2009/07/18

「新月」

新月(1979年)

新月


新月」は日本が誇るプログレッシヴバンド新月(しんげつ)の唯一のスタジオアルバム(boxセットは除く)である。このアルバムが出たのが1979年。

70年代後半と言うと、日本のプログレッシヴ・ロックシーンではコスモス・ファクトリーや四人囃子の再初期の盛り上がりが一旦収束に向かい、イギリスのプログ レッシヴ・ロックグループが、その方向性を模索し始めた頃。音楽的にはパンクやフュージョンなどが登場し新たな音楽が展開を見せ始めた時期だ。

つまりプログレッシヴ・ロックを聴いてきたわたしのような者にとっては、突然遅れてやって来たバンドなのだった。“ポンプロック”と呼ばれるようになる、イギリスでのプログレッシヴ・ロック・リバイバルの象徴Marillionの登場は1983年。日本国内では美狂乱のデビューアルバムが1982年、まさに プログレッシヴ・ロックの波のはざまに出て来たのがこの新月だった。その分、この不思議なジャケットを見つめながら、いったいどんなバンドなんだろうという興味がふつふつと湧いたのを憶えている。

 北山真:ボーカル
 津田治彦:ギター
 花本彰:キーボード
 鈴木清生:ベース
 高橋直哉:ドラムス

非情に端的に言えば、プログレッシヴ・ロック的手法を取り入れてドラマチックに作り上げた、ちょっと不思議なフォークソング、みたいな感じが第一印象だった。それは今思っても当たらずとも遠からずで、非情にアコースティックな音を大切にしている点、そして線の細いボーカルがあまり感情を込めずに歌って いる点などが、他のプログレッシヴ・ロックバンドとはっきり違っていたからだと思うのだ。

四人囃子やコスモス・ファクトリーが、イギリスのニュー・ロックの波を受け、「新しい音楽」を作ろうとして結果的にプログレッシヴ・ロック的な音楽になったのに対し、新月は「日本人だから作れるロック」という、自分たちのアイデンティティー意識を強く持ったバンドだったのではないかと思う。


アルバムは、やはり一曲目の「鬼」のインパクトが大きい。この日本的旋律、ほとんどギターアルペジオだけのバックにボーカルがのる繊細さと静けさ。そしてタイトな演奏になっても必要以上に音を厚くせず、個々の音やメロディーを大切にする曲作り。ギターとメロトロンフルートのみの中間部。この基本に流れる静けさ、無音を大切にする姿勢が、終盤の感動を生む。

メロトロンをバックに独特な音色のギターソロ。細やかに動き回るキーボード。そして土着的で不気味な歌詞。まさに日本からしか生まれ得ない音楽であった。ボーカルはやや不安定なところがあるが、声質は静の部分を大切にしているバンドカラーに 合っており、新月の魅力となっている。

どの曲も各楽器のバランスを重視し、必要以上に大仰に音を重ねないのがいい。各プレーヤーの技術とセンスがとても高いことがわかる。特に後ろで跳ねるように細かく動くキーボードが曲に繊細さをもたらし、粘りと情感が凝縮したようなエレキギターが曲のポイントを引き締める。そして全編で重要な働きをするアコースティックギターのつまびき、アルペジオ。

押し引き、動と静のバランスが際立って巧み。そして全体が「静」寄りに作られているので、大きな世界を見せられるというより、自分の心の中の日本的な部分を見せられる感覚。これは日本のバンドでも新月ならではの強烈な個性だ。

例えば「白唇」に見られる静の演出の素晴らしさ。心のひだをたどるような、記憶の奥深くに分け入るような音。サビのボーカルハーモニーが美しい。ここでも全 体ではそれほど音を厚くしていない。基本はアコースティックギターとボーカルなのだ。したがってリズム隊もタイトで的確だが重くない。それでもここまでの世界を描けるという凄さ。

最後の「せめて今宵は」は前半部のピアノアルペジオを中心としたアンサンブル・センスの素晴らしさが光る。エレキギターソロで一旦盛り上がったあと、再びアコースティックギターで静かな世界へ引き戻される。「鬼」「白唇」とともに名曲。

ここまで静の部分を意識的に大切にして、一つ一つの音、メロディーを丁寧に重ねていったアルバムは、日本語の歌詞にこだわることで、日本的叙情、そして日本的な闇までも浮き彫りにさせた。作曲、アレンジのセンスに加え、各メンバーのテクニカルな裏付けがあればこそ可能となった傑作である。