ」の第三期からボーカルを務め、現在はアルハンブラでも活躍中の、〝狂気と驚異のハイトーンボイス〟世良純子、そしてもう一人は、同じく「マージュリッチ」第八期からのボーカルを務め、「浪漫座」のボーカルとして「ページェント」の後を継ぐ傑作アルバム『綺麗な人たち』(2026)を作り上げた、〝パワフル&変幻自在ボイス〟の月本美香なのだから。

この二人の圧倒的な声量と、多彩な表現力と、正確なピッチが、まさにここにしかない〝プログレッシヴ〟な世界を作り出す。このような音楽は聞いたことがない、と思えるほどの衝撃である。

まず驚かされるのが、歌のほとんどすべてが二人のハーモニーで構成されている点だ。それも、一人がメインメロディを力強く歌い、もう一人がサビの部分でハモるという一般的なハモリではなく、二人のボーカリストがフロントに同列に並んで、力強く、表情豊かに声を重ね、時にせめぎ合い、時に溶け合いながら、ぐいぐいと曲を引っ張っていくのである。これが実に新鮮なのだ。

加えて、微妙なピッチコントロールが要求される非常に高度なハモリが随所に含まれているのも、聞いていてゾクゾクする。それぞれ個性的な声ではあるが声質は似ているので、ロックでは中々聴くことのできない、奥深い響きを体験できるのだ。

そして、このハイレベルなツイン・ボーカルが歌いまくる曲が、どれも変拍子満載ながらも難解に陥ることなく、むしろ意外なほどキャッチーであることも、大きな特徴だろう。すべての作曲を行なっている塚田円のバランス感覚の見事さである。

これは1970年代の、まだジャンル化される前の有名バンドが持っていた「構成が複雑であったり、演奏が超絶であったり、アプローチが実験的であったりしながらも、印象的なメロディがあって、曲としてはポップに聞けてしまう(イエスがその典型的なバンド)」という特徴を、引き継いでいると言っても良いかもしれない。

そしてまた、この強烈なボーカルに負けじと繰り広げられる、ハードでテクニカルな演奏も素晴らしい。最初はどうしてもツイン・ボーカルに耳を奪われてしまうが、堅実で重厚なバンドサウンドが、このツイン・ボーカルを支えているのだ。生々しいドラムスの音も好みだ。

さらに客演メンバーのプレイも光る。「美狂乱」の須磨邦雄によるギター、「ファンタスマゴリア」の藤本美樹によるヴァイオリン、「TEE」のフロントマン今井研二によるフルート、「ドリーム・シアター」や「プラネットX」などの活躍で知られるデレク・シェリニアンのキーボード、ギターのように歪んだ音が独特なフェイ・ターンのテルミン、繊細な音色が美しいwaraのピアノ。誰もが一曲での参加だが、それぞれにとても印象的なプレイを披露してくれている。特に久々に登場した藤本美樹の、短いけれど鬼気迫るヴァイオリンが素晴らしい。

しかし、これだけのメンバー&サポート&客演たちによる強烈なパワーを前にしても、ツイン・ボーカルはびくともしない強靭さを持っている。

まさに、ここにしかない音楽、ここでしか聞けない〝プログレッシヴ・ロック〟の誕生である。

2013/04/13

「天眼("Viljans Öga)」アングラガルド

原題:Viljans Öga(2012)
  Änglagård

1990年代初頭に北欧スウェーデンから突如現れ、圧倒的なヘヴィー・シンフォニック・サウンドを誇る3枚のアルバム(内1枚はライヴ)を発表後に解散したAnglagardが、2012年に18年ぶりの新譜を発表した。

通常の曲展開の定石に縛られず、曲をどんどん展開させて行く先の読めない構成や、静寂から轟音までの急激で時に唐突なほどの揺れ、グルーヴしないドラムスのナタで叩き切るような打音、低音でも研ぎすまされた鋭角的な音で迫るリッケンバッカー・ベース、暗く寂しい森の奥へと足を踏み入れていくようなフルートとメロトロン。基本的な特徴は18年前の作品群を継承していると言って良い。しかしサウンドの深みはその比ではない。

Mattias Olsson: drums, percussion and noise
Johan Brand: bass and Taurus
Thomas Johnson: Pianos, Mellotrons and synths
Jonas Engdegård: guitars
Anna Holmgren: flute and saxophone

with:
Tove Törnberg: cello
Daniel Borgegård Älgå: clarinet, bass clarinet, baritone saxophone
Ulf Åkerstedt: bass tuba, bass trumpet, contrabass trumpet

曲展開が読めないため予定調和的な安心感を得られないことから、彼らのサウンドにはどこか聴く人の共感を拒絶するようなところがある。しかし、だからと言ってそこにはアンチ・ポップス的な意図や主義主張的なものは感じられない。分かる人が分かれば良いというような自己満足的な開き直りもない。自分たちのオリジナルな音楽を誠実に突き詰めた結果、そうなってしまったというような壮絶さがあるのだ。

恐らくそうやって音楽を創出していく作業は非常に過酷なことだったと思われる。解散を決意したというProgfest '94のステージを記録した3rdライヴ・アルバムのタイトル「Buried Alive(生き埋め)」が、当時のメンバーのギリギリの精神状態を物語っていると言えよう。


そして18年ぶりに届けられた新譜では、上記のような基本的なAnglagardサウンドを継承しつつも、かつての叙情を断ち切るような急激な変化は影を潜め、次々に展開していく一曲一曲の流れは聴けば聴くほど説得力を増し、何より心に沁み居るような美しい素朴でメロディーが、曲の魂のように用意されているのであった。そこに今までの作品には無い“色気”のようなものが感じられるのだ。

特に1曲目と3曲目(全4曲)のメイン・テーマは、キラー・メロディーと呼びたいほどの素晴らしさである。そこに山場を持っていく曲構成も素晴らしい。

いわゆる“シンフォニック・ロック”な音像ではなく、室内楽のような生々しい楽器の音も特徴で、特に低音域で活躍するフルートが今回は目立っている。フルートとサックスを操るAnnaの存在感がとても増していると言える。

アレンジもさらに複雑さを極め、メロディーの周りで複数の楽器が常に絡み合っている。そして全編通じて薄暗い悲しみと途切れることの無い緊張感が漂っているのだ。

私的にはやっと、やっと70年代に比肩しうる“今の時代”のプログレッシヴ・ロックが生まれたように思う。もちろん好みの問題はあろうけれど、70年代の有名なバンドのサウンド+αではなく、70年代のバンドには到達出来なかった別世界にAnglagardは到達したのだ。そう言う意味も込めて今作は彼らの最高傑作である。 

作品の完成を待っていたかのように、あるいは全ての力を注ぎ尽くしたかのように、バンドはアルバム発表後の2012年秋に大幅なメンバーチェンジを行なう。中心人物であったMattiasを筆頭に、ギターのJonasとキーボードのThomasが脱退し、かつてのメンバーTord Lindmanが復帰、さらにドラムスとキーボードに新たなメンバーを加えて、バンドは再始動した。

2013年に奇跡の来日を果たし、その後も精力的にライヴをこなしている彼らが、新しいラインアップでどのような音を造り出してくれるか、興味と興奮はまだまだ尽きない。

2012/11/19

「枯れ葉が落ちる庭園」イングランド

Garden Shed(1977)

England

Englandは1977年という、プログレッシヴ・ロックのブームが次第にパンク&ニューウェーヴに飲み込まれようとしていた頃に登場したバンドである。Aristaレーベル唯一と言えるプログレ・バンドでありながら、満足なプロモーションはされず「Aristaのマーケティング担当者は、アルバムが発売される週には揃って休暇を取ってどこかに行っていたんだ。」という有様であったという(Robert Webb インタビューより)。

King Crimsonはすでに1974年に解散している。1977年という年には、Yesは「Going for the One(究極)」を、Genesisは「Wind & Wuthering(静寂の嵐)」、そしてEL & Pは「Works Volume I(ELP四部作)」を、さらにPink Floydは「Animals」発表したが、いずれも悪いアルバムではないものの、従来の冒険に満ちた姿勢や刺激的な音は消え、その後のポップな路線に向う転換点となったアルバムである。

しかしそれまでシーンを強力に牽引していたバンドに翳りが見えて履いたものの、Camelの「Rain Dances(雨のシルエット)」が1977年、UKのデビューアルバム「UK(憂国の四士)」が1978年、The Enidの名作「Aerie Faerie Nonsense」が1977年、Illusionの「Out of Mist(醒めた炎)」が1977年など、まだまだ力のあるバンドが音楽シーンと格闘しながら魅力的な作品を出している時期であった。

Englandはそこに登場したのである。それまでの活動を縮小/変更したのではなく、まさにその時期のプログレシーンにダイレクトに向けた音を携えて。

Martin Henderson - Bass, Vocals
Franc Holland    - Guitars, Vocals
Jode Leich       - Percussion, Bass, Vocals
Robert Webb      - Keyboards, Vocals

 左からRobert Webb, Martin Henderson, Jode Leigh, Frank Holland

UKはパンクへの挑戦という姿勢で、ジョン・ウェットンのポップな感覚を強めながらも、強烈なテクニックと変拍子満載の複雑な楽曲で対抗しようとした。しかしEnglandはハナからパンクなどのシーンには興味がなかったかのように思えるのだ。唯一のアルバムとなったこの「Garden Shed」を聴くと、自分たちが聴いてきたバンドやそのサウンドが、好きで好きでたまらないという思いが伝わってくる。

指摘され易いのはYesとGenesisの影響である。甲高いスネアが特徴のドラムスは一聴するとBill Brufordを思い出させるし(プレイは実は似ていない)、高音でハモルとYesに近づく。叙情的なギター&キーボードやちょっと演劇的なボーカルは確かにGenesis的である。

確かに最初はその部分に違和感や拒否感を感じるかもしれないが、次第に「僕らはこういうバンドが好きで、こういう音楽をやりたいんだ」という強い主張として微笑ましく聴けてしまうのだ。それは何よりも曲がモノマネや寄せ集め的なものではなく、非常に良く出来ていて魅力的なことによる。

スネアの音が個性的なドラムスもプレイはいたって堅実で、細かく展開して行く曲を上手く引き締めているし、ボーカルも良く聴けばポップソングにも向いている甘い声である。そしてメロトロンの劇的な使い方も含めて、曲構成が聴き手を飽きさせないのだ。メロディーも、キャッチーでありながらドラマチックな演奏と違和感なく溶け合っているところが素晴らしい。

そこには1970年代前半の活動でやり尽くした後の、次なる展開を探る迷いもなければ、やりたい事をやり続けるのか“ポップ化”して時代を乗り切るのかというジレンマもなく、また時代に抵抗しようという気負いもない。ただ1970年代前半のシーンへの愛と、そういう音楽を奏でたいという強い思いと、時代がどうであれ自分たちはそれで良いんだという自信が感じられるのである。

それを可能にしているのはやはりそういう思いや姿勢を曲に反映させられるだけの作曲センスと、突出しているプレーヤーはいないけれど、堅実に美しいアンサンブルを聴かせてくれる、各メンバーの技量なんだと思う。

まさに“愛すべき作品”という言葉がぴったりな傑作である。

2012/10/02

「Progressive Rock by String Quartet with Mellotron」

邦題:弦楽四重奏とメロトロンによるプログレッシヴ・ロック、そしてボーカルは何処に

■Moment String Quartet & Rui Nagai(永井ルイ)

音楽雑誌『ストレンジ・デイズ』編集長の岩本晃市郎が主催するライヴ・イベント<空想音楽博物館>のコンセプトから生まれた、プログレッシヴ・ロックの名曲 カバー・アルバム。プログレッシヴ・ロックの中でも弦楽器を主とした楽曲を選び出し、Moment String Quartetによるストリングスと永井ルイによるメロトロンの演奏で数々の名曲を独特なアレンジで聞かせるアルバムだ。

弦楽器を主とした曲と言いながら選曲が渋く、「オブセッション」(エスペラント)、「木々は歌う」(マウロ・パガーニ)、「オーキャロライン」(マッチン グ・モール)などが含まれるところが、またプログレ・マニアック魂を刺激してくれる。さらにインプロヴィゼーションであったキング・クリムゾンの「トリ オ」までやってくれるのだ。

しかし思うに、そもそも生の弦楽四重奏とメロトロンの組み合わせというのは何を意味するのか?弦楽器とメロトロン・フルートならタイプの違う“楽器”なので 成立するであろうが、メインとなるメロトロン・ストリングスは、生楽器と組み合わせる意味はないのではないか?事実ここで取り上げられているオリジナル曲 でも、クラシカル弦楽器とメロトロン・ストリングスが登場するものはない。そもそもクラシカル弦楽器の代わりとしてメロトロンが使われていたわけなんだし。

つまりこの組み合わせはどこか“お馴染み”な感じがしていながら、今までにない“未知”な試みなのである。 

何となくこの“弦楽四重奏とメロトロン”という組み合わせにマジカルな魅力を感じながらも、実際には生楽器の前にメロトロンの魅力は半減してしまうんじゃないか、ロック・フォーマットの中でこそメロトロンの音は活きるんじゃないか、そんな予想もしていたのであった。

アレンジ的な特徴としては、Moment String Quartetは曲の骨格を担当する。オリジナルがロックな曲(「原始への回帰」「オブセッション」など)は、その管弦楽アレンジで曲を聞かせる。モン ゴーア・クァルテットの「21世紀の精神正常者たち」的である。オリジナルも弦楽器曲(「プレリュード」「木々は歌う」「悲しみのマクドナルド」など)の 場合は、ほぼそのまま再現される。

原曲が丁寧に管弦楽アレンジされて、原曲のイメージに近いかたちでメロトロンが登場するという点では新奇さや意外性はない。むしろ曲の骨格がメロトロンの音(ストリングス)に近づいている分、曲のダイナミズムやメロトロンのアンサンブル的な役割は薄らいでいるとも言える。

では弦楽四重奏とメロトロンの組み合わせは失敗であったのか?

いやいやそれが違うのである。もし弦楽四重奏だけの演奏であったなら、選曲は面白いし弦楽アレンジも本格的だが、音楽的には凡庸なライト・ミュージックになっていたかもしれない。艶やかで情感豊かなバイオリンの音。そしてクラシカルで立体的なアンサンブル。多少リズム楽器が入るがロックのようなパワフルな世界とは無縁な上品な調べ。それはオリジナルの角が丸くなったような、刺激の薄い世界であったろう。

ところがここにメロトロンが入ると様相は一変する。確かにストリングス音だと生楽器に似た音が重なることになる。しかし、だからこそメロトロンの、“圧倒的な音の壁”と“冷たさ”が際立つ。それが生ストリングスが紡ぐ情感の連なりを寸断し、曲に大きな揺らぎをもたらし、聴く者を別世界へと突き落としてくれるのだ。

クラシカルな弦楽器は音やフレーズ、そして曲の展開において、隅々にまで情感が宿る。それはもともとノイズを重要な要素として持つロック・フォーマットによ る演奏をはるかに凌ぐ。そこに情感を排除したようなメロトロンの音が登場すると、その異質性が増幅されるのだ。生楽器と似た音なのに決定的に何かが違う。 音の立ち上がりや揺らぎは、どこか非人間的な生理に基づいていいるかのようだ。そう、まるでゾンビのように。その美しさも情感が込められ表現された美しさではない。もっと別の人知を越えた何かに触れたような美しさだ。そういう音が“人間的な”生の音に暴力的に被さってくるのだ。

メロトロンの音が持つこうした特徴は、ロックフォーマットの中でも感じられていたものだった。だからこそ多くのバンドは生のストリングスやフルートとは別の ものとして、メロトロンを敢えて使ってきたのだろう。それが今回わざわざ生のストリングスにぶつけることで、メロトロンの異質性がよりいっそう浮き彫りに されたように思うのである。

メロトロンに光を当てながらも終始鳴らし続けるのではなく、“ここぞという時に登場”させるメロトロンらしい使い方もとても上手い。そういうメロトロンの使い方を心得ている感じも、結果としてこのアルバムをとても面白く聞き応えのある作品にしたように思う。

名曲カバーに拘らずに突き進んでいければ、美しい生ストリングスを配しながら呪術的な、かなり面白い音楽が作れるんじゃないだろうか、などと思ってしまいました。

「プログレッシヴ・ロック名盤選」というよりは「番外編」ということで。

   

2012/06/30

鬼子母神/陰陽座

原題:鬼子母神(2011)

■陰陽座(おんみょうざ)

妖怪ヘヴィーメタルバンドとして登場した陰陽座も、1999年のデビューアルバム「鬼哭転生」から数えて10作目となり、満を持して制作された初のトータル・コンセプト・アルバム。ベース&ボーカルの瞬火(またたび)が著した脚本「絶界の鬼子母神」 をもとに作り上げた作品だ。

黒猫(くろねこ):ボーカル
瞬火(またたび):ベース・ボーカル
招鬼(まねき):ギター・コーラス
狩姦(かるかん):ギター・コーラス

 
《ゲスト》
土橋誠:ドラムス
阿部雅宏:ピアノ&キーボード

陰陽座は黒猫がメインボーカル的位置づけであるが、瞬火もかなりボーカルへの貢献度が高く、事実上のツイン・ボーカルだと言える。初期の作品は和旋律なども取り入れたストレートなメタル、と言うよりはプログレ・ハード的なサウンドであった。古語・漢語を多用した日本語にこだわった歌詞は、メタル界のみならずロック界全体を見回しても大きな個性であったし、男女ツインボーカルという特徴も他に類を見ないものであった。

さらに歌謡曲や演歌にも通じるような、ちょっと大げさな歌い回しやビブラートのつけ方も、クセの好き嫌いはあるだろうが彼らの独特な世界には欠かせないものとなった。

オリジナルの物語は結成時にすでに出来上がっていたという。バンドの成長を見極めながら、10作品目という節目に取り上げる題材として温めてきたものだという。確かにバンドとしての安定感や表現力は格段に上がったように思う。そして12パート全1曲という大作「組曲:鬼子母神」が作られたのだ。

ストーリーは土俗的な古き日本のとある村を舞台とする。そこでは村の凶事を避けるために、よそ者を鬼として始末するという因習が残っていた…。という設定の中で、人の業や性を浮き彫りにして行くあたりは、今村昌平的な世界と言ってもいいかもしれない。

でもそうしたストーリーはアルバムのブックレットや歌詞からは掴みにくい。掴みにくいんだけれど、掴み切れない中でイメージを膨らませるのもまた面白いと思う。それだけ各曲は全体の流れからも物語からも独立して、それぞれが魅力的な楽曲なのだ。


得意の疾走チューンもあれば、ファンク色の強い曲もある。切々と歌われるバラードも良い。様々な曲調を組み込みながら、全体としておどろおどろしくも悲しい物語が、アルバムから伝わってくるのだ。

そしてラストの曲で“鬼子母神”となった黒猫が一言つぶやく。その一言にアルバムのすべてが収束するかのような感動の瞬間である。この一言のためにバンドは10年以上待ったんじゃないだろうか。そんな思いすら浮かんできた。

プログレッシヴ・ロックであるかと問われれば答えは悩ましい。けれどもこれだけのスケールの音楽を作り上げ、かつ物真似ではない日本的なサウンドを聴かせてくれる冒険的な精神と卓越した技量は、ジャンルに拘ることなく“プログレッシヴ”であろうと思う。

日本を代表するバンドの渾身の1枚。

 

2012/05/21

カニング・スタンツ(ロッキン・コンチェルト)/キャラバン

原題:Cunning Stunts(1975)

■Caravan

イギリスのカンタベリー派を代表するバンドと位置づけられているCaravanのスタジオ第6作。ジャズロック・テイストが強かった初期からポップな小品の完成度の高さは折り紙付きだったが、プログレッシヴ・ロックも成熟期〜混迷期に入りつつあったこの頃、まさにそのポップさとテクニカルなアンサンブルを絡めて一気に聴かせるCaravanワールドは、絶頂期に達したと思わせる1枚。

Pye Hastings:ギター、ボーカル
Dave Sinclair:キーボード
Mike Wedgwood:ベース、ボーカル、コンガ
Richard Coughlan:ドラムス
Geoff Richardson:ヴィオラ、ギター、フルート

《ゲスト》
Jimmy Hastings: ブラス・アレンジ、アルト&テナー・サックス
クラリネット

当時のLPで言えばA面が5つのポップソング。これが80年代のパワー・ポップとは違って、いかにもイギリスという感じの線の細い、フォーキーな美しさに満ちた曲ばかりなのだ。

ゆったりしたピアノとオクターブを移動するベースが印象的な「Show of Our Lives」では、本作から参加するウェッジウッドのボーカルがさっそく聴ける。乗りの良い「Stuck in a Hole」ではリチャードソンのヴィオラからシンクレアのムーグソロが愛らしい。波打つストリングスが美しい「Lover」(ちなみにloverという単語は、正式には結婚も同棲もしていないが、性的関係を強く暗示させる言葉)、そのままストリングスが「Backstage Pass」へと続き、メランコリックな歌が始まる。パーカッション入りのギターソロが素晴らしい。そしてソウルフルな異色作「Welcome the Day」。ボーカルのウェッジウッドの声質がパワフルでないため、これもアルバムに馴染んでしまう。

そしてLPB面で展開される「Dabsong Conshirtoe」。5つのパートからなる組曲ともメドレーとも取れるが、A面の雰囲気を引き継ぐような甘いボーカルとうっとりするようなメロディーに導かれて始まり、ロック・テイスト、ジャズ・テイストを経て、渦巻くようなインストに様々なSEが被さる混沌とした狂気すら感じさせるクライマックス、そしてアルバム冒頭曲「Show of Our Lives」がリプライズする感動のラストという、もう文句なしの傑作大曲だ。

夢見るようなポップス風のスローな出だしから、次第にテンポが速くなっていくが、思いの外ドラムスが重く、リズムが走り出すのを抑えている感じがする。このタメがいい。そして世界がどんどん広がり移り変わり、聴き手は音の洪水に心地よく飲み込まれていく。

興奮の余韻を冷ますかのようなアコースティックな小曲「The Fear And Loathing In Tollington Park Rag」で、このアルバムは幕を下ろす。でもまた最初から聴きたくなっちゃうのである。 傑作。

ちなみにWikipediaによれば、タイトルの「Cunning Stants」はspoonerismと呼ばれる頭音転換による言葉とのこと。英国のSpooner牧師がこのような間違えを良くすることから付けられた。例えば「book case」を「cook base」、「cold butter」を「bold cutter」というような言い間違えだ。つまりここで示唆されている言葉はセクシーな意味合いの「Stunning Cunts」。「最高のアソコ(女性性器)=名器」、あるいは「最高のsex(の女性相手)」ぐらいの感じでしょうか。

さらに大曲「Dabsong Conshirtoe」も辞書にはない言葉。これは裏付けはないのだが、「Lovesong Concerto」(ラヴソング協奏曲)を、酔っぱらったようなだらしない口調で言ったものではないかと思うのだけれど、どうであろうか。



2012/03/28

「...光へ!」ディスカス

原題:Tot Licht!(2004)
■Discus

「...Tot Licht!」は2004年にインドネシアのバンドDiscusが発表した2ndアルバム。インドネシアのバンドということで、欧米よりレベルが落ちるのは覚悟の上で辺境性を楽しもう…などと斜に構えて接すると、度肝を抜かれること必至な、超絶テクニカル/ごった煮ロックである。

その雑食性は多岐に渡り、グロウルを含むメタル色あり、バイオリン、サックス、クラリネットが活躍するジャズ色あり、 女性ボーカルが歌うポップス色あり、クラシック/レコメン色あり、ケチャなどの民族音楽色ありで、目まぐるしく曲が展開する万華鏡のような世界。

それでも“融合”というよりは“混合・混在”と言うような、半ば無理矢理な展開を力で押し切るようなパワーが、アジア的と言えそうである。ドイツのフランク・ザッパ祭であるZappanale 20(2009)に招待されたということがとても納得できる音楽だ。

Anto Praboe:リード・ボーカル、スリン(バリ、スンダ、トラジャ地方の笛)、フルート、クラリネット、バス・クラリネット、テナー・サックス
Eko Partitur:リード・ボーカル、バイオリン
Fadhil Indra:リード・ボーカル、キーボード、エレクトリック・パーカッション、ゴング、リンディック、クンプリ、グンデル
Hayunaji:ボーカル、ドラムス、クンプリ
Iwan Hasan:リード・ボーカル、エレクトリック&クラシック・ギター、21弦ハープギター、キーボード、ギタレレ&ストラマー・バイオリン
Kiki Caloh:リード・ボーカル、ベース
Krisna Prameswara:ボーカル、キーボード
Nonnie:リード・ボーカル
 
メンバーは総勢8名という大所帯で、6人がリード・ボーカルを取れる他、全員がボーカルに参加する。だからと言ってボーカル主体というわけでもなく、そのインストパートにおける演奏能力は、欧米の一線級に軽く肩を並べるほどだ。さらに民族楽器を操るメンバーもいて、大きな個性と魅力になっている。ちなみに担当楽器にあるリンディック、クンプリ、グンデルはバリのガムランで使われる打楽器である。

アルバムはバンドの魅力が爆発する「System Manipulation」で幕を開ける。ケチャの詠唱と手拍子によるイントロがいきなりインドネシアを感じさせるが、その後はサックス、バイオリンが入ったテクニカルジャズの突入、そしてメタリックなギターリフに流麗なキーボードが被さると、Discusミュージック全開である。

リード・ボーカルに6人が名を連ねているが、 Iwanのメタル風シャウトボーカルと紅一点Nonieの清らかなフォーク/ポップス風ボーカルが好対照で、くるくるとジャンルを横断しながら曲は一部のスキもなく展開していく。 

しかしこのサウンドの落差が尋常ではない。もうアタマがクラクラするほどで、曲構成も簡単にはつかみ切れない。それが破綻なく一つの曲に収まっているのは、ひとえに各メンバーの演奏技術が高いためだろう。演奏にまったく無理がなく、余裕で楽器を鳴らしている感じすら漂う。

特筆すべきは、この緩急硬軟織り交ぜた音を支えている安定感抜群のリズム陣だ。ヘヴィーメタルにもジャズにもエスニックにも対応する柔軟さと、変拍子を含むリズムチェンジの連続にリズム陣は少しの乱れもなく、むしろ全体の統一感を引き出している。

もちろんごった煮パワフルな曲ばかりではない。「P.E.S.A.N」におけるトラッド風な男女ボーカルの生み出すアコースティックな叙情も格別だし、「Music for 5 Players」ではバイオリンとクラリネットとパーカッションによるレコメン風サウンドをじっくり聴かせる。とにかく引き出しの多さと懐の深さに圧倒される。そして時折ワンポイント的に挿入される民族音楽的なフレーズや民族楽器の音がまたいい。

とは言えストレートなエスニック演出はごく控えめだし、歌も基本は英語なのだが、全体からプンプン香る怪しい雰囲気は強烈なオリジナリティである。エスニック風味に頼っていないところがまた凄いのだ。

圧巻は19分を越えるラスト曲「Anne」。Anne Frankを題材にしたこの曲は、ちょっとミュージカル風な雰囲気もたたえる、堂々たるプログレッシヴ大曲。ドリーム・シアター張りテクニカル・アンサンブルにサックス、バイオリンが絡んだかと思うと、ケチャ!実に上手い!そしてサックスが歌う変拍子ジャズ。中間部では叙情的に歌い上げるボーカル。Nonnieは格別歌が上手いわけではないが、実に良い声をしている。色気を感じる声である。

こうして圧倒的な音の洪水とジェットコースターのような目まぐるしい展開に身を委ねていると、あっという間にアルバムラストの大団円を迎えてしまうのだ。アルバムを聴き終えると、何か長大な一大絵巻を堪能したような感じすらする。こんなバンドは欧米にはいなかったんじゃないだろうか。とにかく傑作。
 
  
ちなみにバイオリンのEko、キーボードのKrisnaはフルタイム・ミュージシャンであるが、ベースのKikiは建築会社社員、木管楽器のAntoは学校の先生、ドラムスのHayunajiは銀行員と、皆別の仕事を持っているという(「Tot Licht!」制作時)。文化的・社会的背景が違うから一概に比較はできないだろうけれど、ある意味驚異的なアマチュアバンドと言ってもいいのだ。恐るべしインドネシア。インドネシア国内販売を行なっているがIndonesian Progressive Societyという団体で、Prog Festの開催なども行なっているとのこと。

本アルバム発表後Nonnieが脱退しYuyunという新女性ボーカリストが加入、海外公演などもこなしていたが、残念ながらAnto Praboeの急逝とIwan Hasanの脱退により2010年に解散してしまった。 

ところが2011年になってNoldy Benyaminという新ギタリストを迎え復活した模様。木管楽器の穴はキーボードで埋めているようだ。解散前に新譜用の曲も十分な量が出来上がっていた模様なので、3rdアルバムへの期待が高まる。

2012/02/26

「オープニング・フェアウェル」キャメル

原題:「Opening Farewell」(2010)
■Camel

アンディー・ラティマーの健康状態を理由に2003年に行なわれた「さよならツアー」より、カリフォルニア州サンタクルーズにあるキャタリストというナイトクラブで行なわれたツアー初日(6/26)のライヴ映像がこの「Opening Farewell」である。「Farewell Tour」の初日だから「Opening Farewell」ということか。

キャメル・プロダクションによる作品で、邦題は「ジ・オープニング・フェアウェル~ライヴ・アット・ザ・キャタリスト」。「A Nod and A Wink」(2002)発表後のツアーだが、過去の名曲をずらりと並べたベスト的な選曲になっているところも特徴である。

Andy Latimer:ギター、フルート、リコーダー、ボーカル
Colin Bass:ベース、ボーカル
Tom Brislin:キーボード、ボーカル
Denis Clement:ドラムス、パーカッション、リコーダー

アンコールがあったかどうかはわからないが、恐らくコンサート完全収録の1時間50分のステージ。大掛かりな仕掛けもなく、淡々と名曲を演奏する様子をとらえた映像だが、こじんまりした会場で観客と一体になった素晴らしいステージが味わえる。

“farewell(さようなら)”の理由を皆知っているのだろう、観客は最初から立ち上がっている人が多い。落ち着いた熟年の男女が集まった感じで、年齢層的にも恐らく10代からのCamel ファンという人たちだろう。会場の雰囲気がとても温かい。この雰囲気を味わうだけで涙が出そうである。

アンディのギターはもう文句なし。ミスもない完璧な出来。表現力の素晴らしさも変ることなし。体調が悪いことがウソのよう…。とは言っても演奏の合間にちょっと息が上がっている感じがちょっと痛々しい…。
 

コリン・バースはまさにアンディの右腕として大活躍だ。メインボーカルをとる曲も何曲かある。アンディとのハモりも息が合って美しい。

キーボードのトムはイエスのサポート・メンバーでも知られる人のようだけど、中々いい味を出している。往年の名曲に於けるアンディのギターとの絡みも素晴らしく、特にファズの かかったハモンド・オルガンを多用していたピーター・バーデンスの音を、しっかり踏襲していたのが良かった。デニスのドラムスもきちんとボトムを支える安定したもの。「Spirit of the Water」ではアンディとともにリコーダーも吹く。

当然アンディと彼のギターを中心としたバンドアンサンブルになるわけだけれど、トムやデニスが意外と存在感があって、しっかりバンドとしての音になっていたのがうれしい。さらにトムはボーカルも取れるので、最大3声のハーモニーが聴けるのも魅力。最後にして最高のメンバーになったんじゃないだろうか。

ドラマチックな最終曲「For Today」が終ると、観客の中に涙している人がいて胸を打たれる。曲の素晴らしさに浸り、キャメルやアンディへの思いを胸に、自分の人生をも振り返ってしまう、何とも感動的なコンサートである。

アンディは多血症という病いに冒され、2007年に骨髄移植、その後は骨髄線維症と関節痛(特に手)と戦っているという。

ゆっくりでいいから確実に回復して欲しい。そしてまたステージに立つアンディの姿が見たい。

 

2012/02/11

「トレスパス(侵入)」ジェネシス

原題:Trespass(侵入) (1970)
■Genesis

「Trespass(侵入)」はイギリスのバンドGenesis(ジェネシス)が1970年に発表した第2作目。次作の「Nursery Cryme(怪奇骨董音楽箱)でスティーヴ・ハケット(ギター)とフィル・コリンズ(ドラムス)が加入し、いわいる黄金期のメンバーになり、傑作アルバムを次々に発表するため、この「Trespass」は相対的に評価があまり高くないように思われるが、内容は充実しており非常に魅力的なアルバムである。アンソニー・フィリップスがメンバーだった最後の作品。

Peter Gabriel:リードボーカル、フルート、アコーディオン、
          タンバリン、バスドラム
Anthony Phillips:アコースティック12弦ギター、
          リードエレクトリックギター、ダルシマー、ボイス
Anthony Banks:オルガン、ピアノ、メロトロン、ギター、ボイス
Michael Rutherford:アコースティック12弦ギター、
          エレクトリックベース、ナイロンギター、チェロ、ボイス
John Mayhew:ドラムス、パーカッション、ボイス


このアルバムの魅力は何と言ってもビーター・ガブリエルのボーカルである。彼のボーカリストとしての力が全編にみなぎっている。そして個性的な歌い回しや独特な声質とともに、ストレートに訴えかけてくる切ないメロディーが良いのだ。もちろんピーターの表現力も素晴らしい。

そしてバックの演奏も、決してピーターのバックバンドに甘んじているわけではない。後の作品のように分厚い音の洪水こそないが、アコースティックギターやピアノの繊細な音は活かされており、ピーターのフルートと相まってアコースティックな雰囲気が色濃い曲が並ぶ。

インストゥルメンタル・パートになるとドラムスがやや単調な感じを受けるが、逆にボーカルを中心とした曲では安定感のある音でもある。メンバー全体のバランスはとても良い。バンドとしての一体感がある。ピーターのボーカルに拮抗するのではなく、その世界を押し広げるかのような演奏が美しいのだ。曲はドラマチックさを増しながら、次作から濃厚になる怪奇趣味的雰囲気よりも繊細さや人懐っこさが勝っている。

実際マイクラザフォードは1985年のインタビューで、他のアルバムは少なくとも1〜2曲は個人的に作られた曲が含まれていたが、このアルバムだけは全ての曲作りに全員が等しく参加していると述べてる(Wikipediaより)。

曲的にはインストゥルメンタルパートが充実しているシンフォニックな「ザ・ナイフ」が注目されがちだが、核戦争後の世界を描いた「スタグネーション」が素晴らしい。主人公の悲しみや孤独が幻想的な演奏の中に浮かび上がってくる。

こうした曲の深みも含めて、「Trespass(侵入)」は他のアルバムにはない魅力にあふれた傑作だと思う。インストゥルメンタル・パートのテクニカルな比較だけでこのアルバムを下に見るのは間違っているだろう。そもそもGenesisの魅力はテクニカルな部分よりも全体の楽器のバランスや繊細なプレイにあったはずだから。


2012/01/20

「ライヴ」バークレイ・ジェイムス・ハーヴェスト

原題:Live(1974)
■Barclay James Harvest


Barklay James Havest(バークレイ・ジェイムス・ハーヴェスト)は1970年にアルバムデビューしたイギリスのバンドである。美しく叙情的なメロディーや、メンバー4人中3人がボーカルを担当して美しいハーモニーを聴かせる点などから、ポップさとシンフォニックさが絶妙にブレンドされた曲を特徴とする。

バンドの活動歴は長いが、初期はオーケストラを取り入れた曲作りが一つの特徴となっており、その時のオーケストラアレンジを後にThe Enidを結成するRobert John Godfreyが担当していた。2ndアルバム発売後には彼の率いるオーケストラとツアーを行なっていたという。

本作は彼らの第6作にして初のライヴ。初出のLPは2枚組だった、収録時間75分を超える大作だ。そして「Summer Soldier」、「Galadriel」、「She Said」、「Mocingbird」などの名曲がひしめいているのも大きな魅力。

    John Lees:リードギター、リコーダー、ボーカル
    Les Holroyd:ベース、リズムギター、ボーカル
    Stuart "Wooly" Wolstenholme:メロトロン、エレクトリックピアノ、
          ムーグ、ボーカル
    Mel Pritchard:ドラムス

まず特出すべきは演奏の完璧さである。アルバムでオーケストラが担当していた部分はギターやキーボードで見事にカバーし、逆にロック的な躍動感が増している。オーケストラに替わって大活躍しているのがキーボード群だ。Wolstenholme(ウルステンホルム)のメインキーボードはメロトロンじゃないかというくらい、メロトロンが鳴っており、それをバックにギターやボーカルが切々と歌う。

オーケストラ入りだった曲も、4人というバンド・ユニットだけの演奏なのに、その叙情美や雄大な世界観は微塵も崩れない。それどころかメロトロンが活躍することでむしろシンフォニック色が強まり幻想性が増した。

だからと言って大仰な演出や超絶テクニックや超人的アンサンブルで聴く者を圧倒するタイプではないので、繊細なパートのプレイも大切なのだが、これがまた実に丁寧に演奏されていて素晴らしいのだ。

この“静”の部分はまたボーカルの上手さが引き立つ場でもある。いかにもイギリス的な落ち着いた声のボーカルが心地よい。さらに3人ともがリードボーカルを取れるほど安定して歌えるので、ボーカルハーモニーがまた美しい。

ボーカルのバッキングに回ったギターも巧みに曲をサポートする。もちろんソロパートもブルースフィーリングあふれるプレイが印象的だ。気づくとメロトロンが見事にギターソロをサポートしている。という具合に、超絶テクニカルアンサンブルとは違う意味で、4人が見事なアンサンブルを見せている。痒いところに手が届くほどに。
  

こうして叙情的な世界に浸りつつ甘美が時間が過ぎていく。 これがBarclay James Harvestの魅力である。さらにこのアルバムにはスタジオ盤とはまた違ったライヴならではの荒々しさや、緊張感が漂っている。現在のプログレバンドのライブでよく見られるような弾き倒し系のプレイや分厚いサウンドとは違い、音数は少なく音圧も低いけれど、それぞれの音やプレイに存在感のある、まさに1970年代の職人的なワザを感じられる傑作。

ちなみに今でもそうだけれど、日本での知名度は決して高いとは言えない。プログレッシヴ・ロックに含めるかどうかという点でも微妙かもしれない。それは当時も同じであって、バンドの情報がほとんどなく、プログレっぽいけど一体どういう音なんだろうと想像しながら、レコード屋でずっとジャケットを眺めて、結局リアルタイムには買えなかったという思い出がある。でも当時買ってもこの良さはわからなかったかもしれないなぁ。

 

2011/12/10

「ターミナル・トゥワイライト」ホワイト・ウィロー

原題:Terminal Twilight(2011)

■White Willow(ホワイト・ウィロー)


 ノルウェーのバンドであるWhite Willowの活動歴は古く、メンバーも流動的でサウンドもアルバムごとに変化してきた。1st アルバムは1995年発表の「Ignis Fatuus(邦題:「鬼火」)で、それ自体が1992年から94年にかけて録音されたもので、曲ごとにメンバーや曲調が異なるものであった。

その後もボーカルを含めメンバーチェンジを繰り返しながらも、ギターのJacob Holm-Lupoを中心にフォーク・トラッド路線を基調としたシンフォニックな作品を送り出してきた。そして前作から5年のインターバルを経て発表されたのが第6作となる本作「Terminal Twilight」である。

まず前作から再びメンバーチェンジがあり、2ndで参加していた元ÄnglagårdのドラマーMattias Olssonと、2nd〜4thでリードボーカルを取っていたSylvia Erichsenが復帰した。そしてキーボードにはWobblerのメンバーとしても活躍しているLars Fredrik Frøislieが、4th以降参加していることもあり、腕達者かつ個性的なメンバーが揃っての完成度の高い作品となった。

   Sylvia Erichsen:ボーカル
   Lars Fredrik Frøislie:キーボード
   Ketil Einarsen:フルート
   Jacob Holm-Lupo:ギター
   Ellen Andrea Wang:ベース
   Mattias Olsson:ドラムス
 

まず特筆しなければならないのは、オフィシャル・ホームページでは担当が「drums and everything」と書かれているMattias Olssonのドラムスだろう。
かつてキーボードプレーヤーの難波弘之氏から

「私はいつもこの手のユーロ/シンフォニック系リズム・セクション(特にドラム)の稚拙さと、演奏の色っぽさの欠如が気に入らない。(中略)ビート感と艶は天性のもので、前者は訓練によりいくらか良くなる事もあるが、後者の欠如は自分には華がないとあきらめるしかない」
 (「Marquee」vol.047、1993年、マーキームーン社、
アングラガルド『ザ・シンフォニック組曲(Hybris)』のアルバムレビューより)

と、手厳しく批評されたMattiasのドラミングは、確かにグルーヴしないし歌わない。 Änglagårdのアルバムでもそうであるが、テクニカルでありながらいわゆるプログ・メタル系ともも異なる、張りつめたような、どこか殺気漂うようなプレイが特徴である。

しかしそれがÄnglagårdにおける強烈な個性になっていたことも確かであるし、Änglagårdの複雑で終始緊張感に満ちた楽曲には、必要不可欠なものだったとも言える。彼のドラミングなしにはÄnglagårdの傑作群は生まれなかったと言っても過言ではない。

そして彼のそうした特徴は、女性メインボーカルによるフォークタッチを持ち味とするWhite Willowの本作でも、異質な響きを放っている。そしてそれが本作を、フォーク/トラッド風な甘く柔らかな世界へ留まらせずに、硬質なシンフォニックな世界と同居させることに成功していると言えるのである。

冒頭の曲の出だしではSunday All Over The World(vo.Toyah Willcox)かと思うような雰囲気に驚かされるが、Sylvia Erichsenのボーカルは基本的にフォーク/ポップス系の、ちょっとAnnie Haslam風で、もう少しコケティッシュな感じなもの。歌モノのメロディーも良いし、ボーカルも安定していて声にも魅力がある。

だからアルバムとしてもっとフォーク/ ポップス路線に傾いてもおかしくないのだが、ドラムスがそれを拒んでいるかのように、およそ歌をサポートしているとは思えないような、金属的な固い音と、聴く者に緊張感を強いるようなプレイをしているのだ。

そのギャップと言うかミスマッチな組み合わせが、結果的に曲に深みと奥行きを出す空間を生み、ギターやヴィンテージ・キーボードやフルートが、時に雄大に時に幽玄に、シンフォニックな世界を作り出すことができているのである。

だから逆にまた歌モノのメロディーの良さやボーカルの魅力も際立つことになる。

シンフォニックとかプログレッシヴとか言うには、良質のポップスに匹敵する歌の存在感が強く(耳について離れないメロディーが多い!)、同時にまた歌モノとしては気軽に聞き流せない異質な要素が多過ぎる。それが中途半端なのではなく、自然に共存してオリジナルな魅力になっているところが、本作の凄さではないだろうか。

わたしはその音に、吹雪吹き荒れる極寒の大地に、ポツンと存在する、暖炉の火で部屋中が暖かく照らされた一軒家を想像する。やがて吹雪に埋もれてしまうかもしれない一軒家を。

中心人物のJacob Holm-Lupoは次のように語っている。

「一種のコンセプトはある。どの曲も、ある種の黙示録的なシナリオを物語っている。ちょうど黙示録の辞書みたいな感じだね。(中略)僕はドラマと闇、それに崩壊と腐敗の美しさと魅力の両方をとらえたかったんだよ。」
(「Euro-Rock Press vol.51」、マーキー・インコーポレイティド、2011、インタヴューより)

美しくも静かな悲壮感をたたえた傑作。
No-ManのTim Bowness(ボーカル)が歌う一曲も素晴らしい。

ホームページに書かれた次の文章が、彼らの音楽をうまく捉えている。

「White Willow is considered Norway's foremost exponent of art-rock - by which people tend to mean pop songs stretched to pointless lengths and crammed with weird-sounding instruments. And that happens to be pretty much what we do.
(ホワイト・ウィローはノルウェーのアートロックを代表するバンドのように思われている - つまりポップソングがその領域を際限なく広げられ、風変わりな音を出す楽器をたんまり詰め込まれたものというわけだ。それは偶然にもわれわれがやっていることそのものなんだよ。」

この表現には、Gentle Giantの1stアルバムに載せられていた“宣言”に近いものを感じる。

 

2011/11/21

「祈り」赤い鳥

原題:「祈り」(1973)

■赤い鳥

1969年に結成、「竹田の子守唄」(第3回ヤマハ・ライトミュージック・コンテスト、フォーク部門1位)や「翼を下さい」(今は合唱曲としても有名)などのヒットを飛ばしたことで有名なバンドだ。

後に「紙風船」と「ハイファイセット」に分裂するほどに、メンバー 全員がボーカルを取れる力量と音楽性を持っていたが、逆に言えばフォーク指向の後藤・平山と都会的ポップス指向の山元夫妻・大川という異質な要素が、常にぶつかり合って分裂の危機にあったと言われる。

赤い鳥のサウンドは、そんな中で生まれた、フォークソングの枠に収まり切らない独特で幅の広いものだった。

そして第8作目(スタジオライヴ含む)となる本作では、前作「美しい星」からメンバーとなっていた大村憲司(ギター)、村上“ポンタ”秀一(ドラムス)が引き続き全面参加し、二人がさらにロック的要素を持ち込んだことで、シングルヒット作のフォーキーなイメージとは異なるが、赤い鳥の持つ魅力が一つの頂点に達したトータルアルバムとなった。

 後藤悦治郎(ボーカル、ギター)
 平山泰代(ボーカル、ピアノ)
 山本潤子(ボーカル、ギター)※旧姓:新居潤子
 山本俊彦(ボーカル、ギター)
 大川茂(ボーカル、ベース)
 大村憲司(リード・ギター)
 村上“ポンタ”秀一(ドラムス)

大村&村上は「美しい星」では他のメンバーと一緒にジャケットに写っていたが、このアルバムでは発売の2ヶ月前に脱退していたため、ジャケット写真には写っていない。

しかしボーカル曲の11曲中、大村が8曲を作曲するなど、アルバムへの貢献度と影響力はとても大きい。全体的にエレキギターが多用され、それが見事に赤い鳥サウンドに溶け込んでいるのも特徴だ。村上のドラムスもタイトで正確なリズムで、全体のサウンドを引き締める。  

不思議なインストゥルメンタル「無の世界〜誕生」でアルバムは幕を開け、続く「めざめ」で山本潤子がその美しいボーカルを聴かせる。まるでピンク・フロイドの「狂気」の「生命の息吹き」のようだ。

その後、曲は様々なタイプのものが続く。神秘的なもの、コミカルなもの、ハードなもの。そしてスキャット、語りなどを含みながら、どの曲も美しく力強いボーカル(後藤、平山、山元潤子)がストレートなメロディーを歌い、メンバーによる分厚いハーモニーがそこに力強さと迫力と音の複雑さを加える。

「マリブー」(歌:後藤)のロック的ダイナミズム、「虹を歌おう」(歌:山元潤子)の心にしみる伸びやかな声、「星」(歌:平山)に漂う情念、そして大村&村上二人だけによる即興的インストゥルメンタル「大地の怒り」のアナーキーさ。「石」では最初から最後までコーラスワークで歌い切る。そして最後はなんと大胆にも全員アカペラによるヘンデル作曲の「メサイア」コーラスで終る。この多彩さ、そして濃さ。

良く聴けば歌声のピッチがちょっと危ない部分などもあるが、これだけ多彩なボーカル&ハーモニーを聴かせ、ポップでありながらそれを邪魔せずにハードな世界も溶け込ませたこのアルバムは、奇跡的なバランスの上に作られた作品だと言える。赤い鳥のスゴさを実感できるアルバムだ。


女性二人の特徴も良く出ていて、声楽を学び情感を込める“努力の人”的な平山と、自然な発声が最高の癒しをもたらしてくれる“才能の人” 的な山元の違いがよくわかる。

前作「美しい星」ではメインボーカルと言ってもいいくらい山元が歌っていたが、その不世出な素晴らしい歌声を承知の上で、本アルバムの白眉は後藤の歌う「マリブー」と平山の歌う「星」であろうと思う。

大 村のギター・カッティングがロックな疾走感を生み、そこに赤い鳥コーラスが厚みを増して行く「マリブー」は前半(A面)の山場。さらに冒頭から大村のギターが歌いまくるロックバラード「星」の情念あふれる美しさ。終盤で聞かれるブルガリアンボイス風スキャットも耳に残る。アルバム全体にも言えることだが、こうした細かなバッキング・ボーカルも実に凝っているのだ。

そしてアルバム全体のメインボーカルがリーダーである後藤である(語りを含め5曲でリードボーカルを取っている)点も、本アルバムの特徴だ。「美しい星」が女性的であるとしたら、「祈り」は男性的なアルバム、あるいは全員参加・全力投入的なアルバムなのである。

二人の女性リードボーカリストを擁しながら、敢えて後藤・大村が全体をまとめたことで、非常に奥の深い作品ができあがったのだろう。現在はボックスセットでしか手に入らない(廃盤)のが実に惜しい傑作。

プログレの様式に縛られないで聴くと、そのプログレッシヴさがわかってくる作品だ。

前作「美しい星」は山上路夫・村井邦彦コンビの楽曲が中心、「祈り」は赤い鳥メンバーのオリジナル曲が中心という点でも、与えられたイメージを脱した赤い鳥らしさが開花し、技術的にもメンバー的にも最高の状態で作り上げられた作品であったと言えよう。
 
ちなみにこのアルバム、レコード会社との契約でアルバムを制作しなければならない中、リーダーの後藤がメンバーを映画館連れて行って「この映画を観た印象から、各自曲を作ること」と言い渡したことから出来上がったそうな。その映画とはモーゼ役でチャールストン・ヘストンが主演する「十戒」だったという。

 

2011/10/09

「ポーン・ハーツ」ヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレーター

原題:Pawn Hearts(1971)

■Van Der Graaf Generator 
   (ヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレーター)


「ポーン・ハーツ(Pawn Hearts)」は、イギリスのプログレッシヴ・ロックバンドVan Der Graaf Generatorの4thアルバム。この後バンドは一旦解散するため、バンド第一期のラストアルバムとも言える。ラストにふさわしい若々しい荒々しさに満ちたアルバム。

全3曲、LPではA面2曲、B面1曲という大作揃い。なおLP発売時、北米バージョンでは1曲目と2曲目の間に「Theme One」という曲が挿入されたいた。これはBBC Radio 1のオープニング&クロージングテーマをアレンジしたものであったが、ヨーロッパ・バージョンには採用されず、シングルとして別に発表された。その後、再発に際してはヨーロッパ・バージョンの全3曲が定着したという経緯を持つ。

    Hugh Banton:ハモンド&ファルフィッサオルガン、ピアノ、
          メロトロン、ARPシンセサイザー、ベースペダル、
          ベースギター、ボーカル
    Guy Evans:ドラムス、ティンパニー、パーカッション、ピアノ
    Peter Hammill :リードボーカル、アコースティック&
          スライドギター、エレクトリックピアノ、ピアノ
    David Jackson:アルト&テナー&ソプラノサックス、
          フルート、ボーカル
《ゲスト》
    Robert Fripp:エレクトリックギター

シンセサイザーやメロトロンなどの楽器も使われているが、実際の演奏はボーカル、サックス、オルガン、ドラムスをメインにしたシンプルなものだ。King CrimsonのRobert Frippのギターもほとんどそれと分からない程度。

しかしこの全編を通じた緊張感が尋常ではない。Peter Hammillの優しさと荒々しさを併せ持ち、表現力と情念に裏打ちされたボーカル。David Jacsonのサックスも荒々しいが、Hugh Bantonのオルガンが予想外に攻撃的である。そしてグルーヴするより突進する感じのGuy Evansのドラム。

エレキギター、ベース専任者がいないのにこの尋常でない迫力。ボーカルを含め、すべての楽器がささくれ立つような音をぶつけ合いながら、叫び声を上げているかのような、狂気すら感じさせる世界。

この殺気立った音こそが、Van Der Graaf Generatorのアルバムの中でも、本作に特に顕著であり、4作目にして頂点を極めたと言ってよい。美しく崇高な音と神経を逆撫でするような邪悪でダークな音のぶつかり合いや急激な場面転換は、極めてオリジナルなものである。

23分にも及ぶ大作「A Plague Of Lighthouse Keepers」は10パートからなる組曲だが、トータル性の高い曲というより、メドレー的な構成。その分目まぐるしく変わる曲調、挿入されるサウンドイフェクト、突然のブレイクやフェイドアウト、起伏の激しいボーカル、そして後半に訪れる不気味なメロトロンの嵐と、一瞬たりとも気が抜けない。

荒々しさや邪悪さの中に美しいメロディーやハーモニーがふっと挿入されるというのも、このバンドの魅力の一つだろう。 それに酔いしれているヒマは与えてくれないのだが。

1975年に再結成されるが、パワフルな音はそのままだが、サウンド的により整頓され、このギリギリでバランスを取っているような危うさは無くなってしまう。そういう意味では彼らの初期衝動がピークを迎え一つのカタチとなった、大傑作アルバムである。

ちなみにタイトルの「Pawn Hearts」であるが、例えば「a brave heart(勇敢な人)」「a true heart(真の勇者)」という言葉と比較するとイメージが湧くかもしれない。「pawn(チェスのポーン。将棋の歩のような一番価値の低い駒)」は、身分も地位も低いことの象徴と考えられるが、アルバムジャケットには王や有名人たちが同じように並んでいる。

結局どのような名声や地位を持っていても、人は皆pawnと同じような一つの駒に過ぎないということだろうか。つまり「すべての人々」を言い表したシニカルな、あるいは達観した表現ということかもしれない。


 

2011/07/02

「フライ・フロム・ヒア」イエス

原題:Fly From Here(2011)

■Yes(イエス)

 
イギリス最強プログレッシヴ・ロックバンドの一つYesの、10年ぶりのニューアルバムが発売された。

出入りの激しいメンバー交替を続けながらも精力的に活動を続けていたYesであるが、メンバーの年齢的にもバンドとしての創作意欲の面でも、かつての輝きはもはや取り戻せないのかという印象が少なからずあった。
 
しかし、その表看板と言えるボーカルのジョン・アンダーソンの体調不良による不参加すら乗り越えて、全曲新曲というまさに奇跡の新譜を届けてくれたのである。

 Chris Squire:ベース、ボーカル
 Steve Howe:ギター、ボーカル
 Alan White:ドラムス
 Geoff Downes:キーボード
 Benoît David:リード・ボーカル


“全曲新曲”と言っても、実はほとんど1980年発表の「ドラマ(Drama)」期に作られたものが元になっている。この時もジョン・アンダーソンがいない、いわゆるバグルズ(トレヴァー・ホーン&ジェフ・ダウンズ)合体Yes期である。

確かに曲調は「ドラマ」の曲に似ている。そういう意味ではYesのアルバムの中では、メンバー的にも「ドラマ」の続編的なサウンドと言えなくもない。

ところがそのサウンドから受ける印象は「ドラマ」のものとも違うのである。その大きな要因はやはり新加入のリード・ボーカリスト、ベノワ・デイヴィッドによるところが大きいと思うのだ。

「ドラマ」はYesの歴史の中では異色作である。唯一ボーカルがジョン・アンダーソンではない。今回の作品で全面的にプロデュースを行なったトレヴァー・ホー ンが代役を努めている。しかし私的には紛れもなくYesのアルバムであり、それも傑作アルバムである。それはトレヴァーがジョンの世界を壊さないようにし ながら、新しいポップ感覚を持ち込み、もともと持っていたロック的躍動感を取り戻すことに成功していたからだ。

その躍動感や緊張感は、プログレッシヴ・ロックへの批判や否定が強まった当時、インストゥルメンタル・パートの縮小とともにイエスの音楽がジョンのソロアルバム化していく流れを、一瞬断ち切った爽快感だったとも言える。

Yesはそもそも超個性派集団である。そのメンバーが自己主張をぶつけ合うことで、独特の複雑なのにノリの良い音世界が築かれていた。しかし時代的・年齢的な面からそのバランスが崩れ、音楽はジョンのソロアルバムにメンバーがバックバンドとして参加しているような感じになってしまっていた。ジョンのカリスマ的存在感だけは衰えを見せなかったからだ。

その結果新曲はジョン主導、旧曲は往時の勢いは失われ、どこまで近い形で再現できるかが関心の的になることとなった。メンバーを入れ替えたりオーケストラと競演したりしても、基本的にそうした“懐メロ”バンド的な印象は、わたしの中ではぬぐえなかった。

新ボーカリスト、ベノワ・デイヴィッドはジョンほどの存在感はない。声や表現力、立ち居振る舞いにしても、ジョンにはどうしても劣ると言わざるを得ない。しかしである。彼のストレートな声の若々しさや未熟さそのものが魅力的なのだ。ジョン同様にノン・ビブラートで、さらにトレヴァーのようにちょっと高音が辛そうっていう感じを微塵も見せずに、全体の支配者ではなく、一人のリードボーカリストとして非常に爽やかに力強く歌う。一生懸命に歌う。これが良いのだ。

ジョンの呪縛からの解放。これがこのアルバムのキモである。

ジョンのカリスマ性が消え、バンドメンバーの現時点での力量に合ったバランスがここで築き直されたのだ。つまり現役バンドとして再生したのである。クリス・スクワイアもリードボーカルを取る。スティーヴ・ハウも、いつものソロともバックともつかないような演奏を流麗 に聴かせてくれる。今流行のギターやキーボードの超絶ソロなどはない。むしろ全員が一丸となって、Yes的な前向きでカッコイイ音楽を、楽しみながら作り 出している感じがするのだ。

この新鮮さや躍動感は1976年の焼き直しではない、確かに今の音であると共に、 1970年代のロックが持っていた多様性を含む音でもある。あるいはプログレッシヴ・ロックというイメージの中で作られた音ではなく、プログレッシヴ・ ロック世界を広げてきたバンドによる自由な音である。

メンバーのプレイが激突する名作期のYesを期待しても、「ドラマ」の再現を期待しても、肩すかしを食うことになるだろうし、ジョンの声あってこそYesだというのであれば、評価は自ずと厳しいものになるだろう。

しかしそうした思い入れとは別に、このアルバムは現在のYesの魅力を伝えてくれているのだ。力強いメロディー、美しいハーモニー、ドラマチックな楽曲。バンドの歴史が持つ存在感と新鮮さが絶妙に共存している。傑作である。今のわたしのヘビーローテーション・アルバムだ。

ちなみに「Fly From Here」で一瞬リードボーカルを取るのは、トレヴァー・ホーンか?「ドラマ」でジョンの代役という難しい役目をこなした彼が、Yesで再び歌うなんて、なんか感無量な感じである。

追記:ボーナストラックとして入っている「Hour Of Need」(Full Length Version)は、スティーヴ・ハウのエレキギターソロが最初と最後に入り、曲の長さも倍以上の大作になっている。本編収録ヴァージョンより遥かにシンフォニックでドラマチックな曲になっている。掟破りで、わたしは本編と差し替えてこのヴァージョンを9曲目に入れて聴いている。

   

2011/05/16

「クラフト」クラフト

原題:CRAFT(1984)

■CRAFT(クラフト)

  
CRAFT」 はイギリスのプログレッシヴ・ロック・グループCRAFT(クラフト)唯一のアルバム。1970年代にThe Enid(エニド)に在籍していたキーボード奏者ウイリアム・ギルモアが中心になって、やはりThe Enidに参加していた経歴を持つベースのマーチン・ラッセルとともに結成したバンドで、内容は全曲インストゥルメンタルのシンフォニック・ロックだ。

1984年に発表されたものだが当時のプログレッシヴ・ロック・リバイバルとして出てきていたポンプロック的ジェネシス・クローンな音とも、Asiaのようなポップ化したプログレッシヴ・ロックとも異なる、70年代的雰囲気を持った音が特徴だ。

   William Gilmour:キーボード、カバーアート
   Grant Mckay Gilmour:ドラムス、パーカッション
   Martin Russell:ベース、キーボード

メンバーの担当楽器だけ見ると、EL&PやRefugeeのようなギターレスなキーボード・トリオということになるが、その音は全く異なる。まさにThe Enid直系な音である。

The Enidが1980年代に入って、ちょうど同時期に版権の関係から1970年代の初期作品の再録を行なうのだが、好き嫌いは別としてその音は、より洗練されより豪華に雄大になり、曲の尺も平均して長くなった。同時に1970年代のオリジナル・アルバムに感じられたアコースティックな感覚が持つ魅力が薄れてしまっていた。

アコースティックな感覚とは例えばアナログ・シンセの音だったり、打楽器やフルート、トランペット、オーボエといった生の楽器だったり、デジタル・プログラミングのない時代に、少ない音でいかに情感豊かな世界を描こうとしているかという努力や工夫や、思い入れの強さだったりするのだが、このCRAFTのアルバムはThe Enidの再録時の音に違和感を感じて、そうした1970年代の手作り感を取り戻そうとしているかのような音なのだ。

と言ってもThe Enidのクラシカルで複雑に入り組んだ楽曲とも違う。軽やかに、そして甘美に疾走するロック色の濃い音になっている。リズム隊が常にしっかりボトムを キープするため、The Enidの持つ異形さは薄れたが、シンフォニック・ロック的な部分がストレートに前面に出た感じであり、そういう意味ではThe Enidの音より聴き易くなったとも言える。
 
にも関わらずフュージョンやニュー・エイジ的な方向とも違う、イギリス然とした格調のようなものを保っているところが大きな魅力でもある。

各曲は決してテクニカルな演奏に傾くことなく、クラシカルに優雅に、そしてダイナミックに進んでいく。そしてここぞというところでエモーショナルなギターソロが入るのだ、ギタリストはいないのに。

アルバムのインナースリーブに書かれた説明によると、そのギターソロにあたる演奏は実はいわゆる普通の「ギター」によるものではなく、「ベースギター」の音にカスタム・ペダルによるエフェクター処理をかけることで、「ギター」の音を作り出しているとのこと。ベースで魅いたソロなのでテクニカルさとは無縁な大きく包み込むような叙情性が、曲調ととてもマッチしていて感動的ですらある。

1980年代的な軽やかさを取込みつつも、1970年代への強い思いが込められている点では、昨今のヴィンテージ楽器を多用した70年代回帰型バンドに近いとも言 える。時代の流れの中では流行とは無縁なある意味“無謀”な音楽だったろうけれど、そこがThe Enidゆずりの大きな魅力でもあるのだ。

The Enidが「Journey's End」で2010年に復活し、ウイリアム・ギルモアも音楽学校で教鞭をとりつつSecret GreenというThe Enid的なバンドを立ち上げている。ぜひ再評価したい傑作アルバムである。

なおアルバムは黄道12宮(twelve signs of Zodiac)の中の6つの星座名を曲タイトルとしている。当時は普通のLPとして売られていたが、収録時間35分弱ということもあり、今の感覚で言えばミニアルバムとなるだろうか。

残り6つの曲を含む2ndが出て初めて完結するアルバムであったのかもしれないが、残念ながらそれは果たされなかった。

 

2011/05/02

「イエスソングズ」イエス

原題:Yessongs(1973)

■Yes(イエス)

イギリスの孤高のバンドYesの6作目にして初のライブアルバム。1972年から1973年にかけてのツアーから、まさにバンドの絶頂期を記録した作品だ。

 ビル・ブラッフォード脱退、そしてアラン・ホワイト加入というバンド的には転機にあったに違いないのだが、そんなことは微塵も感じさせないLPではなんと3枚組という堂々たるボリューム。しかし予約段階で早々とゴールドディスク獲得。

当時の人気の凄さもさることながら、内容も素晴らしい。ライブでは再現不可能と思われていたアンサンブルを、寸分違わず、さらにパワーアップしてこなしていることに、このアルバムを聴いた誰もが驚いた。

 Jon Anderson:ボーカル
 Chris Squiere:ベース、ボーカル
 Steve Howe:ギター、ボーカル
 Rick Wakeman:キーボード
 Alan White:ドラムス
 Bill Bruford:ドラムス(2曲のみ)


ギターのスティーヴ・ハウが加入した3rdの「Yes Album(イエス・アルバム)、キーボードのリック・ウェイクマンが加入した4thの「Fragile(こわれもの)、そしてその“黄金のラインアップ”により前人未到の音世界に到達した「Close to the Edge(危機)」と、テクニック・楽曲のクオリティーとオリジナリティーが急速に登り詰めようとする時期のアルバムから、言わばベストと言って良い選曲。

加えてリック・ウェイクマンのアルバム「ヘンリー八世と六人の妻」からも選曲がされていて、良いアクセントになっている。キーボードに囲まれて銀色のマントを羽織って長髪をなびかせつつ弾く姿が目に浮かぶ。と言うか、彼やスティーブ・ハウのソロパフォーマンスは、すでにYesワールドに欠かせないものになっていたのだ。

こうしたメンバーによるソロパフォーマンス・コーナーは、PFMやKansasのライブアルバムでも聴けるけど、始めたのはYesだろう。ライブ構成上と言うより、自己主張の強さの現れじゃないかという気がするほど、それぞれ気合いの入ったケレン味たっぷりな演奏だ。

ライブアルバムとしてまず驚くべきは、なんと言ってもそのスタジオ作の再現性の高さである。複雑な楽曲を流れるように演奏していくだけではない。アルバムで聴ける繊細さが見事に残されているのだ。その上で、ライヴならではのドライブ感がや緊張感が加わっている。

その後各プレーヤーの演奏は一種のお家芸的な、お決まりなものとなっていくが、このアルバムでは確かなテクニックをギリギリまで駆使して繰り広げられる、必然性のあるプレイとして初々しくも熱いエネルギーを感じることが出来るのだ。

聴き所が多くて困ってしまうくらいだが、特に2つの点を強調したい。一つはスティーヴ・ハウのギター。クラシックやカントリーなど、様々な音楽の影響を受け、多種多様なギター類を弾きこなす一方で、かなりクセのあるギターサウンドとフレージングで、独特の存在感を持つ彼のギター。

しかしここではロックしているのだ。それも全アルバム中最高のプレーじゃないかというほど、弾き倒しているのである。それは次作「海洋地形学の物語」のバイオリン奏法を多様した印象的なプレイや、次次作「リレイヤー」での怒濤のサウンドとも違う。3rdアルバムあたりに濃厚な、Yes流ハードロックとも言うべきプレイなのだ。とにかく凄い。

もう一つこのアルバムで注目したいのが新加入直後のアラン・ホワイトである。彼もまた後のアルバムとは別人のように、“ロック”なドラミングでパワフルに曲を引っ張っているのだ。ビルと交替した後の2回のツアーを経て、ようやくバンドの曲を彼なりに叩けるようになったと言われる(「イエスストーリー 形而上学の物語」、ティム・モーズ著、シンコーミュージック、1998年)。

人気急上昇という時期に後から加入して、それまで同様なアンサンブルを短期間に作らなければ成らない立場にあった彼の、意欲や気合いや、時には焦りや気負いまでもが、エネルギッシュなドラミングとして現れているのだ。その彼の「とにかくやるしかない!」みたいな勢いが、異様な雰囲気と特別な緊張感を、このアルバムにもたらしていると言える。

もちろんロジャー・ディーンによる豪華なジャケットデザインが、Yesの視覚的世界を決定的なものにした点でも、この3枚組LPの存在は大きかった。その絵を見ながらどっぷりと浸る目と耳によるイエス・ワールドであった。
 

近年のテンポやキーを落とした「再現ライブ」とは全く異なる、奇跡のような演奏が詰まった傑作アルバム。

ちなみにLP3枚組での各盤面の収録曲は以下の通り。LP時の曲の配置に従って全体の流れを意識して聴いてみるのも、当時の制作意図や構成に思いをはせることが出来て面白いのではないだろうか。

・A面(ディスク1表)
     オープニング(ストラヴィンスキー作曲:組曲・火の鳥より)
     シベリアン・カートゥル
     燃える朝焼け
・B面(ディスク1裏)
     パーペチュアル・チェンジ
     同志
・C面(ディスク2表)
     ムード・フォー・ア・デイ
     ヘンリー8世の6人の妻より
     ラウンド・アバウト
・D面(ディスク2裏)
     オール・グッド・ピープル
     遥かなる思い出 / ザ・フィッシュ
・E面(ディスク3表)
     危機
・F面(ディスク3裏)
     ユアズ・イズ・ノー・ディスグレイス
     スターシップ・トゥルーパー

2011/04/18

「アンダーフォール・ヤード」ビッグ・ビッグ・トレイン

原題:The Underfall Yard(2009)

■Big Big Train(ビッグ・ビッグ・トレイン)


イギリスのメロディック・プログレッシヴ・ロック・バンドBig Big Trainの第6作目。結成は1990年なのでもう20年以上活動しているベテラン・グループと言える。

本アルバムは現時点でのフルアルバムとしては最新作。第一印象は正直なところかなり地味である。いわゆるプログレッシヴ・メタルのようなテクニカルさを前面に出したものではなく、1970年代のバンドのように強烈な個性が光るわけでもない。

実はとても豊かな世界が広がっていて、聴けば聴くほどその世界にはまっていくという、奥の深さが最大の特徴である。逆に言えばそれこそが1970年代の有名バンドにはない個性だとも言える。

 David Longdon:ボーカル、フルート、マンドリン、ダルシマー、
          オルガン、プサルテリウム、グロッケンシュピール
 Andy Poole:ベース、キーボード
 Greg Spawton:ギター、キーボード、ベース
  
<ゲスト>
 Nick D'Virgilio:ドラムス、ボーカル
 Dave Gregory:ギターソロ、ギター、シタール
 Francis Dunnery:ギターソロ
 Jem Godfrey:シンセサイザーソロ

本アルバムでは基本メンバーは3人で、ゲストプレーヤーにSpock's BeardのドラムスNick D'Virgilioや元XTCのDave Gregoryが全面参加、そして元It BitesのFrancis DunneryとFrostのJem Godfreyがタイトル曲で流麗なソロを聴かせてくれる。

さらに非常に特異なのが、ブラスセクションの参加である。トロンボーン、コルネット、フレンチホルン、チューバなどによる美しいアンサンブルが随所に挿入され、独特の哀愁と英国らしい落ち着きのある世界を作り上げているのだ。

基本的に強烈な個性が前面に出るバンドではないので、まず耳につくのはGenesis風ボーカルとYes風アンサンブルという点かもしれない。特にボーカルは、声質はそれほど似ていないが、歌い方、あるいは曲のメロディーラインのせいもあるだろう、フィル・コリンズを彷彿とさせる瞬間がある。

元来わたしはKing Crimson系の音には寛容で、Genesis系の音には厳しかった。King Crimsonのヘヴィー・メタルにもプログレ・メタルにも、ジャズ・ロックにも着地しない独特の音世界は、真似しようとしてもできるものではない。

しかしGenesisの場合はボーカルスタイルもサウンドメイキングも、その気になればクローンは作り易そうに見える。実際のGenesisは、ある意味Yesにも通じる破綻しかけたアンサンブルが魅力だったりする奥の深いバンドなのだが、それ風な音は出し易く、その分安易な“物まね”感を強く感じてしまうのだ。だからGenesis風なバンドには拒否反応的なものすら持っていた。

そういう点ではこのBig Big Trainも最初ちょっと拒否反応が出かかった。しかしポイントはそこではないのだ。聴き込むうちにそれはあまりに皮相的なもの、ご愛嬌的なものでしかないことに気づいた。

この「The Underfall Yard」で聞かれるのは、実に“誠実さ”に溢れた音楽なのだ。それは奇をてらった音楽ではない。ゆっくりと地道に、そして丁寧に作り込まれた末に到達した、奥深いシンフォニック・ロックである。

まずボーカルがいい。本アルバムから参加したデイヴィッドはソロアルバムも出している実力派。実はPhill Collinsに代わってGenesisの「Calling All Stations」でボーカルを探していた際に、最後までオーディションでRay Wilsonと競っていた人物なのだ。

個性的な声質ではないがじっくりと聴かせる大人の声である。そしてボーカルハーモニーのパートが実に美しい。基本的に自ハモ(多重録音により自分の声でハモる)であるが、もう冒頭のアカペラからして圧倒的だ。

そしてそのメロディーがいい。つまり歌モノとしてきちんと魅力ある曲になっているのだ。大仰なキーボード・オーケストレーションとか中途半端なインプロヴィゼーションとかは皆無。丁寧に丁寧に、まるで職人仕事のように音を重ね、ドラマを紡いでいく。

もちろん各プレーヤーの力量は素晴らしい。まずニックのドラムスがしっかりした骨格を作っている。彼の的確で多彩なプレイが、突出せずに常に縁の下の力持ち的に全体の“誠実さ”を支えている。

そこに感情を込め過ぎないボーカル、自己主張しすぎないギターやキーボードが、静かに静かに英国の深い音世界へと聴く者を誘ってくれるのだ。なぜか歴史や伝統に育まれた様々な物語を音に感じる。もちろん歌詞も様々な物語にヒントを得て作られたものが多いのだが、何とも言えない郷愁というか、心揺さぶる感情が沸き上がってくる。

この形容しがたい深みこそが、逆に個性重視で張り合っていた1970年代には出てこなかったであろう現在の音なんじゃないかという気がする。過度に感情に直接訴えてはこない。悲しみや怒りを押しつけてはこない。手に汗握るような盛り上がりやカタルシスもない。

しかし曲は一部のスキもなく進み、美しいメロディーに、豊かなハーモニー、音楽性溢れる楽器アンサンブル、そして効果的に挿入されるメロトロンとブラスアンサンブルに聴き入っているうちに、やがて聴き手は静かな感動に満たされていく。

0年代だからこそ生まれ得た傑作である。

  

2011/03/30

「アレアツォーネ」アレア

原題:Are(A)zione(1975)
  
■Area(アレア)

強烈なオリジナリティーと圧倒的な演奏力でイタリアが世界に誇るバンドArea(アレア)による、1975年に発表された4枚目にあたるライヴアルバムである。

タイトルの「Are(A)zione」は「Areazione(自由な討論・議論、感情の表出)」という単語であるが、中央部のAを強調することで、「Area」+「Azione(行動・活動:英語のaction)」という意味を持たせたとも言えるだろう。コミュニズムに傾倒していた当時のイタリアの若者たちの集会で、Areaは数多く演奏していたと言われる。まさにそんなAreaライヴにふさわしいタイトルである。

  Giulio Capiozzo:ドラムス、パーカッション
  Patrizio Fariselli:ピアノ、エレクトリック・ピアノ、
          バス・クラリネット、ARPシンセサイザー、パーカッション
  Demetrio Stratos:ボーカル、オルガン、スチールドラム、パーカッション
  Ares Tavolazzi:エレクトリック&アコースティックベース、
          トロンボーン、ポケット・トランペット
  Paolo Tofani:ギター、EMSシンセサイザー


曲目は1st、2nd、3rdから代表曲を1曲ずつ取り上げられ、続いてライヴ用インプロヴィゼーション「Are(A)zione」、そしてアレア版「インター」(International:万国労働者の歌であり、共産主義国家における革命歌、資本主義国家における労働組合の団結意識を高める際にも歌われた)で終わるという、ライヴらしさを取り入れた構成になっている。

ちなみにLPでは代表曲がA面、あとの2曲がB面となっていて、ベスト盤的な面とライヴならではの面が、CD以上に明確に意識できるようになっていた。

ライブ感覚を盛り上げるのはそれだけではない。「オデッサのリンゴ」では実際にリンゴを食べるパフォーマンスが入る。そのザラザラした音像が妙にライブっぽい。トータルにバランスが取られた演奏時の音像とは異なり、そこだけ生録っぽい感じなのだ。リンゴを齧る音が良い。背後でざわめく聴衆の雰囲気が良い。

もちろん演奏も素晴らしい。アルバムは1stの一曲目で聴く者の度肝を抜いたArea代表曲「7月、8月、9月(黒)」で演奏は始まる。1stアルバムとはメンバーが異なるのでサックスが入らないが、音の分厚さや勢いはアルバムを凌ぐ。

アレア独特なシンセサイザーの音色によるアラビア風メロディーが強烈だ。ネイ(nay)というアラブの葦笛の音を真似ているようだが、民族楽器的雰囲気を残しつつも、シンセサイザーの暴力性が前面に出ている点がアレアらしい。

バルカン地方の伝統的ダンスミュージック特有の複雑なリズムと強烈なスピードが、凄腕メンバーのテクニカルな演奏によってジャズロックのパワーを得る。15分に渡る熱演「Are(A)zione」など、部分的にはマハヴィシュヌ・オーケストラを思い出すほどだ。弾けるエレクトリック・ピアノ、繊細かつパワフルなドラムス、負けじと動き回り自己主張するアコースティック・ベース。

しかしデメトリオ・ストラトスのボーカル&ボイス・パフォーマンスが入ると、エスニック・ジャズロックの域を軽々と飛び越え、現代音楽、実験音楽的要素まで取り入れて、まったく新しい“アレアとしての音楽”が作り出される。アルバム以上にデメトリオの声の太さにも魅了される。

そして静動どちらのパートにおいても常に緊張感を孕み続けている。そこがまたクラシックに根ざした美しいメロディーを情感豊かに歌い上げる他の多くのイタリアのバンドとは、大きく一線を画しているところだろう。「インター」の解体具合も凄まじい。

収録曲の少なさや収録時間の短さは残念であるが、アレアのライヴバンドとしての魅力が凝縮された傑作。

ちなみにより多くのライヴ演奏を堪能したいなら、音質は劣るが「Parigi - Lisbona(パリ―リスボン)」というアーカイヴ音源がある。