MCMXC a.D.(1991年)
ENIGMA(エニグマ)
「MCMXC a.D.」(邦題は「サッドネス(永遠の謎)」) はENIGMA(エニグマ)が1991年突如としてデビューした時のファーストアルバムである。“突如として”と言うのは、デビュー時、そのメンバーもバ イオグラフィも何もかも謎に包まれていながら、見る間に大ヒットアルバムとなったからである。まさにeigma(謎)のバンドだったのだ。
これをプログレの範疇で語っていいのかというご意見もあろうが、私的にはいいのである。特にこのファースト・アルバムは、いわゆる「プログレッシヴ・ロック」的な音楽になかなか入ってこなかった面を秘めている。それはズバリ言えば“神聖なるエロス”。
当時流行し始めていたグランド・ビートを大胆に導入していることからクラブ・ミュージックな面も大きかった。後にDeep Forest(ディープ・フォーレスト)などの“ヒーリング・ミュージック”というジャンルの祖と言われるようになったりもする。しかし“クラブ・ミュー ジック”も“ヒーリング・ミュージック”衣装の一つに過ぎない。
その後Michael Cretu(マイケル・クレトゥ)を中心としたプロジェクトであることが判明。彼はルーマニア生まれのセッション・キーボード奏者兼敏腕プロデューサーとして、ドイツを拠点に活動していた。参加メンバーは不明。しかし妻のSandra Cretu(サンドラ・クレトゥ)とDavid Fairstein(デイヴィッド・フェアスタイン)が協力していることはわかっている程度だ。
アルバムは、記憶の奥底から流れてくるような柔らかなシンセサイザーの音の波が広がり、瞑想音楽への誘いから始まる。
そして瞑想的な音の波に包まれていくのかと思いきや、突然ローマ・カトリック教会で用いられるグレゴリオ聖歌が始まる。これはミュンヘンの聖歌隊 Kapelle Antiquaが録音したもののサンプリングだ。グレゴリオ聖歌が男性のみの単旋律(ユニゾン)による無伴奏の宗教音楽であるため、非常にストイックな雰囲気を持つ。瞑想的な雰囲気に宗教的な神聖さが加わる。このグレゴリアン聖歌が不思議なほどバックのシンセサウンドに映えるのだ。
そしてそこにダンサブルなデジタルグランド・ビードが被さってくる。グランド・ビートはそのうねるようなリズムがすでにエロティックである。そのリズムの上で禁欲ささへ感じられるグレゴリアン聖歌の歌声が流れること自体が衝撃である。メロディーはパンフルートのような尺八のようなキーボードが担うが、グランド・ビートのリズムの上にフランス語の女性のつぶやき、男性のつぶやき、エレキギターなども加わる。
さらに、女性のささやくようなラップ、馬のいななきのようなSE、高揚していくような女性の喘ぎ声に近いため息など、エロティックな要素がどんどん強くなっていく。
この伝統的な聖なる音楽と現代的で肉感的なリズムが融合することによって生まれる、どこか背徳的な妖しい雰囲気。しかしリズムはゆるやかに心の緊張を緩め、メ ロディーも柔らか、女性のフランス語の歌もグレゴリアン聖歌も美しいのだ。エロティックながら宗教的雰囲気を冒涜するようなところの手前で止まっているセンスの良さ。
そしてグレゴリア聖歌の持つ力強さが、逆にエロティックな雰囲気に深みを与えていると言おうか、より深い魂の解放と悦楽に向っていくような、この絶妙なブレンドが大きな魅力なのである。
音はちょっと聴くとそれ以後のアルバムほどの厚みはない。しかしオペラティックな女性の声や宇宙的なシンセSEなど、次々と挿入されていく多彩な音の効果的な使い方も巧みだ。最後のパートで映画「未知との遭遇」で使われる音階が出てくるが、静かな音とともに男女混成合唱も聞こえる。
これ以後のアルバムも、それぞれがサンプリングを活かした独特の音宇宙を持っているが、全編に効果的に配されたグレゴリア聖歌と、同居するエロティックさの対比がもたらす衝撃度で、ファーストは他の作品とは別格、まさに時間を忘れて別世界に浸る快感をもたらしてくれる異様な魅力を持つ傑作となった。
ここまでやってくれれば、クラブビートでもプログレッシヴ・ロックの範疇に十分入るでしょう。ちなみにタイトルの「MCMXC a.D.」はラテン数字で西暦1990年を表したものだそうだ。
これをプログレの範疇で語っていいのかというご意見もあろうが、私的にはいいのである。特にこのファースト・アルバムは、いわゆる「プログレッシヴ・ロック」的な音楽になかなか入ってこなかった面を秘めている。それはズバリ言えば“神聖なるエロス”。
当時流行し始めていたグランド・ビートを大胆に導入していることからクラブ・ミュージックな面も大きかった。後にDeep Forest(ディープ・フォーレスト)などの“ヒーリング・ミュージック”というジャンルの祖と言われるようになったりもする。しかし“クラブ・ミュー ジック”も“ヒーリング・ミュージック”衣装の一つに過ぎない。
その後Michael Cretu(マイケル・クレトゥ)を中心としたプロジェクトであることが判明。彼はルーマニア生まれのセッション・キーボード奏者兼敏腕プロデューサーとして、ドイツを拠点に活動していた。参加メンバーは不明。しかし妻のSandra Cretu(サンドラ・クレトゥ)とDavid Fairstein(デイヴィッド・フェアスタイン)が協力していることはわかっている程度だ。
アルバムは、記憶の奥底から流れてくるような柔らかなシンセサイザーの音の波が広がり、瞑想音楽への誘いから始まる。
Good evening. This is the voice of Enigma. In a next hour, you will take you with us into another world, into the world of music, spirit and meditatkon. Turn off the light. Take a deep breath. Relax. Start to move slowly, very slowly. Let the rhythm be your guiding light.
こんばんは。エニグマからの声をお届けします。これからの一時間、あなたは私たちとともに別の世界へと旅立ちます。そこは音楽と心と瞑想の世界です。明かりを消しましょう。深く呼吸しましょう。リラックスして。ゆっくり、とてもゆっくりと身体を動かし始めましょう。リズムにあなたを導く光となってもらいましょう。
そして瞑想的な音の波に包まれていくのかと思いきや、突然ローマ・カトリック教会で用いられるグレゴリオ聖歌が始まる。これはミュンヘンの聖歌隊 Kapelle Antiquaが録音したもののサンプリングだ。グレゴリオ聖歌が男性のみの単旋律(ユニゾン)による無伴奏の宗教音楽であるため、非常にストイックな雰囲気を持つ。瞑想的な雰囲気に宗教的な神聖さが加わる。このグレゴリアン聖歌が不思議なほどバックのシンセサウンドに映えるのだ。
そしてそこにダンサブルなデジタルグランド・ビードが被さってくる。グランド・ビートはそのうねるようなリズムがすでにエロティックである。そのリズムの上で禁欲ささへ感じられるグレゴリアン聖歌の歌声が流れること自体が衝撃である。メロディーはパンフルートのような尺八のようなキーボードが担うが、グランド・ビートのリズムの上にフランス語の女性のつぶやき、男性のつぶやき、エレキギターなども加わる。
さらに、女性のささやくようなラップ、馬のいななきのようなSE、高揚していくような女性の喘ぎ声に近いため息など、エロティックな要素がどんどん強くなっていく。
この伝統的な聖なる音楽と現代的で肉感的なリズムが融合することによって生まれる、どこか背徳的な妖しい雰囲気。しかしリズムはゆるやかに心の緊張を緩め、メ ロディーも柔らか、女性のフランス語の歌もグレゴリアン聖歌も美しいのだ。エロティックながら宗教的雰囲気を冒涜するようなところの手前で止まっているセンスの良さ。
そしてグレゴリア聖歌の持つ力強さが、逆にエロティックな雰囲気に深みを与えていると言おうか、より深い魂の解放と悦楽に向っていくような、この絶妙なブレンドが大きな魅力なのである。
音はちょっと聴くとそれ以後のアルバムほどの厚みはない。しかしオペラティックな女性の声や宇宙的なシンセSEなど、次々と挿入されていく多彩な音の効果的な使い方も巧みだ。最後のパートで映画「未知との遭遇」で使われる音階が出てくるが、静かな音とともに男女混成合唱も聞こえる。
これ以後のアルバムも、それぞれがサンプリングを活かした独特の音宇宙を持っているが、全編に効果的に配されたグレゴリア聖歌と、同居するエロティックさの対比がもたらす衝撃度で、ファーストは他の作品とは別格、まさに時間を忘れて別世界に浸る快感をもたらしてくれる異様な魅力を持つ傑作となった。
ここまでやってくれれば、クラブビートでもプログレッシヴ・ロックの範疇に十分入るでしょう。ちなみにタイトルの「MCMXC a.D.」はラテン数字で西暦1990年を表したものだそうだ。
(左写真は、左がMichael Cretu、右がSandra Cretu、
右写真はグレゴリア聖歌の譜面例「ウィキペディア 」より)
右写真はグレゴリア聖歌の譜面例「ウィキペディア 」より)