Celeste(チェレステ)
「CELESTE」(邦題は「チェレステ」)はイタリアのバンドCeleste(チェレステ)が1976年に発表した唯一のアルバムである。イタリアのみならず1970年前後に花開いたプログレッシヴ・ロックのうねりが収束に向っていった時期に、ひっそりと一つの作品を残し、消えていったバンドである。
しかし1974年頃には映画のサウンド・トラックを手がけている(結局映画は公開されなかったとのこと)ということで、本アルバムを発表するまでの活動歴は長く、時間をかけまさに満を持して世に出したアルバムと言えるだろう。
Giorgio Battaglia:ベース、ベース・ペダル、シロフォン、ボーカル
Leonardo Lagorio:アコースティック&エレクトリック・ピアノ、
フルート、アルト・サックス、メロトロン、エミネント、
スピネッタ、アープ・オデッセイ・シンセサイザー、ボーカル
Ciro Perrino:パーカッション、フルート、リコーダー、メロトロン、
シロフォン、ボーカル
Mariano Schiavolini:ギター、ヴァイオリン
メンバーの使用楽器を見ても分かる通り、このバンドにはパーカッション担当はいてもドラム担当がいない。そして豊富なアコースティック楽器が目につく。それはそのままサウンド的な特徴ともなっている。
この編成から紡ぎ出される音楽は、全7曲、トータル37分というコンパクトな作品ながら、イタリアらしい詩情とともに、他のイタリアのバンドにはない独特な世界が感じられるのだ。ドラマチックでありながら、イタリア特有の情熱的な熱さは感じられない音なのである。
サウンドの要になっているのはアコースティック・ギターの細やかなアルペジオと2人のメンバーが奏でるフルートである。これに時にはメロトロン・フルート も加わる。その繊細で静かな流れの上を、つぶやくようなボーカルが淡々と歌う。基本的には非常にフォークタッチな編成であり、楽曲なのだ。
ところが面白いのは、あくまで基本がアコースティックなサウンドであるにも関わらず、突然感情が吹き出すかのように分厚いメロトロンが鳴り響く。あるいはサックス・アンサンブルが加わってくる。シンセサイザーがアヴァンギャルド風に使われる。
こうしたサウンドを効果的に織り交ぜることにより、フォーク的なこじんまりとした音楽ではなく、多様な音が混ざり合った、予想外に大きなスケールを感じさせるアルバムになっているのだ。
そしてまた音に厚みが出てきたり、曲展開が盛り上がってきても、かたくななほどドラムスが入らない。あくまでほとんどの場合パーカッション的に使われるだけ。したがって“シンフォニック・ロック”にはならないのだ。ここが大きな個性になっている。
だから“夢見るようなサウンド” をイメージすると肩すかしを食らうことになる。アコースティック・ギターのアルペジオと歌うようなフルートがあくまで曲の中心でありながら、ヴァイオリ ン、サックス、シンセサイザー、メロトロンが、そうしたフォーキーな世界に亀裂を入れるかのように加わる。しかしギターは何事もなかったかのように再びア ルペジオを爪弾き出す。この音世界の落差が音楽の幅を広げていると言える。
内省的なイメージが強いながら、決して弱々しい音楽ではない。イタリア的な素朴さを前面に出しながら、意外と奥の深い強度のある音楽である。2曲目に King Crimsonの「The Court of the Crimson King(キング・クリムゾンの宮殿)」のサビのメロディーが、ほぼそのままメロトロンで演奏されるが、それもまた曲に上手く溶け込んでいるということで 許してしまおう。
ドラムレスに近い独特な編成による深みのある特異なサウンド。70年代イタリア最後の輝きの一つ。傑作である。
ちなみにcelesteとは英語の「celestial」にあたり、「天国のような、神々しい、すばらしい、天空の、天体の」といった意味を持つ。敢えてロックともクラシックとも距離を置いて、独自の天上の音楽を奏でようとしていたのかもしれない。
しかし1974年頃には映画のサウンド・トラックを手がけている(結局映画は公開されなかったとのこと)ということで、本アルバムを発表するまでの活動歴は長く、時間をかけまさに満を持して世に出したアルバムと言えるだろう。
Giorgio Battaglia:ベース、ベース・ペダル、シロフォン、ボーカル
Leonardo Lagorio:アコースティック&エレクトリック・ピアノ、
フルート、アルト・サックス、メロトロン、エミネント、
スピネッタ、アープ・オデッセイ・シンセサイザー、ボーカル
Ciro Perrino:パーカッション、フルート、リコーダー、メロトロン、
シロフォン、ボーカル
Mariano Schiavolini:ギター、ヴァイオリン
メンバーの使用楽器を見ても分かる通り、このバンドにはパーカッション担当はいてもドラム担当がいない。そして豊富なアコースティック楽器が目につく。それはそのままサウンド的な特徴ともなっている。
この編成から紡ぎ出される音楽は、全7曲、トータル37分というコンパクトな作品ながら、イタリアらしい詩情とともに、他のイタリアのバンドにはない独特な世界が感じられるのだ。ドラマチックでありながら、イタリア特有の情熱的な熱さは感じられない音なのである。
サウンドの要になっているのはアコースティック・ギターの細やかなアルペジオと2人のメンバーが奏でるフルートである。これに時にはメロトロン・フルート も加わる。その繊細で静かな流れの上を、つぶやくようなボーカルが淡々と歌う。基本的には非常にフォークタッチな編成であり、楽曲なのだ。
ところが面白いのは、あくまで基本がアコースティックなサウンドであるにも関わらず、突然感情が吹き出すかのように分厚いメロトロンが鳴り響く。あるいはサックス・アンサンブルが加わってくる。シンセサイザーがアヴァンギャルド風に使われる。
こうしたサウンドを効果的に織り交ぜることにより、フォーク的なこじんまりとした音楽ではなく、多様な音が混ざり合った、予想外に大きなスケールを感じさせるアルバムになっているのだ。
そしてまた音に厚みが出てきたり、曲展開が盛り上がってきても、かたくななほどドラムスが入らない。あくまでほとんどの場合パーカッション的に使われるだけ。したがって“シンフォニック・ロック”にはならないのだ。ここが大きな個性になっている。
だから“夢見るようなサウンド” をイメージすると肩すかしを食らうことになる。アコースティック・ギターのアルペジオと歌うようなフルートがあくまで曲の中心でありながら、ヴァイオリ ン、サックス、シンセサイザー、メロトロンが、そうしたフォーキーな世界に亀裂を入れるかのように加わる。しかしギターは何事もなかったかのように再びア ルペジオを爪弾き出す。この音世界の落差が音楽の幅を広げていると言える。
内省的なイメージが強いながら、決して弱々しい音楽ではない。イタリア的な素朴さを前面に出しながら、意外と奥の深い強度のある音楽である。2曲目に King Crimsonの「The Court of the Crimson King(キング・クリムゾンの宮殿)」のサビのメロディーが、ほぼそのままメロトロンで演奏されるが、それもまた曲に上手く溶け込んでいるということで 許してしまおう。
ドラムレスに近い独特な編成による深みのある特異なサウンド。70年代イタリア最後の輝きの一つ。傑作である。
ちなみにcelesteとは英語の「celestial」にあたり、「天国のような、神々しい、すばらしい、天空の、天体の」といった意味を持つ。敢えてロックともクラシックとも距離を置いて、独自の天上の音楽を奏でようとしていたのかもしれない。