The Court Of The Crimson King(1969年)
King Crimson(キング・クリムゾン)
King Crimson(キング・クリムゾン)
Yes、Pink Flyodらと並んで英国プログレッシヴ・ロックそのものと言ってよいKing Crimson。「The Court Of The Crimson King」(邦題は「クリムゾン・キングの宮殿」)は、1969年10月に発売された彼らのデビュー・アルバムである。。
アルバムは大反響を巻き起こし、最終的にチャートの5位まで到達する。ただし、巷で言われているような、The Beatles(ビートルズ)の「Abby Road」(邦題は「アビー・ロード」)を、1位の座から引きずり降ろしたわけではないというのが真相らしい。
1960年代後半のサイケデリック・ミュージックの台頭、The Beatlesが押し広げたロックンロールではないロックへの期待、音楽機材、録音機材の発達など、音楽界が大きく動こうとしていた時期である。
そんな中、ヒットするかしないかは音楽の善し悪しとはまた別の要素もあるわけだが、少なくともいきなりの新人バンドのアルバムがそれだけの反響を引き起こし たことは、アルバムを聴けば十分納得できる。「The Court Of The Crimson King」には、従来のロックを覆す強力な音が詰まっていた。
しかし個人的なKing Crimson体験は、1973年以降のインプロヴィゼーションを多く取り入れた時期が先であった。BBCのライブ音源である。その「Talking Drum」(「トーキング・ドラム」から「Larks' Tongues in Aspic II」(「太陽と戦慄 パートII」)へ、切れ目なしで流れていくインストゥルメンタル・ナンバーに圧倒されたのだ。
だから「The Court Of The Crimson King」は遅れて聴いたアルバムである。そして最初聴いた時は、自分の聴いて来たCrimsonらしくないと感じた。すんなり入ってこない。聴いていて すっきりしない。それは多様な曲が詰まっているために、全体のイメージがすぐにつかめなかったためなのだ。
Robert Fripp:ギター
Ian McDonald:リード、ウッドウインド、バイブ、キーボード、
メロトロン、ボーカル
Greg Lake:ベース、リードボーカル
Michael Giles:ドラムス、パーカッション、ボーカル
Peter infield:歌詞、照明
しかしさすがに冒頭の「21st Schizoid Man」(「21世紀のスキッツォイドマン」)には度肝を抜かれた。厚みのある圧倒的迫力のブラス、間をうめるように表情豊かに叩かれるドラム、そしてイコライズされたボーカル。
さらに中間部での、タイトなドラムの上で繰り広げられる勢いのあるアンサンブル、そこで聴かれるねじくれたようなギターソロ。一瞬空間がゆがんだような錯覚を起こすくらいの衝撃。次々と変わる曲調。明らかにそれまでのシングルヒット向けサウンドとは別の世界。
ところが2曲目「I Talk To The Wind」(「風に語りて」)では一転して、フルートが印象的なクラシカルで静かな曲。フルートの音も美しく本格的。1曲目とは全く正反対な、つぶやくよ うなボーカル。この落差。同じバンドとは思えない、演奏力、表現力、サウンドすべてにおけるバンドのポテンシャルの高さ。
さらに3曲目 「Epitaph」(「エピタフ」)では、また違ったボーカルスタイル。朗々とドラマチックな歌を歌いこなす。バックに流れる分厚く不思議なストリングス 風サウンド。メロトロンか。曲のスケールが大きい。アコースティックギターの響きも美しい。1曲目とも2曲目とも違う荘厳でドラマチックな世界。
ここまでですでに出し尽くしたかと思うと、さにあらず。旧B面は幻想的なボーカルに導かれてフリーミュージック。音に夜「Moon Child」(「ムーン・チャイルド」)の幻想世界の表現。
そしてラストがタイトル曲「The Court Of The Crimson King」(「キング・クリムゾンの宮殿」)で、再び荘厳な曲。神々しい天上世界の出現。メロトロンによる中間部のメロディーも未知の世界。クラシカルな 雰囲気も漂うが、ロックのダイナミズムを失わない新しい音楽。
一 聴するとバラバラの曲調の寄せ集め、アルバムのトータルイメージが定まらない、というような印象を持つかもしれない。ところが、聞き込んでいくとそれぞれ の曲の完成度の高さ、そして様々なタイプの曲の奥に見える核としてのCrimsonが感じられるようになる。つまりCrimsonという巨大な世界が、別 の側面から表現されたに過ぎないのだ。そして曲調が異なるのにアルバムの統一感が感じられてくるのだ。
改めて聴いてみると、全体の統一感 の要因の一つはMichel Giles(マイケル・ジャイルズ)のドラミングに寄るところが大きいかもしれない。強烈な印象のギターも、圧倒的なサックスも、軽やかなフルートやサッ クス、メロトロンも、実はアルバムの中で強烈に主張する場面はごくわずかだ。しかし実はいろいろなところで、隠し味的にみごとなサポートをしている。
これだけの音楽を作り出すCrimsonという大きな未知のパワーと可能性を秘めた新しい世界が、このアルバムの向こうに存在している。バンドの実体として はすぐにメンバーが変わってしまうのだが、そうした巨大な存在を感じさせるところが、このアルバムの凄さであり、この時期のバンドの凄さだったのだろうと 思うのだ。
究極の一枚。
アルバムは大反響を巻き起こし、最終的にチャートの5位まで到達する。ただし、巷で言われているような、The Beatles(ビートルズ)の「Abby Road」(邦題は「アビー・ロード」)を、1位の座から引きずり降ろしたわけではないというのが真相らしい。
1960年代後半のサイケデリック・ミュージックの台頭、The Beatlesが押し広げたロックンロールではないロックへの期待、音楽機材、録音機材の発達など、音楽界が大きく動こうとしていた時期である。
そんな中、ヒットするかしないかは音楽の善し悪しとはまた別の要素もあるわけだが、少なくともいきなりの新人バンドのアルバムがそれだけの反響を引き起こし たことは、アルバムを聴けば十分納得できる。「The Court Of The Crimson King」には、従来のロックを覆す強力な音が詰まっていた。
しかし個人的なKing Crimson体験は、1973年以降のインプロヴィゼーションを多く取り入れた時期が先であった。BBCのライブ音源である。その「Talking Drum」(「トーキング・ドラム」から「Larks' Tongues in Aspic II」(「太陽と戦慄 パートII」)へ、切れ目なしで流れていくインストゥルメンタル・ナンバーに圧倒されたのだ。
だから「The Court Of The Crimson King」は遅れて聴いたアルバムである。そして最初聴いた時は、自分の聴いて来たCrimsonらしくないと感じた。すんなり入ってこない。聴いていて すっきりしない。それは多様な曲が詰まっているために、全体のイメージがすぐにつかめなかったためなのだ。
Robert Fripp:ギター
Ian McDonald:リード、ウッドウインド、バイブ、キーボード、
メロトロン、ボーカル
Greg Lake:ベース、リードボーカル
Michael Giles:ドラムス、パーカッション、ボーカル
Peter infield:歌詞、照明
しかしさすがに冒頭の「21st Schizoid Man」(「21世紀のスキッツォイドマン」)には度肝を抜かれた。厚みのある圧倒的迫力のブラス、間をうめるように表情豊かに叩かれるドラム、そしてイコライズされたボーカル。
さらに中間部での、タイトなドラムの上で繰り広げられる勢いのあるアンサンブル、そこで聴かれるねじくれたようなギターソロ。一瞬空間がゆがんだような錯覚を起こすくらいの衝撃。次々と変わる曲調。明らかにそれまでのシングルヒット向けサウンドとは別の世界。
ところが2曲目「I Talk To The Wind」(「風に語りて」)では一転して、フルートが印象的なクラシカルで静かな曲。フルートの音も美しく本格的。1曲目とは全く正反対な、つぶやくよ うなボーカル。この落差。同じバンドとは思えない、演奏力、表現力、サウンドすべてにおけるバンドのポテンシャルの高さ。
さらに3曲目 「Epitaph」(「エピタフ」)では、また違ったボーカルスタイル。朗々とドラマチックな歌を歌いこなす。バックに流れる分厚く不思議なストリングス 風サウンド。メロトロンか。曲のスケールが大きい。アコースティックギターの響きも美しい。1曲目とも2曲目とも違う荘厳でドラマチックな世界。
ここまでですでに出し尽くしたかと思うと、さにあらず。旧B面は幻想的なボーカルに導かれてフリーミュージック。音に夜「Moon Child」(「ムーン・チャイルド」)の幻想世界の表現。
そしてラストがタイトル曲「The Court Of The Crimson King」(「キング・クリムゾンの宮殿」)で、再び荘厳な曲。神々しい天上世界の出現。メロトロンによる中間部のメロディーも未知の世界。クラシカルな 雰囲気も漂うが、ロックのダイナミズムを失わない新しい音楽。
一 聴するとバラバラの曲調の寄せ集め、アルバムのトータルイメージが定まらない、というような印象を持つかもしれない。ところが、聞き込んでいくとそれぞれ の曲の完成度の高さ、そして様々なタイプの曲の奥に見える核としてのCrimsonが感じられるようになる。つまりCrimsonという巨大な世界が、別 の側面から表現されたに過ぎないのだ。そして曲調が異なるのにアルバムの統一感が感じられてくるのだ。
改めて聴いてみると、全体の統一感 の要因の一つはMichel Giles(マイケル・ジャイルズ)のドラミングに寄るところが大きいかもしれない。強烈な印象のギターも、圧倒的なサックスも、軽やかなフルートやサッ クス、メロトロンも、実はアルバムの中で強烈に主張する場面はごくわずかだ。しかし実はいろいろなところで、隠し味的にみごとなサポートをしている。
これだけの音楽を作り出すCrimsonという大きな未知のパワーと可能性を秘めた新しい世界が、このアルバムの向こうに存在している。バンドの実体として はすぐにメンバーが変わってしまうのだが、そうした巨大な存在を感じさせるところが、このアルバムの凄さであり、この時期のバンドの凄さだったのだろうと 思うのだ。
究極の一枚。